箱庭文学

圧倒的駄文! 何気ない日常のこと、お仕事のこと、思い出話、与太話、妄想・空想など。

教師という職業の人を、機械的に尊敬するアホらしさに気づいた日の話

3
晴天の空

10歳のときに木のてっぺんから眺めた空がとても近かったことを、私は今も覚えてる。

敷きつめられた濁りない雲。その白に艶麗さを添えるようにある、濃厚で鮮烈な青。

その空が放っていた躍動的な美しさは、いい想い出であると同時に、「"教師"という職業の人を機械的に尊敬すること」のアホらしさに気づいた日の分水嶺として、32歳となった今もなお、記憶の奥底で静かに脈打ち続けている。

ちょうど今くらいの、雨とも晴れとも覚束ない日々が続く梅雨時期に、私はそのひんやりとした冷たい絶望を思い出す。


*******


10歳のその日、休み時間に仲が良かった男子たちが、景色が良さそうな場所を見つけた、 と教えてくれた。「ほんま!それどこにあるん?」と訊ねると、ひとりの男子が運動場の隅を指さした。

その先にあったのは、1本の杉の木。途方もない年月を乗り越え、"今ここに存在していること"を誇示するかのようにそびえ立つ巨木だ。


放課後、さっそく私たちは大きなその杉の木に登った。

激しい凹凸のある表皮が私たちの登頂を助けてくれて、それほど苦労することなくてっぺん付近まで辿り着けた。そして私たちは空を眺め、息を呑む。


今思い返せば、木登りをやり遂げた充実感や満たされた冒険心が、眼前に広がる風景をいっそう魅力的に染め上げていたのかもしれない。ただただ美しい空が、そこにあった。

どこまでもどこまでも押し広がり、連なり続けることをやめない空。夏の色香を運ぶ風が汗ばんだ肌の上を滑りゆく。青葉は躍る。

じんわり身体を駆ける、快然たる永遠感。精神は、「その一瞬」において満遍なく満たされ、細密に、そして健やかに編み上げられた時間が、10歳だった私たちを優しく抱いた。



しばしの時間が過ぎ、絶景に満足して降りようとした際に問題が起こった。 登るのは容易だったが、視界が遮られる形になるため、降りるのは極めて難しかった。

ほんのちょっと降りたところで登るときには感じなかった変な恐怖心も芽生え、上にも下にも行けないという状況になり、私は慌てて樹木の根元付近で待機していた友達に「緊急事態」を大声で叫んだ。

ものの数分で担任の先生や副担任、隣のクラスの先生、 保健室の先生、果ては校長先生まで駆けつけ、大騒動に発展したのちに、 私たちは無事に救助された。


*******


私たちは担任の先生から大目玉を喰らった。

「どうしてあんな危険なことをしたんや!!」という怒号が保健室を揺らす。先生が言うことはもっともだった。でも私にはひとつ納得がいかないことがあった。

それは、 説教の端々に挟まる「いおりは女の子やのに」という先生の言葉。

私以外の男の子たちは「危険な木登りをしたこと」を怒られているのに、 私は「危険な木登りをしたこと」に加えて、 「”女の子なのに”危険な木登りをしたこと」も怒られている。

みんなは1つなのに私は2つ怒られている。 そのことに納得がいかず、私は先生に反論した。


「何で女の子は木登りしたらいけんの?」 と訊けば、「女の子は女の子らしく、 男の子は男の子らしくするんが普通や」と返された。

「女の子らしいって何?」と問えば、「おしとやかに、ってことや」と言われた。

間髪入れずに「それ誰が決めたん?」と訊けば、担任は言葉を詰まらせながら「誰がって…そういうもん、 決まりというか…常識みたいなもんや」と答えた。

「"女の子は木登りしちゃいけん"のが決まりなん?何に書いてあるん?」と臆せず訊いたら、「あんな、そういうのを屁理屈っていうねん。とにかくもう木には登るな!わかったな!!!」と強く念を押された。


道徳の教科書には 「個性」を尊重することが大切だと書いてあったし、授業でそう教わった。

でも木登りの件で優先されているのは、「個性」よりも「性別」に付随する訳のわからないイメージの方だった。

「性別」という自分に決定権のない属性によって、 己の思想や行動に制限や偏りが与えられることに、 10歳の私はどうしても納得できなかったし、納得してはいけない気がしていた。

その旨を先生にしつこく伝えたけれど、「屁理屈」の一点張りで、打てば響くような実りある回答は得られなかった。



帰宅後、学校から電話連絡があったらしく、両親にも烈火のごとく怒られた。

自分の部屋に入って窓が切り取った橙の空を見たら、驚くほど突然に涙が出た。でも子供心に、なんとなく泣いているのが親にバレたらダメな気がして、だから声を殺して泣いた。

このとき溢れた涙は、親に怒られたからじゃない。担任の言葉に納得できない、行く宛を失くした不条理感がひどく気持ち悪かったからだ。

私の疑義に取り合おうとしない担任の顔と吐き捨てられたいくつかの無機質な言葉が何度も何度も頭の中で反芻され、心は自らの意に反しそれらで埋められていく。不条理感は厚みを増していくけれど、それに耐えきる術を10歳の私はまだ知らなかった。未熟な心はたまらなくなり、どうしようもなくなってしまった。だからたぶん私はあのとき、静かに泣いたんだろう。



夕食のとき、恐る恐る父に 「男の子は木登りしてええけど、女の子はしたらだめなん?」と訊ねてみた。 「ちゃう!男も女も、どっちも危ないことをしたらいけんのや」と父は即答した。

不条理さを一切持たぬ父の言葉は、私の心をギュッと抱きしめてくれた。少しだけ救われた気がした。

思い切って、担任としたやりとりを話してみると、 父は腹を抱えて笑ったのち、 「女らしさ」は日本文化の根底にある儒教の教えが影響していることを教えてくれた。


*******


次の日、良かれと思って父から教わった「女らしさの背景」を担任に伝えた。

担任は明白に表情を曇らせ、 ぶっきらぼうにこう言った。

「まだそんなことにこだわってるんか。 とにかくもう危ないことはするな。ええな!」


その言葉は、私の心から”何か”を奪い、そして間違いなく壊した。

血管を流れる血は停滞を急ぎ、感情は振り切れ、高まりはなく、むしろ死んだように波がなく落ち着いていった。

先生の焦燥感が私の精神に土足で踏み込んできて、そしてその穢いものは私の心の奥深いところにまで容赦なく流れ込み、最後は空虚感や寂寥感に変わって爆ぜた。

世界が急速に色を失っていく。世界から切り離されたような感覚が無慈悲に私を刺す。ひとり足のつかぬ水中で泳ぎ疲れ沈んでいくような、そんな「冷たい絶望」を孕んだ私が、そこにいた。


先生が私に向けた冷淡な目を今度は自らに宿し、私はその目で先生を睨む。

ああ…この人は 「考えること」をやめてしまったんだ…と思った。

黒板の上に貼られていた学級目標の 「いっぱい考えよう」と 「たくさん発表しよう」が、 とても胡散臭く、極めて滑稽に思えた。

いろいろなことが頭を巡ったけれど、そのいろいろな何もかもが哀しかった。



あれこれ考えた10歳の私は、あるひとつのことに思い至った。”それ”を、今の私が言葉にしてみる。


「先生」と呼んでいたその人から、教師という職業を剥ぎ取ると、その人はもう”ただの人”でしかなかった。

ただ私よりも早く生まれ、だから私よりも早く小学校にいき、中学にいき、高校にいき、そして大学にいき、だから小学生の私よりも勉学ができた。ただそれだけの、くだらない人間だった。ほんとにただそれだけだった。

人が人を敬う「尊敬心」というものは、教師とか政治家とかいった職業や肩書きによって生まれるのではなく、その人が為した敬うべき行為の集積としてある。

もし仮に、子供達から尊敬される教師がいるとすれば、その人は教師だから尊敬されるのではなく、敬うに値する人間だから尊敬されるべきだ、と私は思う。


私の担任は、尊敬するに値しない人間だった。ただそれだけだった。

誰かに教えられた「先生を敬いなさい」という言葉の意味が死んだ。

10歳の私の中で、静かに「先生」が終わっていった。


*******


雨窓ガラス

2018年、半夏生の空は鉛色。雨が降り落ちていた。


私は懲りずにまた、「何も語る言葉を持っていなかったあの頃」を内省する。

先生が「聖職者」ではなくただの「人間」になった、10歳のあの日を思い出す。


降り止まぬ雨は、その勢いを増していく。

窓打つ雨を見る。

そういえば、 先生が「人間」に堕ちた日の空も、今日のごとく泣いていた。



よろしかったらフォローお願いします!

はてなの読者登録はこちらからどうぞ♪
                          


✔LINEやってます。限定記事など配信してます♪
       友だち追加


ツイッターもめっちゃやってます♪
       


✔当ブログのおすすめ記事はこちら♪
「箱庭文学」のおすすめ記事を10個ピックアップ!