ナザリックに所属するものには明確な序列が存在する。
最高位はギルドマスターであるアインズその人であり、その横に並ぶべきは至高の41人。
現状では唯一にして無二の至高なる存在がアインズである。
次に権力を持つのが至高の41人によって直接創造されたもの達、NPC。
階層守護者でありアインズの副官でもあるアルベドがこの中では最も地位が高いとされるが、至高の41人によって作られしものは階層守護者から一般メイドに至るまで存在としての順列は無し、と言うのがNPC総員の基本的な認識である。
応用的にはやはりアルベドは別格なのではないか、(ここだけの話だが)アインズ様の息子とも呼ばれるパンドラズ・アクターも特別と言えるのではないか、それはともかくエクレアの奴は処分するべきだ。
そのような異論が無い訳では無いが、強硬に順列を付けようとする者は誰一人居ない。
至高の41人への敬意の表れである。
NPC達に大きく引き離されて続くのがアインズと直接の面識があり、そのアインズからナザリックの為に働く事への勧誘、移住の勧めや滞在許可を受けた者達である。
これにはハムスケ、ザリュース夫妻、ピニスンなどが該当する。
守護者や一般メイドに比べるとナザリック大墳墓内での行動に制約があり、ハムスケのようにアインズから移動手段として扱われたり密命を受ける事が多い者を除いて階層間の移動や外出には許可や監視など一定の制限が設けられる。
アインズの許しなく命を奪われる可能性はほとんど無いと言う意味で彼らまでがナザリックでの一定の人権を保障されているエリート層と言える。
一方、アインズと関わりが薄い存在ほどナザリックでの立場は悪くなる。
傭兵、しもべ、テイムモンスターなどナザリックの住人には様々な者が居るがこれらは守護者達の気分次第で殺害されてもやむなしとされる、言わば奴隷のような存在である。
だが、例えばアインズが手ずから創造したアンデッドモンスターや至高の41人が大金を掛けて計画的に雇用したモンスターの立ち位置は微妙な所であり、むやみやたらと粗雑には扱われないと言う意味では奴隷の立場から一歩脱した解放奴隷とでも評するべきだろうか。
これらの分類に当てはめるとナザリックでは安全を保障された身分のピニスンではあるが、今は地獄のような光景の中で恐怖に震えていた。
「ぶるぶる、デミウルゴス様の所のデーモンって怖過ぎるよ…。肩でもぶつかろうものなら地獄に引きずり込まれそうだけど本当にアタシ大丈夫なのかな?」
階層間移動を管理する桜花領域の守護者から許可を得たピニスンはデミウルゴスの管理する第七階層で希少な食材を探している副料理長を訪ねに来ていた。
大きな分類で言えば植物に近いドライアードのピニスンには第七階層の一面に広がる溶岩地帯は相性が悪い。
いや、相性が悪いと言うよりも本来なら数分も滞在すれば逃れられない死が待っているのだが、貸与された各種耐性装備の力を借りれば人間で言えば不快な梅雨時くらいの居心地の悪さで済む。
ピニスンを気鬱にさせている主な理由はその程度の不愉快さではない。
そもそもピニスンはアウラを除くナザリックの守護者たちの大半を苦手としているがとりわけデミウルゴスには苦手意識、と言うよりも恐怖を抱いていた。
そのデミウルゴスの配下達もピニスンから見ればあるじに負けず劣らず異様な気配を放っており、彼らからは明確な敵意こそ感じないもののすれ違うだけでもピニスンの神経をさいなんでいた。
「もうやだ、一旦戻ってアウラちゃんに副料理長を呼び出してもらいたいよ。でもあの子って仕事には厳しい所があるから、中途半端な事をすると慣れる為にってずーっと第七階層との連絡役にされちゃうかもしれないし、怖くても今日くらいは我慢した方がいいんだよねぇ、うう…。」
この階層への転移の直前に、気の毒そうな顔をした桜花領域の守護者から教えてもらった地点にようやくの事で近付くと、頂上から溶岩がゆるやかに流れ出る、針山とも岩壁とも判別が付かない悪意に満ちた不可解な形状を持つ山の下で副料理長がたたずんでいた。
「あ、居た居た、副料理長さまー、ピニスンですよー!ご希望のモノを届けに来たよっ」
心細さから副料理長の元に駆け寄るピニスン。
特別に親しい訳ではないけれど、この階層にあっては砂漠でドライアードに出会うような再会の待ち遠しさを抱いており、それを迎える副料理長も食材への期待からか長年の友人と顔を合わせたような喜びを身体で表現した。
「やあピニスン、ありがとう。これは実に新鮮なマンドレイクだ!ところでピニスン、貴方は食事を摂る事は出来ただろうか。」
「アタシ?うーん、人間ほど食事に興味は無いけど、苦いとかしょっぱいくらいは解りますよ。油ものは少し苦手かな、でもどうして?」
「そうかそうか、じゃあマンドレイクを食べる事に抵抗は無いかい?辛い物が苦手じゃなければ新鮮な素材が揃ったこの場で味見をしてくれる人が欲しくてね。ここにはマンドレイク料理に使う為にこの環境でだけ育つ唐辛子の一種を探しに来たんだ、美味しい事は解っているんだがせっかくだからちゃんと舌で味が解る人の意見が聞きたいんだよ。」
なるほど、確かに茸生物である副料理長の頭部には口も無ければ舌も無い。
ピニスンはなんでこんな奴が料理人を目指したんだろうと内心首をひねる。
実のところ、至高の41人から超常的な感覚を与えられた副料理長は舌が無くても常人を越えた優れた味覚を備えており、料理をする上で他人の味見を必要とする事は無いが、栄養として料理を補給する事は難しい。
この場においては料理人としての拘りがピニスンの味見を望んだようだ。
「どっちもイケますよ、でもこんなところで料理なんて出来るんです?」
地獄に仏はあったとしても、地獄に調理場はなかなか無いだろう。
だがしかし、デミウルゴスたち悪魔が余人にはまず見せる事のない住居の中であれば、実のところこの近くに調理場は無い訳でも無い。
だが副料理長は血と膿に溢れたけがらわしい調理場で料理をする趣味は無かった。
「ふふ、私はこれでもナザリックの胃袋を任される厨房の副料理長だよ。君が味見をする分くらいなら瞬きひとつの手間で作り終えたさ」
そう語る副料理長の手にはスライスされて華麗に彩られたマンドレイクにかぐわしい香りのソースが掛かった料理の皿が既にあった。
完全に調理に特化されたビルドで作られた料理長と比べてしまえば純粋な料理の腕ではいささか劣るとは言え、副料理長も人智を越えた料理の腕を持つ。
料理長の調理の補助役として作られた副料理長は例えどのような状況、どのような環境であろうとも至高の41人の前に出して恥ずかしくない料理を用意出来るのだ。
ピニスン一人分の料理を瞬時に用意するのは造作もない話である。
「うわぁ、凄い腕前ですねぇ。」
ナザリックに来てから様々な事に驚いたピニスンだがまたひとつ新鮮な驚きを得た。
「凄いと言ってもらうのはこれからさ、食べてみてくれ。」
副料理長はピニスンへと私物である銀のフォークを手渡す。
ナザリックに来る前は食器を扱う習慣などないドライアードのピニスンだったが、腕を持つ人間形の生物が手づかみで食事を摂るのはアインズ様に恥を掻かせると言う事でアウラから簡単なテーブルマナーを強制的に叩き込まれていた。
戸惑うことなく手渡されたフォークを使ってマンドレイクを口にすると…。
「はい、ぱくーっと。………。う、うわっ、美味いぞこれ!?美味いぞー!」
涙を流しながら掻きこむように調理されたマンドレイクを口に放り込んでいくピニスン。
ピニスンは至福とはこうあるものか、と長いドライアードの人生で初めて知った。
普段は森の中で光と土から栄養を得て暮らし、時に人間の食べ物を口にした事もあるピニスンだが調理された食べ物に執着は湧かず、その味に感動を覚えた事など一度も無かった。
伝え聞く人間達の神話によれば天国には地上では味わえないほどの美味があると言うが、アタシはとつぜん天国に迷い込んでしまったとでも言うのだろうか。
それにしても美味い、美味過ぎる、料理とはかくあるものなのか、だとすればアタシの今までの人生とは一体なんだったのか、とまで考えてしまった。
「なんでこんなに美味しいんだよ、ちくしょー!」
もはやナザリックにおいて目上の相手である副料理長への礼節をかなぐり捨ててしまったピニスン。
しかし副料理長が求めていたのは礼節などではなく料理への評価、その心を満足させるだけの大きな反応だったのか、顔の無い頭部にニヒルな満足感を漂わせていた。
一通り食べ終え、もはや呆然として言葉も無いピニスンを置いて副料理長は帰り支度を始める。
「解ってはいた事だが、これは至高の料理の前菜として検討する価値のあるメニューのようだ。貴方も早くここから帰りなさい、瘴気のかたまりが面白がって向こうから近付いて来ているよ。」
ナザリック大墳墓が適切に管理されている限り、どのような地獄に足を踏み入れようともアインズが直接招いた人材であるピニスンが肉体的に害される事などまず有り得ない話だが、紳士として一応の忠告を与えた副料理長は満足げにデミウルゴスの支配する階層から去って行く。
数分後、遅れてやってきた口の中のあまりの辛さに我を忘れ(ちなみにこれは副料理長の調理の手抜かりでは無く辛い物の食べ過ぎである)、辛い辛いと水を求めて五里霧中としゃにむに走り、各所でうっかり目にした地獄のような光景に大騒ぎをしながら階層中を駆け巡ったピニスンだが、この騒ぎはいったい何事かと現れた眉をひそめるデミウルゴスに身柄を確保され、連絡を受けたアウラが待つ第六階層の闘技場へと放り投げられるようにして引き渡された。
その不始末を怒るべきなのか、苦労をいたわるべきなのか悩むアウラに対してピニスンは、
「アタシは天国と地獄を見て来たよ…。」
と、ミルク(辛みによる舌の痛みを緩和する)を手渡されながら語ったと言う。