トップ > 中日スポーツ > 芸能・社会 > 紙面から一覧 > 記事

ここから本文

【芸能・社会】

歌丸さんは努力家というより才能 小遊三、米助ら会見で泣き笑い

2018年7月4日 紙面から

亡くなった桂歌丸さんについて記者会見する(左から)春風亭昇太、三遊亭小遊三、桂米助=東京都新宿区で(内山田正夫撮影)

写真

 落語家の桂歌丸さんが2日に81歳で亡くなったことを受け、歌丸さんが会長を務めていた落語芸術協会の会長代行・三遊亭小遊三(71)、「笑点」の司会を歌丸さんから引き継いだ春風亭昇太(58)、弟弟子の桂米助(70)、一番弟子の桂歌春(68)の4人が3日、東京・西新宿の芸能花伝舎で会見を開き、歌丸さんとの思い出や最後の様子などを笑いや涙を交えながら語った。歌丸さんの通夜・葬儀は9日と10日に家族葬で行い、11日に横浜市の妙蓮寺で告別式を営む。

 小遊三によると、歌丸さんは亡くなる2日前の「6月30日まで弟子に小言を言っていた」。最後の小言は「オレが死にそうなのに、てめぇたちは来ねぇ」だったと、ユーモアたっぷりに明かして報道陣を笑わせた。しかし翌7月1日に声が出なくなり、病状の急変をうかがわせた。

 みとったのは家族ら一部に限られ、小遊三らは間に合わなかった。歌春は「最期は苦しまずに眠るような感じで息をしなくなったと、おかみさん(妻の冨士子さん)から聞きました」。闘病中も見舞客らに弱音を吐くことはなかった歌丸さんだが、歌春は「『酸素チューブを付けてまで高座に上がりたくない』と漏らしていた。約2カ月飲み食いできず『苦しい、楽にしてくれ』と言っていた。つらかった」と明かした。

 4月19日の高座を最後に入院していた歌丸さんが危篤状態に陥ったのが4月29日。連絡を受けて病院に駆けつけた米助は、歌丸さんに大声で「師匠、米助ですよ!」と呼びかけた。歌丸さんは医師から「今夜がヤマ」と言われるほど危険な状態だったが奇跡的に回復。歌春によれば、数日後に意識が戻った歌丸さんは臨死体験に触れながら「死にそうな感じがしたけど、誰かが大きな声で呼んで戻ってきた」と話し、米助を“命の恩人”と感謝していたという。

 米助は飲酒していたので大声になったことや、病院から注意されたことも明かして笑いを誘った。しかし最初に落語の稽古をつけてくれた歌丸さんの遺体にどんな言葉をかけたか問われると「本当に下っ端の時から面倒を見てくれたので、歌丸師匠、ありがとうございました。これしかない」と、あふれた涙をハンカチでぬぐった。

 昇太は昨年放送のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」に今川義元役で出演した際、歌丸さんから「いいな、いいな。オレも出たいな」とうらやましがられたエピソードを披露。時代劇が好きだった歌丸さんは「千利休だったらうまくできそうな気がする」と具体的な役まで決めて出演を熱望していたという。

◆ゆかりの4人しのぶ 小遊三ら会見

 -歌丸さんの思い出は?

 昇太 笑点であまりウケなくても座布団を出してくれたり、気をつかっていただきました。

 小遊三 晩年の円朝ものに取り組んだ姿が強烈に印象に残ってます。「何でもできなければ落語家じゃない」と爆笑も取れば、長屋話、そして円朝ものの怪談話まで。とてもまねできません。もう口をきかないのかと思うと寂しい。

 米助 18歳で米丸師匠に入門して、最初に稽古つけてくれたのが歌丸師匠。今年の4月15日の私の誕生日には、歌丸師匠がケーキと花束でお祝いしてくれました。自分が苦しいのに、大変情の厚い師匠でした。お酒を飲まないのに、カラスミとかイカとか好きで、おせんべいも好きだった。しょうゆの固いやつね。

 歌春 おせんべいの話だと、浅草のお店のおせんべいが大好きでしたが、ある時、頑固者のご主人とけんかになって。お互い頑固者同士、師匠はおまえんとこでもう買わねえ、とたんかを切って来たんですが、どうしてもまた食べたくなって。弟子が買いに行ったこともありました。

 -歌丸さんの奥さまのようすは?

 歌春 毎日、師匠の病院に行っていたので、おかみさんが気落ちしないか心配です。

 米助 奥さんは5つ年上、たぶん師匠がほれたんじゃないかな。

 小遊三 万事のみ込んでいる、余裕がある奥さまです。昨日もそうで、いると安心させてくれます。

 -81年、落語一筋の人生でした。

 昇太 テレビに出てると、タレント的に見られて、落語はあまりやらない人と思われます。師匠もそれを感じていたようですが、落語との向き合い方が素晴らしく、落語家の姿勢を教わりました。

 小遊三 努力家と思われていますが、人にはない素晴らしい才能があった。あれだけの古典落語を自分の思った通りにしゃべることはできません。

 米助 だじゃれが大嫌いで、ユーモアのあるしゃれを言えよ、と。生き方からすべて芸に向かっていた。才能もあって野球に例えると、王貞治。

 -歌丸さんに心配事があったとすると?

 米助 一番の心配は弟子のことだったのでは。

 歌春 落語を残すのは落語家の仕事だけど、お客さまを残すのも落語家の大きな仕事だ、と。寄席にリピーターを増やすのが願いじゃないかと思います。

 米助 師匠に素晴らしい動員力があったので、いま落語界はピンチ、協会一丸になってピンチをチャンスに変えたい。

 小遊三 寄席に来てもらいたい。昇太の独演会はどうでもよろしい。

 昇太 古典落語に新しいギャグを入れるのがはやっているのを、ちょっと憂えていたんじゃないか、と。後に続く者が大事だと思います。

 

この記事を印刷する

中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ