「#MeToo」運動が世界的なひろがりを見せるなか、この国でも徐々にではあるが確実に、さまざまな種類の性暴力にたいする告発の動きが活発になっている。ここに登場する伊藤詩織さんは、堂々と顔と実名を出して、去る大物男性ジャーナリストの、かの女にたいする性暴力を告発した。この「事件」をめぐっては、いったんは逮捕状が発令されたもののそれは執行されず、刑事事件としては不起訴が確定している。しかし、詩織さんは、「意識を失っているあいだに望まない性行為をされた」ことによってこうむった肉体的・精神的な苦痛にたいして慰謝料を支払うように要求、民事裁判をたたかいつつ、「#MeToo運動」も展開している。ロンドンを拠点にジャーナリスト活動をするかの女が4月に来日した機にインタビュー取材した本誌編集長が、「事件」のあらましをあらためて跡付けるとともに、詩織さんの現況を訊いた。
伊藤詩織さんにインタビュー──たたかいはつづく【後編】
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"目を覚ましたのは激しい痛みを感じたためだった"
わかっていること
ここで「事件」の内容を整理しておかなければならない。以下は詩織さんの著書『Black Box』からの引用である(248-249ページ。註は筆者が適宜挿入したもの)。
あの日(註:2015年4月3-4日)の出来事で、山口氏も事実として認め、また捜査や証言で明らかになっている客観的事実は、次のようなことだ。
・ TBSワシントン支局長(註:当時)の山口氏とフリーランスのジャーナリストである私は、私がTBSワシントン支局で働くために必要なビザについて話すために会った。
・そこに恋愛感情はなかった。
・私が「泥酔した」状態だと、山口氏は認識していた。
・山口氏は、自分の滞在しているホテルの部屋に私を連れて行った。
・性行為があった。
・私の下着のDNA検査を行ったところ、そこについたY染色体が山口氏のものと過不足なく一致するという結果が出た。
・ホテルの防犯カメラの映像、タクシー運転手の証言などの証拠を集め、警察は逮捕状を請求し、裁判所はその発行を認めた。
・逮捕の当日(註:2015年6月8日)、捜査員が現場の空港(註:成田空港)で山口氏の到着を待ち受けるさなか、中村格警視庁刑事部長(註:当時)の判断によって、逮捕状の執行が突然止められた。
検察と検察審査会は、これらの事実を知った上で、この事件を「不起訴」と判断した(註:検察の判断は2016年7月22日、検察審査会の判断は2017年9月21日)。
成田空港で逮捕すべく所轄の高輪署の刑事が所持していた逮捕状の罪名は「準強姦罪」である。この罪名は2017年7月13日に施行された改正刑法では「準強制性交等罪」と呼称されており、「強制性交等罪」(旧強姦罪)が暴行・脅迫を用いて姦淫や肛門性交、口腔性交などの性交類似行為をおこなったときに成立するのにたいして、暴行・脅迫によらずに、心神喪失や抗拒不能となった人にたいして、姦淫や肛門性交、口腔性交などの性交類似行為を行った場合に成立する犯罪である。心神喪失や抗拒不能の状態とは、たとえば酩酊して抵抗できないとか、精神的な障害によって正常な判断力を失っているとか、心理的または物理的に抵抗できないといった状態のことだ。
詩織さんは、2015年4月3日に山口氏との待ち合わせ場所であった東京・恵比寿の串焼き屋に入ると、山口氏と1対1であることにおどろいたというが、その串焼き屋では「目の前に出された串焼きを五本ほど食べた。他に、もつ煮込みと叩ききゅうりがあり、ビールを二杯とワインを一〜二杯飲んだ。小さなコップだったし、私はもともとお酒にはかなり強い方だったので、酔いは回らなかった」(『Black Box』47ページ)と、はっきりした記憶をもとに述べている。そこでおよそ1時間半過ごしたあと、歩いて5分ほどの鮨屋に移動したのが9時40分ごろであったという。ビザのことはまだ話題になっていなかった。
詩織さんは書いている。
「鮨屋の奥まったカウンター席に座り、日本酒を注文した。少しのおつまみで二合ほど飲んだが、なぜかお鮨はちっとも出てこなかった。そこでも、具体的なビザの話は出てこなかった」(48ページ)
詩織さんは二合目を飲み終える前にトイレに立つ。席に戻り、三合目を頼んだ。「そして突然、何だか調子がおかしいと感じ、二度目のトイレに席を立った。トイレに入るなり突然頭がくらっとして蓋をした便器にそのまま腰かけ、給水タンクに頭をもたせかけた。そこからの記憶はない」(48-49ページ)。
次の記憶はこうである。
「目を覚ましたのは、激しい痛みを感じたためだった。薄いカーテンが引かれた部屋のベッドの上で、何か重たいものにのしかかられていた。頭はぼうっとしていたが、二日酔いのような重苦しい感覚はまったくなかった。下腹部に感じた裂けるような痛みと、目の前に飛び込んできた光景で、何をされているのかわかった。気づいた時のことは思い出したくもない。目覚めたばかりの、記憶もなく現状認識もできない一瞬でさえ、ありえない、あってはならない相手だった」(49ページ)
「私の意識が戻ったことがわかり、『痛い、痛い』と何度も訴えているのに、彼は行為を止めようとしなかった。(中略)何度も言い続けたら、『痛いの?』と言って動きを止めた。しかし、体を離そうとはしなかった」(50ページ)。
このあと、『Black Box』の56ページまでの箇所に書かれていることは、引用にしのびないほどおぞましい男の行動である。山口氏は、しかし、この性行為は合意のもとでおこなわれたものだ、と主張しており、成田空港での逮捕状執行が見送られた2015年6月8日のあと、事件は同年8月26日に検察に書類送検され、検察による捜査を経て、翌2016年7月22日に不起訴が確定した。
"じぶんはもうどこかで 死んでしまったとおもっていた"
顔を出して記者会見
2017年5月29日、詩織さんは司法記者クラブで記者会見を開き、この「準強姦罪」事件の不起訴処分を不服として検察審査会に申し立てしたことを報告し、性暴力の根絶にむけて積極的な努力をかならずしもしているとはいえない日本の現状を、変革すべきだ、という意志をあきらかにした。
詩織さんは、あえて顔を出して訴えた。すぐさま、かの女は北朝鮮のスパイであるとか、SM嬢であるとか、政治的な謀略の実行者であるとかの中傷がネットにあふれた。また、かの女が住んでいたマンションの近くで不審な黒いクルマが頻繁に目撃されるようになった、と詩織さんと詩織さんの周囲はいう。被害者として告発したのに加害者であるかのような心理状態に、かの女は追い込まれていった。
「(記者クラブでの)会見をやろう、やらなきゃいけないと思ったのですが、でも怖かった。彼(山口氏)には”右”のサポーターがたくさんいることがわかっていたし、家族を守れるのか、とくに妹のことが心配になりました。じぶんはもう、どこかで死んでしまったとおもっているところもあったのですが、妹はなんで(会見をするのが)お姉ちゃんじゃなきゃだめなのって反対しました」
そして、遺書を書いたという。それも3度にわたって、だ。
「会見の前は身の危険を感じていたので遺書を書きました。会見の後は、たくさんの誹謗中傷を受けて、ふつうに暮らすことができなくなって、死ぬことをかんがえて遺書を書いたし、3回目は本(『Black Box』)を出す直前でした」
著書の発刊は2017年10月20日。そのころまた周囲に不審な動きがいくつかあったという。「これは(出版を)潰されるんじゃないかとおもって、それまでずっと隠れて生活していたのですが、どうしても海を見に行きたくなったんです。で、いちばん近い由比ヶ浜(鎌倉)に行こうとおもいました。絶対に自殺なんてしないから、何かあったらキチンと調べてほしいという遺言を書きました。でも最終的に怖くて行かなかった」。
最初と最後の遺書は、たたかいの一環としての積極的な意志(遺志)表明であったともいえる。しかし、2回目の、会見後の遺書はちがう。「じぶんの生きる社会がなくなったとおもったんですよね。で、親友のところに隠れるように居候させてもらっていましたが、そうしているうちにじぶんの場所がなくなったとおもうようになりました。それで、自殺防止センターに何度も電話したんです。でも、3日間、だれも出なかった。通話中なんです。英語専用のホットラインもあったのでかけましたが、やっぱり出ませんでした。ああ、おなじ気持ちの人が日本中にたくさんいるのだ、とおもいました」。
そのころだった。女性の権利を擁護するイギリスの団体から連絡が来た。あなたのニュースを見ました、イギリスに来て講演していただけますか、という。それが助け舟になった。会見から3カ月たってなお、詩織さんは外出もままならない状況のなかにいた。ネットにはかの女への罵詈雑言が氾濫し、家族の写真まで流れていた。詩織さんはロンドンに行った。
いま、かの女はイギリスをベースにジャーナリスト活動を継続している。日本に「じぶんの場所」がなくなったからだ。
うれしい電話
取材日の前日、詩織さんにはちょっとうれしいことがあった。高輪署で捜査を担当し、山口氏にたいする逮捕状を請求してそれを執行できず、その後ほどなくして高輪署から異動になった捜査員の消息をある人が教えてくれたというのだ。この捜査員は「A氏」として『Black Box』のなかにもたびたび登場する。当初、詩織さんの捜査依頼にあまり気が進まないようだったA氏は、しかし、丹念な捜査のプロセスを重ねていくうちに判明した「事実」にたいして謙虚に向き合い、逮捕状を請求する決断をした。A氏の捜査員としての誠実な行動に、詩織さんは救われたと感じていた。それだけに異動になったあとのA氏の消息についてはいつも気にかけていた。電話をくれた人によると、A氏はまだ勤務をつづけているらしいという。よかった、と詩織さんはおもった。
そこで僕はふと、詩織さんにいった。
A氏はあなたのことを心配しているかもしれませんね。いまでも、と。そんな気がしたのだ。
詩織さんは一瞬の間を置いたあと、笑顔をつくりながら口を開いた。
「それは、何度も遺書に書いているから。絶対、自殺なんてしないから。なにかあったら調べてくださいって……。I have no regret」
後悔なんてなんにもない、と最後は流暢な英語でいった。これまでにも強い感情をともなう発言ではたびたび、かの女の口から自然に英語が出ていた。さらに、念押しするかのように、「いま、きょう、これで終わりでもなんにも後悔してない」とつけくわえるのだった。
いや、終わりになってはいけない、詩織さん。あなたは「ニューヨーク・フェスティヴァル」で銀賞をとったほどの才能ゆたかなドキュメンタリー作家なのだから。そして、でも、まだ金賞は手にしていないのだから。
伊藤詩織
1989年生まれ。ジャーナリスト。フリーランスとして、エコノミスト、アル・ジャジーラ、ロイターなど、主に海外メディアで映像ニュースやドキュメンタリーを発信している。国際的メディアコンクール「New York Festivals 2018」では、Social Issue部門とSports Documentary部門の2部門で銀賞を受賞。著者『Black Box』(文藝春秋)が第7回自由報道協会賞大賞を受賞した。
- Author:
- 鈴木正文