役割人格(ペルソナ)を終える New!

るみおかんを辞めたら筆が進む進むw

いかに書くことが好きかってことと、
いかに書くことを我慢していたかってことだ。

書ける時に書けばいいとか、
ゆっくりやればいいとか、
そういうお声をかけていただいたが、全く持って逆である。

「るみおかん」として発信することの枠が窮屈で
書きたいことが書けなくなっていた。


もちろん誰でもない、自分が決めたターゲットやコンセプトである。
それが成功していたから多くの人に読まれるブログとなったのだろうし、
それ自体は財産となった。
るみおかんをやめても、検索アクセス数は変わらない。

これからもトライアスリートの疑問の回答となってくれればいい。
ので、消すことはしない。


でも、それを維持することが、私にとっては足かせとなった。

これはコンセプトに反する、
これはエビデンスがないから書けない(書きたいが検証する時間がない)、
これは多くの読者にとっては関係がない、
これは影響力を考えると書いてはいけない(もしくは表現を熟考する必要がある)、

書くことがしんどいのではなく書かないことがしんどい。
大阪城の話なんかは書けないことだらけだった。


書けないことしか起こらない生活の中で、
トレーニングをして書くことを発生させるということに義務感を感じた。
この足枷を外さなければ、私は次に進めないな、と思ったので、
るみおかんという人格を脱いだ、というわけ。


めんどくせーやつだが、これが自分なのでしょうがない。





時を同じくして、ロミオがブログを辞めた。
嗜む程度に自転車を


自転車界においては私なんか足元にも及ばない影響力のあるブロガー。
彼の残した功績はでかい。

何度かリアルで会っているが、まあ~、いい男だ。
裏表もあるが、裏も表も気持ちいい男だ。
どっちも好きだ。


徹底的にビギナー向けに拘り続けた。
それが本人の趣向とも合っていたのだろうが。
彼のブログで育ったサイクリストは多いだろう。

しかし仕事でもない限りそれを維持し続けるのは並大抵のことではない。
特に自分を取り巻く環境が変化し時間が無くなってくると、
その維持がストレスになってくる。
しかも、更新もしないブログが不正にトップに居続けるようなランキングを
毎日見ることもまたモチベーションを下げる。
痛いほど分かる。


彼は自転車が好きだから続ける。しかしブロガーロミオという役割は終える。

私もトライアスロンとブログが好きだから続ける。しかしブロガーるみおかんという役割人格は終える。

書く内容は変わらない(むしろ増える)が、
書き方は変わるし、読み手を意識しなくなるので読みにくくはなるだろう。
悪口は書かないが、怒りや不条理は我慢しないで書く。
違和感を感じれば、遠慮なくフォローを外して下さい。



「役割人格(ペルソナ)をやめる」という表現、
かの「すごい会議」の大橋さんに頂きました。
たいへんに腑に落ちました。ありがとうございました。

wikiより)
ペルソナ=自己の外的側面。例えば、周囲に適応するあまり硬い仮面を被ってしまう場合、あるいは逆に仮面を被らないことにより自身や周囲を苦しめる場合などがあるが、これがペルソナである。

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