長谷部誠の高度プロフェッショナルっぷり

突然の監督交代など、W杯の直前までバタバタしていた日本代表でしたが、見事に決勝トーナメントに進出。1回戦でベルギーに破れたものの、日本中をわくわくさせてくれました。そんなわけで今回取り上げるのは主将の長谷部誠。各監督から絶賛される名キャプテンの思考を、ビジネスの世界に当てはめるとどうなるのでしょうか。

サッカーの例えを持ち込む人

学生時代から地域で一番のプレイヤーだった人が、県でも一番で、代表チームでもスタメンに入っている、というスペシャルな状態を目にしているのだから、彼らから何がしかの生き様を学ぼうとすること自体がおこがましいと思うので、その生き様から学ぶことなどない。いや、そんな単純ではない、挫折もあったんです、と彼らは言うけれど、その挫折も成功も、自分の生活とは圧倒的な距離がある。ビジネスに野球の例えを持ち込む人は信用ならないが(例:「おまえはヒットを重ねていくタイプ、ホームランを狙うな」)、サッカーの例えを持ち込む人だって、もちろん信用ならない。というか、意味が分かりにくい(例:「一人だけで前線に取り残されたらオフサイドだぞ」)。このオフサイド発言は実際に保険会社に勤める友人が言われた一言である。意味はわからないママだという。

渡邉美樹に感銘を受けた長谷部

長谷部誠『心を整える。』という大ベストセラーを読み直してみると、彼は、サッカーの世界をビジネスの世界に近づけてくる。「良かれと思って上司に進言しても、それが原因で上司ともめてしまうことがある。それはサッカーでも同じで……(後略)」というように。決勝トーナメント進出をかけたポーランド戦で、残り10分、敗戦を受け入れながら、一切攻めずにパス交換でやり過ごした判断に賛否両論が噴出したが、試合後に「この世界は結果論」と述べていたのは、本田ではなく長谷部だった。このメンタリティをそのままビジネスに持ち込まれると困ってしまうが、どんな心づもりの人だったのかと『心を整える。』を読み直すと、ワタミグループ創業者・渡邉美樹の著書に感銘を受けたとあり、さすがに心が乱れてしまう。

渡邉が著書の中で記した「最近の若者は、会社をすぐ辞める。今の仕事が自分のやりたいことじゃないから、次を探す、という感じで。でも、今いる会社で与えられた仕事をできないのでは、転職先でもできるわけがない。だから今の会社で我慢して、自分で本当にできたと思ったときに転職すればいい。それをやらずに人のせいにしたり、じぶんとは合わないからという理由で、すぐに辞めていく若者が多すぎる」を引用し、「僕は渡邉さんの考えに大賛成だ。挑戦と逃げることはまったく違う」とした。自分のやりたいことじゃないから、次を探す。そんなの、自分の中だけで「挑戦」と位置づけられればいいわけであり、それに対して「逃げ」じゃないの、と突っ込んで「若者」を縮こまらせるべきではない。会社なんて、辞めたければ、辞めればいいのだ。

反面教師的な意味で読む『人間失格』

渡邉による、イエローカードを出したくなる「最近の若者」論を、フェアプレーと理解した長谷部は、自分が所属していたヴォルフスブルクの契約を延長した時の話につなげていく。いい条件のオファーに乗っかって名門チームにいくのも挑戦だし、そのオファーを断ってチームに留まるのもまた挑戦だ。第一線のスポーツ選手って、あらゆる判断を「挑戦」と咀嚼できる。逆に言えば、どんな挑戦に対しても、メディアからは「逃げた」とケチつけられるのだろうが、ワタミの渡邉が言う「今の会社で我慢」というのは、「挑戦」でも「逃げる」でもなく、拘束であり、忠誠を求める強制である。

長谷部は無類のMr.Children好きで、日本にいた頃は、ミスチルを聴きながら「ひとり温泉」に行くのが趣味だったそう。ミスチルに続いて好きなのが「ゆず」「湘南乃風」と知ったところで、ようやく「苦手!」と声に出してしまうのは、ミスチル(とそのファン)に忖度しすぎだろうか。ビジネスとサッカーを混在させる長谷部は、デール・カーネーギー『人を動かす』や本田宗一郎『本田宗一郎 夢を力に 私の履歴書』や松下幸之助『道をひらく』を愛読してきた。時折見かける「経営者の本棚」的な企画で頻出する本ばかりだが、興味深いのは、長谷部の太宰治『人間失格』の読み解き方である。彼は、この物語を「反面教師的な意味」(前出『心を整える。』)で愛読してきたのだという。

物語の中に「ゆくてを塞ぐ邪魔な石を蟾蜍(ひきがえる)は廻って通る 」という一文が出てくる。長谷部はそれを読み、「大きな岩に出会ったら、横に迂回するのではなく、登って越えられるような人間になりたい」と感じるために、繰り返し読んでいるのだという。『人間失格』を愛読する動機としてなかなかトリッキーである。『人間失格』について又吉直樹が「僕は大人が、人間が怖かったのだということがわかりました」(『夜を乗り越える』)と書いているが、当然、シンパシーを覚えるのはこっちだ。

サッカー選手の思考をビジネスに転用しようとする動き

でも、一流スポーツ選手って、こうやって自分の物語に引き寄せる腕力(脚力)を持つ必要があるのだろう。長谷部はケガをしていても、「コンディションは問題ありません。いけます!」とウソをつくことがあるという。なんだか、よく聞く類いの話だ。ケガをしているとは思わせないプレイ、痛みを押してもぎ取った勝利などなど。その苦悩が落ち着いたトーンのナレーションで回顧された日にはすっかり涙を流して感動したりもする。しかし、サッカー選手の生き様が、そのままビジネスの現場にスライドされそうになっている以上、これでは風邪を引いているのに早退しなかったり、残業代が出ないけど結果を残すために働いたり、親族が危篤状態なのに会議に出続けているような感じ、とも言えてしまうわけで、自分なりに心を整えて、それはダメだ、と告げなければいけない。

決勝トーナメント進出という、ある一定の成果を挙げた日本代表。W杯が終わった後は西野朗監督、本田圭佑、長谷部誠あたりの言動を中心に、あわよくばその窮地での判断をビジネスに転用しようとする動きが盛んになってくるはず。サッカー哲学をビジネスに落とし込まないでくれ、渡邉美樹の論旨すら疑えないのに勘弁してくれよ、と最前線で体を張ろうと思うのだが、完全にオフサイド気味だし、そもそもパスを出してくれる人もいない。つまりフィールドに立ってすらいないかもしれないのだが、スポーツ選手の思索をビジネスに転用しようとする動きを食い止めたい。

(イラスト:ハセガワシオリ


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日時:7月15日(日) 15:00~
場所:枚方 蔦屋書店 4F イベントスペース
料金:1,500円(税込)
問い合わせ:072-844-9000
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日本の気配

武田砂鉄
晶文社
2018-04-24

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ワダアキ考 〜テレビの中のわだかまり〜

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365日四六時中休むことなく流れ続けているテレビ。あまりにも日常に入り込みすぎて、さも当たり前のようになってしったテレビの世界。でも、ふとした瞬間に感じる違和感、「これって本当に当たり前なんだっけ?」。その違和感を問いただすのが今回ス...もっと読む

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