2017
08.26

この道を生きるに迷いなし

Category: 信心
 私は今、創価学会に全幅の信頼をもって生きている。それは私の信念であり、運命であり、人としての正しい道だと確信している。

 三世の旅路に牧口、戸田、池田先生に随順して生きていく・・・自分の生命にその確信を得たことが悟りであり、生命の基底部にそれは土台となって現れたと思う。今度生まれ来たれば、もっと若き時から池田先生のもとにはせ参じ、広布のお役に立ちたいと思うし、きっと願った通りの人生になるだろうと安心もしている。

 その道に入れたことは、過去の宿縁によるところが大きいに違いないが、何の逡巡もなく、ごく自然にその道を行く自分になったことは、やはり不思議と言わざるをえない。こればかりは創価を批判する人には、理解不能な世界だと思う。

 入会以来、私はお山への登山も人一倍参加し、宗門へのご供養もよくしてきた。アパートで強い声を出せないために、近くの正宗寺院にも日参する如く、題目をあげに行ったものだ。

 そんな私が、宗門問題を契機に、宗門を捨て、学会へと大きく舵を切るに至った。私にしてみればその判断は直感的であったけれど、今思うと命の奥底の声が、「学会が正しいのだ」と、そう私に呼びかけたのだと思う。

 宗門は仏法を伝持してきたかもしれないが、創価学会の折伏弘教がなければ、とてもこの正法に巡り合うことはなかっただろう。その意味で、私は創価学会に大恩を感じるのであり、いかに落ちぶれようと、決して学会だけは裏切りたくないというのが、私の人としての思いである。

 もちろん、学会のすべてが正しいとか、何も問題がないとは思わない。組織である以上、また凡夫の集団である以上、様々なことがあるのは当然であり、いつの時代にも内部に魔がうごめくのも、仏と魔の世界である以上、やむを得ない。

 そうであっても私は学会から離れることなく、そこで「人間革命」と「広宣流布」に励んでいくだろう。池田先生との「師弟」の絆こそが、私の生命線であり、そこから御本尊様を拝することが、仏果を得る最上の道だと確信しているからだ。

 地元の組織にあっても、私は人として未熟だけれど、同志からある一定の信頼を受けていると思う。そうした信頼は、昨日今日できるものではない。自分の顔、姿、生活をさらし、信心の姿勢を長年にわたり見てもらい、得られるものである。そして私もまた多くの婦人部、壮年部の同志の方々を信頼し、尊敬している。

 人が見ようが見まいが、長年、地道に唱題に励み、活動に勤しむ持続の信心が、その人の信心の骨格を作るのだと思う。そうやって作られた信念は、決して凡師人師の言葉に左右されるものではない。いかなる悪縁に出会おうとも、まったくぶれることもない。

 地元の同志の方々を大切に、さらなる信頼を勝ち得て、私も地域の柱となる決意である。決して同志の方々を欺(あざむ)くようなことだけはしたくない。そんなことをすれば、忘恩の輩となって、これまでの功徳は一時に消え去り、死しては阿鼻地獄に落ちるだろう。

 「この道を生きるに迷いなし」・・・人間それでこそ力も勢いもでる。世界を照らす太陽の心で、不信の闇を晴らしながら、今日も明日も、未来にも、喜んで創価の大道を歩いていきたいと思う。






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コメント
王者の剣さん
おはようございます(^^♪
宗門問題がおきたとき、私の父は地区部長でした。
年末に緊急の地区部長会があるというこということで、何事か?と思っていったら池田先生が罷免された話を聞かされ、父は激怒して帰ってきて「寺にはもう、絶対にいかない!」と言っていたのを覚えています。

私は、学会出身の僧侶に中等部のとき、『頑張ってね』と温かく励まされたり、感じ悪いお坊さんに遭遇したことがなかったので、全国でどのようなことがおきているか真実を聞かされ驚きました。池田先生は、僧俗和合のため、ずっと耐えていらっしゃったんですね。そのご心境を思うと心が痛みます。

私のグループ員さんもそうですが新しい会員さんの方は、宗門問題を詳しく知らない方もいらっしゃいます。人の悪口など聞きたくないという人もいらっしゃると思いますが、私は、事実をこれからも語っていこうと思います。
ランdot 2017.08.27 08:51 | 編集
こんばんは。

私も入会してから、池田先生の宗門への赤誠の対応を信じ、宗門を大切に思ってきましたが、
宗門の歴史や実態を知るにつれ、唖然とすることが多くなりました。
富士の清流と思っていたのが、その歴史は濁流と言ってもいいものでした。

もっとも驚いたのは、戦争の時に神札を受けるなど、保身のために軍部に迎合し、謗法を犯したことです。
これはどうあっても、宗門、法華講員の方は申し開きできないことではないでしょうか?
まさに永遠に消えない黒い歴史です。

その時の牧口先生の命を捨てた殉教の振舞こそ、大聖人様のお心に適うものであり、そこに創価の栄光があります。
その後の創価学会の発展も広宣流布の進展もその一事に源があり、我々は片時も牧口先生の大恩を忘れてはいけないと思います。

私も入会時は日顕が法主でしたが、最後には正本堂を破壊するなど、信徒の真心を踏みにじる様々な行為に、僧俗和合は完全に破壊されてしまいました。離脱された僧侶の方からも、日顕の日常の放蕩ぶりや異常な暴力体質の話も聞いております。
振舞と姿の中に仏法があるなら、その姿はまさに魔性のものとしか言いようがありません。

私の友人も多くが法華講に行きましたが、私は牧口、戸田、池田という創価の師弟を信じました。
いずれにしても創価は独立し、それぞれの道はすでに決しました。
あとは前を向いて自分の信念の道を行けばよいと考えています。

共々に、創価の旗を掲げ、冥の照覧を信じて、力強く前進してまいりましょう。

王者の剣dot 2017.08.28 01:44 | 編集
トド様

返信をありがとうございます。

双方の理屈でお互いの信念が変わるものでもないでしょう。
そうであるなら、お互いが信じる道を生きるほかありません。

その果は仏様から受けるわけですので、私も覚悟をもってやっていきたいと思います。
何か大きな心境の変化がありました時は、またコメントください。

トド様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。


王者の剣dot 2017.09.13 11:08 | 編集
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