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2006年の3月に卒業した阿知乃からメールだ.「どうですか?」って,ボクにはおっぱい見せないんじゃないか? べつに妊婦 (生まれたあとはそうは呼ばないか?) のおっぱいには興味ないからいいけど.だいたい赤ちゃんって大嫌いなんだよ.うるさいし,糞尿だらけだし,言葉も分からんバカだし,おまけにひとのモノはすぐ壊す.なにもいいところがない.ネコなんかとちがって,生き物として見ても気持ち悪い.部屋の中にとつぜん転がりこんで来た日には,もし人間だと気づかなかったら,こん棒かなにかで袋だたきにされてゴミ袋に突っ込まれていたはずの得体の知れない生物だ.ホント,なにもいいことがない! ガキができたばかりの親に向かって「おめでとう」とか平気で抜かすようなひとを見るたびに,デリカシーないなと思ってしまう.まあ,(意図的に子供を作ったということなら) 長期的にはたしかに悪いニュースではないんだろう.でも,そんな先のことをふつう喜ぶか?「中期的には御愁傷様」とホントのことを言えとは言わんが,せめて「それは (あなたにとって) うれしいニュースですか?」と確認しろと言いたい. ひとみちゃんはボクのもとゼミ生 (演習受講者) だ.1年生のときと4年生のときにはボクの教えたべつの科目もとったお得意様だ.去年の秋にも,子供できたら見せに来るとかメールで言ってたな.そんなことを言うのは,すごい長期的視野か奇妙な選好を持つということだろう.下手に会って「[中期的には] 御愁傷様」とか言って嫌われてもいやだしなあ~.なかなか気がすすまないボクであったが,単純に「2年前かわいかった子がいまはどんなデブになっただろう?」という好奇心で病室を尋ねてみた. ひとみ: ええっ?! なんで来たんですか,先生? 勝手に来てもらっても困りますよ. 平凡助教授: いや,阿知乃が来いってメールしてきたから.おっぱい見れるからって. ひとみ: 阿知乃しょうがない.ホントにメールしたんだ. [省略] ひとみ: で,陣痛促進剤を点滴してもらっても効果がなくて,陣痛が始まって42時間も経ってたし,あきらめて緊急帝王切開にしたんです. 平凡: なあんだ痛いの一生懸命我慢したのが無駄だったわけじゃん.はじめからカイザー (帝王切開) にしときゃよかったのに.あはは. ひとみ: ……. 平凡: まあ,やってみないと分からないことはあるからなあ.一生懸命やってダメだったらこそあきらめもつく. ひとみ: 私も無駄になったみたいに感じて悲しかったです.でも,分娩室に行けるような状態になかなかならなかったってことは,自然分娩を続けたら危険だったということだから.仕方なかったです. 平凡: なんか残念そうだね.しかし,なんで自然分娩とやらにこだわるのかボクにはよく分からん.子供が生まれるというのが目標アウトカムだろ. ひとみ: わたしが「痛いよ」「お腹が割れる」「早く切って」と一日くらい言い続けても,あくまで自然分娩にこだわってがんばっている助産師たちとお医者さんを見て感じたんですよ.やっぱり自然分娩じゃないとダメなのかなと. 平凡: 感化されたわけね,カイザーは失敗であり負け犬だって.人生の出発点から敗北者になってしまったわけじゃん. ひとみ: ひどい! 私の産んだ子は敗北者じゃありません.最後まで諦めないで,苦しいのを耐え抜いて,激闘を勝ちぬいて生まれてきた子どもなんです. 平凡: いや,負けは負けと認めるべきだよ.いろんなひとに助けられたわけだし.情けないってことになる.だいたいひとみちゃんは産んでないじゃん.取り出してもらっただけでしょう.えらそうに言うなよ. ひとみ: ……. 平凡: いや,ごめん.「敗北者」とか「取り出しただけ」ってのは,ひとみちゃんを感化したひとたちから見ればそうなのかと思って.ボク自身は自然分娩でも帝王切開でもどうでもいいんだ.しかし,彼らも純粋に医学的理由で言ってるとも限らないだろ. ひとみ: もういいです.帰ってください.二度と来ないでください.いろんなひとに助けられたのは情けなくありません. 平凡: わかったから最後にひとつ言わせて.助産婦も医師も「カイザーを選べば自分たちが負け」ってことはあるかもしれん.でも,カイザーで取り出された子供自体が負けだとは思ってないよ,きっと.助産婦は手術になると自分の出るまくがないわけだし.(いや,看護婦の資格もあるからわからないけど…….) 医師はどうなんだろう.帝王切開手術になると保険が利いて儲からんとかあるのかなあ.(ま,勤務医なら関係ないんだろうけど…….) いや,いろいろ言ってわるかった.もう来ないから.さよなら. ボクはドアを閉めて病室を出て行った. あ~あ,また数少ない味方をひとり失ってしまった.やっぱり身に染み付いた赤ん坊嫌いは簡単には治らないようだ. ディスカッションのための設問例設問 1医療ティームがはじめから帝王切開を選ばなかったことの合理性について検討せよ. 帝王切開をするかどうかの決定問題をデシジョン・ツリー (展開形ゲーム) で描け. プレーヤは母親 (医療ティームと同一視) と「自然」とする. 第二段階で「難航しそう」「うまくいきそう」といった情報を「自然」がもたらす前の第一段階では,母親にとって自然分娩を 目指すのが合理的になるように利得を決めよ.(利得を決めるのに正確なデータは不要.あくまでありそうな数字をしめせばいい.) 母親は「自然」のもたらす情報をうけとったあとで, ふたたび帝王切開を受け入れるかどうかを決める機会を持つとする. 設問 2「子供が生まれるというのが目標アウトカムだろ」という発言から, 平凡助教授は当初帰結主義的に事態を評価しようとしていたと考えられる. 平凡助教授の評価の基準となる選好はどのような選択肢にかんして定義されているか. 医療ティームが自然分娩というプロセスにこだわっていたとすれば,非帰結主義的に事態を評価していたと考えられる. 医療ティームの評価の基準となる (拡張された) 選好はどのような選択肢にかんして定義されているか. (Suzumura (1999) の議論が参考になるかもしれない.) 設問 3「帝王切開で取り出された新生児は負け」という考えを批判的に検討せよ. たとえば医療ティームと胎児と「自然」をプレーヤーとする以下のような簡単な展開形ゲームフォームを考える.
「生まれる」が実現したとき,胎児は「勝ち」と言えるだろう. ところが医療ティームあるいは「自然」の戦略によっては胎児は「生まれる」を実現できない. これを "β-effectivity" の概念をもちいて言い換えよ. (Kumabe and Mihara (2008, Remark 4) の effectivty にかんする議論も参考になるかもしれない.) このようなゲームで胎児に「勝ち負け」の概念を適用することの是非について検討せよ. たとえばコインの裏表当て (matching pennies) や必勝戦略を持つボードゲームと比較せよ. あるいは次の見解と比較せよ:
参考文献Masahiro Kumabe and H. Reiju Mihara. The Nakamura numbers for computable simple games. Social Choice and Welfare, 2008. DOI 10.1007/s00355-008-0300-5. Kotaro Suzumura. Consequences, opportunities, and procedures. Social Choice and Welfare, Vol. 16, pp. 17--40, 1999. (寄稿; 教員の研究活動評価対策のためのケース教材らしい; ケース教材の作製法を助言してくれた女性がたまたま出産前後で,安易な例を挙げてくれたそうだ; それにしても年度末ぎりぎりですね) |
占占家 (うらせんけ) さんはいわゆる地方名望家の娘さんだ.わけあってわが大学図書館の臨時職員だか非常勤職員だかとして働いている. 夜間の授業のために研究室に行ってメールをチェックすると占占家さんからのメール.「いいですよ.お好きなだけ私にセクハラしてくださいね」なんてお返事を期待しつつ開封.まずは「寒いですねえ」とどうでもよさそうな挨拶に混じって,「大学に仕事にいかないと家の暖房代がかかってしょうがありません」とある.そうか暖房代が気になるほど広いところに住んでいるのか! 行けるかも! ところが「私は28日まで、きっちり勤めさせていただきます」と休みはまだだということを強調してる.あ~,なんかダメそうだな.そして,極めつけは次の言葉だった:
な,な,なんなんだ?! 「フフフ」って,オトコでもいるのか,このお嬢様は? 純真そうに見えるし,占占家のお嬢様だから処女だとばかり思っていたのに! ボクのセクハラの夢は消え失せてしまい,ボクは絶望的な気分で空を見つめていた. 何分経っただろうか,研究室でやる授業の始まる時間が20分過ぎていた.それなのに7人いる受講者のだれもまだ現れていなかった.かわりに,きょうは欠席すると二人から連絡.ボクは「これから出る本」なんかをチェックしつつ,占占家さんのことで落ち込んでいることを忘れようとしていた. 最初に研究室に現れたのは♀子学生 (といっても勤め人) だった.国際的な職場に勤める,占占家お嬢様にも劣らぬ清楚さを漂わせた女性だ.彼女と二人きりになるのははじめてだ.「あ,うれしいかも.このどん底の気分を癒してもらいたいわん」なんて思いながらも,中途半端なところで「これ本」を中断したくなくて数分間ほぼ無視した愛想の悪いボク. その間,ボクの本棚を見ていた女子学生,ボクが顔を上げると「ミクロ経済学の本とかゲーム理論の本とか,買おうと思ったんですけど.読むときに買おうと思って止めたんです」と.そして,ボクの机のそばにつかつかと近づいてきて,「その本は何の本ですか?」(いや,題名を口にして新しい本かどうかを聞いたのかもしれない) と,机の隅にあった『感じない男』(森岡正博) を手に取った.「それは女子高生のミニスカートとかパンティーとかにボクが魅かれる理由を書いた本らしいけど,まだ読んでないのでよく分からないや」と答える代わりに,
とだけ答えた.処女の雰囲気さえ持つその女子学生の聞きたい話かどうか分からないので,それだけに留めた.つまり彼女の選好が分からないのでそう答えたのだった.(もっともエッチな話を好む処女も多いので,処女かどうかは選好の判別にはあまり関係ない.) もしかしたら,ボク自身が話したがっていないと取られたのかもしれないが,決してそんなことはないので希望があれば申し出てもらいたい. しばらくは和やかな時間が流れていた.「社会政策の授業なんかで教授と一対一になること,けっこうあったんです」なんてことを彼女は言っていた. そのあと,二人が顔を近づけて見つめ合う事件があった.「何かいつもと違ってることに気がつかない?」と顔を寄せて見つめるボクに,少し当惑した表情 を見せつつ (←おもしろかった.いやあ,ごめんごめん) 「赤いマフラーですか?」と答える女子学生.「いや,目の付近だよ」.ボクを見つめる彼女の目にときめいてしまって,占占家お嬢様のことはほとんど忘れていた.しばらく見つめたけど,彼女は気づかなかった.じつはボクはその日あるしょうもない理由があって,眉を鉛筆で描いていたのだ. (しょうもない理由というのは,目の上の毛を剃ろうとしてまちがって眉の下半分を剃ってしまったというもの.) 彼女は「東京辺りには,若いおしゃれな男性で眉を描いているひといますよ.先生のは自然で分かりませんでした」と言いつつ,「どうして鉛筆 (眉ペンだっけ?) を持ってるんですか?」と攻勢に出て来た.「いや,家に誰かがむかし置いてったみたいで」.じつは,妹が来たとき置いて行っただけなんだよ.だから気にしない気にしない. 二人きりの時間は20分も続かなかった. |
深夜,市内のラーメン屋でのできごとだ.鶏の唐揚げを注文したんだが,あとから店に入った客に同じ品が先に行ってしまった.店長を呼んでそのことを伝えると,「もうちょっと待ってくださいね.すぐ持ってきますから」と言う.2分待ったが,まだ唐揚げは出てこない.店長のところに駆け寄って,
とまくしたてた.店長は「こちらのミスでした.すいません.次回からは気をつけます.あと少しだけ待ってください」と答える.「なに言うとんや.次回じゃ遅いて.説明になっとらんやねえか.こんな店つぶしたろか,なあ.」しばらく店長を捕まえていたが,これ以上苦情を言い続けてもしょうがない.二人分のラーメン代は払わずに店を出た.連れの女も慌てて店を出て行った. 隣のテーブルではじまったこのエピソードの一部始終を見ていたボクの連れの女子学生は,「あれは女が悪い.あんな男,私だったらその場で別れる」とつぶやいた.「えっ?」とボクは驚いてしまった. 苦情を言って店を出た男は,見るからにチンピラ風の男だった.そんな男の女になっていながら,こういう出来事くらいで別れるというのでは,あまりにも愛情が足りない,より正確には信仰が足りないのではないか.女はその男の感受性の強さを理解した上でいっしょになったはずだ.理解せずにいっしょになったとしたらたしかに女が悪いが,悪い理由は予想力の欠如である.感受性が強い人間が起こしそうな行動は正確に予想した上で,いっしょになって欲しいものだ.そしていっしょになったからには,ギリギリまでその男を信頼して支えるのが理想の連れというものだろう. これは「信仰」の問題である.この程度でつまずくようでは,信者としての資質がないと思われても仕方がない.自分なら,師と仰ぐ者が準強制わいせつで捕まろうと,電車で痴漢をしようと,アカデミック・ハラスメントをしていると言われようと,殺人を犯そうと,そんなことはまったく気にかけない.「うまいラーメンも食べたことだし,じゃあこれからラブホでも行こうか」と突然女子学生を誘っても,自分ならなにも動じない.そんな非本質的なことで信仰が揺らぐことはない.自分がひとを信頼するとはそういう意味だ. 残念ながら,そのよそ者であろう男に希望はあまり感じなかった.「先に注文した客に先に出す」というのはそれほど重大な約束ではないと思う.そこのところの優先順位の判断ができるともっと「希望」が出て来るんだが……それは女の「愛」で支えてもらいたい.その女は少なくとも「信仰」はあるのだから……「信仰」を理解するにはまだまだ遠そうな連れをまっすぐ家まで送り届けつつ思うボクであった. おまけ.ある社会学者のブログで見つけたブラック・ジョーク:
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その女子学生に電話したのは数週間前だった.「9月の中旬ヒマ? 北海道行きたいとか思わないかな?」とボク.「ずっとヒマですよ.北海道行きたくてもお金ありません」と彼女.「そうなんだ.じゃ,研究室に遊びにおいで」との誘いに,彼女はやって来た.ボク「こういうの見つけたから,とりあえず予約入れておいた.二人で 4泊 132,600円.お金がない P 子は払わなくていい.行きたくない?」「えっ,もう払ったんですか?」「いや,まだ払ってないし,キャンセル料も発生しない.とりあえず押さえておいただけだから,気軽に考えて」「それにしても強引ですね」「善は急がなければね」「善って言うなら,悪いことはしませんか?」「悪いことはしないけど,気持ちいいこととかしたいよな~」「まったく.エッチなこととかさせませんからね」「ま,それでもいいけど.P 子の心境が変化したら,こっちは遠慮しないから.」 ということで (ウソ) ボクらは東北海道へ向かって出発したのだった.去年はバス旅行だったが,今回は自分でレンタカーを借りて運転した.感想: あそこは,新しい高速道路はいらないな.いまある道路の制限速度を90キロくらいにすればいい.以下,印象に残った場所を行った順に列挙しよう:
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ひとみちゃんが夜一人でボクの研究室にやって来た! この日は午後8時には帰るつもりだったけ ど,帰らなくてよかった! 6月13日月曜日.片想いの失恋から立ち直れないでいたボクは,自然のパワーに癒してもらうことにした.いや,自然ではなくて人工物からだ. すごくいい天気の中,満濃池に向けてクルマを飛ばした.そう,きょうは年に一度の満濃池のユル抜きだ.このため池の修復拡張工事に(わが家と同じ宗派である)真言宗の弘法大師が関与しているという.「空海が郷土入りをすると人々は続々と集まり人手不足は解消し、唐で学んだ土木学を生かして、わずか3ヵ月足らずで周囲2里25町(約8.25km)面積81町歩(約81ha)の大池を完成させました。」(上記サイト).先端知識をもって地域貢献することでは,当時にしてすでに現代の平成香川大学を越えていたわけだ.弘法大師はおそらく,最大フロー最小カット定理なんかも知って最大流問題を解いていたのであろう.(ひじょうに直感的な定理なのでじゅうぶんありえる.) 満濃池に着くと,月曜の真昼というのにひとが多く路肩にはびっしりクルマが停まっていた.ボクがクルマを停めることのできた場所からゆる抜きの見える現場までは歩いて10分くらいだった.もっと遠くにあった駐車場はがら空きだったが.田舎人も距離というコストを最小化するようで,ミクロ経済学の普遍性にあらためて感動した. 12時過ぎに現場に着くと,カステラだのアイスクリンだの出店が数軒あって,お祭りの感じだった.それからまもなくして放水ははじまった.四国新聞の記事は「約三千人の見物客が国内最大のため池から放たれる豪快な”水流ショー”に大歓声を上げた」というが,べつに大歓声はなかったのではないか.少なくとも一斉の歓声はなかった.最初は少しずつ水流が増えて来て「出よる出よる」といった感想を口にするおじさんおばさんはいた.イメージとしては,大きなダムの低い位置の放水口から水が勢いよく出ている感じだ.ボクはダムが好きだからひとまず満足だ.水の音を聞いていることで,失恋の傷は少し癒された.わざわざ車いすで見に来ていた爺さん婆さんなど恩恵を受けている土地の人には,単なる暇つぶしを越えて感慨深いものがあるのだろう. 夕方,ひとみちゃんに「本を返したらひとこと連絡のメールを入れておいて」とメール.本とは,貸してあった『女から口説く101の恋愛会話』(中谷彰宏 著)だ.その日はひとみは来ないと思って,自分は帰るつもりでメールしたわけだ.すると 2110,ドアのノック.ひとみだった.一人きりで来るのは珍しくないか.その時間まで授業があって友人も一緒だったけど,研究室にはひとりで来たという.もしかしてボクに抱かれたいとか思ってひとりでボクを口説きに……などということは一切考えず,ソファーに座るようにも薦めない,なんとも愛想の悪いボク.ま,愛想悪いのはいつものことなんだが,「ひとみもボクの片想いの相手」などと書いた直後だったので落差が激しくて失望させたかも.ソファーは部屋の奥にあるとか,本返したらすぐ出て行くと思ったとか,言いわけはできるけど. もうあんまり会えない,いやほとんど会わないことになるのかなと思ったので,形見として要らない本でもやろうかとボク.ひとみは借りていた口説き本が欲しいと言う.「いや,それボクが持っておくから他の本にしよう.うう~,あんまりないなあ.そうだこの雑誌はどう?」ゴミ箱から取り出したのは,平成香川大学の学生が作った UniPress という休刊中の学生誌だ.セクシャル・ハラスメント委員の仕事の一環で,ついさっき農学部セクハラ関連の記事をコピーマシンでスキャンして pdf ファイルをメールしたところだった (どうでもいいが,なぜあれは200dpi しかできないのだ).ひとみはゴミになるので雑誌は要らないと言いつつ,おもしろがってしばらくその記事を読んでいた.ボクはせっかくなのでセクハラの記事にかこつけて,良いセクハラ (注) でもしようと思って彼女の側に寄って行った.
だが,日が悪すぎた.きょうは暑い中を歩き回ったせいで身体が汗でべたべたなのだ.ボクの身体の表面を境界とする最小カット容量に一致する最大フローとまではいかないが,だいぶ放水した,いや,発汗した.いずれにせよ女の子に近づける身体じゃない.そんなことに気づいてボクはすぐに彼女との距離を取り戻した.ふたりがべたべたできなかったのは,(ひとみちゃんの意思を除けば) ひとえにボクのからだがべたべただったからである.残念.そこで耳にした個人的な会話といい (パーソナルな内容なので秘密) このタイミングの悪さといい,損した気分.ひとみは2125まで居た. 表題の満濃池とひとみを強引にリンクさせるとしたらどうすればいいか.触媒は『女から口説く101の恋愛会話』にある.つまり さあ,みんなで声を合わせて弘法大師さまといっしょに言ってみよう.「ゆる抜きで抜き抜き!」 |
片想いの女性を意図せず傷つけてしまったことで自分はすごく傷ついていた.さみしさがボクを導いてくれる先はどこだろうか.23時ころあてもなく出発. 府中湖.以前,深夜によく行っていた湖.2001年に香川大学ボート部の学生が水死した湖.自分も深夜落ちたことがある.そのときは生温い水温が気持ち悪かった. 瀬居島.坂出市番の州の埋め立て地の端っこ.はじめて訪れた.工業地帯を通り島に至りくるりと回ると神社にぶつかり,そこで行き止まりだった.クルマを降りて海の香りを嗅ぐ.島の道路にはクルマが密集して駐車されていた. 瀬戸大橋記念公園.入ろうとしたら凄まじい音を立ててジグザグに運転するクルマ数台.路肩にはガラの悪そうな若者たち.クルマをぶつけられるのはイヤなので,Uターン. 沙弥島のナカンダ浜.女の子を連れて来たかった場所.真っ暗な海岸で海に飛び込んだりして騒いでいる連中.ボクは瀬戸大橋を見ながら海岸に沿って展望台まで夜道を歩いた. 沙弥島を離れると,さっきの路上レースのクルマ数台.不本意ながらしばらく並んで走ることに.スピードは自分のクルマよりちょっと速い程度だが音がうるさい.反対側からちょうど赤いランプを灯したパトカーがやってきた.パトカーが来たことをだれか携帯で連絡したんだろうか. 五色台.午前 130 ころ.海沿いの道ではクルマ一台とすれちがっただけ.半島の北端の大崎の鼻から五色台スカイラインに入る.スカイラインでは他のクルマとはまったく出会わなかった.「夜その道を通ってると後ろからバイクのエンジン音がするが、ライトは見えない、よく見るとヘルメットだけが飛んでいる・・・。しかもそのヘルメットは赤い目だけが見えるらしい」という心霊スポット情報もあるところ.この日はそれらしき幽霊には出会わなかった.少し恐れていた暴走族もいなかった.ただ,クルマの窓にいっぱい虫がぶつかって来て即死するのには悩まされた. 根香寺 (ねごろじ).五色台にあるお寺.午前 2時.だれかに出会えるような気がして,つい来てしまった.心霊スポットとして有名なところ.昔は「首転寺」と言われ,病気で死ぬのを待っているような子どもの首を切り落として殺していた場所という説もある.牛鬼が封印されていて,その呪いのパワーはただものでないという.午前 2 時に電話が掛かって来るという,自殺のあったとされる電話ボックスも見えた.それにしても真っ暗で怖そうな所だ.なんでこんなところに来てしまったのだろう.ボクが会いたいのはここに出るような幽霊ではないはずなのに. 午前300ころ帰宅.あてもない旅は終わった.導かれて来たのはけっきょくこの世界だった. |