「外国人のキャラクターがよく出てくる」
自著の評判をエゴサしていて、何度かそういう趣旨の感想を読んだことがある。
確かに外国人のキャラクターは書いている。でも、よくというほど大勢じゃない。1冊につき一人、二人くらいだ。
正直なところ、少なすぎると思っている。今まで刊行してきた小説の舞台はほとんどが現代の日本なので、実際の生活で出会う外国人の割合に比べると、やっぱり確実に少ない。それでも「この作家の小説は外国人キャラがよく出てくるなあ」と感じる人が一定数いるのだ。これはちょっと面白い現象だなと思った。
コンビニや飲食店、職場、学校、ご近所さん等、現代日本で生活していれば今や都市部だけでなく地方でも、外国人と出会わず過ごす日はほとんどないと思う。反面、日本の小説や漫画、ドラマや映画の中に出てくる外国人の割合はまだ少ない感じだ。なので、ほんの数人の外国人が出てくる私の小説のその部分が「特徴」として受け止められたのだろう。
もちろんフィクションが現実をそっくりそのまんま描く必要はないのだけれど、日本で生まれ日本語を話し日本人の両親を持つ日本人のキャラクターしか出てこないコンテンツを読んでいると、ふと顔を上げたときに見える現実の日本の姿との乖離に、やっぱり違和感をおぼえたりする。
そんな中、ある事件が目に留まった。
今年のサッカー・ワールドカップの日本対コロンビア戦会場で、コロンビア人男性がスペイン語を知らない日本人女性を騙し、「私は売春婦」などのスペイン語を言わせた動画を撮影しインターネットにアップロードした事件だ。このコロンビア人男性の行為は非常に悪質とみなされすぐさま批判の声が上がり、数日後にはコロンビア政府が正式に謝罪の声明を出す事態にもなった。
心底嫌な話だ。ミソジニー(女性憎悪)や人種差別、職業差別などさまざまなヘイト要素が盛り合わせになっている。ただでさえムカムカする事案だが、私がさらに気になったのはネット上の反応だった。「日本人ならこんなことはしない!」という、おなじみのニッポンスゴイニッポンキレイニッポンハナニモワルイコトナンカシナイモーン反応をいくつも見てしまったのだ。
私の怒りはさらに強火にフレームオン。するっつの。やりますよこういうクソなことはニッポン人様も。私はその現場を、実際に見てしまったことがあるのだ。
10年近く前、私は都内某所のシェアハウスで生活していた。
と言ってもおしゃれな空間でキラキラした男女が恋の駆け引きを楽しみながらスタバのラテや自家製スムージーを飲むようなアレではなく、どう見ても元は雑居ビルだろというボロい建物をベニヤ板のような薄い壁で3~4畳ずつ区切り、簡易ベッドを置いただけという限りなくタコ部屋に近い作りのワイルドな物件だった。
全室日当たりほぼゼロ、風呂はシャワーのみ、トイレに至っては男女共用というスタバが泣いて逃げていくような環境で、住人も老若男女ばらばら。そして、7割くらいが外国の人だった。
その国籍もさまざまで、長期旅行者や留学生、仕事で来日している人など滞在理由も幅広く、生活時間帯もまちまち。当時早朝勤務の警備員兼シナリオライターだった私はあまり他の住人と顔を合わせる機会もなく、会釈をする程度の付き合いだったが、それでも1年近く生活すれば顔なじみもできてきた。常に寝不足でぼんやりしていた愛想の悪い私にもフレンドリーに挨拶してくれたのは、海外組の住人がほとんどだった。