2014
03.06

讃(ほ)むる言こそ多く候へ

Category: 信心
 前回の「法華経の智慧」のお話の続きになりますが、次のページで先生が人の育て方について言及されています。


 十界互具の人生は、信心を根本に、「ありのままに生きる」ということです。十界互具を説かない教えでは、九界を嫌う。九界を断ち切って、仏界に至ろうとする。これは広げて言えば、人間を「刈り込んでいく」生き方です。ここがいけない、あそこが悪いと。だめだ、だめだと欠点を否定していく。その究極が「灰身滅智」です。そういう反省も大事だろうが、下手をすると、小さく固まって、生きているのか死んでいるのか、わからないような人間になる危険もある。「角を矯めて牛を殺す」(少しの欠点を直そうとして全体を駄目にする)ということわざがあるが、むしろ少しぐらいの欠点はそのままにして、大きく希望を与え、目標を与えて伸び伸びと進ませる方がいい場合が多い。そうやって、はつらつと自信を持って生きて行けば、自然のうちに欠点も隠れてしまう。たとえば「せっかちだ」という欠点が「行動力がある」という長所に変わっていく。(中略)そういうありのままの凡夫が、奥底の一念を「広宣流布」に向けることによって、生命の基底部が仏界になっていく。(中略)活発に、生き生きと、毎日を生きながら、自分も、そして人も絶対的な幸福に向かって突進していくのです。

 
 人に対して希望を与え、伸び伸びとやれるようにしてあげることができればこんなうれしいことはありません。私など未熟なので、お題目をあげて祈る、そして会いに行く、一生懸命話を聞いて話をする・・・その繰り返しです。 でもそれで少しづつ自分も相手も何かが変わっていく、嬉しいのはそれが感じられることです。先生がそうされるように、人をもっと励ますことに向かって自分も生きていきたいと思います。

 人間関係ほど難しいものはないし、言葉ほど誤解を生むものもない・・・またやたら「頑張ろう」では、相手が参ってしまうこともあります。欠点を指摘する時は慎重にやらないと相手のやる気も奪い、時には自分を全否定されたと思われてしまうことだってあります。

 だから長所を一つでも見つけて心をこめて讃嘆していく・・・
注意したいことがあっても辛抱することも必要だし、かといって黙っているのが悪いこともあります。 


 根本は相手の幸福をよく祈ること、祈っていけば何かしら通じていくというのが私の体験です。
前に、お休み中の人が出てきたことを書きましたが、彼の幸せを祈るようになってから、急に変わりました。本当に相手に幸せになってもらいたいかどうか、自分の心をみつめることも大事です。

 日蓮大聖人様が四条金吾さんに対して、肉親への心遣いを諄々と説かれているところがあります。特に女性の罪に対して教訓したり、争ってはいけない。これが賢人の行いであり、これが仏弟子であるとまで申されています。(四条金吾殿御返事・九思一言御書)

 最近は女人の罪より、壮年の罪を婦人部に糾弾されることの方が多い・・私も日夜、奥さんと婦人部に教訓いただいております(笑)


 人の欠点を探す傾向の人は、相手を尊重できない人だと思います。また自分を優位に置いておかないと我慢できない修羅のおごり、増上慢のある人です。逆に弱い人、できない人をほめて自信を持たせ、自分以上の立派な人へと育てていこうとする人が、りっぱな人だと言えます。

 どちらの心も人間持っていますので、信心で境涯を変革していくしかない。お題目をあげると、必ず生命に貼りついている邪見や偏見が取れていく、それこそ薄紙をはぐように・・・そうして徐々に大きくものを見る目が備わっていく、心が広々としてくる・・・そうなっていくのが信心の功徳だと思います。かならずそうなれるすごい御本尊様です。やはり題目で生命を磨いていくしかないと思います。



aogaki8_R.jpg



 私たちは言ってみれば、欠点だらけの凡夫の集まりです。私もほとんど、とりえがありません。奥さんが何故、私と一緒になろうと思ったのか、不思議なぐらい(笑)きっと魔がさしたのだと思いますが、後悔しているか、今も怖くて聞けません(笑) そんな人間ですので完璧を求められてもできるわけがない・・・

 山本伸一役ができるのは先生お一人です。私達はお互い、欠点に目をつぶって、笑い飛ばし、許しあっていくしかない・・・そのぐらいの気持ちの広さでちょうどではないでしょうか?
 正邪を盾にして、何でもかんでも間違いを正そうなんて、それは仏子を苦しめていきます。


 「法華経の功徳はほむれば いよいよ功徳まさる、二十八品は正き事はわずかなりむる言こそ多く候へと思食おぼしめすべし」との御文もあります。(妙密上人御消息) 

 正しいことは少しでほめる言葉が多い・・・なんということでしょう。真実絶対の法華経でさえそういうものです。本筋さえ外さなければ堅いことは言わないから伸び伸びやりましょう・・・人に対してはそういう寛容の精神が大事だと思います。決して人を追いつめて(刈り込んで)苦しめてはいけない・・・最近、特にそう感じます。


  学会同志は妙法をたもつ人中第一の人の集まりです。その方々をほめることは仏を讃嘆することに通じます。逆にけなすことは仏をくだすことに通じます。どちらが大事かは良くわかるはずです。

 人はほめられると表情にもぱっと赤みがさし、晴れやかになるものです。長所をみつけて讃えあっていく。それの方が雰囲気も良くなり、成果もあがります。私も地区部長として失敗もし、体験いたしました。(笑)

 今、健気に地区の活動に出てきてくださる方々を本当にありがたく思います。特に婦人部の数名の方には感謝しています。その人たちがいないと、私も地区部長はやってられません。どこにでもいる関西の田舎のおばちゃんたちですが、その内証こそ仏の生命だとありがたく感じています。 

 同志を尊重し、相手をもっと伸ばしてあげたい・・・その心と祈りがあれば、きっと我が地区も発展していくものと思います。 まずは私の祈りから・・・もっともっと地区を変えていかにゃあならんと秘かに心に決意しています。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村


トラックバックURL
http://mugenkosen.blog.fc2.com/tb.php/59-5d01f51b
トラックバック
コメント
こんにちわ
頭では、わかっていても、(つもり)なかなか、そういう行動に移せない時があります
親子喧嘩をよくしますが、そんな時、私の先輩は、喧嘩をしても、仲直りできるから、大丈夫よ って言ってくれます
まあ きつい娘に、養父はいつもやられっぱなしで、気の毒です
南無妙法蓮華経と、お詫びしつつ、きつい口調
どうにかならないもんでしょうかね?(笑)
ちよdot 2014.03.06 17:48 | 編集
ほんとどうにかしたいですね。ちよさんの姿が目に浮かびます。自分の境涯が変わる以外にない・・・みんな一つ二つ、どうにもならない関係の人がいます。私もいますよ。・・怨憎会苦というのもしっかり身で読んでいます。また私なんか親不孝者ですので、その報いで幸せになれないなあなんてよく思います。今日言われて今日治れば世話ないですが、業も深いです・・・いい子になろうと思ってもついにょきっと修羅や傲慢がでる・・・みんな一緒一緒(笑)でも信心が深まれば変わっていくことも事実です。なんとかは死ななきゃ治らない・・・では困ります。さあ、どちらが早く治せるか競争しましょう!
王者の剣dot 2014.03.06 18:16 | 編集
おはつです(^^)
と・・・ ちよさんここにもいた(笑)

指摘するよりしない方が遥かに困難 ・・・と最近は感じてますf^^;

指摘する人はなぜ指摘せざるえなくなってるのかなぁと。
人間不信が根底にあるように感じられるんですよ。
太ちゃんdot 2014.03.06 19:45 | 編集
太ちゃん様
コメントどうもです。言われること、自分にも似たような経験があります。実は私も友人を疑っていたことがあります。そういう目で相手を指摘しようとしたことがあって・・・今思うとぞっとします。友人を信じて彼の幸せを祈れなかった自分がひどい人間だと気が付きました。それこそ魔性の心だって・・・それからです。彼がどうあれ、一緒に幸せになろうって祈れるようになったのは。相手を疑って見る、人間不信の命が自分の中に強くある、それこそ不幸の根源なんだ・・・そう思いました。それから彼を信じ、愛せるようになったのです。彼はすごいことを僕におしえてくれました。信心は自分の中の不信との戦いです。人と人を分断する魔性との戦いです。これから彼と一緒に生きていこう・・もっともっといっぱい人を愛せる自分になろうって・・・人間らしい一歩を踏み出すことができました。
王者の剣dot 2014.03.07 01:34 | 編集
バンド仲間に小児麻痺の19歳の女がいます。ものすごく明るい子なんです。障害のため三味線教室への入門を3年間断れ続けてもお願いし続けた彼女です。3年目には師匠は根負けしました。確かに人の10倍努力しても健常者には追いつけませんでしたが小学校4年から習い始めた三味線で2年前に新人賞を頂き来年は優秀賞に挑戦します。そんな彼女から私は激励されています。やればできるてね。おかげでお互いの共通の夢に向かって走っています。激励されぱなしの私です。
うるとらまんdot 2014.03.07 01:40 | 編集
うるとらまんさんの周りにはすごい人がいっぱいで幸せ者ですね。あきらめない心・・・それを持つ人が勝利者ですね。人としての値打ちは姿や形と関係ない。心と生き方だと思います。心が清らかだったら、また勇気があればいっぱいいいドラマにであえます。この人生、お互いいい人間ドラマをいっぱい作り、見て、味わい生きていきましょう。私もこれからです。人のために生きていきます。またいろいろと教えてください。
王者の剣dot 2014.03.07 02:02 | 編集
はじめまして
じぇじぇじぇと申します。
よろしくお願いいたします。

テスト

じぇじぇじぇは、根本に据える一念が
人とのいざこざを解決する鍵があると見ています。

答えを言うより、考えることを優先して
若鷹の大掲示板の投稿の続きは、保留のまま。

弟子の立場から、同心円の考え方。

続きます。
じぇじぇじぇdot 2014.03.08 04:30 | 編集
日蓮大聖人の仏法は、人々の交流を促進し
人間関係を充実させ平和に、幸福にしていく力があります。

人それぞれ、個性も前進する方向も多岐に渡っています。適材適所です。( ^∀^)

破邪顕正と現れる大事な場合もあります。
慈悲、慈愛やまごころ、友情、友好として現れる大事もあります。
なんでもかんでも~。と押し付けるのではなく、その通りと納得する、その通りと納得させてあげられる、お互いが伸びる方向で切磋琢磨するのが信心と見ます。

前進、拡大、膨張と運行する大宇宙は、
生命(本来の妙法蓮華経)のあるべき姿が
行われているのかもしれません。

例えば、背中合わせに4人(仮に)が肩と肩を併せて円を作る。
そして一歩、二歩~とそれぞれの方向に前進する。4人それぞれのあいだに1人分のスペースが空けば、それぞれのあいだに1人入り、肩と肩を併せて円を保つ。一歩、二歩前進しながら人を増やし円を拡大していく。ここに桜梅桃李を感じます。
-異数配列- もしかすると π (パイ)の秘密が
ここにあるのかもしれません。
皆、奥底の一念に根本の一念を据え、円の拡大に伴い、前進する方向は人それぞれ違うことがわかります。拡大すればするほど
人が増え多方面に進む方角も、どんどん
多角(多様)化していきます。
信心を実践しながら人それぞれ進む方向性
がある。個性と言う形となって顕れて。
人に合わせる必要はないと私は思います。
細々としたことは、人と違って当たり前。
お互いを認めながら、もうまっしぐらに
どんどん前進して自分を輝かせればいいと
思います。私は、皆さんとの個性のふれあいを大事にしたいです。( ^∀^)

親や師匠の背中を見る。から、
子や弟子のその背中を見る。親や師匠にとって、これほど頼もしいことはないと思いますよ。

長々と失礼しました。
これからもよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。
じぇじぇじぇdot 2014.03.08 05:45 | 編集
如説修行に通じるのかもしれません。

その通り(の信心)(自身がその通りだ!と納得し、確信する)の善に就き、いいなりにはならずと見ます。

連続投稿、すみません。
どうしても紹介したい映画がありますのでお許しください。

画期的(この言葉は、花の名の才女に教えてもらいました。)であり、
とても希望が持てるラブファンタジーの
4作品です。( ^∀^)

-「アップサイドダウン」

-「ウォーム・ボディーズ」
おおかみこどもの雨と雪は、二人の子が
それぞれ狼の世界に生きる、人間の世界に生きることを選択します。
トワイライトは、彼氏が吸血鬼。その彼氏を好きになった彼女が吸血鬼の世界に生きることを選択します。
ウォーム・ボディーズは、人間とソンビは
敵対関係にあると言う概念を打ち破り、
人間の女性を好きになったソンビの男の子が、生命変革を起こし、、、まさか?!
それも彼だけでなく、、、見てのお楽しみです。( ^∀^)

-「ミッション8ミニッツ」

-「きみにしか聞こえない」
(爽やかに、涙してください。)
どの作品も希望を感じますし、イマジネーション、インスピレーションと言う、心に刺激を与えてくれるであろうと思います。

じぇじぇじぇは、希望や元気を与えてくれる映画が大好きです。

ありがとうございました。

あろう
じぇじぇじぇdot 2014.03.08 06:56 | 編集
じぇじぇじぇ様

長文のコメントありがとうございます。示唆に富んだお話、興味深く読みました。インスピレーションが鋭い方のようなので、私には理解しがたい面もありましたが、言い方がユニークなだけで、共通するところはたくさんあるように思いました。私も理より直感型の方です。一念ですべてが決まっていく、その根本に据える一念が仏になればいいのですが、言うほど簡単ではない。でもないかというとある・・・それを悟れば、宇宙即我も生死即涅槃も全部身でわかっていく。なんとかそこへ行くために信心やっています。理ではなく事として知りたい。理と事は天地雲泥の差ですよね。同心円のお話、そういう考え方があるのでしょうか?私は個々の生命の解放の広がり・・そういうとらえ方で思うことがあります。人間はいろんなものに縛られている。宿業にも社会にも生死にも・・それからの解放(逃避ではなくそれと戦いつつ)が信心の目的でもあると思います。その延長で桜梅桃李ですが、仰せのとおりだと思います。もっともっと学会員の個性が色とりどり、百花繚乱というか際立っていけばいいと思いますね。一方で悪の方にも拡張する個性もありますので、難しいところもありますが。経験値が増えるほど固定観念に縛られていって、そういう世間の摺り込み(個性を殺す)との戦いも大事ですね。普段、映画もゆっくりみませんが、(20代は映画館で週に何本もみてました)おすすめのもの、一つでもレンタルでさがしてみます。種々、ご教示ありがとうございました。私も希望と元気を持って、冬を耐えた春の陽光の如く生きていきたいです。また、よろしく。
王者の剣dot 2014.03.08 10:58 | 編集
管理者にだけ表示を許可する