2014
11.17

「会則の改正」について思うこと

Category: 信心
 今回の会則改正で弘安二年の大御本尊を受持しないことを明確にされたことに、驚かれた学会員の方も多いのではと思います。朝晩の勤行で、何十年とそして今も「一閻浮提総与三大秘法の大御本尊に南無し奉り・・・」とやっていますが、宗門から離れた今も、それはやはり弘安二年の大御本尊の事だと理解している人も多かったのではないかと思います。

 かくいう私もその一人で、外でお題目をあげる時も、学会常住御本尊と共に、心にその御本尊を思うことも無意識のうちにやっていることもありました。

 学会では創立以来、弘安二年の御本尊を本門戒壇の大御本尊と位置づけ、歴代の会長もそのことを強く強調されてきました。正本堂の建立もその意義が込められていたと思います。宗門問題の後も日顕宗は謗法であっても、この御本尊までは否定されることもなく、依然として信仰の象徴としてありました。しかし、今回、その御本尊を今後、学会は受持しないということであり、さらに宗門と決別して、独自にやっていくということを宣言されました。

 現実的にはもう20年余り、この御本尊を拝することもなく、学会員は信仰していますし、我が家に御本尊があれば、人間革命は十分できます。御本尊をもたない内得信仰の人であっても、法を信受して唱題に勤しめば、同じ功徳を受けていけることと思います。

 そう言う意味では弘安二年の御本尊は、学会員の心の依り所とは言えないものです。今からは「お山の登山」すら知らない人達の時代が来ます。そういう時代に備えるという意味で、宗門の御本尊に縛られないことを明言する必要があったのだと思います。

 ただ、会則に戸惑っている人の心情もよく理解できますし、学会自体が、長年言ってきたことを転換したのですから、その方々が学会から去っていく、ということにならないよう、学会本部として、悩める人の疑問には真摯に対応していただきたいと思います。きっと真面目な学会員さんほど、困惑されたところもあると思います。



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      あら可愛い 薄紅色やえんじ色 ピンクの濃淡 我を和ます  (詠み人・ランさん)



 もしこうなるなら、結果論ですが、この20年余の間に、もう少し早くから教学面と会則の整備を優先していただければよかったですね。そうすれば会員の合意を形成していくこともできたと思います。その大義名分ができた上で、シンボルとしての戒壇建立(広布大誓堂)、学会常住御本尊の安置、と形にしていく方が理解しやすかったと思います。

 ただ、今回の改正が池田先生もご承諾されているということを前提とすれば、先生のお心がどこにあるか、よく考えねばならないと思います。それは、「日蓮仏法が、一部の僧侶や宗派などのものではなく、どこまでも全世界の民衆のものであり、民衆こそが広宣流布実現の主体者である。」と、私たちに仏法は民衆のものであることを、どこまでも教えてくださっているように思います。

 池田先生の代で、宗門が権威的に持っていた日蓮仏法を、破門という大難を起こされて、それに勝って民衆の時代を開いてくださった、民衆の手に仏法を取り戻してくださった・・・そう見ることが、正しい見方ではないかと思っています。

 もちろん僧俗和合で仲睦まじくあれば、それはまた違ったことでしょうけど・・・その道も今は完全に閉ざされたのかもしれません。学会からすればもう宗門と一緒でなくても、独立してやっていける時代を勝ち取ったと言えます。

 その意味で封建的かつ形骸化し、謗法の山と化した宗門の使命は、終焉を迎えたといえそうです。先生がいつも言われる「宗教のために人間があるのではなく、人間のために宗教があるのだ」ということの実現に、先生はさらに駒を進めておられる・・・そう感じます。

  特定の寺、特定の御本尊だけに、仏法の本体があり、時の法主や僧侶が生き仏のように、それを特権で管理できるなどということが、幻想に過ぎないことを、私たちは日顕の姿を通して知りました

 また今回の改正も、もとはと言えば、僧俗和合が完全に破壊され、邪宗化した日顕宗の下にある御本尊を拝することが、正しい信心の道からも外れるという判断があったと思います。これまでの信仰や教義等を維持できる環境が、消滅したと言えます。ただ、決して御本尊様そのものを否定されたのではないものと、私自身は理解しています。

 大聖人様御真筆の御本尊は130体余り、現存すると聞きましたが、身延などの日蓮宗系にあるもの、日顕宗が所持しているものが大半であると思います。それらを邪宗の寺に参詣して拝することはやはり謗法となります。大聖人様の御本尊は、正しい信仰をもって拝してこそ血脈も流れ通うわけで、広宣流布を正しく進める創価学会を破門する心や、その心に染まった場所(戒壇)で拝しても、謗法になることは事実でしょう。

 いまや世界や日本のいたるところで生活する学会員こそが、仏法の具現者であり、宗門のような教条主義に縛られることもなく、真の平等性、人間友好、個性の尊重と言った、日蓮仏法の持つ豊かな人間主義を自在に開花させる時代がやってきました。

 私も古い考えから絶えず脱皮していかないと、先生の猛スピードについていけない。(笑)
一切の先入観を捨て、新しい発想で、幸福創造の人生を歩いていきたいものです。学会の組織にももっと自由で伸びやかな風を入れたいですね。

 より民衆の個性あふれる時代が来ることを願いつつ、新しい会則の元、力強い出発を開始したいと思います。
 

※11.18に若干ですが記事を校正しました。


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コメント
私はかつて 宗門問題でゆれて 大きな罰が出た人間の一人です
宗門が 学会から離れた時点で 信力・行力がないのですから
大石寺のご本尊には すでに力がないのです
大聖人仏法の真髄は 創価学会以外にありません
確信をもって 前に進むだけです
本当に いい時代になりました
ちよdot 2014.11.17 17:09 | 編集
ちよさんへ

もちろん学会に確信を持って進んでくださいね。宗門はこの後、講員から供養を貪り、創価を悪口罵詈しながら生きながらえるだけでしょう。創価学会に残ったことがどれほどの福運か・・・私もその福運は持っていたようです。笑)
王者の剣dot 2014.11.17 20:51 | 編集
ある面、成仏するかどうかはひとえに「信心の厚薄によるべきなり」であり、なにか特別な場所に行って御本尊に祈らなければ成仏できない、などと言うのを学会としてきっぱりと否定したと言う事が出来るのではないかと思います。

だからこそ、家庭訪問などを通じて各人一人ひとりの信心をいかに強くしていけるか、そこにこれからの学会の組織の発展がかかっているということではないでしょうか。
marimodot 2014.11.17 23:47 | 編集
剣さん、こんばんは。
当たり前のことなんですが、学会が御書根本を明確にした時点で、
弘安2年の本尊が、大聖人の出世の本懐であるとの根拠は無くなりました。
これこそが根本中の根本の御本尊と言うなら、御本仏が明確に弘安2年10月12日にあらわしたぞ。
こう御書に明確に書かれています。そのようなことは、御書を穴が開くほど見入っても、
どこにも書かれていません。聖人御難事にもありません。
従って、「会則の改正」は当然ですし、まだまだこれから改定しなければいけませんね。
御真筆であろうと、書写本尊であろうと、叶い叶わぬはご信心によるべしです。

それから、これからも学会の中に邪義を唱える者が、必ず出ることでしょう。
それもSGIレベルでね。
だからこその、宗門事件だったと思っています。
コスモdot 2014.11.17 23:57 | 編集
marimo様

コメントありがとうございます。本当にその通りですね。と、同時に信仰の対象をしっかりと見極めていくことの大切さを感じます。師弟の精神に徹する心があれば、おのずと正しい方向へ、ほんとうの学会精神へと入っていけると感じます。私にとっては意義のある改正となりました。さらに強く前進したいと思います。
王者の剣dot 2014.11.18 02:22 | 編集
コスモさん

いつもご教示ありがとうございます。

>御真筆であろうと、書写本尊であろうと、叶い叶わぬはご信心によるべしです。
まさにその通りですね。

弘安二年の御本尊の縛りから、きれいに決別したという宣言に意義があると思います。
そのことが明確でないために、これまで曖昧な部分がありました。
それと同時に盲目的に学会についていくだけでなく、正邪を自分の眼で見極めていくことが今後、一層大事になると思います。

学会の正義、先生の正義を信じて信仰に励む、その師弟の軌道に生きるなら、
これから惹起する魔の姿も、おのずと見えてくるものと思います。

晴れ晴れと次なる戦いに挑戦していきたいと思います。ありがとうございました。

王者の剣dot 2014.11.18 03:00 | 編集
大聖人曰く。

『羅什三蔵は法華経を渡し給いしかば毘沙門天王は無量の
兵士をして葱嶺を送りしなり、
道昭法師・野中にして法華経をよみしかば無量の虎来りて
守護しき』

また曰く。

『同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・
他人よりも色まさり利生もあるべきなり、
木は火にやかるれども栴檀の木は、やけず、
火は水にけさるれども仏の涅槃の火はきえず、
華は風にちれども浄居の華は・しぼまず・
水は大旱魃に失れども黄河に入りぬれば失せず』

(乙御前御消息)

大事なのは、『志をかさぬれば』ですよね。
さあ、「何に」志をかけ、重ねてゆかんとするか。
「そこ」ではないでしょうかね。
福島の壮年dot 2014.11.18 09:17 | 編集
福島の壮年様

ありがとうございます。私は30年たって、「師弟」に志を重ねることをしりました。
この時にそうなったことは、先生の志を継いでやりなさいという、そういう使命だと思います。

宗門問題によって創価への信が試されました。次は、ほんとうの師弟の道が試され、ふるいにかけられるような気がしています。一歩ずつ、魔王の試練こそ、我らの善知識ですね。

王者の剣dot 2014.11.18 10:46 | 編集
王者の剣さん
宗門問題のとき、私は鼓笛隊でした。
この前まで「池田先生、池田先生」といっていた鼓笛の先輩が宗門問題がおこると
コロリとお寺側にいって先生のことを悪くいっている人の姿もみてきました。
人の心は簡単にかわるものなのか・・・
その時、女子部の先輩にいわれたのが
「こういう時、自分の信心が試される。池田先生、池田先生と日頃、口にしているのがポーズかどうかわかる」と言われました。
いざという時に揺らがない信心を貫いていきたいです。
ランdot 2014.11.18 13:01 | 編集
ランさんへ

私も友人の半分が法華講に流れました。本当に苦しいところ、試練の場所に行かないとその人の正体は出てこない・・・魔王は退転をたくらんで、目を細めて狙っています。幸福への試練はまさに竜門の魚の如くでもあり、また爪上の土の如しですね。

池田先生がおられる間はいいですが、従順を装いながらどす黒い野望を隠し持った人間がいるのも現実です。そういう魔王が現れた時に、その命に感応して落ちていく人もいます。用心怠りなく、危ない人は遠ざけて前進してくださいね。
王者の剣dot 2014.11.18 13:46 | 編集
日蓮正宗には、青年得度制度なるものがあり、
創価学会員の中から、推薦により出家し、
僧籍を得る人たちがいます。

私は学生部のとき、その制度に乗って得度しないかと
誘われたことがあります。
理由は、法華経をよく読みその内容に通じているから・・・。

とんでもありません。
御書を拝する上で、大聖人の意を汲むために必要だったから
「妙法蓮華経並開結」を読んでいたんで、
法華経の学術研究を詳しく行ないたいわけでもなし、
だいたいが、当時、唱題行がとりたてて好きなわけでは
ありませんでしたし(笑
職業として、「僧侶」になるなど、考えられませんでしたから、
お断りしました。

後に、坊主が勤行唱題するのは、飯の種のためであって、
好んでしているわけではないと知ることになりますが、
いずれにしても、断って良かったですね。

http://www.houonsha.co.jp/jiyu/12/400.html

このような、後の「青年改革同盟」の陣列に加われたか・・・。
魔に命を喰われる結果になっていなかったか。
       ・・・現在の地元の寺の坊主のように。

まさに、私の人生において最大の分岐点だった・・・いや、
周りが勝手に「お経を読むのが好き」と勘違いしていた
だけで、坊主になることなど、私の選択肢にはなかった
ですけどね。
福島の壮年dot 2014.11.18 13:55 | 編集
福島の壮年様

楽しいお話をありがとうございます。いやあ、坊さんが似合っていたかもしれませんよ。(冗談)私の友人の友人も学会から得度しました。今もあちらにいるそうです。登山すると六壺の奥に案内され、日興聖人様の御本尊とか拝させてもらいました。板御本尊でしたがビカッと光っていたことを今も覚えています。ところが御開扉で正本堂に行く途中、裏手では何人かの僧侶がゴルフクラブを振って戯れておりました。思わず目を疑ったものです。

異常というか特殊な世界のようですね。そりゃ魔物の棲家同然ですものね。壮年さんもきっと過去世の行いが良かったのですね。それにしても学生のころから法華経と御書ですか?デートの時に御書講義なんかしていませんでしたか?それについてこれる女子も素晴らしいですが。(笑)
王者の剣dot 2014.11.18 14:52 | 編集
「危ない人は遠ざける」そうですね、悪知識をすてて善知識に親近せよ、ですね☆
学会員でも様々なひとがいます。自分に近寄ってくる人が善知識か悪知識か見破っていかなければなりませんね。

話しは変わりますが、コスモスのお写真、可愛らしいですね(●^o^●)
チョコレートコスモスっていう珍しい品種もあって、
本当にチョコレート色をしているみたいです。

「あら可愛い 薄紅色やえんじ色 ピンクの濃淡 我を和ます」
ランdot 2014.11.18 16:08 | 編集
ランさんへ

信心があるから守られるというのは油断ですね。用心しないと危ないことがたくさんあります。特に信心をやぶる魔は怖いものですよ。調子のいい人には気をつけてくださいね。

私にしてはかわいすぎる写真です。でもこのコスモス畑は関西墓苑の近くにあり、池田先生もお写真を撮られています。(コスモス畑に煙が立ち上っている写真です。墓苑に飾ってありますよ)

かわいいお歌をありがとうございます。お花の横に添えますね。(笑)




王者の剣dot 2014.11.18 17:09 | 編集
お山の登山を知らない世代にギクッとしました。私の最初の登山は中学生の時で一泊二日の船旅でした。全国から中等部が集まりました。こんなにも中等部がいるのかと驚いたのを覚えています。大学時代は夏期講習会で登山いきました。参加できたのは、信心があるからではなく相撲が強かったからで相撲大会で優勝しました。その時、今の太田大臣と話しができ、学会には、凄い男がいると思いました。そんな思い出あるお(山ですが 両親が貧乏のどん底で、苦労して20ドルを供養した正本堂を破壊したことに怒りしかありません。                             今回の改正でさっぱりしました。
うるとらまんdot 2014.11.18 21:09 | 編集
うるとらまんさん

沖縄だもんね、大変ですね。道が遠いから思い出も功徳も大きいんですよ。
それにしても何年たっても、思い出すたび日顕が憎いですね。
まさか正本堂が破壊される時がくるとは・・・悪夢を見た思いです。
さすがの私も日顕の神経だけは理解できません。(笑)
王者の剣dot 2014.11.18 21:37 | 編集
王者の剣さん、お写真に短歌を添えていただきありがとうございます(●^o^●)
お花は癒されますよね~ただひたすら美しく咲いて人間を
癒して・・・・お花や植物は優しいですね(*´▽`*)

ランdot 2014.11.19 12:20 | 編集
ランさんへ

こちらこそありがとうございます。おかげで写真が引き立ちました。人間は欲が深くて争いが好きで、傲慢な生き物ですね。花にはそれがない。宇宙のリズムに乗ってあるがままに咲いている。無作の境地でしょうか?。花も動物も使命があって、人を癒したり、お肉になってくれたり、私たちのために菩薩行をしてくれるのに、その人間はどうでしょう??六道輪廻では困りますね。

いかに創価の世界に生きていけることが素晴らしいか?ランさんの使命も大きいですね。
王者の剣dot 2014.11.19 13:02 | 編集
コスモさん

ありがとうございます。動画は拝見できました。

「宗門の中に、また創価学会の中にも、況や外敵においても、会長先生が亡くなったことを喜び
または安堵の胸をなでおろし、または反逆の心をおこし、蠢動するような者があったならば
これ、広宣流布を乱しゆく、天魔の所為として、断固粉砕しゆくことが、学会幹部のありかた
であると思うのであります。」

先生のお言葉を心に深く刻みたいと思います。
王者の剣dot 2014.11.20 09:56 | 編集
↑上の御指導、胸に刻みたいと思います。
同志というだけで安心し、心を開きます。しかし、そこにつけ込んでくる魔には
要注意ですね。商品、商売の勧誘などには絶対にのらないでほしいです。
同志間での怨嫉をひきおこすもととなります。見かけたら厳重注意を
しようと思います。それが同志を守っていくことになりますから・・・
ランdot 2014.11.20 10:29 | 編集
ランさんへ

商売されている方は、熱心なあまり、学会員さんのところへ売りに行きたいものです。しかし、そこに落とし穴があります。会員同士という甘えや依存に魔が付け込むからです。金銭のやり取りも絶対、後に、怨嫉を引き起こします。私も仕事上、それだけは肝に銘じています。以前、婦人部でもマルチ商法(水や衣類の販売)で、トラブルがでました。売るほうも話に乗るほうもどちらも悪いのです。人がいいのも善し悪しありますからね。

大小さまざまな魔がこれからも蠢動してきます。賢くありたいものです。


王者の剣dot 2014.11.20 11:15 | 編集
王者の剣さん

実は、このまえ、普段ほとんど付き合いのない学会員さんから自宅に招かれ、何かと思っていってみたらマルチ商法のお誘い&商品の説明だったので驚きした。大先輩なので会員同士の金銭貸借、共同事業、保険や商品の勧誘は禁じられているのはわかっているはずです。もちろん、断りましたし他の複数の同志にも声をかけていたので、そういったことはしないようにお願いしたのですが・・・一応、地元の幹部の方に報告して今後、絶対そういったことのないように会合などで徹底して呼びかけていただくようにしました。
ランdot 2014.11.20 11:32 | 編集
ランさんへ

それはよかったですね。みんな目先のお金に心が動きますから。こちらの場合はある婦人部さんが、同志に儲け話で声をかけるということがありました。私も懇意でしたので、お呼び出し頂いてお誘いを受けました。大事な話というので、信心の相談だと思い行きましたら、ねずみ講まがいの話でした。「ほかの同志は誘っていませんね」と言ったら「していません」という返事でしたが、やはり何人かの方には声をかけていたようです。その方は財務も3桁、聖教推進も毎年2~300P、題目も数時間あげられるということですが、我欲で信心されていると
しかいいようがありません。残念なことです。
王者の剣dot 2014.11.20 12:38 | 編集
王者の剣さん

王者の剣さんの組織でも実際の現場に組織利用・信心利用の問題があったのですね(゚д゚)!「あの人にはお世話になっているから」とか「役職が上だから」という理由で断れない
人もいると思います。そういう気遣いは一切無用ですよね。
学会には教学試験がありますが、教学のこと以外で、
「何故組織で金銭貸借・共同事業、商売がいけないのか
理由を述べよ」という問題もだしてほしいくらいです。
いざ、そういうことにあったとき、「これはおかしいな」と正しい判断が瞬間
にできるように・・・・
ランdot 2014.11.20 13:16 | 編集
ランさんへ

やはり大きな会合等で、幹部さんが口を酸っぱくして、また耳にタコができるほど、うるさく言っていくしかないですね。忘れたころに出てきますから。私の方のその婦人部さんも、長い信心ですけど、あまり悪いことをしているという感覚はないようです。儲け話=いい話というノリです。だからまた同じ商法のものに飛びついて行かれる。確かもう2,3度そういう話を聞きました。啓蒙などすごく頑張られるのでその点は尊敬していますけど・・・もったいないことです。

そんなことされなくても大きな財務できるぐらいなのに、お金持ちほどお金が好きなんでしょうかね。(笑)

その出題は今回の23日の任用試験には間に合いませんね。(笑)
王者の剣dot 2014.11.20 14:47 | 編集
「大果報の人をば他の敵やぶりがたし親しみより破るべし」P957
信心して大福運を積んでいる人は、外の敵ではなく、「親しみ」=自分の中の‘’これくらいはいいだろうという油断‘’から信心が破られていく、ということですね。

「少しでも学会の指導に反する行為が見られたならば、相手が誰であろうと、すぐに指摘し、戒めていくという勇気ある行動をとることである。それが根本的には学会の組織を守り、相手を守ることにもなる」(新・人間革命8巻より)と先生も仰られています。
同志とは、お互いに戒めあっていきたいと思います。
ランdot 2014.11.20 16:07 | 編集
記事拝見いたしました。

※もう少し早くから教学面と会則の整備を優先していただければよかったですね。

戒壇といっても、「その時の事相に応じて」たてられるものですから、日本全国の会館を整備、学会本部、広宣流布大誓堂の落慶をまって教義条項の改正をするのは、手順として
まちがっていないとおもいます。
であるならなぜ、「昨年」でなかったのかという疑問があるかもしれませんが、一年がかりで
世界の創価学会員さんが信濃町を訪れての「誓願勤行会」が開催されている最中です。
建物をたてて、学会員さんが中にも入れない状態で「教義条項の改正」だけをしてもよけいな混乱を招くかとおもいます。

日顕宗側は任用試験のテキストには「弘安二年十月十二日の御本尊」に言及しているのに
否定するとはなにごとか、と言いがかりをつけていますが。これからは「創価学会の歴史」と
して語られるだけのことだとおもいます。
なんといっても10月号の座談会御書にあったように、「どのように御本尊を信じるか」がもっとも大事なのだとおもいます。
あべひdot 2014.11.20 16:30 | 編集
ランさん

親しみと言ってもあくまで相手の信心の成長を祈り、ともに励まし切磋琢磨するのが同志ですね。それ以外のことは組織では関係ないことですし、その目的を忘れるから同志利用が起こるのだと思います。それでも、さまざまなことから学ぶことも大事です。反面教師ということもあります。私もいろんな人を見て仏法における正しい振る舞いを学んでいくことも大事だと思います。
王者の剣dot 2014.11.20 16:46 | 編集
あべひさん

 ありがとうございます。会員の心の準備と言いますか、広布大誓堂の建設発表の段階で、合わせてそういう話になればわかりよかったとは思いました。理(教義)を示して、事(建物)ができる方がすっきりと理解しやすいという感じです。また長年やってきました勤行の時の、三大秘法の大御本尊が何を指すのか、具体的な本尊なのか、それとも久遠元初の法なのか?信者の理解や思いもまちまちで、現場でもみなさん意見が違っていました。私の勉強不足もありますが、その辺の教学的な指導も、もう少しあってもよかったかなと思った次第です。

 ただ、多くの学会員さん(地元の会員さんともこの改正について話をしました)は、妙法を信じるということが、理屈ではなく実践上、自分の生命が御本尊であるということを感じて(知って)おられます。その意味では、特別な存在の御本尊というものに縛られないこと、広宣流布を推進する創価学会のみに血脈があるのであって、所持する御本尊で血脈が変わったりしないこと。あべひさんが言われるように、どの心、志を持って、妙法を信じていくか?・・・創価の師弟と異体同心の心で信じていくということが最も大切だということを、皆さん本当にわかっておられると思いました。それが学会の強さだと再認識した次第です。

 
王者の剣dot 2014.11.20 17:45 | 編集
あと、弘安二年の御本尊を「受持しない」という言葉が、人によっては御本尊の存在意義まで「全否定」されたと強く受け取った人から、(法華講はそういうことをいうでしょうけど)謗法の宗門にあるから信心の対象として受けたもつことができないのだと、解釈した人まで、言葉の意味が広くとれるとも思いました。その辺がどうなのか、説明をしていただきたいと思いました。これからなのかもしれませんが・・・
王者の剣dot 2014.11.21 10:24 | 編集
王者の剣さん
「広布をめざす同志ということを忘れるから同志利用がおこる」
本当にそうですね。私を誘ったその方も悪気がなく
「いい商品だから善意でやっている」とのこと。

いうべきことは伝えたので、あとは止めることを祈るだけです。
私も不意打ち?をくらったのと、相手が大先輩だったこと、その商品が悪いものでは
なさそうだったことから一瞬ぐらつきました(危ない危ない💦) 

でもいい勉強をさせていただきました。
女子部の時は部員さんがやっていたから注意したことがありましたが
ホント忘れたころにやってきますね。
ランdot 2014.11.21 15:24 | 編集
王者の剣さんへ
※勤行の時の、三大秘法の大御本尊が何を指すのか、具体的な本尊なのか、
 それとも久遠元初の法なのか?信者の理解や思いもまちまちで、現場でも
 みなさん意見が違っていました。

王者の剣さんと同様に、今回の教義条項の改正で、あらためて日々拝している御本尊とはなにか?という「動執生疑」をおこされたという点が大事だとおもいます。

『道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず』(三三蔵祈雨事)ですね。
牧口初代会長の頃から創価学会は「実験」(実体験)つまり、我が身の生活の上で教えを
実践し証明することが大事だとされています。
王者の剣さんのおっしゃるように、20年以上ものあいだ、創価学会は大石の板曼荼羅を
拝することなく、大躍進を遂げました。今年に入ってからいくつの宝城がリニューアルされたり新しく建設されたでしょう。その宝城の数たるや1000を超えると聖教新聞に報じられて
いましたね。
日顕宗側がいまさらどんなケチをつけようが、創価学会にこそ「信力」があり「行力」がある
ことを会員の皆さんが実験証明したのだとおもいます。

ありがとうございました。
あべひdot 2014.11.21 15:39 | 編集
ランさんへ

自分が幸せになりたいという心は誰にでもあります。でも学会の信心で幸せになるということは
人の不幸の上や組織・同志の利用の上に幸せを築くことではないはずです。
真面目に信心すれば、そんなことしないでも必ず幸せになります。
仏の力で幸せになるのに、仏様はそんな卑怯な真似は絶対にされません。

組織利用するなどという人はいくら信心しても、仏の生命で生きているのではなくて、
六道の境涯のままで生きている人と言えるのではないでしょうか?
王者の剣dot 2014.11.21 15:57 | 編集
あべひさん

ありがとうございます。1000の宝城ですか?すごいことです。
SGIと創価学会の頭上に、いまや法雨は甘露の水となって惜しみなく降り注ぐ時代となりました。
すべて池田先生の切り開かれた道です。私たちも安閑とするのではなく、報恩感謝の心で仏の軍勢の戦いをしないといけないですね。
宗門はあとは「負け犬の遠吠え」となるほかありません。土俵際で力を抜くことなく、しっかりと相手を押し出すまで、油断なく戦って行きたいと思います。

王者の剣dot 2014.11.21 16:15 | 編集
今、大学生になって一人暮らしを始めて、日蓮正宗の人が訪ねてきました。その中でこのご本尊の話しがでて、親も詳しく教えてくれていなかったので不安になりました。ですが、この記事を読んで安心できました。ありがとうござあました。
ゴンdot 2015.05.27 23:17 | 編集
ゴンさんへ

コメントありがとうございました。

お役にたてて良かったです。

 創価学会からご供養をとれるだけとり、真心の寄進をことごとく破壊し、贅沢三昧、学会員を下に見て、僧侶が上、偉いのだといばり、あげくその御本尊を盾にとって、学会を謗法だと切り捨てるものです。そんな非人間的な、恩知らずの畜生のような宗門に、日蓮大聖人様の功徳が通うはずがありません。向こうが大謗法なのです。大聖人様の御遺命である広宣流布を、実際に世界に果たしてきたのは、池田先生と創価学会員です。そこに仏様の血脈が流れています。この信心は民衆仏法です。民衆を幸福にしてこそ、僧侶と言うものです。それを自分たちの欲に負けて、民衆を利用してきたのが宗門の実体なのです。

 大聖人様の御真筆の御本尊様は、邪宗である身延の日蓮宗にも多数あります。しかし、そこが謗法の地であるゆえに学会はそれを受持しない・・・宗門の御本尊様も同じです。宗門の御本尊そのものを否定しているわけではありません。御本尊と題目は正しくても、拝む場所が謗法であるゆえに受持しないのです。戒壇が謗法ですので、三大秘法が成立しないからです。

 特定の御本尊だけに功徳があるというのではなく、仏法と言う大法を信受することが大事ですので、どの御本尊様であれ、正しい心、正しい修行で拝していけば、功徳は同じです。広宣流布の団体である、創価学会に心を合わせて信心するゆえに正しく、学会に流れる血脈によって功徳をいただけるのです。

 どうか、両親の信心の跡を継がれて、学会青年として、妙法に生きていってください。本当に信心は素晴らしいです。まだお若いので、すごい未来が待っているはずです。

王者の剣dot 2015.05.28 10:27 | 編集
平成元年生まれで、小学校3年生の時に家の御本尊が学会版に変わったのを鮮明に記憶しています。
高校生の時から活動するようになり、大学時代から一人暮らしで、大学時代は家で拠点をすることもありました。
任用試験や教学試験で言っていた出世の本壊をずっと信じていましたし、
身近な学会員さんはいい人ばかりで馴染みやすく、同志に恵まれていたかのだと思います。
会則変更で、真剣に悩みましたが、思いきって脱会して、昨年日蓮正宗に入信しました。永遠の師匠とまで仰ぐ、池田名誉会長は今どうしているのでしょうね?。
安否が解らず、本部としても正式な公表をしていません。
一方、日顕上人はお元気で今年で94才になられるそうです。
正本堂は、耐震に問題があったから解体されたのです。
今は、奉安堂に戒壇の大御本尊様が御安置されています。
昨年4月に初登山で、午前中はお山の周辺を散策し富士山が綺麗に見え、桜が満開で綺麗に整備されていて、売店も賑わっていました。午後から御開扉で戒壇の大御本尊様にお目通りしました。唱題しているとき、不思議と子供の頃生き別れになった人と再会したような気持ちになり、涙が止まりませんでした。、学会の時に、私はご指導を素直に聞き入れ、少々履き違えていました。
創価学会で師匠と言うけれども、日蓮仏法を根本とするならば日蓮大聖人が師匠であり、更には頑張っている姿を見ているのは池田先生ではなく、御本尊様なのです。
公明党は、安保法案に賛成しましたね。
私のもとには、一時期かつて法戦で応援してくれた友人からの連絡が耐えませんでした。
創価学会が受持の対象にしないのであれば、私は受持の対象とする、公明党が安保法案賛成なら、私は反対する。
これを明確にしたいと思います。
dot 2016.03.30 07:51 | 編集
名無し様

創価学会を捨てて、法華講に行かれた方のコメントは
私には悲しく思えますね。

あなたは宗門を信じられたわけですので、あちら側の論理に信をおかれるでしょうし、
私は学会に信をおいていますので、池田先生を信じております。

戸田先生が亡くなられた後も、池田先生が戸田先生との師弟に生き抜かれたように・・・
私もどこまでも池田先生とともに生きていきたいと思います。
それが私の信念ですし、それに何の迷いもありません。

池田先生は創価学会を盤石に構築してくださいました。
そして日蓮仏法を世界に広げられました。
世界にこれだけの組織と会員がいればもう大丈夫です。
仮に難があっても、創価学会がさらに盤石になっていく・・・
それが仏法の方程式です。

その間、宗門はご供養をむさぼり、堕落しました。
それをあなたがどう見るかはあなたの自由です。  

私は学会の信心によって、現証の上でこんなにも歓喜あふれる生命になりました。
その事実をもって、池田先生との師弟の道に絶対の確信を持っております。

名無し様の迷いの霧がいつか晴れますように・・・
その事をお祈り申し上げます。
王者の剣dot 2016.03.30 14:41 | 編集
みんな、池田先生、池田先生というけど日蓮大聖人のことには思いがあんまりないね。私は学会員ですが、池田先生は師匠とは思ってません。師匠は弟子がきめるもの、この中にほんとに池田先生に会った人、会話した人いるの?書籍やまわりが言ってるからそういう雰囲気に染まってる人が多すぎる気がします。みんな、師匠と共にとか、師匠を守るとか言ってる自分に陶酔しているのが本質でしょ。私はそう思ってます。
ますもdot 2016.10.01 02:45 | 編集
ますも様へ

>みんな、池田先生、池田先生というけど日蓮大聖人のことには思いがあんまりないね

組織の中にいるとそういう風に感じること、見えることはあると思います。しかし、実際、悩みを抱えて信心に励む以上、
信仰の対象は御本尊様であり、日蓮大聖人様です。そこを外して池田先生を拝む人は誰もいません。

第一、池田先生ほど、この仏法を世界に広め日蓮仏法を宣揚された人はおられませんよね。
また池田先生というたぐいまれな指導者がいなければ、正しく仏法を理解し、確信を持つことも簡単なことではありません。
膨大な量の御書講義にしろ、仏法を基調とした、対談、随筆にしろ、すべてが日蓮仏法の宣揚ではありませんか?

常に先生は御本尊様と御書が中心です。指導一つ読めばわかるはずです。池田先生に随順することは御本尊様と御書を根本にすることと同義となっていくのです。そこがわかればますも様も、池田先生を師匠と仰げると思います。


>師匠は弟子がきめるもの、この中にほんとに池田先生に会った人、会話した人いるの?

私も入会して長く、池田先生が師匠であるということはどういうことか悩みました。我見の信仰に行き詰まり、その結果、最後は自分で池田先生を師匠と決めました。そこから境涯がひらけ、蘇生もしていったのです。ますも様は日蓮大聖人様にお会いになられましたか?対話されましたか?会わないけれど信じておられるのですね?外部の方から「君は会ったこともない日蓮をどうして信じられるんだ?」と聞かれればどうお答えになるのでしょうか?

池田先生は映像であっても声も姿も拝見、拝聴できます。沢山の著作から人を知ることもできます。その振舞、人柄、著作から信用するかしないかそれで十分ではありませんか?ますも様の方こそ、雰囲気や感情で池田先生を嫌悪されているところはありませんか?それともしっかり著作を読まれて、師匠と仰ぐに値しないと判断されているのでしょうか?

私の古い友人もかつてますも様と同じようなことを言っていました。その友人は池田先生への怨嫉があまりにも強く、結局、学会を去っていきました。身は学会員であって、心は池田先生を否定する信仰はとても心苦しいものだと思います。身口意が一致してこそ、信心は楽しいですし、伸びていきます。日蓮仏法をもっとも正しく世界に広宣流布されている・・・その池田先生を否定するというのでは結局、日蓮大聖人様にも背くことに通じる・・・これが道理ではないでしょうか?

池田先生のすごさ、素晴らしさは学べば学ぶほどわかっていきます。その先生と心をあわせて広宣流布に生きる・・・そこに日蓮大聖人様の仏法を会得できる血脈があると私は信じています。体験の上からも、そう申し上げたいと思います。ますも様もどうか一念を改められ「師弟の世界」に生きていかれますよう心から願うものです。




王者の剣dot 2016.10.01 11:25 | 編集
こんばんは!私は去年から頻繁に会合に出るようになったので、改訂のことや大御本尊のこともよく知りませんでした。

昔は登山して拝みにいったと知り、とても驚いています。

特別な御本尊があると聞いて、すごく違和感がありました。
すべての人が幸せになる仏法。すべての人に仏性が備わっている。

それなのに、大御本尊だけが唯一特別なものになってしまうと、山にも登れない人はどうなるのか?身体に障害があったりする場合は?海外にいて、日本にこれない場合は?
女人も、悪人も、みんな成仏できるとまで言った、平等主義の日蓮仏法だったのに、そんなことでいいのかな?

それが、王者の剣さんの記事を読ませていただいて、すっきりしました。創価学会はどこまでも人間主義的な宗教ですね!

ありがとうございます。信心根本の生活に励んで行きます。
はすこdot 2016.10.28 15:15 | 編集
はすこ様

信心のことであれこれ悩んだり考えたりすることは大事なことですね。
それによって何が正しいかを知り、自分を見つめ、道を求めていくことにもなると思います。

宗門問題は私の入信が昭和57年ですので、それよりもっと前(昭和51年ごろ)から起こった問題です。更に言えば、戦中からもあった問題です。

学会の書籍ですと
「人間革命」(主に1巻「千里の道」や6巻)「新・人間革命」(28巻~)「随筆・新人間革命」等にそうした歴史が描かれています。宗門の腐敗した実態については離脱僧(憂宗護法同盟)の書かれた「偽法主阿部日顕」(おおとり書院)などもあります。

宗門問題は根が深く、陰険でどす黒い魔性が学会に対し、牙をむいた事件です。
「僧俗和合」とは真逆のやきもちと増上慢が、仏の軍団である創価学会と池田先生を
封じ、支配し、分断し、壊滅させようとしました。
すべては現実ですので、魔と人間の醜さを知る意味でも学ぶことは大事です。
また当時をリアルで知る方も学会には多くおられますので、お話を聞かれたらいいと思います。

信心の功徳、血脈は御本尊によって変わるのではなく、こちらの信心の厚薄で決まるものです。学会においてもある御本尊の功徳が特別とかいうことはないはずです。どの御本尊も同じであり、功徳の違いはどこまでもこちらの信心です。「自分の仏性」を現わすことが目的ですので、御本尊様のないところで唱える題目でも「信」があれば、仏界は湧現します。御本尊とは本来、一切衆生の生命にあるものなのですから。

またお山の御本尊も「異体同心」で広宣流布をする創価学会を誹謗する、そうした謗法の地にあるから受持しないということであり、大聖人様の御真筆であっても、日蓮宗身延にあれば参拝しないのと同じ道理です。

ともあれ民衆が主役です。大聖人様の願いは一切衆生の幸福であり、僧侶が上、信徒が下などということはありません。それ自体、信徒を蔑視し、利用する詭弁です。僧侶は自分たちが特別であり、聖僧をよそおって、信徒からご供養を収奪し、封建的な世界で腐敗していった・・・それが真実です。

いろんな方の意見も大事ですが、自分の基礎がしっかりしていなければ、かえって自分を見失うことがあります。ネットも善悪が入り乱れていますので、うっかりすると悪知識に染められかねません。はすこさんは今はまだお若いですし、できれば10年ぐらいを目標に、自分の信仰の足場を学会でしっかり固めゆかれればいいと思います。土台がしっかりできれば風にも嵐にも倒れないですね。

御本尊様があり、御書と池田先生の指導があるのですから、それを求めていかれますように。また地域の同志や幹部と仲良く信仰に励まれますように。「学会こそが生命の安全地帯」・・・それが池田先生の指導です。


王者の剣dot 2016.10.28 17:33 | 編集
丁寧に返信をしてくださりありがとうございます。とても嬉しいです!

一人一人の信心の厚薄によって決まると聞いて、とてもすっきりしました。もともと三代秘宝は大御本尊ただ一つだったと聞いて、それを見られない場合は救われないのだろうかと不安になってしまいました。多くの人を救うはずなのに、そんな制約があるとは思わなかったんです。信じる心さえあれば、大丈夫だとわかり安心しました。

そうですね、自分の地域の先輩方に聞いてます!宗門の話が座談会や会合でされるとき、激しい罵倒の言葉にどきっとしてしまい、あまり、聞いてはいけないことなのかなあ?と躊躇していました。詳しく知りたいので、勇気を出して聞いてみます。人間革命も読んでみます!
はすこdot 2016.10.28 22:11 | 編集
はすこさんへ
大石寺を知らない世代なのですね。
任用試験に宗門との関係があります。
宗門とは決別して過去のことなのに
任用試験に出題する必要はないのにと思っていましたが
はすこさんのコメントを読んで納得しました。
私が初めて大石寺を訪れたのは中等部の夏期講習会でした。
壊滅状態だった大石寺を復興させたのは創価学会であることを知っていましたが
実際に大石寺を訪れ創価学会の力に驚きました。
大石寺を訪れて驚いたことは創価学会寄進による大石寺の行き届いた整備と
お坊さんが多いことでした。
こんなに大勢のお坊さんがいるのに折伏しているお坊さんは見たことも聞いたことも
ないのが不思議に思いました。
冠婚葬祭にしかお坊さんを見たことがありませんでした。
宗門と決別して20年ぐらいになりました。
宗門と決別して何も困ることはありません。葬儀などもお坊さんは必要なく
心のこもった葬儀ができます。
宗門と決別してお寺からの勧誘のハガキが来るぐらいで
折伏しているお坊さんを見たことありません。
お坊さんは折伏ができない事が分かりました。宗門が興隆できたのは創価学会のおかげであり決別して
からは宗門が発展している事はありません。
逆に創価学会は宗門に寄進する必要がなくなり全国各地に会館が整備され192カ国に仏法を広めました。
今、沖縄は7000人のウチナンチユが世界から里帰りしています。
世界に移民し、道なき道を切り開いてきたウチナンチユに誇りあります。
世界広布の道を開いたお坊さんはいるのでしょうか?
うるとらまんdot 2016.10.29 09:45 | 編集
うるとらまんさんへ

ご無沙汰しております。5年後の世界のウチナンチュ大会には共に参加しましょう。昨日、娘の紹介で入会された方の御本尊流布を行って来ました。とても嬉しかったです。特に地区のみなさんが喜び、祝福してくれた姿に感動しました。
先生の指導に「幸せになろうね!」と励まし合い、「不幸な人を救っていこう!」と団結して、できあがったのが創価学会です。民衆が民衆のために民衆自身の力でつくりあげた最高の民主主義の結晶です。人間尊厳の大仏法を広宣流布している唯一の団体は創価学会です。人類の希望の太陽なのです。ゆえに戸田先生は「私の命より大切だ!」とおっしゃった。私も同じ気持ちだ」
とありました。ポラリスの私もそう確信しています。ですから、うんと苦労して、諦めずに理想的な地区を構築して行きます。病と闘っている娘の折伏を通して、同志の有り難さが分かりました。
ポラリスdot 2016.10.31 22:40 | 編集
ポラリスさんへ

素晴らしいコメントをありがとうございます。

>特に地区のみなさんが喜び、祝福してくれた姿に感動しました。
>諦めずに理想的な地区を構築して行きます。病と闘っている娘の折伏を通して、同志の有り難さが分かりました。

良かったですね。
組織と言ってもいろんな人、いろんな側面がありますね。言葉に出して激励したくても、
またここはおかしいと思っても勇気が出なくて声に出せない人もおられます。
幹部さんだって上と下の間で大変です。(笑)
そんないろんな人の思いまでくみ取っていけるようになりたいですね。

人の幸せを一緒に喜べる・・・まずはそこまで行くだけでも大変な人間革命です。
世の中は逆ですよね。人の不幸を喜んでいるところがあります。

組織は凡夫の集まりですので、苦労はありますがそれがまた自分を成長させてくれるのだと思います。

それにしても娘さんは素晴らしいですね。
さすが、ポラリスさんのお嬢さんです。
病に負けないで強く生きておられることに、力と勇気をいただいています。



王者の剣dot 2016.11.01 11:05 | 編集
ポラリスさん、最高です。素晴らしいです。おめでとうございます。
うるとらまんdot 2016.11.01 16:37 | 編集
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