いま、台湾から関西空港に向かう飛行機の中でこの記事を書いている。関空からはホノルルに向かう。台湾では、屋台料理の蛤にあたって数日間死んでいた。何もせずに眠り続けていると「何もせずに眠り続けている自分はクズなんじゃないだろうか」などと考えてしまう。が、そんな時こそ、三年寝太郎の昔話を思い出すようにしている。
常々書いていることだけれど、社会不適合者という言葉について考える。自殺者が3万人いて、鬱病患者が100万人いるらしい社会に適応したら、おかしくならない方がおかしいのではないだろうか。必要なのは適応よりも開墾で、自分みたいな人間でも生きやすい土壌を作ることが、結果的に「自分みたいな誰か」にとっても生きやすい世の中になるのではなかろうかと、頭痛をこらえ、腹痛をこらえ、考えた。多分、鬱病は異常ではないと思う。人間として『当たり前の反応』だと思う。
三年寝太郎は鬱病だった説。
三年寝太郎の昔話がある。三年間眠り続けた男が、ある日、ふと眠りから覚めたと思った途端に活動的になり、灌漑によって村を救って英雄になる。そんな感じの物語だ。が、私は、もしかしたら「三年寝太郎は鬱病だったのではなかろうか」と思った。まだ、鬱病という言葉が与えられていなかった時代に、鬱病患者のU字回復を描いた物語なのではなかろうかと思った。そう思うことで、過去、精神的な疾患によって半年間程度寝込み続けていた自分自身を励ましていた。
三年寝続けてもどうにかなった男がいる。たとえ作り話だとしても、そう思わせてくれる男の存在は大きかった。鬱病経験者ならわかると思うが、家族や友人から「いまはゆっくり休むといいよ」などと慰めの言葉をかけられても、頭意識は24時間がっつり働くものだから「休むなんて簡単に言うなし!休むことの難しさ半端ねえからな!むはー!」みたいなことになる。我々が日本人だからなのかなんなのか、頑張ることは得意でも、休むことは極端に苦手だ。常に、何もしていない自分に対する『罪悪感』がつきまとう。この罪悪感が厄介だ。何もしていない自分は無価値な人間で生きるに値しない、などと考えはじめてしまうのだ。
私は経験者だからよくわかる。休みなさいって言われても超絶難しいよね。自分だけ置いていかれているような気がするよね。生まれてきたことが間違いだったとか、みんなが自分のことを忘れてくれたらいいのになあとか願っちゃうよね。みんなが強く見えて、自分ひとりだけが弱く見えちゃうよね。わかる、わかる、めっちゃわかる。が、私はあえてここで言いたい。「そんなことはないぜ」と。そして「三年寝太郎を見よ!」と言いたい。ついでながら「坂爪圭吾(ビリーズブートキャンプで鬱病を克服した男)を見よ!!!」とも言わせていただきたい。
自伝風物語もよろしくお願いします。
自分を許したように、他人を許せるようになる。
鬱病当時、私は、心のどこかで「自分は鬱病にふさわしい人間だ」と感じていた。自分はふさわしい報いを受けているのだという感覚、この、マゾヒスティックな懲罰的思考の矢印は、完全に自分に対して向けられていた。自分には生きている価値がないと薄々昔から感じていた自己否定感や無価値感を、鬱病を利用することで「やっぱりね」なんて感じで強化していた(ように思う)。が、なぜ、そんな自分が鬱病を克服できたのか。要因は108個くらいあると思う。が、要因トップスリーをあげるならば「三年寝太郎の存在」「ビリーズブートキャンプの存在」「母親の存在」ということになる。
三年眠り続けても大丈夫だった男がいたという希望。ビリーズブートキャンプをやることで「あれ、なんだか、気持ちいいぞ…!」と錯覚させることで頭の問題を身体で突き抜けた感覚。そして、実家の母親の存在。母親は、精神的に死んでいる私に向けて「あんたは大丈夫」だと常に言っていた。私は、自分でも自分を信じることはできなくなっていた。俺は無理だよ、とか、俺はクソだよ、とか、自分の尊厳を自分で守ることを投げ捨てていた。が、母親は違った。母親だけは、自分を信じてくれていた。この『自分以上に自分を信じてくれる者の存在』によって、私の命は繋がれたのだと思う。
もしもいま鬱的症状に悩むひとがいたら問いたい。心のどこかで「自分は鬱病にふさわしい人間だ」などと思っていないだろうか。私は思う。自分を許したようにしか、他人を許すことはできない。が、自分で自分を許せない時は、誰にでもあると思う。だからこそ、誠に勝手ながら、私にとっての母親的な誰かが、あなたのそばに居てくれることを願う。そして、もし、そんな人間が周りにいないのならば、私が母親役を買って出たいと思う。そして言いたい。「あんたは大丈夫」だと。大丈夫だから、いまはとにかく、眠り続けていたらいいのだと思う。この経験が、いつか必ずこれからの人生で生きる時が来る。そのことをいまはまだ信じられないとしても、あなた以上に、そのことを(誠に勝手ながら)信じている男がいることを、時折思い出してもらえたら嬉しいと思う。
○○○○といいます。
ツイキャス、今日もありがとうございました!
さっきの話を聞いてて思ったのは(これは坂爪さんたちを不真面目だと言いたいわけではないのですが)自分はまだまだ真面目すぎるな、と感じました。
今、大好きでお世話になった人にいつもありがとうの気持ちをこめて「おもてなしピクニック」をしよう!って言って友だちと準備してるのですが、最初思いついたときはめっちゃわくわくして楽しかったのに、これがいるとか、何を作るかとか、ちゃんとおしゃれに素敵な感じてやろうとすればするほど、思いついたときのテンションと変わっていく自分がいて、“ちゃんとしよう”としすぎてるからなんだなーとぼんやり思いました。
おもてなしだし、雰囲気も楽しみたいからそれはそれでいいんですが、もういっそ「不真面目ピクニック」みたいな感じで、それぞれ持ってきたいもののみ持ってくる!そしたらカセットコンロばかり集まっちゃって、それを焚き火代わりに囲んだ、ぐらいな不真面目(不真面目というのか、面白さの)感でも楽しいかもだしある意味思い出に残るかもな〜と思いました。笑
なんかまとまらない文章を送るのは申し訳ない感ありますが、1日1Fで送りまーす!
ありがとうございました(*^^*)
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu