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【文芸時評】

北条裕子「美しい顔」 乗代雄介「生き方の問題」 佐々木敦

北条裕子さん

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 群像新人賞受賞作の北条裕子「美しい顔」(『群像』6月号)は、大変な力作だ。「選考委員激賞」とあるのを横目で見つつ、どれどれお手並み拝見といった気分で読み始めて、すぐさま瞠目(どうもく)した。そのまま熱に浮かされるようにして一気に読み終えてしまった。これはちょっと相当に凄(すご)い小説である。力作と書いたが、まさに言葉に宿る「力」が尋常ではない。

 この小説で描かれるのは、二〇一一年三月十一日の出来事、あの日から始まった出来事である。語り手の「私」は十七歳の女子高生で、重篤な被害を負った地域に住んでいた。巨大な津波によって自宅は流されてしまったが、十歳年下の幼い弟とともに九死に一生を得て、現在は避難所にいる。父親は五年前に亡くなっている。看護師の母親とは連絡が取れない。当初は水や食糧も枯渇する状況だったが、東京のテレビ局が取材に来たことをきっかけに、避難所にはさまざまな支援が寄せられるようになる。そんな中で「私」は被災地に住むけなげな少女を、内心は底知れぬ忿怒(ふんぬ)を抱えながらも上手に演じて、そのことによって余計に胸の奥にどす黒いものを貯(た)め込んでゆく。この小説はそんな「私」の独白である。

 とにかく「私」の、まるで吐き散らすような脳内の饒舌(じょうぜつ)、言葉の奔流が凄(すさ)まじい。彼女はとにかく怒っている。ありとあらゆること、ありとあらゆるものに、心中で牙を剥(む)く。だが表面的には彼女は「可哀相(かわいそう)な少女」を見事に装っている。そして自分の演技に騙(だま)されて本心に気づかない周囲や世間に対して、凍り付くように冷笑的な侮蔑を隠し持っている。しかし彼女が怒りを感じているのは、ほんとうは自分自身になのだ。そのことにやがて彼女は、ひとりの年上の女性によって直面せざるを得なくなる。この小説は「私」が如何(いか)にして暗い穴の底から出てくるかを描いている。

 荒削りな作品ではある。モノローグの勢いが強過ぎて、その速度に書き手が酔っているように思えるところもなくはない。だが、細かな弱点を全て勘案したとしても、これは本物の小説である。むしろ生半可な小細工や技術には目もくれず、ただひたすら真正面からあの出来事に向き合っているさまに感動を覚える。作者は一歩も後ずさりをしようとはせず、逃げていない。こういうことはめったに出来ることではない。

 しかも、作者は実は被災者ではないのだ。北条裕子は東京都在住であり、あの日も、あの日からも東京に居て、これまで被災地に行ったことさえないのだという。しかし、それでも彼女はこの小説を書いたのだし、書けたのだ。書く必要があったのだ。このことはよくよく考えてみるにたることだと思う。これは才能の問題ではない。なぜ書くのか、何を書くのか、というのっぴきならない問題なのだ。小説を書くことの必然性の問題なのだ。

 同じ雑誌に、やはり群像新人賞出身の乗代(のりしろ)雄介「生き方の問題」が載っている。デビュー作『十七八より』以来、私としては、文学や哲学思想にかんする豊饒な衒学(げんがく)趣味に彩られた、凝りに凝った語りの戦略に感心させられつつも、いつもどこか策士策に溺れる的な弱さや甘えを感じなくもなかった。だが、今回は素晴らしい。

 全編は、二十四歳の「僕」が「貴方(あなた)」こと二歳年上の従姉(いとこ)に書き送る一通の長い手紙という体を取っている。ほんの幼い頃から「僕」は「貴方」を思慕してきた。十代になるとそれは欲情の形を取ることになった。しかし大人になってからは顔を合わせることもなくなり、やがて二人の子供を抱えて離婚したという話だけが伝わってきた。手紙が送られる一年前、突然に「貴方」から連絡があり、二人は久しぶりに再会した。手紙は、その日の一部始終を極めて詳細に綴(つづ)ってゆく。

 これまでの乗代作品と同様に、高速回転しながら迷走する自意識がそのまま転写されたかのような文体で、「僕」は「貴方」への想(おも)いを饒舌に語り続ける。つまりこれは恋文である。恋文は多くの場合、具体的な目的を持っている。「僕」の手紙も例外ではない。このことが、この小説の重要な要素になっている。と同時に、ひとは常に我が身に起こっている出来事を、その後になってからしか語ることが出来ないという、当たり前のようだが厄介で切実な問題にも、この小説は果敢に挑んでいる。そして、この手紙=小説は、最後の一文を目にした瞬間に頬が緩み涙腺も緩むような鮮やかな幕切れを持っている。「世にも珍しいエピグラフ付きの手紙」と称される冒頭のキルケゴールの引用も、最後まで読み終えてから戻ってみると、深い含蓄がある。率直に言って、今回はすべてが上手(うま)くいっていると思う。しかもこれは明らかに、この作家にしか書けない作品である。

 (ささき・あつし=批評家)

 

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