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【芸能・社会】

春風亭昇太、歌丸さんは「すごい落語家でした」 笑点メンバー悲しみの声

2018年7月3日 紙面から

「笑点、歌丸ラスト大喜利スペシャル」の生放送を終え、握手を交わす桂歌丸(左)と新司会者に決まった春風亭昇太=2016年5月22日、東京都千代田区二番町の日本テレビで(石井裕之撮影)

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 2日に亡くなった落語家、桂歌丸さんを慕う落語家や関わりのあった芸能人らが、悲しみのコメントを寄せた。

 日本テレビ系「笑点」の司会を歌丸さんから引き継いだ春風亭昇太(58)は、東京都内で同局の取材を受け「具合が良くないと聞いていましたが、その日がきてしまったな、という気持ちです」などど話した。

 昇太によると、歌丸さんと最後に会ったのは2カ月ほど前。同局系「もう笑点」の収録現場だったという。「調子がいいようで、ニコニコされていましたが…」。

 2016年、「笑点」の司会を務めることになった昇太に、歌丸さんは「あまりいろいろ気にせずに好きにやってくださいよ」とやさしい言葉で励ましたという。

 昇太にとって歌丸さんはあこがれの落語家のひとり。「最後まで一生懸命に落語をされて、僕も刺激を受けました。すごい方でした。残念ですが、立派な人生だったと思う」などとしのんだ。

◆思い出が多すぎて…

<三遊亭円楽(68)の話> とうとうしゃれにならなくなりました。4月、5月、6月20日にもお見舞いに行って話ができました。4月は目が合うだけ。前回は笑っていろいろと下世話な話、しゃべる筋肉のリハビリの姿も再現してくれました。回復してると安心したばかりでしたので言葉になりません。歌丸師匠と過ごした楽屋、旅先、ご自宅、たくさん思い出が多すぎて、どこをしゃべっても一片です。だから私の心にしまい込みます。だから思い出話はしません。人の心の中の思い出寿命、皆さまもそれぞれの思い出の中に歌丸師匠を生かしておいてください。本当の父親、育ての親の先代。守ってくれた最後の父親との別れです。楽さんと呼んで、そばに置いて下さってありがとうございました。頼る人がいなくなりました。合掌。

◆出会えたことが宝物

<林家たい平(53)の話> 突然の訃報に接し、まだ言葉が見つかりません。病室で毎日発声練習をなさっていると聞いていましたので、近々お顔を見にうかがおうと思っていた矢先でした。笑点に入って、まだどうしたらいいのか、わからない時に、優しいお言葉をかけていただき、どんなに助けていただいたかわかりません。歌丸師匠に出会えましたことは私の落語家人生にとって宝物となりました。もっともっと落語のお話もしたかったです。残念でなりません。歌丸師匠、今まで落語界のため、笑点のため、本当に本当にありがとうございました。最後の最後まで落語に向き合った師匠は格好よかったです。ご冥福をお祈りいたします。

◆笑顔になるひと言

<林家三平(47)の話> 歌丸師匠、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。メンバーに入ったばかりの私に、いつも温かい言葉をかけて下さった事、一生忘れません。そして、私の家族まで気にかけて下さいました。「お母さんは苦労したから大切にね」「みどりのお姉ちゃん、なんとかしなさいな、峰さんがありゃかわいそうだよ」と思わず笑顔になるひと言が収録現場で緊張する私の肩の力を抜いて下さいました。「慌てず、急がず、自分のペースで」「ローマと一緒、大喜利も1日にしてならず」、優しく鋭い指南もして下さいました。師匠、本当に本当にありがとうござました。自分ももっともっと精進いたします。ご冥福をお祈りいたします。

◆素晴らしい生き方

<三遊亭好楽(71)の話> 昭和41年に「笑点」がはじまり、落語ブームの頂点にたった歌丸師匠が、番組に頼らず自分をおごらずに円楽、談志、志ん朝、円鏡(円蔵)4人の活躍も一切気にもとめず、わが道を行く姿は古武士のごとく、素晴らしい生き方をした方だと思います。新作から突然古典落語の独演会を何十年も勤めて、そして円朝ものの噺(はなし)に挑戦し、一時代を築き上げた。あのやせた身体から、どうしてこのようなエネルギーがうまれるのか、ただただ驚き、そして尊敬のひと言です。われわれに温かく接して教えて下さったわれらの誇り、歌丸師匠に感謝、感謝、感謝です。ありがとうございました。合掌。

<「笑点」で座布団運びで共演した山田隆夫(61)の話> 先日、歌丸師匠の容体が良くないと連絡があり、急いで病院へ駆けつけました。「歌丸師匠。山田隆夫です!」と言ったところ、つむっていた目を急に明けてボクの顔をしっかり見て「山田くん、ありがとう!」とおっしゃっていただきました。歌丸師匠! こちらこそ子供のころから面倒を見ていただき本当に本当にありがとうございました!

<林家こん平(75)の話> 週末にちょうだいしたお中元のお礼の電話を、娘がしようと思っていたところでした。突然の訃報で驚いています。私の闘病中には見舞っていただき、会う度に「こんちゃん、がんばって!」と目頭を押さえながら励ましていただいたのに残念です。「笑点」という番組でご一緒させていただき、たくさんの思い出がありますが言葉にできません。本当に長い間ありがとうございました。

◆情熱と姿勢に感服

<歌舞伎俳優の尾上松也(33)の話> 昨年ドラマ「桂歌丸」(BS日テレ)で歌丸師匠を演じさせていただき、芸に対する情熱と姿勢に感服しました。どんな困難があっても落語に対する愛と情熱を忘れず、貫いてこられた歌丸師匠には芸道を志す者としてたくさんのことを学びました。まだまだ師匠の落語を見たかったと思うと残念でなりません。教えてくださった志を大切に、私も精進したいと思います。

◆常に精進…感銘受けた

<毎年「笑点」に出演していたTOKIOのリーダー城島茂(47)の話> 悲しく、本当に残念に思います。歌丸師匠の司会卒業の時に大喜利で参加させていただき、その際に師匠が『これで落語の勉強をゆっくりできる』とおっしゃっていたことが大変印象に残っております。常に芸事に精進されているお気持ちに感銘を受けました。温かく大きな心で受け止めて下さったことを忘れずに、これからも芸に励んでまいります。

◆夢太朗弔問も…

 横浜市内にある歌丸さんの自宅前にはこの日午後8時の時点で、約30人の報道陣が集まった。

 自宅は大通りから少し入った静かな住宅街にあり、訪れる人もまばら。室内には電灯がともっていたが、家族らが報道陣に応対することはなかった。

 歌丸さんと約50年の付き合いがあるという落語芸術協会の後輩・三笑亭夢太朗(69)が弔問に訪れたが、インターホンを押しても応答はなかった。夢太朗は「高座に復帰してくれるものと思っていた」と残念そう。歌丸さんの存在は「雲の上ではなく、もっと近い所にいたすばらしい先輩」と人柄をしのんだ。

◆名古屋のファンも笑顔に

 歌丸さんは名古屋の高座にも上がり、軽妙な語り口でファンを湧かせた。

 中日劇場では、2000、04年に、東西落語家による年末の落語会に出演。08年には、桂米團治の襲名披露にゲスト出演し、東西の橋渡しに気を配った。16年9月には、大須演芸場に登場。前月まで入院していた時の看護師とのやりとりで笑わせ、長尺の古典を品良くまとめ上げた。

 ことし3月には閉館直前の中日劇場の「中日特撰落語会」を休演。2月の名古屋の寄席の帰りに新幹線で呼吸が乱れ、長距離の移動を控えた。この時も「落語が大好きで高座に上がりたがっている」と周囲のスタッフは歌丸さんを代弁していた。

◆亡くなる前日の1日も放送

 歌丸さんは日本テレビ系「笑点」に1966年の第1回放送から出演し、2006年からは司会を担当していた。16年5月22日放送を最後に司会を退いた後は、「終身名誉司会」として「笑点」の前のミニ番組「もう笑点」に出演。亡くなる前日の1日も、歌丸さんと大喜利メンバー林家三平(47)のやり取りが放送された。

 この日のテーマは三平の運動不足。歌丸さんは鼻に酸素チューブを付けていたが、軽妙な口調はいつも通り。三平の回答にあきれ顔で「運動不足と違うんですね。噺家としての根本的な問題を抱えていらっしゃるようです、この方は」と厳しいひと言を放っていた。同局によると、この日の放送は4月7日に収録された。

 福田一寛プロデューサーは「桂歌丸師匠には、放送開始から50年以上にわたって番組を支え続けていただきました。回答者としての40年間、司会者としての10年間、その存在はまさに『ミスター笑点』と呼ぶにふさわしい番組の大功労者であり、感謝の念に堪えません。心よりご冥福をお祈りします」とコメントを寄せた。

◆復帰した時期に「つる」師匠の噺家魂を見た

<悼む> 40年来の笑点ファン。ショックを隠せない。数年前、まだ笑点の司会をされていたころ。東京の浅草演芸ホールに落語を聞きにいったところ、トリが歌丸師匠だった。肺の疾患で何度か番組を休演していたが、ちょうど回復して高座に復帰した時期だったと思う。その時の演目が「つる」だった。

 鳥の鶴の名の由来を尋ねる噺(はなし)だが、「つ~」「る~」と息継ぎせずに声を発し続ける。でも、肺に疾患を抱えているわけだから、息苦しいに決まっている。それなのに…。この演目をあえて選んだことに驚いた。しかも、途中で息を切らすことなく、20分間をしゃべり通した。

 終演後、お弟子さんとともにロビーに現れたが、その時にはつえを突いて、既に鼻に酸素チューブをつけられていたと記憶している。ベンチに腰を下ろしたので、「大丈夫ですか」と尋ねると「これしきのことでは」と師匠は鼻でわらった。命を削ることも惜しまない。笑いの中に噺家魂を見た。 (鶴田真也)

 ■「笑点」歴代司会者

 初代 立川談志 66年5月15日~69年11月2日

 二代目 前田武彦 69年11月9日~70年12月12日

 三代目 三波伸介 70年12月20日~82年12月26日

 四代目 三遊亭円楽 83年1月9日~06年5月14日

 五代目 桂歌丸 06年5月21日~16年5月22日

 六代目 春風亭昇太 16年5月29日~

 

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