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歌舞伎の悲劇「笑いたがる観客たち」への強い違和感

なぜ悲劇が爆笑を呼んでしまうのか

喜劇ではないのに…

6月に続けて2作、本来は喜劇ではないのに、観客がゲラゲラ笑ってしまう歌舞伎を見た。

笑える芝居は、たしかに面白い。しかし、涙が止まらない悲劇も「面白い芝居」のはずだ。

「笑える」ことと「面白い」とはイコールではない。

しかし、どうも昨今、「笑い」ばかりを求めてはいまいか。観客も、役者も。

6月は福岡の博多座で、松本白鸚・幸四郎の襲名披露公演があったので、行ってきた。

〔撮影〕筆者

昼の部は幸四郎(去年までの染五郎)が十役を早変わりでつとめる、『伊達の十役』で、父・白鸚をはじめ、仁左衛門、梅玉などの大幹部が脇役で出て、新・幸四郎の門出を盛りあげた。

染五郎時代にも『伊達の十役』を何度か演じているので、堂に入ったものだった。なぜこれを東京の歌舞伎座での襲名披露公演でやらなかったのだろろうと、残念だった。これが新しい幸四郎である、とアピールにするにはもってこいの演目なのに。

歌舞伎座では1月・2月と2ヵ月にわたり襲名披露公演があったが、父・白鸚の元気さと、息子・染五郎の美少年ぶりのほうが目立ち、幸四郎の影が薄かったので、余計にそう思う。

夜の部は、仁左衛門の『俊寛』と口上、そして白鸚の『魚屋宗五郎』、幸四郎の『春興鏡獅子』だった。なかでは『俊寛』での仁左衛門の演技を超えた何かに圧倒されたのだが、まずは、白鸚の『魚屋宗五郎』だ。

 

この物語は――魚屋宗五郎の妹は旗本の殿様に見初められて妾になった。だが、無実の罪で殿様に殺されてしまい、それを知った宗五郎が、酒を飲んで暴れる。宗五郎は酒乱癖があり、自覚しているので酒を断っていたが、今日ぐらいはいいだろうと言われ、一杯だけのつもりで飲み始めると、とうとう角樽の酒全部を飲んでしまい、暴れまわる。

もちろん、本当に酒を飲むわけではなく、飲むふりをして酔ったふりをするのが、宗五郎を演じる役者としての見せ場だ。

ここは、尾上菊五郎が演じても、客席が笑う場面だ。博多座での白鸚の酒乱の場も、観客は楽しそうに笑っていた。私も笑った。もう何度も見ているので、次にどうなるか分かっていても、笑えた。うまいのだ。

菊五郎よりも白鸚のほうが滑稽味があり、喜劇性が高まる。なぜ宗五郎が酒を飲んでいるのかを考えると、観客としても、本当は笑っている場合ではないのだが、それを忘れさせてしまう。

酔った勢いで、宗五郎は殿様の屋敷へ殴り込みにかかるが、取り押さえられる。家老によって許されるが、眠りこけてしまう。ラストは、殿様が謝り、慰謝料を与える。宗五郎は、受け取ろうかどうしようか迷うが、妻が「もらっとけば」と言うのでもらう。ここでも客席には笑いが起きた。

菊五郎の場合、カネを出されてから受け取るまでに、セリフにはなくても葛藤していると感じさせる――妹が殺された。カネをもらったって悲しみも怒りも消えるもんか。だけど、カネを突き返しても妹は生き返るわけではない。暮らしはけっして楽じゃないから、カネがあれば助かる。いや、しかし、もらったら妹の命を売ったみたいじゃないか。だけど、妾に出した時点で売ったも同然なんだから……そんな迷いが感じられる。

しかし今回の白鸚は、妻から「もらっときなよ」と言われると、屈託なく、もらってしまい、客席に同意を求める視線を投げかけるので、笑いが起きる。これは、魁春が演じる妻が、この役者のいつものことだが、まったく情がなく打算的な女にしか見えないせいもある。

殿様も、これで恨まれずにすんでよかったという感じで、めでたしめでたしで終わってしまった。まるで、15年前までNHKでやっていた「コメディ お江戸でござる」みたいな感じだった。

幕が閉じたあと、宗五郎と妻は「二人で何かうまいもんでも食いに行くか」と言っているような感覚だった。