2018年7月2日、落語の大家桂歌丸師匠が亡くなりました。
決して身体が強い方ではなかっのですが、まだまだ落語をやるという気概は充満していたので、東京オリンピックまでは持つだろう。そう思っていた矢先のニュースでした。
歌丸師匠といえば『笑点』。私も嫌なことがあった時は大笑いして、嫌なことをすべて忘れていたという意味では、大恩がある人でもあります。
が、それは仮の姿。本当は落語という日本の唯一無二の芸能の看板を背負った大御所。それだけに近頃のお笑いのやそれを見る視聴者、出演させるテレビ側の「低レベル化」に対し、厳しいことも言っていた方でした。
また、私にとっての歌丸師匠は、遊郭を知る最後の生き証人という一面もありました。彼は横浜真金町の出身で、生涯そこから離れることはありませんでした。
真金町と言えば、横浜最大の遊郭があったところ。歌丸師匠の祖母は「真金町の三大ババア」と言われたほどの女傑で、歌丸師匠は遊郭の女たちに「若様」と呼ばれ、大妓楼のボンボンとして何不自由なく育ちました。
歌丸師匠=笑点のおじいちゃんというイメージしかない方は、歌丸師匠のこんなすさまじい芸を見たことがあるでしょうか。
「化粧術」という小咄で、歌丸師匠若かりし頃の伝家の宝刀です。
彼は古今亭今輔師匠に入門したのですが、落語の方向性の違いからいったん破門され落語界から身を引いています。「化粧術」は破門後、化粧品のセールスマン時代の女性の身支度を元にした・・・表ではそうなっています。
しかし、仕草を見てもらうとわかりますが、明らかに日本髪を結っている姿・・・おそらくですが、「若様」と呼ばれていた頃に、遊郭の妓楼で見た遊女の女性をモデルにしているのではないかと。もし歌丸師匠に会えたら是非この質問をぶつけたかったのですが、それもかなわぬまま逝ってしまいました。
遊郭と関わりがあった人は、自分と遊郭の関係をひた隠しにすることが多い中、歌丸師匠は遊郭育ちであることに誇りすら持っていました。落語のマクラがそのまま自身が見た遊郭の話になることも珍しくなく、人買いの話など生々しすぎて震えがくるほどでした。その分、彼の廓噺(くるわばなし)はとてつもない迫力がありました。
「遊郭も日本の文化の一つじゃないか。何が恥ずかしいんだい」
歌丸師匠は遊郭出身であることを隠す人たちを叱りつけるように、一人胸を張って伝えているようでした。
歌丸師匠は去年、一芸人としてこんな言葉を残しています。
「言葉というのはですね、その国の文化なんですよ」
落語に関しては、私は観客の方に徹し、聞いて笑っている方です。しかし、外国語を勉強している一人として、この言葉は非常に感銘を受けました。
言葉とはその国、民族が数百年、数千年間蓄えてきた文化のエキスです。そのエキスを飲み、相手のものの価値観・考え方を理解するのが、外国語の勉強というもの。キザに言えば語学道です。語学は就職のためのアクセサリーでも、ペラペラになってチヤホヤされる道具ではありません。
ただし、相手の価値観の深いところまで理解できればその語学は一生ものの財産となることは間違いありません。
そしてもう一つは、日本の文化を広めていくこと。
文化は英語で "culture"ですが、元は「耕す」という意味のラテン語です。言葉を使って日本文化を耕していくのも語学の勉強の一つ。だからこそ語学の専門家は日本語のプロでもある。言い換えれば「噺家」として落語とは同業者なのかもしれません。
外国語を勉強している人、またこれから外国語を勉強したいと思っている人は、歌丸師匠の血を吐くような「遺言」を頭に入れて勉強して欲しいなと思います。これを胸に抱いて語学道に歩むだけでも、歌丸師匠の遺志を十分に受け継いでいるのだから。
心よりご冥福をお祈り致しま・・・せん、私は。噺家は身が滅んでも後世の脳内でいくらでも再生されます。身は滅んでも我々の中で永遠に、好きなだけ再生される存在となっただけ。我々の記憶の中では、逝ってはしまっても死んではいない。それでこそ噺家としての本望。そう思いませんか。