34話 開戦
その日、湿地帯をオークの軍が埋め尽くしていた。
上空から俯瞰して見るならば、天然の洞窟の入口へと、オーク達が蟻のように殺到している様子が伺える。
しかし、その数は本隊のごく一部に過ぎない。湖の周辺を迂回し、どんどんと湿地帯方面へと侵攻してくるオークの群れ。
対峙する者も無く、その群れは湿地帯を埋め尽くし、洞窟へと雪崩込んでいるのだ。
しかし、その群れの一角からザワめきが生じる。
何者かが、襲撃を開始したのだ。
これが、湿地帯に於ける、オーク軍とリザードマン戦士団との開戦の狼煙であった。
湿地帯の王者、それがリザードマン。
高い戦闘能力を有し、足場の悪い泥の中であっても、より素早い高速機動を可能とする戦士達。
生い茂る草に隠れ、オークの群れに気取られる事なく、静かに群れの横腹から襲いかかる。
全ては、ガビルの思惑通り。
元首領達を地下の大広間へ閉じ込め、軍を再編し、多岐にわたる連絡通路より地上へと這い出る。
そして、速やかに打撃体勢を形成し、オークの群れへと一撃を加えたのだ。
ガビルは、無能では無い。大局を見る目を持たないが、戦士団を率いるその手腕は賞賛されるべきものがあった。
父親である元首領の良い所も、きちんと受け継いでいたのである。
リザードマンは、強者を好む一族である。
だからこそ、力自慢なだけの男に付き従う事などは無いのだ。
ガビルを慕う者がいる。その事を鑑みても、ガビルが勇猛なだけの無能者では無い証明であった。
しかし・・・。
大広間の護衛に残した部隊は1,000名。
広間には、女子供の非戦闘員しか居ない。いざとなれば、女達も戦うだろうが、その戦力は当てにはならない。
だからこそ、大広間へと至る通路毎に、500名づつ配置して来たのだ。
その他の、各防衛ラインからは徐々に撤退を行い、防衛に合流する手筈となっている。
そうした者を除いた、全戦力がガビルの手駒であった。
その数、ゴブリン兵7,000に加え、リザードマン戦士団8,000名。
これが、現在の戦力である。
迷路の地形を利用する事なく、地上決戦で勝てると踏んだガビル。
その決断により、防衛に最低の戦力を残し、残り全てで撃って出たのだ。
初撃は、今言った通り。
見事な不意打ちにより、オークの群れを分断し、打撃を与える事に成功した。
リザードマンの打撃で散り散りになったオーク兵を、ゴブリンの集団が各個撃破していく。
ガビルの指揮を的確に実行する、出来たばかりの軍兵としては上出来の動きであった。
ゴブリン達も、自らの生死がかかっている。その為、必死で皆の動きに合わせて行動しているのである。
そうした行動が、結果的に最良の連携を産み出し、順調な出だしとなっていた。
見ろ!
ガビルは思う。豚共を必要以上に恐れる事など無いのだ! と。
親父は老いたのだ。だから、必要以上に心配性になっている。
自分が安心させてやるのだ。
ここで、自らの武勇を見せつければ、安心して自分を首領と認めてくれるだろう。その為にも、豚共はさっさと始末しなければならない。
むしろ、自分の首領への交代の機会を与えてくれたのだ! とも考えていた。
歓声が上がった。
また、配下の者達が武勲を上げたようだ。
ほら見ろ!
ガビルは気を良くし、湿地帯の戦況を睥睨した。
けれども・・・。ガビルの思惑通り進んだのは、ここまでである。
多数の死者を出し、本来なら相手の志気が下がる場面。
ガビルは知らない。
首領は知っていた。
その違いが今、結果となってガビルに牙を向く。
グチャグチャグチャグチャ。
死体を踏みしめる、オーク達。
四つん這いになり、這いずるように。いや、違う!
踏みしめているのではなく、喰っているのだ。悍しき光景。
歴戦の勇士である、リザードマンの戦士団にとっても、異様な光景。
禍々しい
一人の戦士がその光景に怯え、後ずさろうとして躓く。その機会を逃さず、オーク兵が群がるように戦士に襲いかかる。
泥の中に引きずり込まれ、四肢を裂かれ、殺されるリザードマンの戦士。
この戦が始まって、最初の、リザードマン側からの戦死者。
だが、これがキッカケとなるのだ。
末端の兵士が喰った能力も、巡り巡って、
それは、『捕食者』のように完全に解析する事など出来ない不完全なものである。
しかし、ある程度の相手の能力を吸収し、自らの支配下にある者へと
それが、ユニークスキル『
群れであり、一個の個体でもある。牙狼族の性質とはまた異なるが群体と化す事も、『
だからこそ、元首領は、戦死者を出す事を極端に恐れたのである。
個として、オークを上回るその優位性を失わない為に。
『捕食者』のように相手の能力を奪える訳では無いが、ちょっとした特徴程度であれば、獲得出来る。
例えば、泥の中でも自在に動けるようになる、などである。
例えば、身体の急所に鱗が生じて防御力が増す、といった些細な変化。
そうした変化。
だが、それは劇的に戦況を覆す要因と為りうる。
「恐れるな! 我等、誇り高き
ガビルの鼓舞に、志気を高めるリザードマンの戦士達。
湿地帯の王者として、有利な場所で戦っているのだという安心感でもって、オーク兵に再度襲撃を行う。
自分達の動きが、オーク兵の動きよりも素早い事は確認済みである。
数で負けていても、防御の手薄な側面へと回り込み襲撃を行えば、先程のように分断し各個撃破出来るのだ。
それなのに!
側面への攻撃を仕掛けようと、移動を開始したリザードマンの動きに合わせるように、オーク兵も陣形を保ち対応する。
先程までより、格段に動きが早くなっている。
おかしい。ガビルが、気付いた時は既に手遅れであった。
今までに無い素早さで、大きく取り囲む形で展開されるオーク軍。
5万の兵数が、素早くガビル達の後方を封鎖していく。
攻め込み過ぎであった。
自分達の機動力を過信し、動きの遅いオーク兵からの離脱は容易だと考え、オークの兵を追撃し過ぎたのだ。
あるいは、ユニークスキル『
しかし、それはあくまで仮定の話。現実は、周囲の封鎖が完了しようとしていた。
それはさながら、軍隊蟻に飲み込まれた、一匹の虫の如く。
必死で抵抗したとしても、いずれは力尽き、死が訪れる。
何故こうなった? ガビルには理解出来ない。
必死に自軍を立て直そうと、声を上げ、周囲を鼓舞する。
しかし、ゴブリン達は既に恐慌状態へと陥り、リザードマン達へも不安が伝染しようとしている。
不味い。そう思い、撤退しようかとも考えるのだが・・・。逃げ場が無い事も、理解出来るのだ。
出撃の際は統制が取れていた為、各集団が秩序正しく洞窟から出てこれた。しかし、潰走し逃げ込もうとする場合、洞窟は手狭すぎた。
もし撤退の命令を出せば、我先にと逃げ出すゴブリンに洞窟の入口は塞がれてしまうだろう。
そうなれば、退路を絶たれた上に統制の取れない状態の自分達は、オークに殺されるのを待つだけとなってしまう。
あるいは、洞窟ではなく森へと逃げたとしても・・・オークの追撃で各個撃破され、敗北するだけである。
撤退は出来ない。
ガビルには、それが良く理解出来ていた。
何故、勇敢だった父が、籠城のような消極的な戦法にこだわったのか。今になって理解出来る。
自分が、いかに馬鹿だったのか。しかし、後悔しても遅い。
今、ガビルに出来る事。それは、味方を鼓舞し、少しでも不安を和らげる事のみである。
「グワハハハ! お前達、不安そうな顔をするな! 我輩がついておるのだ! 豚共に負けるなど、有り得ぬ!!!」
そう、自分でも信じていない事を言って、味方を鼓舞するのだ。
彼等の命運は、尽きようとしていた・・・。
ああ・・・。
首領は後悔していた。
御伽噺としてでも、
いや、話していなかった訳では無いのだ。ただ、具体的に、その恐怖の逸話を話さなかった事が悔やまれた。
もしかしたら、少しはガビルも警戒したかも知れなかったのに。
今更だ。首領は、溜息とともに、その考えを打ち捨てた。
彼にはまだ、すべき事があるのだ。
大広間に集められた、同胞達。皆、不安そうにしている。
大きな通路は4つ。退路は、一つ。
退路側から、オークが来る事は無いだろう。森の中にある小高い丘と、直通の通路なのだ。この通路だけは、迷うことの無い様に、自分達で掘ったものなのである。
なので、警戒すべきなのは、前方の4つの通路。
各岐路で、オークに攻撃を仕掛けていた部隊が、慎重に撤退しつつ集合し始めていた。
4つの通路の防衛は、現在1,500名程度。まだ集合しきれて居ない部隊もいるのである。
オーク兵の数は多い。その物量で、直ぐにでもこの位置も発見されるだろう。
そうなる前に、せめて残りの戦力を集中したい所なのだが・・・。
首領は、チラリッと、脱出用の通路を見る。
同胞の全てが集まっている為、大広間と言えども手狭であった。
もし、この集団が一斉に脱出しようとしても、間に合うとは到底思えない。
今の内に、少しづつでも脱出させておくべきだろう。
どちらにせよ、混乱を招く事になる。それでも、少しでも全滅の可能性は減らしておくべきだった。
だが森へ逃げたとしても、オークに発見されるのも時間の問題ではあろう、とも思う。
それに、逃げおおせても、今後の生活が成り立つとも思えない。
そう考えるからこそ、逃げ出すという命令を出す事が出来ないでいたのだ。
結局の所、時間を稼ぐしかないのだ。
来るかどうかも判らぬ、援軍をひたすら待つ為に。
首領の苦悩は、果てしなく続くかに思えた。
強大な
湿地帯では高い機動力を誇るものの、森の中ではそうはいかない。
息は切れ、動悸は激しく、彼の疲労はどんどんと蓄積されている。
それでも、彼は走るのを止めなかった。
彼の走りに、同胞の未来がかかっているのだから。
かれこれ、3時間。
拘束を振り切ってから、ひたすら走り続けている。気力で持たせているが、いつ倒れてもおかしくない状態だった。
本当の所、彼にも理解出来ていた。
この先に、あのソウエイという魔物がいる保障など無い。
仮にいたとしても、助けてくれる保障も無い。
このまま逃げてしまった方が、良いのではないか?
そんな考えが、脳裏をよぎる。しかし、彼はその考えを良しとはしない。
ガビルの暴走を止められなかったのは、自分である。そう思っている。
ガビルが、首領に認められたがっていた事を知っていたのだ。
だが、それを首領に告げる事は出来なかった。リザードマンの勇士、ガビル。
彼もまた、ガビルを尊敬していた者の一人なのだから。
彼は、その責任を取る為にも、逃げ出す事など出来ないのだ。
止まったら、二度と走れなくなる。
だからこそ、彼はひたすら走り続けた。
そんな、彼を見つめる者がいた。
必死に走る彼には、気付く事など出来ない。
その者は、木の枝を伝い、音も無く親衛隊長を追跡する。
何者かと話しているのか? 相手は居ないというのに、声も出さずに会話をしている様子。
ようやく会話を終えたのか、一つ頷いた。
そして、
「御意。仰せのままに、致します。」
声に出して呟くと、親衛隊長の前方に音も無く舞い降りる!
オークのターン!
今回も主人公の出番なし…、すいません。
今回まで、我慢してお付き合い下さい。