稲垣えみ子「サッカーのラジオ中継って相当わかりにくい」
連載「アフロ画報」
元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
【中継を聞いていると翌日の新聞を読むのが楽しい】
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テレビを手放して何が一番影響が大きかったって、スポーツに関心が持てなくなったこと。中継が見られないということは決定的であります。日本人が大活躍したオリンピックですら、ほぼ興味ゼロで過ぎ去っていきました。
スポーツ、本当は好きなんです。なのでこれはやや寂しく、サッカーW杯どうしたもんかと思い、ああそうだラジオという手がある! ということで、日本の初戦の夜、薄暗い我が家で一人ラジオ中継を聞いたのでした。なんだか戦後すぐみたいな光景です。
でね、改めてわかったんですが、サッカーのラジオ中継って相当わかりにくい。今どちらが攻撃しているかくらいは漠然と想像できますが、点が入りそうか、入ったかどうかは「わー!」とか「行け~」とかいうアナウンサーと解説者の絶叫を手掛かりに想像するしかない。
後半28分に勝ち越しゴールが決まった時も、一瞬「??」と思っていたら、「やった!」「はいった!」といち早く中継してくれたのは、アナウンサーではなく隣の家の人の絶叫でした(笑)。いや築50年近いマンションって隣の声が本当によく聞こえるのよ。なんだか笑ってしまいましたが、こういうのって悪くないなーとも思ったことでした。あなたも見てたのねー、ホントよかったよねーと、心が通じ合ったような気分です。
思い出したのは、中学生のころ一緒に暮らしていた祖父のこと。巨人ファンだった祖父は欠かさずラジオで野球中継を聞いていて、その大音量は2階で受験勉強をしていた私にも筒抜けで聞こえていたのですが、巨人が負けると祖父はブチッと無言でラジオを切り、勝つと階段の下までやってきて「おーい勝ったぞー」と教えてくれるのでした。聞こえてるっちゅうに。でも不思議にウルサイと思ったことはなかったなー。考えてみればあの頃は隣の夫婦喧嘩の声も普通に聞こえていた。それが当たり前だったんですよね。誰もが他人の「気配」を感じながら生きていたのです。それは案外豊かで安心な暮らしだったと思い返しています。
※AERA 7月2日号
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年、愛知県生まれ。元朝日新聞記者。著書に『魂の退社』(東洋経済新報社)など。電気代月150円生活がもたらした革命を記した魂の新刊『寂しい生活』(同)も刊行