昭和考古学とブログエッセイの旅

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

1000文字縛りエッセイ①-1980年代を偲ぶ

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私のブログ読者であり、Twitterでも何かと絡まれ…否、こちらが酔っぱらいの如く絡んでいるid:okimusan さんよりメッセージが届いた。

 

お前のブログ、長いんだよ!

1000文字でブログが書けんのか!

 

上段は私の妄想だが、確かに人に言われてみれば長い(自分で気づけよ)。

そこで私のブロガー魂に火がついた。その挑戦、ヒマなので受けて立とうではないかと。

 

「昭和史研究」といっても私の興味は昭和前期、いわゆる戦前の時代。戦後は自分でもわからないほど興味が失せ、どうでもよくなってしまう。

しかし、実際に私が生きた1980年代になると、再び興味が湧いてくるようになる。私の昭和史は、20年~40年代が空白なのである。

なので、ネタ探しのGoogleの旅は80年代も射程距離なのだが、画像検索をかけてみると、私の青春時代そのもののような画像が大量に出てくる。

 

 

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ああ、この餅つき機うちの家にあった!と幼き日々を懐かしみ、

 

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キョンキョンのツインテールに年甲斐もなく萌えたり、

 

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死語と化した国鉄の自動券売機を見て亡き子の歳を数えたり。

退屈しのぎに頭だけ30年前にタイムスリップするのも、若いエキスを体内生成するようで悪くない。私の中で、1980年代の独り遊びがマイブームである。

 

ところで、1980年代を調べていると、何故この年代が輝いているのだろうと不思議に思うことがある。続く90年代がバブル崩壊の後遺症で足踏みした、経済史の暗いトンネルの前だったからかもしれないが、それ以上に人がみな元気なのである。

司馬遼太郎の『坂の上の雲』は、身分の縛りから民が解放され、文明の爆発のように邁進していった明治日本を描いた小説だが、坂の上の雲の先には何があるのか。あるのは下り坂である。昭和前期を日本史上最凶の時代と位置づけ、その時代を一青年として生きた司馬は、昭和への不満を題名に託した。

80年代が輝き皆が生き生きしているように見えるのは、80年代が昭和後期の『坂の上の雲』だったのだろう。

 

現在は株価も安定し経済は好調のようである。が、それは数字的なものだと国民は半信半疑の声があがっていることも確か。

国民の心も元気になり活気が出てきた時こそ、本当の「景気回復」「日本が戻った」と胸を張って宣言できるのではないか。経済政策の最後の締めは、我々国民の胸一つにかかっているのかもしれない。

 

これで999文字。どうだい!

 

==ここからは感想。文字数には入れず==

1記事を書く所要時間はだいたい30分。1000文字縛りエッセイを書いている最中、頭がフル回転していることが自分でもよくわかりました。

1000文字縛りだと「ですます調」は文字数を使うので、今回は「である調」を使わせてもらいましたが、「である調」の方が文章として書きやすい。今度から文体を変えてみようかと思うほと。

それはさておき、これはなかなかおもしろい試みなので、今後もやってみようかと思います。これなら・・・これなら毎日でも書ける気がする。

正直、これくらいの文量だと読者も読みやすいでしょ(笑

 

==こんなブログもあります。よかったらどうぞ==

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