299
『雪野君』
雪野君?!
表示された意外な着信名に、私は慌てて通話ボタンを押した。
「もしもし、雪野君…?」
“あ、麗華お姉さんですか?こんばんは!”
電話口から雪野君の元気いっぱいな声が聞こえてきた。おおっ、本物の雪野君だ。
「こんばんは。どうしたの、雪野君」
“ごめんなさい、急に電話しちゃって。今、忙しかったですか?”
「ううんっ。雪野君からのお電話なら、いつだって大歓迎よ!」
今だって、ベッドでゴロゴロしていただけだったし!
“ありがとうございます。あの僕、今日、日本に帰って来たんです”
「まぁ、そうだったの!おかえりなさい、雪野君。サマーキャンプは楽しかった?」
“はい!麗華お姉さんに絵葉書を送ったんですけど、届きましたか?”
「ええ、ちゃんと届いたわ。とても素敵な山の景色をどうもありがとう」
“良かった!前に麗華お姉さんから絵葉書を送ってもらって凄く嬉しかったから、僕も送りたかったんです”
「まぁっ…!」
はにかむようにえへへと笑う雪野君の天井知らずの可愛さよ!
私達は電話越しにほのぼのと笑い合った。
「雪野君のメッセージもとても楽しく読ませてもらったわ。カヌーを漕ぐのは大変だったんじゃない?」
“はい。腕がすっごく痛くなって、手にも豆ができちゃいました。でも皆でカヌーを漕いで川を下るのは、大変だったけど楽しかったです!”
「そう。良かったわねぇ。キャンプ中はテントで寝泊まりをしたりもしたの?」
“はい。見たこともない大きな虫が出てびっくりしました”
「やだ、虫?!大丈夫だった?」
“一応…。それでなんとか虫は追い出せたんですけど、その後しばらく眠れなかったです…”
「それはそうよねぇ」
私も虫は苦手だから気持ちはよくわかる。野外だし、一匹いたら他に何匹いるかわかったものじゃない。
「私もキャンプには少し興味はあるけど、虫問題があるから躊躇してしまうのよねぇ。いつ虫が入ってくるかわからないテントでは、絶対に落ち着いて寝られないもの」
“そうなんです。僕は普段は虫はそんなに嫌いじゃないんですけど…”
うんうんと私は頷いた。
寝ている間に虫が顔を這ったりした時のことを想像するだけで、全身が痒くなる。しかも外国の虫なんて、噛まれたりしたらとんでもないことになりそうだし。
“それで…、あっ、待って。わかってるよ。うん、今から話す。ごめんなさい、麗華お姉さん。今日電話をしたのは、帰ってきた報告をしたかっただけじゃないんです。あのね、一緒に花火を観に行きませんか?”
「花火?!」
“はい!今度花火大会があるそうなんです”
「花火大会…」
それはつい数時間前に、どこかで聞いたような話なんだけど…。
“麗華お姉さんと観に行きたいなって思って、お誘いの電話をかけちゃいました!”
と言った雪野君からは、電話越しからもワクワクとした空気が伝わってくるけど、え~…。帰国したばかりの雪野君の耳に花火大会の話が入ってくるルートなんて、イヤな予感しかしない。
「…ちなみに雪野君はその花火大会の話は、どこで知ったのかしら?」
“雅哉兄様からです”
ほらぁ、やっぱりー!
ありえない。鏑木と若葉ちゃんと一緒に花火クルージングなんて、自ら四面楚歌に飛び込むようなものじゃないか。雪野君には申し訳ないけど、ごめん、無理。
「う~ん、私はちょっと…。鏑木様に直接誘われたわけではありませんし、ご迷惑だと思いますので…」
“えっ?雅哉兄様とは一緒に行かないですよ?”
「えっ、そうなの?」
“はい。雅哉兄様は他に約束があるそうなんです”
「あ、そうだったの」
なんだ、私の早合点か。あ~、びっくりした。そりゃそうだよね。せっかくの若葉ちゃんとのデートなのに鏑木が他の人も誘うわけがない。
“どうですか?”
う~ん、少し心配だけど鏑木と無関係だったら別にいいかなぁ…。雪野君がこんなに誘ってくれているんだし…。
「では鏑木様とは別行動の、花火見物なのね?」
念のためにもう一度確認しておく。
“はいっ。僕と麗華お姉さんと、あとは兄様の三人です!”
えっ、円城も一緒?!
すると、そのタイミングで電話口から“ちょっと代わって”という声が聞こえて、
“もしもし、吉祥院さん?”
げっ!円城だ。
「…円城様ですか?」
“うん、夜分にごめんね。雪野がどうしても吉祥院さんにすぐに話したいって言うものだから。迷惑をかけちゃったね”
「いえ、それは全然かまわないのですけど…」
“それで今、雪野から聞いたと思うんだけど、雪野が吉祥院さんと花火大会に行きたいって言っているんだ。今週末なんだけど予定はどうかな”
「えっと、ちょっと待ってくださいね…」
週末の予定なんて何も入っていないけど、見栄を張ってスケジュールを確認するフリをする。
え~、でも円城と一緒…?!それはまた話が変わってくるんだけど。てっきり雪野君とふたりだと思ってた。でも考えてみれば、確かに小学生が身内の保護者の同伴もなしに、高校生と二人で夜出掛けるのは許可が下りないよね。
電話の向こうで雪野君の“ねぇ、兄様。麗華お姉さん、なんて言ってる?”という声が聞こえる。あの期待した声の雪野君を断れるのか、私。いや、断れない…。
「お待たせしました。一応、スケジュールは大丈夫そうですけど」
“本当?良かった。雪野、吉祥院さんも一緒に行ってくれるって”
“やったー”
雪野君の嬉しそうな声に、承諾して良かったと思った。
“ほら、用件は終わったんだから約束通り、もう寝なさい”
“え~っ、まだ眠くないよ!”
“旅行から帰ってきたばかりで疲れているんだから、きちんと寝ないと明日熱を出すかもしれないだろう”
“だって眠くないんだもん”
円城兄弟が揉めている。学院ではいつも良い子の雪野君だけど、家では子供らしい我が儘も出るみたいだ。
そこへお母様かお手伝いさんか、第三者の気配が後ろからした後で雪野君は就寝するために自室へと連れて行かれた。おやすみなさい、雪野君。
「ごめんね」
「いえいえ」
お兄ちゃんも大変だ。
「さっきまで雅哉が来ていてね。雅哉から花火大会の話を聞いたら、自分も行きたいと言い出しちゃって」
さっきまでっていうことは、若葉ちゃんの家に来た後に、円城に会いに行ったのか。フットワークが軽いな、鏑木。
「しかも吉祥院さんと一緒に行きたいと駄々をこねるものだから、吉祥院さんにまで迷惑をかけることになっちゃって、本当に申し訳ない」
「いえ、私も雪野君と会えるのは嬉しいですから」
「ありがとう。そう言ってもらえるとありがたいよ」
それから円城と花火大会の予定を決めて電話を切ると、私はすぐさまクローゼットに走り、扉を全開にした。
円城が予約をしたお店は、遮る物もなく最高のロケーションで花火が見られる空中庭園のあるレストランだ。この時期に直前で予約が取れるなんて、さすが円城家。
あのレストランは明確なドレスコードはないけれど、浴衣で行くようなお店ではない。なにを着て行こう。フォーマルすぎない、でもカジュアルすぎない、花火にふさわしい服…。外だったら羽織る物も必要だよね。ストール?ボレロ?カーディガン?
私はクローゼットの服を片っ端から表に出した。
次の日は、塾が終わった後で再開した鏑木式トレーニングだった。さすがに何日も経ってこむら返りと筋肉痛の言い訳はもうきかなかった。
でもあの地獄のハードトレーニングだけは二度とごめんだったので、「まだちょっと筋肉痛が残っています…」と弱音を吐いてみせたら、「仕方がない。今日は軽めのメニューでいこう」という譲歩を取れた!駄目元でも言ってみるもんだ。
ストレッチをした後で、ランニングマシンに乗った。今日は円城はいない。鏑木は私の隣のマシンで、私よりも早いペースで走り始めた。私も与えられたノルマをこなすため、テッテコテッテコと走る。
…しばらくすると強い視線を感じた。該当者はひとりしかいないので横目で確認すると、いつの間にか走るのを止めていた鏑木が、腕を組んだ姿勢で私をじっと見つめていた。え、なに…?
「……吉祥院麗華」
鏑木が私のフルネームを呟いた。
は…?
「……」
「……」
ランニングマシンのモーター音と私の足音だけが響く。
「……吉祥院麗華」その後に続く言葉は、なに?いきなり人の名前を呟いて、その後無言ってどういうことよ。
気になって仕方がないので、私は走るのを一旦中断して鏑木に向き合った。
「なんですか?」
「…吉祥院麗華」
だから、なによ。
「…コロ」
心臓がドキッと音を立てた。
「…え?」
「吉祥院麗華と、コロ…。名前に関連性は全くないな」
そりゃあコロちゃんのあだ名は、私の名前から取ったものじゃないですから…。でもそれって…。
「一体なんのことでしょう…」
ドクドクと鳴る心臓を押さえ、私は鏑木に尋ねた。
「…コロちゃんという高道の友達がまた家にいたんだ」
「へぇ…」
「昨日の夕方、お前に電話をしただろう?あの時だ」
鏑木は探るような目で私を見据えた。
「俺がお前に電話をしたタイミングで、高道の家から電話の鳴る音がした。そして俺の呼び出し音が切れた同じタイミングで、高道の家から聞こえていた電話の音も消えた」
「……」
「これは偶然か…?」
私は絞り出すように「偶然じゃないですか…?」と言った。
「こんな偶然があるか?」
「そんなことを私に言われても…」
走って体温が上がったはずなのに、指先が冷たくなった。
「高道はコロちゃんは友達だと言った。だが、予備校に来ている高道の中学時代の同級生の中には、その名前に該当する人物はいない。彼らの話題の中にもコロちゃんという人間の名前は出てこない」
「好きな女の子の交友関係まで細かくチェックするのはどうかと思いますよ…」
「コロとは、もしかして吉祥院のことではないのか…?」
心臓が止まった──。
「……私のどこに、コロなんて呼ばれる要素が?」
「そうなんだ。コロなど、犬の名前くらいしか思いつかない」
コロちゃんの名前の由来は、私の髪がチョココロネみたいだから。そうか。鏑木はチョココロネを知らないんだ…!
「日本にはこれだけ大勢の人がいるのですから、電話がかぶる偶然もあるでしょう」
「……」
「……」
「…そうかもしれないな」
長い沈黙の後、「俺の考えすぎだったか…」と鏑木が折れた。私は震える手をマシンのポールで支えた。
「大体、その時は高道さんと一緒にいたのではないのですか?そんな時に電話をかけるって失礼じゃありませんか?」
私は鏑木の注意を逸らすために、鏑木のマナー違反を責めた。
「ご近所の主婦の立ち話に高道が捕まっていたんだ」
「話の輪に入れば良かったのでは?」
「町内のゴミ出しルールについての話に、どうやって俺に加われと?」
「え~っと、それは~…」
瑞鸞の皇帝が、夜中にゴミを出す人がいてカラスがそれを漁るんですか、それは困りましたね、と訳知り顔で話す姿は想像できない。そもそも鏑木は家庭ゴミがどうやって捨てられているか知っているのだろうか。
「ちなみに鏑木様は、ゴミは分別して決まった曜日に出すというルールはご存じですか?」
「…お前、俺を馬鹿にしているのか」
さすがにそれくらいは知っているのか。
「それで高道さんは、ご近所さんに捕まっていたと。でもだからって、電話をするっていうのもねぇ」
「……」
「もしかして、話の輪に入れず、ひとりぽつんと置き去りにされているのに耐えられなかったとか?」
鏑木が目を見開いた。図星か!
「え~っ!とんだ寂しがり屋さんじゃないですかぁ。あらら~、放っておかれたのが耐えられなくて、私に電話をしてきたんですかぁ」
「違う!お前が昼の食事メニューを送ってこなかったからだ!」
「え~、そんなの夜にメールでもすればよくありません?」
ニヤ~ッと笑う私に、鏑木は目を吊り上げて「いつまでサボっているんだ!走れ!」と怒鳴ると、自分も猛スピードで走り始めた。
痛いところを突かれた鏑木は、その後二度とその話題を口にしなかった。
……良かった。なんとかごまかせた。今日、円城がいなくて本当に良かった。
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