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丸栄、75年の歴史に幕

大勢の買い物客らが見守る中、最終日の営業を終え閉店した「丸栄」=30日午後8時、名古屋・栄で(佐藤哲紀撮影)

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 名古屋・栄の老舗百貨店丸栄が三十日、閉店し、七十五年の歴史に幕を下ろした。店の出入り口から、店舗に面した広小路通の車道まであふれるほど大勢の客が押し寄せ、最後のシャッターがゆっくりと閉まるのを見守った。

 閉店時刻の午後七時からやや遅れて始まった式典で、浜島吉充社長は「丸栄は本日ただいまの時間をもちまして、誠に勝手ながら閉店をさせていただきます」と営業の終了を告げた。深々とお辞儀すると、「ありがとう」という声とともに、客から温かい拍手が起こった。

 娘と閉店の瞬間を見守った名古屋市東区の主婦長江恵子さん(80)は「毎日買い物に来ていたので、明日から丸栄がないと思うと寂しい」と話した。

 丸栄はバブル期まで業績を伸ばし、ピークだった一九九二年二月期の売上高は八百二十五億円だった。しかし近年は赤字経営が続き、二〇一七年二月期は百八十六億円まで落ち込んでいた。

 店舗は、九月から一年半ほどかけて取り壊し、親会社の興和(名古屋市)が跡地の再開発に着手する。浜島社長は「栄地区のさらなる活性化を図るための発展的な店舗営業の終了と捉えていただきたい」と話した。会社は存続し、社員の二割強にあたる約三十人が総務や経理、外商部門で働く。残りの社員は興和のグループ会社への転籍や、他の百貨店に移るなどする。

 <丸栄> 1615年創業の名古屋の呉服店「十一屋」と、京都の丸物百貨店が1937年名古屋につくった「三星」が源流。十一屋と三星は太平洋戦争中の43年に統合し、「栄で丸く栄える」との思いから社名を「丸栄」とした。名古屋の百貨店では1611年創業の松坂屋に次ぐ歴史がある。

◆夫と歩んだ人生の全て 精肉売り場の杉本さん

常連客と笑顔で話す「肉の杉本丸栄店」の杉本日左江さん=30日午後(佐藤哲紀撮影)

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 「最後の日に、行ってきます」。杉本日左江(ひさえ)さん(77)は三十日の朝、名古屋市千種区の自宅で仏壇に手を合わせた。丸栄の地下一階のテナント店「肉の杉本丸栄店」で、売り場の責任を持つ「おかみさん」。五十年以上、ほぼ毎日立ち続けた店は、十三年前に病死した夫・吉弘さんとの思い出の場だった。

 愛知県岡崎市の高校を卒業後、丸栄に入社。二階の紳士雑貨でコートやカバンの販売員だったころ、常連客の吉弘さんと知り合い、いつしか恋仲に。「わしがやる」。吉弘さんは一九六二年、精肉店を営む実父に直談判し、丸栄に支店を出した。「主人は丸栄が大好きだった。元気でいれば閉店には絶対に反対していた」とほほえむ。バブル期など、景気が良かった時代には、一枚五千円もするステーキがよく売れた。お中元やお歳暮の時期は配送準備で未明まで働いた。従業員たちと夜食を食べ、近くにあった銭湯に通ったのも良い思い出だ。「忙しかったけど、働くことが楽しくて仕方なかった。いいことも悪いことも丸栄が人生の全てだった」

 営業最終日の丸栄は、かつてのようなにぎわいを見せた。「最後だから顔を見にきたよ」「久しぶり。これからも元気でね」。何十人もの常連客が来てくれた。いつもの接客以上に、笑顔が絶えなかった一日。商品は飛ぶように売れ、午後二時すぎには完売した。

 吉弘さんが亡くなってから、帰宅してから仏壇に手を合わせるのを日課にしてきた。忙しい朝にも手を合わせたこの日は特別。「大事にしていたお店が今日、無事に終わりましたよ」。帰宅後、老舗百貨店を愛した主人に、にぎわった最後の姿を伝えた。

 (竹田弘毅)

 

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