Aimingでの3年間の日々と感謝

2018年6月末で、2015年5月から(個人事業主としては2015年10月から)3年間ほど、業務委託でお仕事をさせていただいていた、株式会社Aimingとの契約が終了した(なので、この記事は契約終了エントリです)。

契機

契約開始時期は、京都で法人を構えていて、法人名義で仲介業者さんからご紹介いただき、契約が始まった。契約して数ヶ月してすぐに家族の入院し、仕事を継続することが困難になり、一ヶ月半ほど離れた時期もあったが、その後、法人を解散させて、個人事業主となり、その時またお声がけいただき、また途中、京都から鎌倉に転居したのだが、転居後も仕事をいただいて、この3年間を楽しく生きてこられた。

エンジニアとしての経験値

運が良かった。関東に比べて関西はエンジニアを採用しにくいという背景があったのかもしれなかったが、人材会社さん経由で紹介していただき、自分が書いたアプリケーションのコードの一部を提出( app/modelsをtarで固めて送った気がしている)して面談に至った。エンジニア経験は圧倒的に貧弱だった。以下がそのときの私の状況だ。

  • Ruby技術者認定試験 Silver, Goldを取得していた。
  • メタプロRubyなど市販で手に入るものは一通り読んでいた。
  • 2年ほどRailsで個人開発をしていた。
  • RSpecやCapybaraでテストコードが書けた。
  • ActiveAdminの経験があった。
  • フロントエンドは不自由なく実装できた。
  • Angular 1系を扱えた。
  • プランナー職だが、直近1年ほどゲーム業界にいた。
  • プランナー職だったけど、Jenkinsの世話をしていた(実話)。
  • リモートでのエンジニア業の経験はあった(数ヶ月レベル)。

とてもラッキーだった。偶然だとは思うが、プロジェクトが求めているスキルセットに、少しばかりカスることができたのかもしれない。面談中に好きなメソッドを聞かれて、 Module#ancestors と答えた自分の心理は未だによく分からない(きっとメソッドの探査などの仕組みが好きだったのだろう)。最近読んだ技術書は、『Webを支える技術』と答えた記憶がある。良い本読んでるじゃん、当時の自分。ちなみに当時の面接官は、Railsdmにも登壇してくれた “Rubyの鬼神” こと Kさん(師匠)だ。

2015年5月〜8月

大規模ゲームの管理ツールの開発メンバーを担当させていただいた。実際にフェイストゥフェイスでエンジニアと称して働くのは初めての経験だったので、初日から、いろいろと鮮やかな感動があったのを覚えている。

  • カンバンによるタスク管理
  • 朝会と夕会のスタンドアップミーティング
  • わからないことはチームで助け合う文化
  • 社員であるか否かに関わらず、フラットな人間関係

社風もあるだろうし、生産性を第一に考える人が多かったので、ヒエラルキー云々がなく、自分も「貢献するぞ!」という機運が高まるチームだった。それまでお世話になっていた企業が、古い体質だったので、そのギャップも合間って、とても感動したのを覚えている。

  • MacBook

エンジニア業だと当然のようではあるが、プランナー職は原則Windowsだったので、Rubyを書きたくても、VMでUbuntuをインストールするしかないし、ちょっとした分析をする際にスクリプトを書く場合も、こっそり対応するしかなかった。仕事でMac使えるの最高感しかない。

  • Slack

チャットワークは使っていたが、Slackを初めて使ったので、botのカルチャーなど、とても素晴らしかった。楽しみながら生産性を出そう、けれど緊張感と責任はもって業務を遂行しようという意思がチームの根底にあった。

  • 教育も兼ねたコードレビュー

当時は、GitHubではなくGerritを使っていたが、命名などレビューで指摘を受けることが多かった。伊藤さんのQiitaの記事のURLをペタっと貼られて、なるほどなるほどと理解することが多かった。いろいろと鍛えてもらったなあ。

  • Ruby、そして、同僚と技術の雑談ができること

全般的に、ギャラをもらいながらRubyが書けるの、なにこのリワード!?!?という気持ちになった。エンジニア最高のチート職じゃないか!とも。勉強会の時間やチームランチで技術の話ができるのも最高だし、一瞬一瞬が楽しかった。当時、喫煙者だったのだが、尊敬してやまない yuemori さんとSpecinfraやらBigQueryやらGemやらの雑談をしたのが、とても楽しかったのを覚えている。というか、あの時のチームの皆さんと働けたのは、自分にとっての最高の体験になっている。関西在住でRubyを触っているけど、Aimingで働いたことがないエンジニアは、人生の8割は棒に振っていると思っても決して過言ではない。それくらい自分は、当時のチームが好きだった。

当時のバリューの出し方

そんな素晴らしいチームだから、いち開発メンバーとして、当然バリューを出したいと思うわけだが、自分のキャリアのベースにあるプランナーやディレクターの経験・視野を活かして、できることはそこそこあった。

  • 誰もやらない面倒そうなことをやる: たとえば、HTMLやCSSは好まれない傾向(ブルーオーシャンな領域)にあるので貢献しやすい。Railsのアップグレードや、Rubyのアップデートも、積極的にやろうとする人がいない限り、拾っていくと喜ばれる。当時使われ始めていたRubocopの導入などもそれだった。
  • 技術負債の返却: これは言わずもがなではあるが、「落ちているゴミを見つけたら拾う精神」で、ちょっとしたことでも積み重ねていくと、貢献にはつながっていく。
  • コミュニケーション: エンジニア経験は浅くとも、プロジェクトの全体管理をすることはあったので、そこの経験を踏まえて、建設的な意見を言うのは心掛けていた。ユーモアを駆使して、雰囲気を良くしたいという気持ちも多分にあった。

考えてみると、どのプロジェクトにいても、観察眼・積極性・行動力が強みになっていることがあった。

2015年9月

突然の死。当時、家族が重い病気で入院する予定だったので、仕事を続けるのが困難になり、最高のエクスペリエンスがあったにも関わらず、たった3ヶ月で去ることになった。ただ、プライベートでは自分の人生史上最高に気持ちが沈んでいたのだけど、当時の自分を活き活きとさせてくれたのは、Aimingでの仕事の日々だったと思うので、本当に本当に感謝しながら、別れを告げた。

2015年10月〜

法人を解散させる人は少ないなか、のっぴきならぬ事情のもと、法人を解散・清算させて、フリーランスになった。法人成りならぬ、個人下がり。

ただ、活動再開にあたって、当時の開発マネージャーのMさんにお声掛けいただき、「チームメンバーも能力を評価している」と言っていただき(!)、見事に復活できた。復活できて出社したときは、皆さん普通な雰囲気だったけれど、人生が「死んだ or 終わった or 詰んだ」って状況から、グランフロントの地に舞い戻ることができたので、本当に嬉しかったのを覚えている。そこで巡り合った、いろいろな人に助けてもらって、自分は本当に運が良かった。

2016年6月〜

家族の健康状態が回復するに連れて、元の住まいがあった、関東に転居した方が良いと判断し、京都から鎌倉に転居した。大阪もグランフロントもチームメンバーも、当時やっていたことも面白かったけれど、それがベストだと思った。ただ、そこでも当時の開発マネージャーのMさんの計らいで、東京本社の仕事を紹介していただき、転居時の審査等もパスすることができた。東京本社の最初の1ヶ月は大阪の仕事をやっていたのだけど、その後は、東京のメンバーとして、ゲームのAPI開発や基盤開発に携わらせていただいた。以降は、いろいろなメンバーのもと、楽しいだけではなかったけれど、それゆえに技術的に成長できた部分があった。特にプロジェクトによって、雰囲気やカルチャーが違うので、すべてにおいて本当に良い経験になった。

技術勉強会

関東圏に転居して間も無くは、勉強会に顔を出すことができていなかったのだけど、2017年1月頃からShinjuku.rbを皮切りに、地域.rbに出席するようになった。そういう勉強会への出席も認めてくれる雰囲気があって、Aimingはとても良い環境だったと思う。だからというわけではないが、同年2月〜4月にかけて、さまざまな勉強会に出席して、koicさんやonkさんがLTしていたり、月1で銀座に行けば、リアルwillnetさんがいたり、「おお、この気遣いの人が、謎のぬいぐるみアイコンのy-yagiさんか!」など、開発現場以外での楽しみを見出し、4年ほど関西にいた身としては、改めて東京のヤバさを知った。その後は、Rails Developers Meetup等を開催するに至ったのだが、そういう活動ができたのも、すべてAiming社のおかげだと思っている。

異動

今回、何かの不満があって、契約を終了させたわけではなかった。単純な話、同じ環境に身を置いていると、技術選定が似通ってきて、それゆえ、技術的な経験も似通ってくる傾向にあり、異なる環境(技術スタック・チーム・事業)に身を置いて技術力を上げたいという気持ちから、「石の上にも三年」の3年を経過するタイミングで、心機一転するに至った。とはいえ、自分の3年間の幸せで愉快な人生は、Aiming社での日々に支えられてきたものだし、今後もずっと感謝し続けると確信しています。ちなみに、病気だった家族もこの3年間で完全に回復できました。在職中、お世話になった方々には、改めて深い感謝申し上げます。本当にありがとうございました。皆さまのゲームビジネスの成功を、心よりお祈り申し上げます。

2018年7月〜

フリーランスは変わらずですが、FiNCの開発メンバーとして、qsona氏を始めとする素敵なメンバーの方々と働かせていただきます。今までモノリシックなアプリを書いてきたので、マイクロサービスの世界で、どこまで貢献できるのかドキドキ未知数ではありますが、チームメンバーの期待や信頼に応えて、喜んでいただけてこそ、この楽しい仕事は続けられるので、少しでもそれが適うよう、チームの課題・問題を「自分ごと」として、日々全力で業務やビジネスと向き合っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

マイクロサービス, DDD, GraphQL, React, ReactRedux, 人口知能, 機械学習など、技術的に刺激が多いFiNCで、秘めたポテンシャルを全解放したい方はこちら。開発を通して、一緒に成長していきましょう💪