【ネタバレあり】”佐山家シンフォニア”観てきた。面白かった。やっぱ舞台ってこうじゃなきゃ。
”それは法事の日。家族が奏でる笑いと涙と、あふれる愛の交響曲(シンフォニア)”
ってあって、法事って辛気臭いと思っていたらゼンゼンなかった。
舞台も法事の日の1シーンだけで、シーン転換さえ全くないという、そういう意味では非常に単純な作りだった。
そこで、三回忌で亡くなった方には実は隠し子がいて、その隠し子がいたというのを、未亡人のお母さんには知られたくない、と子供が思って、ウソをついていったら、ウソがウソを呼んで、いつの間にかなにがウソかわからなくなり・・・・、というところは、イメージ的に小野寺丈さんの”ええ、アイ”に通じるものがあった。
まあそれが上手くまとまるわけだけれども、お坊さんがなんとなくウソくさいから、ウソを利用して逆にサプライズしよう!と言い出して、余計に悪乗りしてギター持ち出して歌いだすとか、どうしても笑ってしまった。
公演のチラシにいいことが書いてあって(やっぱ、カネがある人はパンフレットとか台本とか買うだろうけど、カネがない人はチラシしか見ないんだから、そのチラシをひと工夫するだけで舞台って確実に良くなる、と私は思っている)、その中でお坊さん役の瀬尾さんが
”役者は演出家と勝負していかなくてはなりません。激論で稽古場が止まる事もしばしば。~ 先日の議題は「郷ひろみを謳わせて」でした。僕は命を懸けて郷ひろみが歌いたいのです。”
とあって、こういう発言が引き出せる舞台って確実に良くなると思う。
私も観に行って、すごく良かった!と書くものは、役者がなんか考えている感がある。
そうじゃなくて、うーん・・・ってなってしまうものは、どうしても、脚本とか演出に役者さんが振り回されている感がある。
先日”ハンドシェイカー”を酷評してしまったけど、役者さんが振り回されている感が見て取れて、そうじゃないのになあ・・・、と思ったから。
荒木さんと吉田さんは友人のようだし、・・・てかいまtwitterを改めて見たら、どうも荒木さんから見て吉田さんのほうが先生っぽいなあ。
けど、私から見たらここ数作品、荒木さんの舞台のほうが素直な作品で、出演者が活き活きとしていると思う。
吉田さんの作品はストーリーありきで、そのへん堅苦しいのをどうにか取って欲しいと思う。
それは川本紗矢がやった”花嫁は雨の旋律”の元ネタのときから、ずっと気にはなっていた。
それで、岡田彩花が良くなったとtwitterにも書いた。
出演者はある程度理解しているか、コレ読んでいる人は理解しているかわからないけれども、岡田彩花はリアルに父親を亡くしている。
新聞記事をコピーしている人のブログ
・・・・てかこの記事を書いている”大西元博”さんは、私とは一切関係ございません。私の父親は”大西博昭”ですがそれでも関係ありません
今回選ばれたのは、そういうのもあるのかとも思う。
いやしかしこの内容を観たらどうしても私も過去を思い出してしまった。
私は寺にお経を習いに行っていて、般若心経くらいソラでいえる。
即席でヘタな坊さんよりも坊さんらしいことできると思う。
けど、じゃあお経の意味を知っているか?というと知らない。
チラシの後ろに、荒木さんが、祖父がお坊さんだったエピソードを読んで、ああお坊さんも正直お経の意味は分かってないんだろうなあ、なんて思った。
だってAKBの子らだって歌の意味を考えずに歌っているから。
お坊さんが習わねばならないお経っていっぱいあって、それの意味まで理解しているお坊さんなんてまあいないよ。
お坊さんに対して教える人ならばそこまで理解しているかもだけど。
あと私の法事の思い出といえば、いい思い出がない。
親戚の人々がなにかたわいもない話をしていて、そこに私の母親が喋るんだけれども、私の母親は父親の悪口を言うか、私の自慢話をするかのどっちかしかなかった。
だから私は母親に向かって、
「どうしてお前はヒトと同じ話ができないのだ。他の人はそこまで自分の子供の自慢話をしてないだろう。
私はお前から自慢されたいために勉強をしているのではない。」
と、高校生くらいの時に言い切ったこともあるけど、母親は理解しなかった。
それでも私は、大阪大学とか日立製作所とか、日立製作所でも本社勤務とか、私は自慢のネタにして欲しくないことだったけれども、私が叱っても叱ってもあちこちで自慢話されて、この人は私のことが好きなのではなくて、私が生み出す自慢話が好きなだけなのだと見限って、もう5年9ヶ月くらい会ってないし、もう会う機会ないと思う。
父親も大腸ガンで余命ないとかハガキがきていたけれども、母親のことが嫌いで無視していたから、もう亡くなっている可能性が高い。
私はそれでも母親が人間として嫌いである。
まあ、こうして、血が繋がっていてさえも心が繋がらないことだってある。
私はこの作品の意味とは違うけれども、そうやって、血が繋がらなくても心の繋がりというのは確実にあるし、心の繋がりを大事にしたいと思う。
べつに、自分の子供じゃなくたっていい。
みんな人類を支える子孫として等しく尊い。
そういえば、”2025年問題”なんて言って、生産年齢人口が極端に少なくなることを問題視されているらしいけれども、じゃあ全員を平等に扱う親ばかりかというと、「ウチの子だけは」なんて言っている親が大勢いて、それではいつまで経ってもよくならない。
”2025年問題”をリアルに考えるならば、ウチの子だろうが他所の子だろうが全部同じ、と思って欲しいと思う。
まあそれでもどうしても自分の血の繋がった子が可愛いと思う心は当然のようにあるだろう。
とにかく、他所の子にもう少し関心を持って欲しい、と思う。
だってその他所の子だって、自分の子孫の未来の結婚相手とか、未来の先生とかなんだし。
お互い様、という考え方を、どうしてみんなもっとできないのか、と思ってしまう。
そんなことを考えた。
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