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午後の講義も終わり、私達は朝の約束通り花火をするために速やかに帰り支度を始めた。さぁ、まずは花火の買い出しだ。
「花火どこで買う?」
「コンビニは高いし数も少ないよ」
「ホームセンターかスーパーにありそうじゃない?」
「ここから少し歩いたところに、大型スーパーがありますよ」
「じゃあ、そこに行ってみよう」
私達は、私が帰りにお菓子を買うのに時々寄るスーパーに向かった。花火っ、花火っ!
せっかくなので多垣君も誘ってみたけど、残念ながら「も、門限があるので!」と断られてしまった。男子でも門限ってあるのか。
ちなみに私にははっきりとした門限はない。お嬢様のわりに意外と放任なのは、子供の頃から習い事で遅くなる時があったのと、自立心旺盛で色々と出かけていたせいで両親の耐性ができているからかもしれない。それと送迎の車があるから安心っていうのもあるんだろうけど。おかげで親に内緒で行きたい場所がたくさんある私には、都合が良くて助かっている。これで厳しい門限があったら、今の様な充実した庶民ライフは味わえていなかっただろう。良かった、良かった。
「こっちにあったぞ」
手分けして店内を探すと、おもちゃ売り場の近くに花火コーナーが設けられていた。
「結構、種類あるじゃん」
「じゃあここで買っていっちゃう?」
「だね」
「とりあえず、セット物と単品をいくつか買おうよ」
「賛成」
今回の花火の予算は1人千円。高校生のお小遣いでは妥当な金額だね。でもそれなりに量は買えそうだけど、すぐに終わってしまいそうな量でもあるよなぁ。
お金は桁違いのお小遣いをもらっている私が出そうと思えば出せるけど、対等な友人関係において私だけが多くお金を出すのは違うと思うし、それにそれをやったら今後の関係がなんだかおかしくなりそうだから、迂闊なことは言えないね。
でもせっかく花火をするなら目一杯楽しみたいよねぇ…。う~ん…、う~ん…。あ、そうだ!私には財力に物を言わせた奥の手がある!
私はお財布からカードを取り出して、皆に見せつけるように突き出した。
「ここに私の貯めたポイント約五千円分があります。そのポイントを放出致しましょう!」
高らかに宣言する私に「おおっ!」と全員から声があがった。
「すごい。よくそこまで貯め込んだね!」
「やるね、吉祥院さん」
「ほほほ」
買い物に行く時は、常にポイント5倍デーや10倍デーの日を選んで行くようにしていた地道な努力の賜物よ!さぁ、遠慮せずに我がポイントを使うがいいわ!
私の提供したポイントを臨時軍資金に加え、私達は花火を大量に買い込んだ。
そして電車に乗って北澤君が案内する公園に着くと、私達は早速花火の準備に取り掛かった。
「誰かバケツに水汲んできて」
「水道ってどこにあるの?」
「あっちにあった気がする」
「じゃあ北澤行ってきて」
「おいっ!」
北澤君達が水を汲んでくる間に、私達は花火の袋を開けたり火の用意をしたりした。
公園にいた他のグループも何組か花火をしていて、あちこちで楽しそうな歓声があがっている。
「どれからやる?」
「線香花火は最後」
「なんで?」
「そう決まっているの」
榊さんが断言した。榊さんの花火ルールではそう決まっているらしい。まぁ私も線香花火は最後派だからいいんだけど。
バケツの水も来たので、私達は各々選んだ花火に着火した。
「おおーっ!」
パチパチと音を立てて花火が火を噴いた。きれ~い。火ってなぜか見入ってしまうよね。
私はこうして火が勢いよく出る花火も好きだけど、星や花の形の火の粉が弾ける花火も華やかで好きだな。
花火が消えそうになると新しい花火を持って、火を移し替える。
ふと地面を見ると、花火の光に照らされて黒い物体が蠢いている。同じものを発見した森山さんが眉を顰めた。
「誰よ、蛇玉なんて買った人」
「あ、俺」
蛇玉とは錠剤の形の黒い丸玉で、火を点けると特に火花がでるわけでもなく、ただうにょ~んと燃えカスが伸びるだけの、なにが楽しいのか私には全くわからない代物だ。でも無くならないということは、根強いファンがどこかにいるんだろうなと思っていたけど、ここにいたか。
紺野君はしゃがみこんで無言で蛇玉に火を点けまくっている。
それを見た森山さんが私の袖を引っ張って「危ないから少し離れよう」と言ったのは、蛇玉が危ないのか、紺野君が危ないという意味なのか…。
「見て見て。2本点け!すごくない?」
梅若君が2本まとめて火を点けた花火は、勢いも倍に派手に火花を飛び散らしている。
「だったら俺は3本点けに挑戦だー!」
「ちょっと危ないから止めなさいよ!」
こういう悪乗りをするヤツらがいるから、花火禁止の場所が増えているんだな…。
「じゃあ俺が今から花火で字を書くから、なんて書いたか当てて」
梅若君が花火クイズを出してきた。花火の線が空を舞う。でも誰もわからない。右斜め上~右斜め下~、ちょんちょん…。あ~、わかった気がする…。私は挙手をした。
「はい、吉祥院さん」
「…ベアトリーチェ」
「正解!」
「さすが吉祥院さん」と褒められた。ありがとう。
「じゃあ次、俺ね」
北澤君も新しい花火で文字を書いた。
「え~っ、あの点々は濁点だよね」
「最後は“ん”じゃない?」
「じ…ん、じ…ゆ…ん」
「じゆけ…ん、じゅけん…、受験」
「おい、やめろよ」
なんてことを思い出させるんだ。罰として全員で吹き出し花火攻撃を仕掛ける。熱い熱いと飛び跳ねる北澤君。良い子は真似しないでね。
そうして花火で盛り上がっているところに、声をかけてくる人達がいた。
「あれ、北澤じゃん」
「おー、久しぶり」
4、5人の男の子達が北澤君を見つけてやってきた。どうやら北澤君の中学の同級生らしい。地元の公園だもんね。
「お前等なんでここにいるの」
「俺達は向こうでバスケやってた。そっちは花火?」
「そう」
北澤君は花火をしに私達を公園に連れてきたと説明した。紹介された私達はどうもとお互い小さく会釈をして挨拶をする。
「へぇ。全員、北澤と同じ高校?」
「いや、違うのもいる」
北澤君の友達の1人がぐるりと私達を確認するように見回して、「この子も北澤と同じ高校?」と私を指差した。
「あ~、その子は違う…」
「だよなぁ!なんか雰囲気が違うもん」
え?え?と困惑している間に私は周りを取り囲まれ、「学校どこ?」と質問された。
「瑞鸞です…」
「うわっ、本物のお嬢様じゃん」
「もしかして箱入り?」
こういう場合は、期待に応えてお嬢様っぽく振る舞ったほうがいいのだろうか…。とりあえず愛想笑顔でごまかす私を置いて、北澤君の友達はお嬢様だ箱入りだと盛り上がった。
箱入りかはともかくお嬢様なのは確かだけど…。しかしノリがチャラいな…。それともこれが普通なのかな。考えてみれば、梅若君達と最初に会った時の印象もチャラピアスだったし、もしかしたらこれが普通の男子高校生のノリなのかもしれない。
そしてなぜかなし崩し的に彼らも一緒に花火をすることになった。
「火、ちょうだい」
「あ、はい」
北澤君の友達に声をかけられて、私は自分の花火の火を分けた。
「瑞鸞ちゃんは名前なんだっけ」
「吉祥院麗華です…」
「あぁ、麗華ちゃんね」
麗華ちゃん?!
同い年の男子にちゃん付けで名前を呼ばれて、私は激しく動揺した。
チャラくない?!初対面の女の子を下の名前で呼ぶってチャラくない?!しかもちゃん付けってチャラくない?!それとも共学高校ってみんなこうなの?!共学高校では、同級生の女子をみんな名前で呼んでるの?!
私は共学とは名ばかりの瑞鸞学院“女子”高等科に在籍中なので、普通の共学の男女のノリや距離感が全くわからない。
前世の記憶を必死で辿ってみる。しかし同じ学校の男子からは苗字を呼び捨てで呼ばれた記憶しかないんだけど…。あるいは共学校の男子は同校の女子は苗字で呼んでも、外では他校の女子をちゃん付けで呼んでいたりするのか?!
だけど梅若君達は出会ってからずっと私を苗字にさん付けで呼んでいるぞ!この北澤君の友達だけが特別チャラいんじゃないのか?!あーっ!私の恋愛ぼっち偏差値が高すぎて、平均レベルがわからない!
私を麗華ちゃんと呼ぶ異性の心当たりは伊万里様くらいしか思い浮かばない。もしや貴方達はカサノヴァ(庶民)村の村民なのですか?!
目玉をぐるぐると動かし周りの様子を窺ってみる。森山さんや榊さん達もちゃん付けで呼ばれていた。しかし彼女達はそれを普通に受け止めている。なんと!どうやら男子にちゃん付けで呼ばれただけで動揺しているのは私だけのようだ!
そして何よりも恐ろしいのが、麗華ちゃんと呼ばれただけで、ほんの一瞬でもドキッとときめいてしまったことだ。…恐ろしい。自分の天井知らずの恋愛ぼっち偏差値の高さが恐ろしい。
人の気も知らず男子連中は両手に花火を持って「いぇ~い」と振り回している。子供か。
人数が増えたせいか、お調子者達が花火を振り回したせいか、花火の煙がすごい。その花火の煙で燻されたのか、誰かが「なんか咽喉が乾いたな」と言った。
「飲み物でも買ってこようか」
と梅若君が言った。代表して梅若君が皆のぶんを買いに行ってくれるらしい。そして「吉祥院さんも一緒に来る?」と私に言った。
…?よくわからないけど、行こうかな。
自動販売機でもいいけど、公園の入口にコンビニがあったはずと言うので、梅若君に付いて行った。
しばらくすると梅若君が「大丈夫?」と聞いてきた。
「え、なにが?」
「いや~、なんとなく北澤の友達が合流してから吉祥院さんが静かになった気がしたから…」
私の人見知りに気づかれていた?!
もしかして飲み物を買いに行くのに誘ってくれたのは、気を使ってくれたのか?
「別にそんなこともないんだけど、心配してくれてありがとう」
私は素直にお礼を言った。
「いやいや。俺の気のせいだったらいいんだけどさ。ほら、うちのベアたんも普段は元気いっぱいなのに、たまにドッグランに連れて行って知らない犬に囲まれると、急におとなしくなっちゃう時があるから」
「へ~」
どこまでも愛犬基準の梅若君であった。
それからコンビニの往復で、梅若君の最近のベアトリーチェニュースを聞きながら人数分の飲み物を買って戻った。最近のベアトリーチェは麦茶がお気に入りだそうです。
「あーっ!お前等だけからあげ食ってる!」
「なんで俺達のぶんは買ってきてないんだよ!」
「買い出し班の特権だ、ばーか!」
花火を持った集団に追いかけられる梅若君を尻目に、私は森山さんと榊さんに「食べる?」とからあげを差し出した。
「ありがとう」
「そろそろ線香花火やる?」
「そうだね~」
「あいつらどうする?」
「放っておこうよ」
馬鹿な男子達が走り回るせいで、ろうそくの火が消えていた。ライターはどこだっけ。辺りを探すとうわっ、なにか踏んだ。慌てて足元を見たら、黒い物体がたくさん転がっていた。げっ、ここって蛇玉の死骸密集地だ…。買った人間は責任を持って埋葬するように。
途中で北澤君の友達が乱入するというハプニングもあったけど、花火は楽しかった。北澤君の友達もチャラかったけど悪い人達じゃなかったし。「麗華ちゃんはお嬢様だから、ライターは俺が点けるよ」とチャラかったけど危ないことを代わってくれたし。帰りに駅前で北澤君達と別れる時も「バイバーイ麗華ちゃん!」「おやすみ麗華ちゃん!」とチャラかったけど手を振って見送ってくれたし。
これもまた夏休みの良い思い出になった。なんだか今夜の私は、恋愛謳歌村の姉妹村、青春謳歌村の村民ぽくなかった?ふふふふ~ん。
浮かれた気分で帰宅すると、廊下でお兄様に会った。
「おかえり」
「ただいま~」
笑顔で返事をして横を通り過ぎようとした私に対し、お兄様は、ん?という顔をして片眉を上げた。そして私に顔を近づけると、
「なんか、かすかに火薬の匂いがする…」
「えっ、嘘?!」
私は巻き髪を鼻にあてて匂いを吸い込んだ。本当だ、ちょっと匂いが付いてる!
「実は、お友達と花火をしてきたんです…」
一応、両親には塾に残って勉強をしてくると連絡してあったので、花火がばれるのは少しまずい。
しまったぁ…という顔になった私に、お兄様はふっと微笑んだ。
「ふぅん、そうか。友達と花火をしてきたのか。花火は楽しかった?」
「とっても!」
この様子だと、お兄様は私が花火をして帰ったことを咎める気はないらしいので、私は力いっぱい頷いた。楽しかったよ、花火。またやりたいなぁ。
「友達と遊びに行くのはいいけど、あまり遅くなるようだったら今度から僕に連絡して。迎えに行くから」
「お迎えの車があるから大丈夫よ?」
今夜も梅若君達とは塾のある駅まで一緒に戻ってきて、私はそこから迎えの車で帰ってきた。
「兄としては、それでも心配だからさ」
お兄様が優しく笑った。
今度はお兄様を誘って、家の庭で花火をしようかなぁ。