290
翌日はラベンダー畑や牧場に寄って軽く乗馬をして楽しんだ。体験乗馬なので、ポニーしか乗れない私でも安心だ。
「失敗したわ。昨日ジンギスカンを食べずに、今日この牧場で食べれば良かった」
菊乃ちゃんが、新鮮なジンギスカンを食べ損ねたと悔やんでいたけど、可愛い羊と戯れた後、羊の群れを目の前で見ながら羊のお肉をぱくぱく食べるのはちょっと…。菊乃ちゃんは、なかなか肝が据わっている。
ラベンダー畑は開花時期にぎりぎり間に合って、一面のラベンダーを見ることができた。そこでラベンダーオイルや石鹸など、ラベンダーにちなんだ商品を買い、ラベンダーアイスも食べた。ラベンダーアイスのお味は…、うん。まぁ、昔食べた薔薇ジャムよりはおいしかったかな…。
牧場で食べた新鮮な牛乳を使ったソフトクリームはとってもおいしかったよ。
お土産コーナーで牧場のハムやチーズなどを選んでいると、芙由子様が「ふふふっ」と笑った。
「どうかしました?」
「いえ。こうして、お友達と旅行に行ったり、お食事に行ったりする日がくるなんてと考えたら、なんだかおかしくて…」
言われてみればそうだよねぇ。芙由子様は浮世離れしていて、私達がおしゃべりで盛り上がっていても黙ってその場にいるだけで、自分からおしゃべりに参加することもなかったから、あまり積極的に友達付き合いをする気がない人なのだと思っていたし、私達が普段しているような俗世にまみれたくだらないおしゃべりには関心もなさそうだから、きっと話も合わないだろうと勝手に決めつけていたからなぁ。今思えば、私達のおしゃべりに関心がなかったわけじゃなく、単におっとりしすぎていて話の輪に入るタイミングが掴めなかっただけなのだとわかるけど。
まぁ、だったら芙由子様と今は完全に話が合うかと聞かれたら、返答に困るけどさ…。主にオカルト方面で。
「あの時、思い切って麗華様に声を掛けて良かった」
「あの時?」
私と芙由子様は初等科からの付き合いだ。同じピヴォワーヌメンバーで、その繋がりもあって一応私達のグループにも入っていたので、それなりに親しくはあったけど、芙由子様とここまで仲良くなったきっかけといえば、休日に呼び出されていった先で怪しげなスピリチュアルの勧誘を受けた時だ。たぶんその時のことを指しているのだろうなぁ。確かなんちゃらの加護を受けた高位のヒーラー、リュレイア様だっけ?
「芙由子様。確認ですけど、リュレイアさんという人とは手を切ったのですよね?」
「ええ。麗華様に説得されて以来、リュレイア様達とは距離を置いていますから、大丈夫ですよ」
良かった。
「ふふっ。心配してくれてありがとう。麗華様に言われて、それから鏑木様からご指摘も受けて、私も目が覚めましたから」
「そうですか」
芙由子様にはリアリストの鏑木の霊現象に対する反証がかなり効いたようだった。鏑木もたまには役に立つ。おかげで芙由子様のスピリチュアル好きは今も変わらないけど、常識の範囲内で留まっているようだ。
スピリチュアルといえば、今朝起きたらベッドサイドのテーブルに、水晶が置いてあった。芙由子様いわく、邪気を吸い取ってくれるそうです。
魔除けの護符に、邪気を吸い取る水晶。芙由子様のスピリチュアル好きは、常識の範囲内で留まっているはずだ…。たぶん…。
しかしあれらを芹香ちゃん達に見られるわけにはいかない。これで今夜もスピリチュアル趣味に免疫ができてしまった私が、芙由子様と同室決定か。
私が、今夜どうやってあの護符と水晶と向き合おうかと思案していると、
「お友達と旅行なんて夢みたい」
芙由子様が嬉しそうに笑った。
「そうですねぇ」
私だってあの頃は、この人絶対にやばい人だと引いていたのに、まさかその芙由子様と一緒に夏旅行にまで行く仲になるとは想像もしなかったなぁ。
でも芙由子様がスピリチュアルに傾倒して色々と呪術的なものに興味があったのも、理由のひとつに友達が欲しいという願いがあったんじゃないかと推測している。だから、今の芙由子様が楽しそうなのは良いことだ。
「また皆で行きましょうね」
「ええ」
芙由子様が笑顔で頷いた。
「麗華様、芙由子様~。チーズケーキがありましたよ」
「えっ、チーズケーキ?!」
牧場の新鮮なチーズを使ったチーズケーキ!それはぜひお土産に買って帰らないと!
私は芙由子様の手を取って、芹香ちゃん達の元に急いだ。
たくさん購入したお土産は、すべて自宅に送ってもらう手続きをして、夕食は北海道で獲れた海の幸だ。私としては北海道名物のラーメンも捨てがたいと思うのだけど、瑞鸞のお嬢様方の選択肢にはラーメンなるものは存在すらしていないらしい。そもそも芹香ちゃん達はラーメン屋さんでラーメンを食べたことがあるのかな?
でもいくらもウニもカニもおいしいから、文句はないんだけどねー。
「今回の旅行は楽しかったわね~。でも私はまだ北海道内に行ってみたい場所がたくさんあるの。もっと居たかったわ」
「いつか冬にまた来ましょうよ。それで流氷を見に行きませんか?」
「いいわね!芙由子様がおっしゃっていた、ライトアップされた冬の支笏湖にも行きたいし!」
芙由子様のお目当てはロマンティックなライトアップではなく、心霊現象なんだけどね…。芙由子様は誤解をあえて否定せず、ニコニコと笑っていた。確かに人を選んでいる…。
ホテルにチェックインすると、先に預けていた荷物を開けて、さっそく芙由子様は部屋中に護符や水晶をセッティングし始めた。そこに今日新たに買った壁掛けタイプの幸福の守り神の木彫り像も加わる。購入の際に芙由子様にお揃いで買いましょうと誘われたけど、謹んでご辞退申し上げた。風水にもはまっている芙由子様は、方位磁針を取り出して吉方位に木彫り像を設置していた。この人はもう、自分の趣味を私の前でまったく隠す気がないよね。セッティングに遠慮がない。
「そういえば、麗華様。リュレイア様といえば、あの時に麗華様はご自分は狸の霊に憑かれていると言っていませんでしたか?」
「そうでしたっけ?」
勧誘を躱すための適当な方便だ。
「その後、狸の霊はどうなりました?」
「元気ですよ」
狸腹を少しでも改善させようと、父の日に巻くだけで腹筋が割れるという謳い文句の低周波装置を通販で買ってプレゼントしたら、張り切って巻きすぎておなかに低温やけどを作っていたけどね。
しょうがない。美食な狸には北海道のカニを宅配で送っておこう。
キャリーバッグから明日着る服を取り出していると、バッグの底がザラッとした。やだ、清めの塩がこぼれてる!もうっ。密封用の袋に入れてくれば良かった。
昨夜は私が先にお風呂に入ったので、今日は芙由子様に先を譲った。そして芙由子様がバスルームに消えると、鏡の横に座ってスケジュール帳を開いた。忘れない内に今日のことをメモしておかなくちゃ。えっと、ラベンダーアイス、ソフトクリーム、チーズケーキ、…。芙由子様の鏡文字はスピリチュアルだけど、私の鏡文字は暗号用だから…。
こうして昼間は北海道を食べて遊んで、夜は芙由子様の怪談話から耳を塞いで逃げ回った2泊3日の北海道旅行が終わった。
飛行機で帰路に着くと、空港にさびしんぼうの狸の霊が迎えに来ていた。
お父様、仕事はどうした。