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今から鏑木がここに来るだと?!
「そうですか。では私はお邪魔なので帰りますね」
私はにっこり微笑んだ。
「吉祥院さんが邪魔なわけがないじゃない。変な気を回さずゆっくりしていきなよ」
円城もにっこり微笑んだ。
「いえいえ。親友おふたりで積もる話もあるでしょうし、部外者は退散いたしますよ」
「そんなこと言わずに。ほら、まだケーキも残っているし」
この程度の大きさのケーキなんて、私が本気を出せば五口で完食ですよ。
しかし私がフォークを掴もうとする前に、伸ばされた円城の手によって、ケーキ皿のフォークがサッと奪われた!速いっ!
その素早い動きに目を見張る私に、円城は黒く微笑みながら、
「ダメだよ、吉祥院さん。自分だけ逃げようだなんて。ここで会ったのも何かの縁。一蓮托生だよ」
「…これから来るのは、円城様の親友ですよね?」
「そうだね」
だったら今の完全な厄介者扱いの台詞はなんだ。
円城は戦利品の如く、手の中のフォークを見せつけるようにくるくると回した。
「ねぇ、吉祥院さん」
「なんですか…」
「僕は知っているよ。吉祥院さんって、食べ物を残せない人だよね」
「ぐっ…」
…そうだ。鏑木じゃないけど、私も作ってくれた人の気持ちを考えると、出された食べ物を残すのにとても抵抗があるのだ。だから多少苦しくてもなるべく食べる。特にこういったこじんまりとした個人店舗で出された食べ物は、申し訳なくて絶対に残せない。
そんな私の弱点を熟知した円城は、フォークを見つめながら白々しくも同情した表情を浮かべて、
「だったら、ケーキを食べ終わるまでは帰れないねぇ」
「……」
なんてやつだ…。黒い。黒すぎるっ。
悔しさに目を据わらせる私など意に介さず、円城は人質のフォークで私のお皿の上のケーキをつつくと、「まぁ、そんな怖い顔しないで」とその欠片を取った。
「ほら、ゆっくり食べていきなよ。あ、僕が食べさせてあげようか?はい、吉祥院さん、あ~ん」
「すみませーん。フォークをもう1本いただけますかぁ?」
私は手を振って店員さんを呼んだ。円城はテーブルに突っ伏して大笑いした。
…なにが「あ~ん」だ。人をバカにして!これだから恋愛謳歌村の連中は嫌いなんだ!からかわれた怒りで、顔に血が上ってくる。そのつむじにフォークを突き刺してやろうか…!
私は未だ笑い続けている円城を無視して、新しくもらったフォークを使ってチョコレートケーキを無言で食べた。
「怒った?」
「……」
「ごめんね?だって吉祥院さんが、自分だけ逃げようとするからさぁ」
さっきから仮にも親友に対して、その言い草はいいのか…?
「どうして部外者の私がこんな目に…」
「部外者だなんて、僕達三人は幼馴染じゃないか」
えっ?!私達って、幼馴染だったの?!
…言われてみれば、初等科入学の6歳の時からの知り合いだから、幼馴染といえるのか。でも現在進行形で同じ学校に通っている同級生だから、幼馴染という印象はなかったなぁ。
今のは目から鱗の発言だった。
「それに、雅哉は吉祥院さんにも用事があるみたいだし」
「…私に?」
「吉祥院さんにメールを送ったけど、返信がないから丁度良かったってさ」
「メール?!」
その言葉に私はハッとして、カバンから携帯電話を取り出した。
…あった。鏑木からの着信メール。
「メール入ってた?」
「はい…」
「なにか緊急の用件だったの?」
「本日のお弁当の献立メールですね」
「…それだけ?」
「本日のメニューはカレーだったそうです」
これのどこが緊急の用件なのでしょう。
可哀想なものを見る目で、円城は私のお皿にそっとフォークを返してくれた…。
「円城様、着信拒否のやり方って知っています?」
「気持ちはわかるけど、無駄な抵抗じゃないかなぁ」
「意思表示って大事だと思うんですよね」
「う~ん」
でも口では強気なことが言えても、実際は小心者の私に、鏑木を着信拒否になんてできないんだけどねぇ。私にできる抵抗は精々、電波が悪かったフリをして返信を遅らせる程度のものだ。
「鏑木様はなにをしに来るのでしょうね…」
「僕達が一緒にいるのを知って、自分も来たくなったんじゃない?」
要するに自分だけ除け者はイヤだということか。寂しがり屋だな。
「吉祥院さんのカバン、なんだか荷物がたくさん入っていて重そうだね」
私の横に置いてあるカバンを指差しながら円城が言った。
「そうですね。塾の夏期講習のテキストが入っているので」
「あぁ、そっか。今日は塾の帰りだっけ」
「ええ」
円城が関心を持ったので、私はテキストを見せてあげた。
「ふぅん。結構深くまで掘り下げているんだね」
「そうなんです。ここなんて今日やったんですけど難しくて…。帰ったら復習しないと」
「あぁ、ここは…」
そう言って円城は、私にわかりやすく説明をしてくれた。なるほどね~。
「ちなみに円城様、こちらは」
「どれ?」
私がペンを取り出して、わからない問題を円城に解かせていると、音を立ててお店のドアが開いた。
「来たみたいだ」
「えっ」
振り返ると、こちらに歩いてくる鏑木がいた。もう来たのか。
私はテーブルに出していたテキストを片付けた。
「早いね。近くにいたの?」
円城は挨拶代わりに軽く手をあげると、鏑木が座れるように自分の隣のスペースを空けてあげた。
「車を走らせている途中だったからな」
そう言いながら、鏑木の視線が私に向いた。
「ごきげんよう…」
なんとなく、鏑木のお気に入りのお店に許可なく勝手に出入りしていたことに、後ろめたさを感じて声が小さくなる。こういうのを気にする人っているもんね…。
「えっと、先日鏑木様に教えていただいたこのお店のコーヒーを、私も気に入ってしまいまして…」
「そうか」
私の言い訳に鏑木は淡々と頷くと、自分もコーヒーを注文した。
「それより、のんびりとコーヒーを飲んでいる時間があるなら、すぐにメールの返事をしろ」
鏑木にはそっちの方が問題でしたか。
「誰もが常にリアルタイムで着信に気づく環境にいるとは、限らないのですよ」
それにお弁当の献立メールの返信なんて、“そうですか”しかないよ。
円城も「そうだよねぇ」と私を擁護したので、鏑木が不満気な表情になった。あ~あ…。
しょうがないので、「それで、今日の献立はカレーだったそうですね」とメールの話を促してあげた。
すると鏑木は「そうなんだ!」と今日の出来事を話し始めた。
「今日の弁当は蓋を開けたら、白米が一面に敷き詰められているだけで他に惣菜の類がなかったんだ。だから俺は最初てっきり惣菜を詰めた別の弁当箱を高道が忘れてきたのかと思ったんだが、なんと白米の下にカレーのルーがあったんだ!」
「へぇ、それは斬新だね」
「ドライカレーだったらわかりますけどね」
私達の反応に勢いをつけた鏑木は、そうだろうと頷くと、
「予備校には食堂はないが電子レンジはあって、受講生は持参した食べ物を温めることができるんだが、高道が弁当箱をレンジに入れてしばらくしたら、辺りにカレーの匂いが漂ってきたんだ。俺はそこで初めて下にカレーが隠されていたことに気が付いた」
同じ容器にカレーを入れて持ってくるって、なかなか大胆な発想だな、若葉ちゃん。
「二人分のお弁当だと、別の容器に分けてくるとそのぶん荷物が増えちゃいますからね。工夫したのでしょう」
「あぁ、そういうことか」
私の言葉を聞いて、円城が若葉ちゃんの行動に納得した。
鏑木は、
「高道には、いつも驚かされる」
と相好を崩した。
「肝心のカレーはおいしかったの?」
「もちろんだ。普段俺が食べている味とは少し違ったが、味は良かった」
そうでしょうとも。若葉ちゃんの家のカレーは家庭の味でおいしいのだ。
「良かったね。それで?今度カレー屋さんに行く約束はした?」
「えっ」
「えっ」
突然なんの話?
同じ反応を示した私と鏑木に、円城は呆れた視線を向けた。
「お弁当にカレーを持ってくるということは、カレーが好きなんだろうから、おいしいカレーの店を知っているから一緒に行こうと誘えばよかったじゃない」
そんな手があったのか…。なんてナチュラルな誘い文句。そして確信する。やっぱりこの人は私達の村の人間ではないな。
鏑木は腕を組んでソファにもたれた。
「カレーは今度誘ってみる。他になにか知恵はないか。吉祥院」
「えっ、私?!」
知恵と言われても、もうなにも出ないよ。
「そうだ。ここで一気に差を縮めるアイデアはないか。近々家の用事で海外に行く予定があるから、数日会えないんだ」
「う~ん、そうですねぇ…。ではミラー効果を活用してみては?」
ミラー効果は、相手と同じしぐさや行動を取ると、その相手に親近感を覚えてもらえるという心理学だ。
「あぁ、あれか。相手が髪を触ったら自分も触ったり、腕を組んだら自分も腕を組んだり、同じ食べ物を食べたりする…」
「ええ、それです」
「それって目羅博士の小説に出てきたなぁ。ミラー効果で人の心を操って殺すんだ。雅哉、高道さんの等身大人形を用意するといいよ」
「絶対にやめてください!」
円城、あんたすべてにおいて黒すぎるよ。もっとこう、明るい発想ができないの?!
「お前等、俺になにをさせるつもりなんだ…」
「私は無実です!」
「そうだよ。僕達は無実だよ。ねぇ、吉祥院さん」
「円城様と私を一緒にしないでください」
「冷たいなぁ。僕達は同じ蓮の上で生まれた仲間じゃないか」
「錯覚です!」
誰が円城と一蓮托生なんてするもんか!
「それよりも前から気になっていたんですけど、鏑木様は夏期講習が始まってから、毎日高道さんにお弁当を作ってもらっているんですよね」
「ああ。それがどうした」
若葉ちゃんの家に遊びに行く度にごはんをごちそうになっている私が言うのもなんだけど、塵も積もれば山となるで、毎日お弁当を作ってたら、そのぶん高道家に余分な食費がかかっているよね。
それらしきことを伝えると、鏑木も難しい顔になった。
「食費を渡したほうがいいか」
「現金をそのまま渡すのはちょっと…」
高校生の間でお金のやり取りはどうかと思うし、現金報酬を渡しちゃったらお弁当作りは仕事になって、差が縮まるどころか開いてしまうと思う。
「ではどうする」
「お弁当を辞退することはイヤなのですよね」
鏑木がむうっと黙り込んだ。そりゃそうか。
「だとしたら、現物支給はどうでしょう」
私の家もそうだけど、鏑木家もこの時期はお中元で各地から食べ物がたくさん贈られてきているはずだから、良いお肉とかの食材をお礼にあげたらどうだろう。
「わざわざ買ったものではなく、家にある物をあげるのならば、高道さんも比較的遠慮なく受け取れるのではないでしょうか?」
「なるほどな。検討しよう」
すると私達の会話をずっと聞いていた円城が「ねぇ」と話しに入ってきた。
「今の話を聞いていて思ったけど、高道さんにお弁当のお礼をするとして、僕達は吉祥院さんにもお世話になっているのに、吉祥院さんにはお返しをほとんどしていないよね」
「えっ」
急になにを…?!
「吉祥院にか…」
鏑木も考え込んだ。
「いや、ちょっと別にお返しとかはいいですから」
私は慌てて否定した。
「そうはいかないよ」
「いえいえ、お気になさらず」
強いて言えば、私を面倒事に巻き込まないでくれるのが一番のお返しだよ。
私が頑なに固辞すると、円城は「そう?なにか僕達で力になれることがあったら、いつでも言ってね」と引いた。
それから若葉ちゃんにあげるお礼の食材を選別したり、鏑木の朝顔市の話をまた聞いたりして時を過ごした。
「朝顔市といえば、吉祥院さんも朝顔市には行ったの?」
「え、まぁ…」
「なんだ。お前も来ていたのか」
「いえ。私が行ったのは別の場所のですから…」
朝顔市に誰と行ったのかと聞かれたくなかったので、私は「コーヒーも飲み終わりましたし、そろそろ帰りましょうか」とカバンを手に持った。
「吉祥院さんのぶんは僕が払うよ」
私が伝票に手を伸ばす前に、立ち上がった円城がそれを取った。
「でも…」
「僕が無理に引き止めちゃったからね」
私は「ではごちそうになります」とお礼を言った。
お会計を済ませた円城に続いて表に出ると、空に一番星が輝いていた。思わず見とれた私は、足元の段差を踏み外した。
「あぶなっ…。痛っ!」
すぐ後ろに立っていた鏑木が、滑った私の腕を掴んで支えてくれたが、その拍子に私は鏑木の足を思い切り踏んでしまった。
「わっ、ごめんなさい!」
「痛…っ。この豚足が!」
「と、豚足?!」
絶句する私に代わって、円城が「吉祥院さんの足は全然太くないでしょ。女の子に失礼だよ」と鏑木を窘めてくれたけど、踏まれた足の痛みをこらえる鏑木は謝る気はなさそうだった。
「信じられない…。女の子にそんな酷いことを言うなんて。私は前から何度も言っていますよね。鏑木様には気配り、常識、デリカシーがないと!鏑木様にはデリカシーの欠片もないのですか!」
「吉祥院。俺はこれまで気を使ってきたからこそ、黙っていたんだ。お前、前より太ったぞ」
「あ…」
私は目の前が真っ暗になった。
「雅哉!そんなことないよ、吉祥院さん。吉祥院さんは今でも充分痩せているよ」
あまりのショックに口からエクトプラズムを出す私に、円城が必死に声を掛けてくれるけど、なにも聞こえない。あぁ、白目を剥きそう。
確かに元の体重より、2、3キロ太っているのだ…。見た目にはわからないと思ったのに、周囲に、しかも鏑木にバレていたなんて…。
「…鏑木様のせいじゃないですか」
「は?」
私は鏑木をキッと睨みつけた。
「鏑木様がファーストフードだお好み焼きだと私を引っ張り回したから、食べ過ぎたんです!それをよくもそんな…」
「あのなぁ、吉祥院。食べたって運動すれば太らないんだ。お前は全然運動をしていないだろう」
「なんで鏑木様にそんなことがわかるんですか」
「見ればわかる。それにさっき掴んだ二の腕にも全く筋肉がなかった。運動をしていない証拠だ」
私はノースリーブワンピースから出た二の腕を両手で抱えるように隠した。
「お前は俺の母親のダイエットプランによく参加していたけど、だいたい断食だのエステだの、運動もせず食事だけで楽に痩せようなんて考えが甘いんだ」
え、それ主催している企業の御曹司が言っちゃっていいの?
「前にウォーキングをしていたが、あれは続けているのか」
「今は少しお休み中で…」
ウォーキングじゃなくてジョギングだけどね。寒いから暖かくなるまで少しお休みと言って、そのまま休みっぱなしなんだよなぁ…。ジョギングの指導をしてくれていた護衛の三原さんの、物言いたげな視線を時々感じて気まずいんだ…。そういえば真面目にジョギングをしていた頃は食べても太らなかった気がする。
「よし、わかった」
え、なに。
「俺がお前のダイエットに付き合ってやろう」
「はあっ?!」
なに言ってんの?!
「さっき秀介が言っていただろう。吉祥院にもなにか返すべきだと。だから俺がお前を痩せさせてやる!」
「ええーーっ!」
「とりあえず海外から帰ってきてからだな」
えっ、えっ、勝手に話を進めないで!
「うちのジムは最新のマシンが揃っているから期待しておけ」
とんだありがた迷惑だー!
私は今度こそ白目を剥いた。