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海外のサマーキャンプに参加している雪野君から、エアメールの絵葉書が届いた。
カヌーで川下りをして、バーベキューをしましたと、綴られている。初めてのカヌー体験では腕が筋肉痛になったり、バーベキューでは上手に野菜が剥けたと、雪野君がサマーキャンプを楽しんでいる様子が文面から伝わってきた。体の弱い雪野君がサマーキャンプなんて大丈夫かなぁと心配していたのだけど、元気に過ごしているようで良かった。
でも、サマーキャンプかぁ。正しい夏休みの楽しみ方で羨ましいなぁ。
受験生の私は今日も塾の夏期講習。毎年受ける度に思うけど、夏休みなのに寝坊もできずに毎日勉強しに行くって、全然休みじゃないよ。
それでも自分で行くと言ったからにはサボるわけにもいかず、今日も頑張って夏期講習を受けてきた。もう朝から勉強漬けでぐったりだ。
そんな1日勉強をして疲れた頭には、栄養補給の糖分が必要だ。私は帰りに寄り道をしていくことにした。
行き先は先日鏑木に呼び出された珈琲専門店だ。
あのお店のチーズケーキは絶品だった。肝心のコーヒーも普段あまりコーヒーを飲まない私もおいしく飲めたし、お土産に買って帰ったら、コーヒー好きのお父様とお兄様にも好評だった。試しにそのコーヒーを使ったコーヒーゼリーを作ってみたらこれもおいしくできて、今私はコーヒーゼリー作りにはまっている。
鏑木の呼び出しは迷惑だったけど、良いお店を教えてもらえたのは収穫だったな。
お店の扉を開けて、どこに座ろうかと落ち着いた店内を眺める。あの柱時計の下にしようかな…。
すると、
「吉祥院さん?」
「えっ」
奥まった席に、少し驚いた表情で座っている円城と目が合った。
「円城様?!」
「やっぱり、吉祥院さんだ」
どうしてここに…。
私は円城の手招きに応じて、円城の座る席に向かった。
「偶然だね。まさかここで吉祥院さんに会うとは思わなかったよ」
「そうですね」
私だって円城に会うとは思ってもみなかった。
「誰かと一緒?」
「いえ。私はひとりですけど…。円城様は?」
「僕もひとり」
「そうですか…」
挨拶はしたものの、この後どうしようか…。ではこれで、と言って他の席に座る?
そこへ待ち合わせだと思われたのか、店員さんが円城の前の席にお水を持ってきてしまったので、ひとりで別の席に座りますとも言えず、なし崩し的にそのまま円城と同じ席に座ることになってしまった。
「せっかくひとりの時間を堪能していたのに、よろしいのでしょうか」
「僕は全然かまわないよ。話し相手ができて嬉しいくらい」
「そうですか」
なんだか、この前も似たようなことがあったよなぁ…。
「この前もサロンで偶然会って、一緒にお茶を飲んだよね」
「あ、今私も同じことを思い出していました」
「運命かな」
「違うと思いますよ」
私は店員さんを呼んで、ケーキセットを頼んだ。もちろんケーキはチョコレートケーキで。楽しみだな。
「僕はここのコーヒーが好きなんだ」
「そうなんですね」
鏑木が気に入っている珈琲店だったら、円城も行きつけなのは当然か。円城はコーヒーが好きだって前に言っていたものね。
「でも吉祥院さんがこのお店を知っていたなんて、意外だな」
「先日、鏑木様に教えてもらったのです」
「雅哉に?」
円城が不思議そうな顔をした。
「例の夏期講習の話をどうしても誰かに話したかったようで、鏑木様に呼び出されたんです」
「あぁ、なるほど。それで吉祥院さんは律儀に聞きに来てあげたんだ。優しいね」
「押し切られて断れなかったんです。否も応もありませんでしたよ」
私はここぞとばかりに、円城に愚痴をぶつけた。
「それだけではなく、鏑木様からは毎日、それはもう長いメールが送られてきています」
「あはは。想像できるよ」
ちょっと、笑いごとじゃないんだけど。
「それで?長いメールって、雅哉は吉祥院さんにどんなメールを送ってくるの?」
「内容は夏期講習での今日の高道さんとの出来事で、メールというよりほぼ日記です。今日の手作りお弁当のメニューは何で、こんな味でおいしかったとか、こんな話をしたとか…」
「まさに日記だね。それを吉祥院さんはちゃんと読んで、毎回返事を送っているの?」
「返信がないと催促のメールがきて、それを無視すると電話が掛かってきますから」
円城は肩を震わせた。
だから笑いごとじゃないんだってば。
「鏑木様は円城様には、メールを送らないのですか?」
「短いメールならきているよ。でもまともに相手をしないから、張り合いがないみたいだね」
「…おかげでそのとばっちりが、すべて私にきているんですけど!」
「それは大変だねぇ」
コーヒーに口を付けながら、他人事みたいに頷く円城にイラッとした。
「こういう恋の話の聞き役は、親友である円城様の役目なのではありません?」
「イヤだよ。面倒くさい」
あ、はっきり言った。
「それに、僕も人の恋の相談に乗っている場合じゃないから」
「えっ、円城様にもなにかあるんですか?」
「秘密」
好奇心に身を乗り出した私に、円城は人差し指を自分の口に当てて、微笑んだ。
え~っ、そんな思わせぶりな台詞をちらつかせておきながら言わないって、性質が悪くない?もやもやするじゃないか~!
「ほらほら、ケーキセットがきたよ。コーヒーを飲んで落ち着いて」
駄々っ子をあしらうような円城の態度に益々イラつきながらも、私はチョコレートケーキを小さく切って一口食べる。おおっ。
「お味は、どう?」
「想像以上に甘くて濃厚です」
「コーヒーの苦みに合わせているからね」
そうかぁ。だったらコーヒーのミルクとお砂糖は少な目に入れた方がいいかな。
「おいしい?」
「はい」
「良かったね」
片手で頬杖をついた円城が微笑んだ。
…見られていると気になって食べにくいからやめて欲しい。崩れやすいミルフィーユを頼まなくて良かった…。
「でもさぁ、吉祥院さんもなんだかんだ言いながらも、雅哉の相談に乗ってあげるんだから、お人好しだよね。そんなお人好しだと、いつか悪いヤツに騙されるんじゃないかと、僕は吉祥院さんが心配だよ」
巻き込んだ張本人のあんたがそれを言うか…。まったく、あの天使の雪野君の実の兄が、どうしてこんなに裏がありそうな黒いヤツなのか。ほら、今も一緒にいるだけで緊張で手汗が…。
あ、そういえば。
「雪野君から、とてもきれいな山の風景の絵葉書が届きましたよ。雪野君はサマーキャンプを満喫しているようですね」
「吉祥院さんにも送ってきたんだ?そうみたいだね。向こうで友達もできて、楽しくやっているみたいだよ。電話で鼻の頭を日焼けしたって言ってた」
「ふふふっ。カヌーで日焼けしてしまったのかしら。バーベキューでお野菜を剥いたと書いてありましたよ」
「きっと帰ってきたら、得意気に習った料理を披露すると思うよ」
「あら、お兄様はすべてお見通しですか?」
「兄の勘というより、僕と雅哉が小学生の時にサマーキャンプに参加した時の経験かな。僕と雅哉も自分達が教わった料理を皆を集めて、それはもう得意気に披露したからさ」
「そんなことがあったんですか」
「うん。でも実際に作ったら、現地で食べた時とは一味も二味も足りなくてさ。皆はおいしいよって言ってくれたけど、僕達が作って皆に食べさせたかったのは、こんなのじゃない!ってふたりして拳を握りしめて悔しい思いをしたよ」
「まぁ」
腹黒円城にもそんな可愛い時代が…。
「でも、今考えたらと当然なんだけどね。プロがコーディネートした本格的なアウトドア料理と、子供が再現したものじゃ全然違うのはさ」
「そうですねぇ。それと海外の広大な自然というシチュエーションも味を引き立たせていたのかもしれませんね」
「そうだね」
「でも、それだと雪野君も同じ思いをするのかしら…」
雪野君が哀しい思いをするのはイヤだな…。
「まぁ、それも経験だよ」
「…そうですけど」
「そうは言っても、僕もあれから何が足りなかったのか研究してコツは知っているから、雪野を手伝ってやるつもりだけどね」
なんだ。
「それも経験なんて言いながら、最初から雪野君に哀しい思いをさせる気はないんじゃないですか」
「どうかなぁ」
円城は笑って煙に巻いた。
「でも研究をしたということは、円城様は料理ができるのですか?」
「普段自分で作らないから、できるって言える程でもないけどね。まぁ、人並みに」
「へぇ。そうなんですか…」
人並みのレベルがわからない…。私も耀美さんに料理を習っているけど、寛太師匠からはダメ弟子の烙印を押されているし、料理をかじったことのある円城の前では、迂闊なことを言ってボロを出さないようにしよう…。
その時、テーブルの上に置いてあった円城の携帯が振動した。円城はチラっと携帯を見ると、
「ごめん。電話だ」
「どうぞ」
私はチョコレートケーキをつついて、会話を聞いていない態度を取った。この前食べたチーズケーキと、甲乙つけがたいおいしさだな。
「うん。うん。今?今は、外でコーヒーを飲んでいるよ。いや、ひとりじゃないけど。え、誰って、吉祥院さん。ううん、約束はしていないよ。店で偶然会ったんだ」
…なにやら、私の名前が出たみたいですけど。
「えっ、今から?それは…」
電話の相手はもしかして、唯衣子さんとか…?
アホウドリが円城と唯衣子さんは夏休みにデートをしているようなことを言っていたし、本人もさっき人の恋の相談に乗っている場合じゃないと言っていたし、もしかして今から会いたいとでも言われたかな…。
通話が終わった円城は、私に向かって申し訳なさそうな顔をした。
「ごめん、吉祥院さん…」
「はい」
「雅哉が今からここに来るって」
ええーーーっ!