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謙虚、堅実をモットーに生きております! 作者:ひよこのケーキ
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 悪い予感は当たるもので、私は鏑木に押しきられ、強引にカフェに呼び出された。

 鏑木が指定したお店は、カフェというよりも珈琲店かな。アンティーク調の内装で、サイフォンの立てるコポコポという音だけが響く、静かで落ち着いた雰囲気のお店だ。


「良いお店ですね」

「そうだろう。俺の気に入りの店だ」


 おしゃれなカフェもいいけど、こういった隠れ家的なお店も落ち着いていいよね。

 私も鏑木に倣って本日のおすすめコーヒーを注文した。本当はアイスコーヒーを注文したかったけど、こういった専門店では邪道だと言われそうなので避けた。


「コーヒーだけでいいのか?ここのチーズケーキは美味いぞ」

「そうなんですか?でも、これから帰ってすぐに夕食ですので…」

「だったら小さめに切ってもらえばいい。滑らかな舌触りでありながらコクもある絶品チーズケーキなんだ」

「…鏑木様がそれほどまでにおっしゃるケーキでしたら、ぜひ一口いただいてみたいですね」


 グルメな鏑木がここまで言うんだ。これは食べないと損するかも。私はチーズケーキも注文した。

 そして本題だ。

 私は鏑木に電話では話し足りなかったことをさっさと話すがよいと、「高道さんのクッキーがおいしかった話でしたっけ?」と促した。鏑木はうむと頷いた。


「そうだ。高道はお菓子だけではなく、料理も上手だという話だ。しかもだ。俺が高道の出し巻き卵を褒めて他の副菜もおいしそうだと言ったら、良ければ明日から俺のぶんのお弁当も作ってこようかと提案してくれたのだ」

「ええっ?!」


 若葉ちゃんに手作りのお弁当を作ってきてもらう約束をしたですって?!いきなり三段抜かしくらいのステップアップをしたな!

 私の驚きに鏑木は、「やはり同じ夏期講習に行って正解だったな」と満足気な顔をした。


「明日が楽しみだ」

「へ~、そうですか…」


 あれ?でも…。


「鏑木様って、手作りの食べ物は嫌いではなかったですか?」


 瑞鸞ではバレンタインデーでも手作りチョコはあまり好ましくなく、市販の高級チョコが望ましいという風潮だけど、特に鏑木は手作りの食べ物は一切受け取らないと有名だ。


「そうだな。好きではない」

「でしたら手作りのお弁当など食べられるのですか?」

「大丈夫だ。俺が手作りが嫌いな一番の理由は、衛生面の心配と味だからな。高道は平気だ」

「ふうん」


 味かぁ。鏑木はうるさそうだもんね。


「それに手作りは押しつけがましさがある」

「押しつけがましさですか」

「そうだ。俺のためにずっと料理教室に通って、何時間もかけて作った手料理を食べてくださいと恩着せがましく言って持ってきたりな」


 それは確かに押しつけがましい…。


「それで俺が断ると、酷いと言って泣き出したりする」

「あ~…、それは大変ですね…」

「そうだろう。しかも目の前でこれみよがしに泣くことによって、こちらの罪悪感につけこんで受け取ってもらおうとする薄っぺらい計算が透けて見えるんだ。実にあざとい」

「なるほど…。でも実際に手作りを拒否されて傷ついている女性だっているのではないですか?」

「知らん。勝手に作って持ってきておきながら、必ず受け取って食べてもらえると思っている方が悪い」


 まぁ、そうだけどね…。一刀両断だな。


「要するに手作りにこもる気持ちが重いという話ですね」

「そうだ」


 ん?でもそういう鏑木だって、優理絵様に手作りのアクセサリーをプレゼントしたと言っていなかったか?手作りのアクセサリーなんて、食べれば消える手作り料理なんて目じゃない重さですけど…。

 しかし自分のことは棚のてっぺんに上げた鏑木の、手作り批判は続く。


「そもそも俺が作って欲しいと頼んだわけでもないのに、勝手に作ってきて食べなきゃ泣いて批難するって、どういう料簡だ。俺はさっきも言ったように手作り料理はまず衛生面が気になる。俺は誰であろうと爪を短く切り揃えている人間の作った物でないと絶対に食べないと決めているんだ。爪にどれだけの菌があるか、あいつらは知っているのか。ゴテゴテと飾りたてた長いネイルで捏ねくりまわした食べ物なんて食べたら、食あたりを起こすぞ!そして中から剥がれたラインストーンが出てくるに決まっている!」

「はぁ、そうですか…」


 どうやら鏑木は手作り料理に今までずいぶんと苦しめられてきたようだ。妙に実感がこもっている。実際にゴテゴテネイルの女性に手料理を出されたことがあるのかな。ま、私も爪の長い人の手料理は苦手だけど。ちなみに私も茶道をやる関係で爪は短いしネイルもしていない。ネイルサロンでお手入れはしているけどね。


「気持ちはわかりましたけど、そこはどうもありがとうと受け取っておいて、あとで処分すればいいのでは?」

「俺はそんな表ではいい顔をして裏では舌を出す様な、不誠実な真似はしたくない。それに作った女はともかく、食べられずに捨てられる食材が可哀想だろう。まず生産者に失礼だ。俺は食べ物を粗末にするのは嫌いだ」

「なるほど…」


 真面目だな。

 うん、まぁ、その食べ物を大事にする考え方は嫌いじゃないけどさぁ。真っ直ぐすぎて生きるのが大変そうだなー。


「俺が通っていた幼稚園てさぁ」

「はい?」


 なぜにいきなり幼稚園の話?!


「園が所有する土地に、畑を持っていたんだよ。園児達の情操教育の一環ってヤツで。そこで俺も野菜を作ったりしていたわけだ。まぁ作っていたと言っても、きちんと大人が管理している畑に苗を植えたり水を撒いたりするくらいだけどな。でも育てた野菜が実れば嬉しかったし、台風が来てダメになったりすると凄く哀しかった」

「はい」

「だからさ、そうやって苦労して育てられた食材が、食べられずに捨てられていくっていうのは、俺はダメなんだよ。でもだからと言って信用できない料理を食べるのも、気持ち悪くて絶対にイヤだ。わかるか?このジレンマ。本当に困ってるんだよな、手作り料理の押し付け。手作りは食べないって宣言している人間に、自分の作った物だけは食べてくださいって持ってくるヤツの心理って、一体なんなんだろうな」

「う~ん…」


 料理ができるアピールかなぁ。


「でも、そこまで潔癖症で味にこだわりがあるのに、高道さんの作ったお菓子なら食べられるのですね」

「食べ物を扱う店の娘だけあって高道はしっかり爪も短いし、あの家のケーキは美味い。それに高道の作った物は不思議と抵抗がないんだ。なぜだろうな。あとは優理絵。優理絵の作った物なら昔から食べられる」


 要するに好きな子の作った料理は食べられるってことでしょう?鏑木の心持ちひとつじゃないか。


「ちなみにですが、私がもし鏑木様のために手作りお菓子を作ってきたとしたら?」


 私は両手を顔の前に上げて、短く切った爪を見せた。


「あ、すまん。俺はビーガンだから専用の食事しか受け付けないんだ」


 …あんたが絶対菜食主義者だったなんて、初めて聞いたよ。今日のお昼に若葉ちゃんの作った出し巻き卵を食べたくせに、なにがビーガンだ。


「まあっ、それは初耳ですわぁ。散々お肉の入ったジャンクフードを食べてきているのを、この目で見ておりますが。焼き鳥も食べましたよね」

「……俺の生存本能がやめろと激しく訴えているんだ」


 なんだよ、それ。失礼じゃないか。爪は短いから、衛生面とは別の理由で食あたりを起こしそうだということか?私の手料理はまずそうだということか?私は耀美さんに料理を習いに行っているんだぞ。どんどん上達していますねって耀美さんからお墨付きももらっているのに、なんて失礼な。

 別に鏑木なんかに労力を使って手料理を振る舞う気なんてないからどうでもいいけどね!私の料理の腕前は、未来の彼氏や旦那様のためだから!

 将来結婚をしたら、愛する旦那様のために、私は毎日愛情たっぷりのお弁当を作るのよ。玄関先でお弁当を受け取った旦那様はきっとこう言うわ。「ありがとう。麗華の作ってくれるお弁当を食べると、午後も元気百倍だよ」いや~ん!お仕事頑張ってね、あ・な・た。

 そしてふたりの結婚記念日の日のお弁当には、白いごはんに桜でんぶで大きなハート。会社の同僚達から旦那様が冷やかされちゃうかしら?うふっ。

 ……虚しい。

 そこへコーヒーとチーズケーキが運ばれてきた。


「あ、このチーズケーキ本当においしい」

「だろう?」


 普段コーヒーはあまり飲まないけれど、甘いチーズケーキと一緒に飲むとおいしいな。


「俺もチーズケーキを注文しようかな」

「チーズケーキは乳製品ですから、ビーガンの鏑木様はお召し上がりになれないのでは?」

「……」


 ビーガンはミルクも入れずブラックコーヒーだけ飲んどけ。


「そういえば、高道に朝顔市の話をしたぞ」


 なに?!

 私はチーズケーキから顔を上げた。


「そうしたら高道も興味をもって、ぜひ行ってみたいと言っていた」

「そうですか。それでどこの朝顔市に行くのですか」

「秀介が言っていた、夜もやっている市に行こうと思っている。予備校の帰りに寄れるしな」


 よし。そこは避けよう。


「今年は良い夏休みになりそうだ」

「そうですか~」


 私は適当に相槌を打つと、コーヒーが好きなお兄様とついでにお父様のために、コーヒーを買って帰れるかを店員さんに聞いた。

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