2016/5/18 「心は厚く燃えさかっている」 → 「心は熱く燃えさかっている」訂正しました
ミーンミンミンミン!
ミーンミンミンミン!
ミーンミンミンミン!
ミーンミンミンミン!
店の外では呪いの呪文のように、セミがひたすらがなり立てている。
じりじりと焼き付けるような陽光。
その声と熱は、地獄に落ちた亡者に対する責め苦のようだ。
だが、それはあくまで店外の事。
この冷房が完備されたシカダ駄菓子の店内では快適な空間が備わっていた。
だが、ただ一つだけ不満があるとするならば、それは今、この鹿田ココノツが父親の代わりに店番を任されている事だけだ。
はぁー、とため息をつきながら机に突っ伏す。
出来るならば、部屋に戻って漫画の続きを描きたいんだが。
そうしてだらだらしていると――。
「聞いて、ココノツ君!」
店に飛び込んできた人物がいる。
黒い薔薇のついたヘアバンド。純白のブラウスに黒のスカート、黒のタイツ、そして黒の靴と白黒2色でまとめられた服装に、首の赤いリボンタイがアクセントを与えている。
彼女は枝垂ほたる。
大手菓子会社の令嬢で、ココノツの父を引き抜くためにやってきた駄菓子愛あふれる人物である。
そんな彼女が、息せき切って転がり込んできた。
「どうしたんですか、ほたるさん?」
「聞いて、とんでもない事態よ!」
「とにかく、少し落ち着いてください」
その言葉に気を取り戻し、額に張り付いた髪をかき上げ、ラムネを煽る。
ぐぅっと背をそらした拍子に、汗でぬれたブラウスの胸部がぐいっと前へ突き出された。
思わずココノツの視線が固定される。
だが、ほたるはそんなことには頓着もせずに、ぷはーっと息を吐いた。
「聞いたかしら、ココノツ君。ゴリゴリ君が値上げされるのよ! (時事ネタ)」
「ああ、そうらしいですね」
「物価上昇の波がついに駄菓子にまで及んできたのね」
「まあ、仕方ないですよ。なんでも、アイスにつける木の棒の値上がりがなんとかって言ってましたね。それでこの4月から、……4月? あれ? 今、夏なような……」
「ココノツ君」
がしっとその頭をほたるが掴んだ。
「世の中には気にしてはいけないこともあるのよ」
「……はい」
よくは分からなかったが、まあ、分かったことにしよう。
とにかく一人で店番をするよりは、ほたるさんと話していた方がいい。
どうせ、来る客は少ないし、そして、いつもの客しか来ないんだし。
そう思っていたところ、店の扉がガラガラと開いた。
「いらっしゃ……」
言葉が途中で止まった。
ほたるでさえ、その姿に言葉を失った。
冷房の効いた室内。
そこへ外からの扉が開いたのなら、灼熱の熱波が店内に吹き付けるはず。
だが、扉の向こうから流れてきたのは、店内をも上回る冷気。
そこにいたのは、身の丈2メートルを優に超える巨体。その青く輝く身体は、鋭いかぎづめを生やした4本の腕を持ち、2足歩行の昆虫を思わせた。
それは無理に人間の言葉を音として発しているような声を出した。
「私ハコキュートス。至高ナル御方アインズ・ウール・ゴウン様ノ先触レトシテ参ッタ。コレヨリ後ニ訪レル至高ノ御方ニフサワシイ物ヲ用意シテホシイ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ごくり。
ココノツは唾をのんだ。
店内は冷房が効き涼しい。更に言うならば、この奇妙な客の周囲から冷気が押し寄せてくる感じがする。
だが、それにもかかわらず、ココノツの額には汗が浮かんでくる。
あの後、このコキュートスと名乗る人物――人物と呼んでいいのかもわからないが――から聞かされた話。
曰く、至高の御方がこの店に買い物に来るので、その方の眼鏡にかなう商品を用意しろという事だった。
しかし……。
ココノツはそっと、その言葉を告げた存在、コキュートスに目をやる。
コキュ―トスは物珍し気にその指で、たしたしと『ようかいけむり』で煙を出していた。
このコキュートスが仕えるという至高の御方とは、いったいどんな存在なのだろう?
見た感じは虫っぽい。
女王アリみたいなものなのだろうか?
いや、見方によっては宇宙人のようにも見える。
葉巻型宇宙船でこのシカダ駄菓子に乗りつけるつもりなのか?
考えても分からない。
相手がどんな存在なのかもわからずに、その相手にふさわしい駄菓子など選べるはずもない。
ココノツは苦悩した。
そんな中、店内を見ていたコキュートスが、たまたま細長い袋状の物手にした。
それを見たほたるが、コキュートスの外見に物怖じもせず説明する。
「それは『あんずボー』ね。
「フム。食物ナノカ?」
「ええ。そのまま食べてもいいけど、凍らせるとまた格別よ」
「ナルホド……」
コキュートスはその袋を持ち上げたかと思うと――。
〈
魔法を使った。
その光景を見たココノツとほたるは目を見張った。
ほんの直前まで、常温で保存されていた状態だった『あんずボー』が、一瞬のうちに凍り付いたのだから。
コキュートスはそれを強固な下あごの間に差し入れ、がりがりと食べる。
「不思議ナ味ダガ悪クナイ。……少々食ベヅライヨウダガ」
いや、それはビニールごと食べてるからだよ、というつっこみも出来ないほどにココノツは驚嘆していた。
「そ、それは何なんですか?」
震える声で訪ねる。
あんずボーを食べ終わったコキュートスは事もなげに応えた。
「魔法ダガ?」
「ま、魔法って……火を飛ばしたり、空を飛んだりする……?」
「ウム。ソウイウモノモアルナ」
「そ、そうなんですか……」
ココノツは言葉を失った。
魔法。
今まで、そんなものはゲームや漫画の中だけだと思っていた。
だが、それは実際に存在する。
そして、そんな魔法を使う存在が至高の御方と呼ぶアインズという人物は一体どんな存在なのだろう?
「ええと、聞いてもいいですか?」
「ナンダ?」
「あの、アインズ様という御方はどのような方なんですか?」
「コノ世ノスベテノ見通スヨウナ叡智ニアフレ、アラユル魔術ノ奥義ヲ極メツクシタ御方ダ」
「そ、そうなんですか……」
先ほどと同じ言葉を口にした。
分からねぇ。
そんな凄い人相手に、いったい何を選べばいいんだ?
悩むココノツをしり目に、ほたるがコキュートスに話しかける。
「聞いていいかしら? さっき、先触れって言ったけど、そのアインズ様はこちらにいらっしゃっていないのかしら?」
その言葉に、表情は分からないものの、コキュートスが少ししょんぼりしたように感じた。
「イヤ。アインズ様ハコノ地ニ私ト共ニオイデニナラレタ。ダガ、御自分ハ先ズヤルベキコトガアルカラト、護衛ニデスナイトヲ召喚シ、何処カヘト行カレテシマッタ。私ニハ、先ニコノ店ニ行キ、自分ガ訪問スルコトヲ伝エテオクヨウニト言ワレテ」
「やるべきことって?」
「分カラヌ……。私ハ主ノ剣。私ハ今マデソウ思イ、ソノ命ヲ叶エルコトダケヲ考エテイタ。ダガ、アインズ様ノオ考エハハルカ遠ク、ソノ命令ノ真意ヲ考エ、行動スルヨウニ仰セニナラレタ。ダガ、私ニハ何故アインズ様ガコノ地ニヤッテ来テ、私ヲ先触レニサセ、コノ店デ買イ物ヲスルノカスラ理解デキヌ……」
そういうと、がっくりと肩を落とした。
その姿には、ココノツですらも胸をうたれるものがあった。
口の中で「デミウルゴスならば分かるのだろうが……」とつぶやいていたが、デミウルゴスが誰なのかは知らない。
だが、このコキュートスという人物が、自分の主人の期待に応えられないかもと不安に思っている様子はよく理解できた。
そのアインズという主人にふさわしい駄菓子を選んでやりたい。そして、コキュートスが立派に使命を果たし役に立つ存在であると、そのアインズに知らしめてやりたい。
ココノツの胸に炎がともった。
駄菓子屋の人間としての炎が。
すっと、その隣にほたるが立つ。
「ココノツ君。これは……人類の文化の戦いよ」
その瞳を覗き込んだ。
「人類はこの世に生まれてから、絶えず食と関わり続けてきたわ。最初は、日々生き残るための食料。そして、次にいかにその味覚を満足させるかという味の向上。有史以来、いえ、歴史がまだなかったころから、人類は味の追及をしてきたわ。いま、このときこそ、悠久の歴史を経てきた全人類の集大成。最高の駄菓子をその至高の御方に味合わせてあげるのよ!」
味覚の行き着いた先が駄菓子でいいのかという疑問はあったが、もはやココノツの心は熱く燃えさかっている。
必ずや、最高の駄菓子を選んで見せる!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
蝉時雨がとどまらぬ中、真夏の暑さにも負けず公園で遊んでいた少年たちは、あんぐりと口を開けた。
少年たちの目の前に立ったのは、テレビのヒーロー番組に出てくる悪の怪人のような姿。
白い骸骨の眼窩には赤黒い光がともっており、いかにも怪しげな黒いローブを身に纏っている。そして、後ろに控えているのは、黒い鎧をまとったゾンビのような奇怪な人物。
どう考えても、夜にやる怪奇番組の中ならいざ知らず、真夏の陽光の元に出てくるような存在ではない。
どう反応したらいいのか分からず、立ち尽くす少年たちにそのしゃれこうべが顎をカタカタと震わせた。
「お前たちに少し聞きたいことがあるのだが……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
カラカラカラ。
引き戸の滑車が音を立てる。
それはシカダ駄菓子にとって来客を告げる合図。
皆の目が集中する中、店内に入って来たのは、まるでRPGの敵キャラのような黒いローブを着た骸骨だった。その後ろからは、黒い騎士風の鎧を着た人物が入ってくる。
その姿を見て、コキュートスが膝を落とし頭を下げる。
ココノツとほたるは分かった。
この骸骨こそがコキュートスの主、至高なる御方、アインズ・ウール・ゴウンであると。
「さて、私が来た目的はコキュートスから聞いていると思うが……」
自己紹介もなしにいきなり本題に入った。
ごくりとココノツが息をのむ。
「はい。これをどうぞ!」
ココノツはその手にしたものを差し出す。
沈黙が店内を包む。
それはほんの数舜のことだったろうが、その場にいる者達にとっては息が詰まるような時間だった。
「ほう。……駄菓子の詰め合わせか……」
そう、ココノツが考えたのは透明なビニール袋に数種類の駄菓子を詰め込んだ、個人用というよりむしろ人が集まるパーティー用として購入されることが多いものだった。
ココノツは悩んだ。
最高の駄菓子は何なのかと。
だが、思った。
最高の駄菓子などあるのだろうか?
この世には様々な駄菓子がある。
甘い物から、塩辛い物まで。
歯ごたえがある物から、柔らかい物まで。
そして、売れ筋の物から、売れない物まで。
いったい何を持って最高というのだろう?
万人に受ければいいのか?
それとも、誰か一人に最高に美味しいと言ってもらえる物がいいのか?
考えた末がこれだった。
決して下手な鉄砲かずうちゃ当たるという訳ではない。
この袋の中には、あらゆる嗜好に合わせた駄菓子が詰めこまれている。どんな年齢の人でも、どんな好みの人でも、……どんな人間でも美味しいと言ってくれるような様々な種類の物を取り揃えてある。
たった一つなどと選ぶ事など出来ない。
駄菓子屋に様々な種類の駄菓子がひしめいているように、この世には様々な人間がひしめいている。文化、言語、人種、皆それぞれ違いはある。その多種多様な人たちに喜ばれるようにと、詰め合わせは存在するのだ。
これこそが、人類の到達した駄菓子の集大成。
ココノツはそれを手に掲げていた。
それを前にしたアインズは、その眼窩の奥の炎をココノツに向けて言った。
「いや、私はアンデッドだから物を食べれないし」
ええぇぇーーっ……!!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そうして、アインズは『ようかいけむり』を買って帰った。
その背を見送ったココノツの手には、代金としてユグドラシル金貨が一つ輝いていた。
「……一体、なんだったんでしょうね?」
「さあ? それは分からないわね。でも――」
ほたるは遠くを見ながら語りかけた。
「――でも、彼は間違いなく、このシカダ駄菓子のお客だった。そして、ココノツ君は見事に店主として仕事をこなしたわ」
そう微笑みかけた。
ココノツもまた、笑みを返した。
「ありがとうございます。でも、それと店を継ぐのは別ですよ」
そう言って手のひらを出した。
「最初に飲んだ、ラムネ代」
ほたるはその手に硬貨を放った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
駄菓子屋を出たアインズとコキュートスは、気がついたらナザリックに戻ってきていた。
「コレハ……」
「そのマジックアイテムの効果が切れたのだろうな。おそらく、あの店で何かを買う事で戻って来れるような設定になっていたのであろう」
「ナント、ソコマデ洞察サレテイタノデスカ。コノコキュートス、感服イタシマシタ」
その答えにアインズは「うむ」とうなづいた。
テーブルの上には手の中に納まるサイズのアイテムが、壊れた状態で転がっていた。
これはアインズが冒険者モモンとして活動している中で、とある商人からもたらされた物。どのような願いでも叶える竜の秘宝の一つと呼ばれていたが……。
正直、胡散臭い代物だと思っていた。
まさかこんな物がそんな凄いマジックアイテムのはずがないと。
その為、なんとなくその手の中で転がしながら、思ったのだ。
最近、ナザリックの支配者として忙しいな……。
たまには休みたいな……。
子供の頃のように駄菓子屋に駄菓子とか買いに行きたいな……。
なんとなく、そんな物思いにふけっていたら、気がついた時にはコキュートスと共に見たこともない場所に立っていたのだ。
そして、転移する際、シカダ駄菓子で駄菓子を買うという言葉が脳裏に響いたため、その通りにすれば、戻れると踏んだのだ。
だが、さすがにその言葉をうのみにするわけにはいかず、コキュートスをそのシカダ駄菓子に向かわせている間、自分は護衛のデスナイトと共に付近を探索した。
そして、そこで出会った子供たちから情報を収集し、完全に安全だという事を確認してから、自分もまたシカダ駄菓子へ行き、適当な物を購入したのだ。
「恐レナガラ、アインズ様」
コキュートスが声をかける。
「私ハカノ地ニオイテ、先触レトシテ行動シ、アインズ様ノ許可サレタ範囲内デ行動イタシマシタガ、アインズ様ニゴ満足イタダケルホドオ役ニ立テタノカ判断デキマセン。アレデヨロシカッタノデショウカ?」
「ん? うむ……。問題ないとも。今回の事は、全ては私の実験のうちだ。お前の行動を見て、現地の人間がどう反応するかもな。お前は私の期待に十全に応えてくれたとも」
「オオ、ナントアリガタイオ言葉」
さすがに情報収集するために一人になりたかったからだ(護衛のデスナイトもいたが、それは時間で消えるし)とも言えず、適当に誤魔化した言葉だったが、コキュートスは感動に震えていた。その姿に多少の罪悪感を感じながらも、机の上の壊れたアイテムに手を伸ばした。
それにしても、このアイテムはもったいなかったな。
こんなにすごいアイテムだと分かっていれば、今のナザリックに足りない人材、軍師とかが欲しいとか願っていればよかったか。
ちょっとした後悔の念と共に、その壊れたアイテムをごみ箱へ捨てた。
その後、せっかく買ったからと部屋で『ようかいけむり』で煙を出していたら、やって来たメイドに火事だと思われて大騒ぎになったのは、また別の話。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
奇妙な来訪者から翌日。
今日も今日とて、店番を押し付けられたココノツは、だらだらとしていた。
そこへガラガラと扉を開ける音がする。
目をやるとそこにいたのは、昨日の奇妙な客ではなく、いつもの子供達だった。
「ココナツ! これとこれ!」
子供らしく元気の良い声とともに、手にした駄菓子を差し出す。
「はい。70円ね」
その子供はポケットから小銭を取り出そうとして――。
――奇妙な笛を落とした。
「それは?」
ココノツが尋ねる。
落とした少年は、それを拾い上げ、ココノツの目の前にかざして見せた。
「昨日、公園に来た悪の怪人からもらった」
「悪の怪人?」
聞くと、その容姿は絶対にあの至高の御方、アインズその人だった。
「なんだか、『ここはどこだ?』とか『きょうしゃはいるのか』とか訳の分かんないことしばらく聞いて、答えてやったら、礼だって言ってこれ貰った」
「へぇ。なんなんだ、これ?」
目の前の奇妙な物。
緩やかなカーブを描いた角のような物。それに鎖がつけられている。よく見ると角の先は切り取られ穴が開いている。もしかしたら笛なのだろうか?
「ええっと、
「ふぅん。そうなんだ。……ちょっとまて! ゴブリン!? 吹くなよ、それ!」
シカダ駄菓子は今日もにぎやかだった。
おそらく明日も、そのまた明日も。
アインズ様が使っていたアイテムは、アルティーナコラボ小冊子の際に使ったアイテムです。