上杉隆(メディアアナリスト)

 「他力本願のサッカーになりましたが…」(MF乾貴士)。「他力本願」という文字がこれほどまでに新聞紙面を飾り、テレビで繰り返し聞かされる日が来るとは、浄土の親鸞上人も想像だにしなかっただろう。

 サッカー日本代表がワールドカップ(W杯)の決勝トーナメント進出を決めた6月29日未明、対戦相手のポーランドに1点差で負けていながら、ボール回しに入って試合を終えたことが世界中で話題になっている。

 同じ予選グループで行われていたもう一つの試合、コロンビア対セネガル戦で後半にコロンビアが1点リードしたことで、得失点差で再びセネガルに並んだ日本は奇策を講じた。

 警告や退場を数値化したフェアプレーポイントで上回っていたために、セネガルのゴールがないことを祈りながら、負けを狙いに行くという賭けに出たのだ。その奇策が「前代未聞だ」と大騒ぎになっている。

 実は、予選グループのパス回しで試合を事実上終わらせる戦術はそれほど珍しいことではない。1982年スペイン大会からずっとW杯を見続けてきた元中学サッカー部の筆者が知るだけでも、同点のチーム同士がともに決勝トーナメントに進むために、パス回しをし合って試合を終わらせるということが、たびたびあった。

 W杯が難しいのは、単に目の前の試合に勝つだけではなく、次の試合、場合によっては次の次の試合まで考えて、選手起用や戦術を立てなくてはならないことにある。だからこそ、見ているファンからすれば、心理的な駆け引きも含めてW杯は面白いのだ。

日本代表は最も困難な敗北と勝利を同時に世界に示すことができた。

 試合終了直後、筆者はツイッターでこうつぶやいた。試合には負けたが、決勝トーナメントには駒を進められたのだから、大会全体としてみれば堂々たる勝利だ。「困難な敗北と勝利」とはそういうことだ。
ポーランド戦の終了間際、時間稼ぎでパスを出す乾(左)=ボルゴグラード(共同)
ポーランド戦の終了間際、時間稼ぎでパスを出す乾(左)=ボルゴグラード(共同)
 それにしても、今回、日本代表が「負けて勝つ」という奇策を採らざるを得なかったのはなぜか。選手自らも「他力本願」という言葉を使って、戦術の特殊性を認めている。

 会場のブーイングは画面を通じても届いているくらい大きかった。ピッチ上の選手からすれば、攻めて終わりたかったに違いない。