投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. ひらがなプロジェクト(236)
  2. アルベア論(975)
  3. 虚構の大石寺疑惑(3)
  4. 正義のあかし(47)
  5. 掲示板の注意事項(1)
  6. 2015年安保法制(977)
  7. アラシ行為記録(21)
スレッド一覧(全7)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


正法の色香美味

 投稿者:飛翔こそ蘇生  投稿日:2018年 6月30日(土)04時53分51秒
  師の言葉の改ざんは『魔の伴侶なり』  投稿者:虹と創価家族
https://6027.teacup.com/situation/bbs/86235

正法の色香美味

会合に参加することに価値が見て取れるか?(色・妙宗)
会合に参加した時に歓喜の雰囲気に包まれるか?(香・妙用)
会合を参加して後にも充実の味わいがあるか?(味・妙体)

世間の、ただ楽しいだけのイベントだと
その参加している時には楽しくても
家に帰ると、かえって虚しくなることもままある。

であるならば、まだしも
行くことに価値を見出せず、渋々行けば
会長の指導には悪臭があるが如く顔を背け
後味悪く、ハラダたしく帰ってくる。

本物の仏法、信心の技が現象化している会合ならば
言われたことの上書きの伝言ゲームではなく
参加後も、気づいたらただ歓喜を述べ伝えていて
その人にも「私も参加したい」と必然に思わせるものだろう。

技による体感があれば自然に現象化するのだ。

そのような術法として我仏来(無作三身)を
自得し了解してこその了義経であり

いくら能書きの文言を切り張りして
現代技術を駆使して荘厳に謳いあげてみても

了解の者もおらず深密の要義も欠いていては
一句一句は了義経であっても
内容の実際は不了義経である。

日寛上人の依義判文抄には
「色香美味既に是れ三学、豈あに本門三大秘法に非ずや。開山上人
云く『本門寿量の大戒虚空不動戒、本門寿量の本尊虚空不動定、
本門寿量の妙法蓮華経虚空不動慧」云云。学者応まさに知るべし、
今此の経文は正まさしく三大秘法総在の本尊を顕わす、故に
『此大良薬』『皆悉具足』と云うなり」

「所謂『是好良薬』は即ち是れ本門の本尊なり『今留在此』は即ち
是れ本門の戒壇なり『汝可取服』は即ち是れ本門の題目なり。」

「『色は是れ般若』は即ち妙宗なり『香は是れ解脱』は即ち妙用なり
『味は是れ法身』即ち妙体なり『秘密蔵』は即ち是れ妙名なり『依教
修行』は即ち是れ妙教なり、故に『是好良薬』は即ち是れ五重玄なり。」

「宗祖の云わく『三徳は即ち是れ三身なり』等云云。故に知んぬ『色
は是れ般若』は即ち報身なり、『香は是れ解脱』は即ち応身なり、
『味は是れ法身』は即ち法身なり。此れ即ち寿量の肝要、文底の三身
なり。故に知んぬ、久遠元初の自受用報身、報中論三の無作三身なり、
此の無作三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり。故に『三徳不縦不
横名秘密蔵」と言うなり。
又此の無作むさ三身の所作は何物ぞ、即ち此これ南無妙法蓮華経なり。
故に『依教修行得入此蔵』と言うなり。此の無作三身は即ち是れ末法
の法華経の行者なり云云。若もし爾しからば『是好良薬』の文、豈人
法体一の本尊に非ずや。耆婆が薬童之を思い合わすべし云云。」

と、まぁ、実に見ていくと
人法一箇の三大秘法総在の本尊から
切り文御書、師の言葉・学会史の改竄
冒頭述べた広義に見た五重玄の内実に至るまで

ズタボロに正法の色香美味を滅しているのが
現在の執行部であり

それが悪でないという事が
到底言えないことは御書に明々白々であり

立正安国論にも引かれている涅槃経の
「若し善比丘あって法を破るものを見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば
当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり若し能く駈遣し挙処せんは是れ我
が弟子真の声聞なり」から言えば

「仏法の中の怨」の責めをのがれるためには
謗法を責めるのである。

それでは如何にして術法として我仏来(無作三身)を
自得し了解してこその了義経とすべきであろうか?

宗の概念としては
日寛上人の依義判文抄に

「寿量品に云わく『一心に仏を見んと欲して自ら身命を惜しまず、時に我
及び衆僧、倶に霊鷲山に出ず』云云。
此の文に三大秘法分明なり。所謂いわゆる初めの二句は本門の題目なり、
時我及衆僧等は即ち本門の本尊なり、『霊鷲山』と言うは即ち是れ本門の
戒壇なり云云。初めの二句の中に『一心欲見仏』とは即ち是れ信心なり、
『不自惜身命』とは即ち唱題の修行なり。此れに自行化他有り、倶に是
れ唱題なり。」

とある。

自行化他の題目とは「自ら身命を惜しまず」であり
法難が起こっている師の弘通する所詮の処においての
ジタバタしない自己の機能の響く技法である。

「見んと欲する」のは大願の叶いであり
「仏の一心」は広宣流布であり
広宣流布の大願の叶いと実現する情熱が信心である。

処を生死一大事の血脈と言うのは
「時に我及び衆僧、倶に霊鷲山に出ず」のであり
これは処の顕れの体感覚知を戒壇と言うのであるが
段階に応じてしか、人は理解できない。
アルベア論にある衝撃の五段階、気づきの五段階
というような段階である。
https://6027.teacup.com/situation/bbs/t4/437

アルベア論は
「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」
の方法として語られているのです。
 

遠藤文書⑦  打倒 原田秋谷信濃町邪教学会

 投稿者:原田信濃町撲滅月間  投稿日:2018年 6月30日(土)02時45分29秒
  遠藤文書⑦

「内容」だけでなく「形式」面でも逸脱していないでしょうか

「内容次第」であることはご理解願えたと思います。

でもなお、内容よりも形式が大事であると言われるなら、教えていただきたいことがございます。

そもそも今回の教義改変の画策は、当会の意思決定のルールから逸脱したものではないでしょうか。

第1に、学会の未来を決する重要事でありながら、永遠の指導者である池田先生に、最終盤に至るまで、決裁を仰ぐ「報告書」すら提出していない。

第2に、執行部の合議を経ずに、独断専行的に決めようとした。
第3に、小委員会を推進派で固め、密室で協議を進めた。
第4に、教学部に対し、従来の教学とまったく整合性のとれない教義改変を強要した。

第5に、その際、「恫喝」まがいの荒々しい言動が繰り返された。
(先日、お答えいただけなかったので、再度、記させていただきますが、昨年9月以来、会議や尋問など全てが強権的、強圧的に行われてまいりました。私のコンピューターと携帯電話も一方的に取りげられました。著しい人権蹂躙であります。再三、不当性を訴えたにもかかわらず、今に至るまで一言の返答すらありません。これは法的見地からも明らかなパワーハラスメント行為です。また、谷川総長の毎回毎回の言動も常軌を逸した強権的なものでした。全て記録に残してあります)
第6に、全てが池田先生の御意思であるかのように印象づけ、日本とSGI各国の首脳たちの意見を出しにくくさせた。

第7に、責任役員会の際、事前に根回しした一部の人間に示威的な言動をさせるなどの不明朗な策略を巡らした。九州の山本氏、北海道の浜名氏から直接うかがっています。

これらがルールの逸脱でなくてなんでありましようか。

内容から言っても、形式から言っても、道理を逸脱した異常な画策と言われても仕方のない実態だったのではないでしょうか。それを実行された方々に、それを阻止しようとした人を裁く資格がおありだとお考えでしょうか。

「そんな理屈は関係ない」と、今後も態度で示されるのであれば、それは、実態的に「会長独裁制」であり、「仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり」との御本仏の教えを無にする強権主義ではないかと愚考いたします。

もとより私は自分が処分されることなど恐れてはおりません。むしろ「誉れ」と思っております。しかし、こうした職権乱用が横行すれば、仏意仏勅の和合僧団は崩れ去ってしまいます。私は、そのことを恐れるのです。御本仏日蓮大聖人のお怒りを、また不惜身命で学会を護ってこられた三代会長ならびに真面目な
会員の悲しみを恐れるのです。

ちなみに、宮地に関しては、皆様の言われる「分派活動」なるものにはまったく関与しておりませんので、教学室でこれまで以上に活躍してくれることを私は信じ、期待しております。

彼は将来の学会にとって不可欠の大人材であり、彼が活躍しなければ教学の振興は実質的に不可能になってしまいます。これは、私見のみならず、衆目の一致するところです。

また先生の指導選集の連載も、毎回毎回、世界各国と連携を取りながら細心の配慮をもって進めておりますので、万が一にも彼が外されるようなことがあれば、連載が立ち行かなくなるか、致命的な失敗が起こることは必至です。

先生にとっても、会員にとってもマイナス価値でしかないこうした結果を招きよせてよいという資格は誰にもないと信じます。

そもそも、彼は「御書と池田先生を基準」に正義感をもって行動しただけであり、あの文書【注*03】も、その一環として作成したものです。そして、皆様の御主張のように、文書を彼のそうした意図と異なるかたちで利用しようとする人間が存在したと「仮定」したとしても、それは彼のまったくあずかりしらぬことであり、こういうかたちで文書が問題視されることで、むしろ迷惑をこうむっている被害者であります。

私も65歳になろうとしています。もはや地位も立場も何も惜しくはありません。

むしろ「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」との法華経の経文を、かつてない実感をもって拝せることに無上の喜びを感じております。

憂えるのは、ただ学会の将来であり、「池田先生第一」で生きている真面目な後輩たちの活躍の道を閉ざしたくないという一心で、申し上げました。その真情に免じて、数々の無礼の言、ご容赦を賜りますように。そして、大慈大悲をもってこれらの疑問に答えてくださいますよう、重ねてお願い申し上げます。

【注*03:教学部レポート(「大御本尊問題と会憲の問題点」)を指す】

2014 年7 月17 日 遠藤 拝
 

遠藤文書⑥  打倒 原田秋谷信濃町邪教学会

 投稿者:原田信濃町撲滅月間  投稿日:2018年 6月30日(土)02時44分29秒
  遠藤文書⑥

「これは先生の明確な御指示」という言は真実なのでしょうか

このように、問題の要点は「振出し」に戻ります。

「池田先生は、大御本尊との決別を大前提とされていた」のか否か?

「今、大御本尊と決別することが先生の明確な御意思であった」のか否か?

この「内容」こそが、最重要のポイントです。これによって、皆様と私どもの行動の黒白は180度反転します。

昨年の9月19日、大山室長は証言しておられます。

「先生は全くそんなことを言われていない」「会長もそんな指導受けていない」
「会長も先生の前で『いろいろな意見がありますので、慎重の上に慎重に進めます』そう言っていた。確かに『慎重に進めます』とは言ってた。あわてて事を進めるなんて、そんなこと言ってないよ。一切。言うわけない]「こんなやり方をしてたら、学会の信心も崩れてしまう。教学も崩れてしまう」

更に池田副理事長も「せっかく、総本部ができて、お祝いなのに。お祝いの時にやる必要などない。何で、今やるなんてなったのか」等と繰り返し言われています。

また谷川総長は、我々との打ち合わせの際、弘安2年の大御本尊に対する秋谷議長の執着が招いた混乱だと率直に吐露しておられます。

「秋谷議長は、結構恐ろしいけど、板御本尊に結びついていく論理とか感覚がしみこんでいるんだ。だから『やっぱり学会常住御本尊も広宣流布の大御本尊にした方がいいじゃないか』となるんです。結局、抜け出よう抜け出ようと言っている人たちの命にすごく深く入っているわけですよ」

「やっぱり秋谷議長の中に弘安2年の大御本尊が、すごく深く入っている。深く入っているがゆえに、抜かなきゃならないという意識がすごく強い。抜く方に関心が行って、今回何をしなければならないかということが、むしろ後になってしまう。それで議論の混乱を招いている。会長は説明したらかなり速く分かりました。
秋谷議長は分からない」

なにより池田先生御自身が「そこまでする必要があるのか。今は事件を起こしていくというのは小さい考え方だ。もう少し流れの様子を見ていきなさい」と明快に裁定を下されています。この師匠の言葉まで、自分たち都合のいいように捻じ曲げることは許されるのでしょうか。

要するに、この最重要のポイントについては、かつて長谷川本部長みずから断じられたように「会長は嘘をついている」、あるいは私が推測した通り「会長は誤解しておられる」のではないでしょうか。

「そうではない」と言われるのであれば、具体的に「何年何月何日の何時ごろ、どこで、だれの立会いのもとで、どのようなご指導があったのか」を会長から明示していただければ幸いです。

それをなされないのであれば、邪推するわけではありませんが、そういう明確な御指導は「なかった」からこそ、内容に踏み込むことを、あれほど忌避されたのではないのでしょうか。「内容」を検討すれば、先生と会長との齟齬が明白になってしまう――そのことを恐怖されたのでなければ幸いです。

そうではないと言われるのであれば、「内容」について、具体的に反駁していただきたく、お願い申し上げます。ことは御本尊と先生にかかわる根本事です。

誤れる「内容」に執着していれば、誰人であれ、堕地獄は間違いありません。ゆえに、私の誤りをも大慈悲をもって、御教導願いたく、伏してお願いするものです。
 

遠藤文書⑤  打倒 原田秋谷信濃町邪教学会

 投稿者:原田信濃町撲滅月間  投稿日:2018年 6月30日(土)02時43分5秒
  遠藤文書⑤

二転三転する御主張の真意はどこにあるのでしょうか。

昨年9月20日、長谷川本部長は、教義改変の画策に関して「池田先生は大御本尊と決別するなどとは言っていない」「会長は嘘をついている」「御本尊では宗門と決別できない」「急いでやる必要など全くない」と、会長を厳しい口調で批判されました。まさに「切って捨てる」ような口調であり、表情であられました。

にもかかわらず、この6月4日に対面した際には、谷川総長の「池田先生は大御本尊との決別を大前提とされていた」「大御本尊との決別は先生の意志であった」と言う主張に賛同し、宮地作成の文書についても「内容が全くの虚偽だ」という態度を表明されました。

その上、「『原田会長が嘘をついている』などということは私は絶対に言わない」と昨年9月20日の発言を否定され、その点に関する記録を当方が読み上げると、今度は更に変わって「『池田先生が決着を付けると御指導された』と会長が言うなら、会長は嘘をついているということだ」と、あわてて前言を翻されました。

更に7月10日には、中央会議(昨年10月3日)における方面長の発言内容【注*02】について「『皆やはり方面長だな、大変しっかりしているな』と受け止めた」等と肯定的に評価されています。もし大御本尊との決別が最初から先生の御意思であったならば、このような肯定的評価など出てくるはずがないのではな
いでしょうか。

また、つい1カ月半前(6月4日)には「内容の問題が大事だ」と述べておられたにもかかわらず、今回(7月10日)は「内容はともかく」と何度も何度も繰り返しておられました。

ことは、大御本尊にかかわり、学会の将来にかかわり、池田先生にかかわる大事です。長年、池田先生に仕えてこられた本部長が、先生の御指示について180度異なる主張をなされる真意は、どこにあるのでしょうか。

おそらく、凡愚の私などには、とうてい理解できない甚深の意味があるのだと思いますが、ぜひとも御教示願いたく、お願い申し上げます。

【注*02:教学部レポートによると原田会長の説明に疑問を呈するものだった】
 

遠藤文書④  打倒 原田秋谷信濃町邪教学会

 投稿者:原田信濃町撲滅月間  投稿日:2018年 6月30日(土)02時42分10秒
  遠藤文書④

「会長は無謬」なのでしょうか

(2014 年)6月4日、長谷川本部長は、私と宮地に言われました。

「頼むよ、あんたよ。二人が転んじゃったら、どうすんだよ。学会教学、原田会長のもとで、もう右って言えば右という論文を書く。左って言えば左の論文を書く。創価学会教学っていうのは、そういうもんじゃない」
私は「そういうもん」だとは考えておりません。これでは「教学部は『時の会長に信伏随従せよ』と言っているのと同じではないでしょうか。こう言われた時、私は「法主が白と言えば白。黒と言えば黒」という宗門を思い起こしてしまいました。

法主無謬説を唱える宗門と学会が全く異なっていることは言うまでもありません。

そこで長谷川本部長にお伺いしたいのです。

「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」との日興上人の御遺誡をどのようにお考えでしょうか。

創価学会会則に「(会長は)教義および化儀を裁定する」と定めてあるのだから、どんな時でも会長は無謬であり、信伏随従すべきであるとでも言われるのでしょうか。

大聖人は仰せであります。「仏の遺言に依法不依人と説かせ給いて候へば経の如くに説かざるをば何にいみじき人なりとも御信用あるべからず候か」「経の如くに説かざる」人間には、どのような立場の相手であろうと従ってはならない。これは御本仏の御命令であります。

原田会長、長谷川本部長は、私たちの行動を「分派活動」と決めつけられました。しかし、「会長の指示を阻止しようとして会合するのは分派活動という主張が成り立つ前提は、「会長の指示が、御書と三代会長の指導に照らして、間違いなく正しいものである」ことです。

反対に、会長の指示が御書と三代会長の指導と異なっているにもかかわらず、関係者の再三の指摘にも耳を貸さず、強行するのであれば、それこそ大切な多くの会員を自らの「仏法違背の道」に巻き込み、道連れにしていく「分派活動」に他なりません。そうではないでしょうか。

こうした「分派活動」を阻止することは、真の仏弟子の使命であります。

大聖人は重々誡められています。

「若し善比丘あって法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せざれば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり 若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」

今回行われようとした教義改変は明らかな誤りです。こうした暴挙の阻止のため、同憂の士が集まることは、御言に照らし、道理に照らして、正義であります。

反対に、その戦いを避けるならば、御本仏から「仏法の中の怨」との責めを被ること必定です。

実際、私どもが阻止のために行動しなければ、性急な意図が「実現」し、結果的に、池田先生のお考えに反する結果になったのではないでしょうか。私どもの行動の「おかげで」、先生に違背せずにすんだのではないのでしょうか。

そうした行動を「処分」するということは、いついかなるときも「池田先生が基準」という原則と完全に矛盾するのではないでしょうか。それとも、その基準自体が間違いなのでしょうか。

学会の原理原則にかかわるこの問いに答えず、沈黙したまま、「処分」を強行されるのであれば、それは会長みずから率先して「師弟の道から逸脱している」姿ではないでしょうか。それ自体が、私どもの行動の正しさを強く「裏づけ」「実証」してくださることになるのではないかと考えます。

良識ある多くの方も、そう考えるほかないと賛同されると信じます。

これは将来にわたっても十分、起こりうる事態でありますから、会長御自身にも明確に答えていただきたいのです。日興上人が先々の未来まで考えられて、遺誡を残されたように。

すなわち「時の会長が、誤れる行動をしようとしている時でも、会長の意図を阻止する行動をした者は、それだけで分派活動であり、処分の対象になる」と主張されるのでしょうか。

主張の「内容にかかわらず」会長の意向に沿わない者は処分する――これでは、「会長無謬説」「会長独裁制」であると認めていることになります。

「会長は無謬ではない」のであれば、「会長の行為は誤っているのではないか」という主張の「内容」を吟味するのが当然ではないでしょうか。

この点、いかがお考えでしょうか。
 

遠藤文書③  打倒 原田秋谷信濃町邪教学会

 投稿者:原田信濃町撲滅月間  投稿日:2018年 6月30日(土)02時40分57秒
  遠藤文書③:学会は「池田先生が基準」ではなく「原田会長が基準」なのでしょうか

学会は「池田先生が基準」ではなく「会長が基準」なのでしょうか

先日(2014/7/10)の対面で私が驚いたのは、原田会長、長谷川本部長のお二人が声をそろえ、口をそろえて、「(大御本尊問題に関する議論の)内容はともかく」となんと10回以上も繰り返されたことでした。私が大御本尊問題の「内容」に触れようとすると、「それに答える必要はない」と即座にさえぎられたことも
含めて、「内容の実質には立ち入りたくない」というお気持ちが、ありありと強く迫ってまいりました。

しかし、本当に「内容は問題ではない」のでしょうか。

実際には、反対に「内容」が仏法と池田先生の指導に適っているか否かで、今回の問題は180度、その「意味」が変わってくるのではないでしょうか。あたかもオセロゲームのように、白と黒は一気に反転するのです。

あるいは、会長御自身の主観では「自分は正義であり、先生の意図をくんでやったのだ」と思われているかもしれません。しかし、仏法に関する正邪は「主観」で決まるのではなく「文証・理証・現証」という「客観的」な基準に拠らねばならないということを教えてくださったのが、ほかならぬ目蓮大聖人であられます。
だからこそ、その御精神のまま、主観的な思いではなく、互いの主張内容を客観的に吟味すべきなのではないでしょうか。

具体的には、私どもの行動を「分派活動」と非難されましたが、私どもの主張のほうが正義であり、「執行部による性急な学会教義改変」のほうが池田先生の御指導に沿っていないのであれば、むしろ変更を無理に推し進めようとした行為のほうが、「池田先生を師とする創価学会」から逸脱しようとする、いわば「分
派活動」となる――客観的には、こういう理路になってまいります。また、日寛上人の教学を根本としてきた戸田先生以来の伝統の学会から離反する「分派活動」ではないでしょうか。(会長に対して「分派活動」などという言葉を用いることは畏れ多いことですが、論理を明瞭にするために、敢えてこのような失礼な表現を用いたこと、ご寛恕ください)

お教えください。
創価学会は、いついかなるときも「池田先生が基準」なのではないでしょうか。

「そうでない」と言うなら、会長の意図に従わず、阻止しようとした私どもは「分派活動」となるのでしょう。
「そうである。池田先生が基準である」と言うなら、池田先生の御指示でない

教義変更を強要した方が「分派活動」をなされたことになります。だからこそ「内容次第」なのです。

もちろん、そんな背信を会長がなされるわけがありませんし、本部長がそれを支持されるはずもありません。その点、ありのままの「事実」を多くの心ある幹部・会員諸氏に知っていただき、そのご判断・ご意見を謙虚にうかがえば、皆様の正義は証明されるはずではないでしょうか。そのための記録も私どもは残しております。
 

遠藤文書②  打倒 原田秋谷信濃町邪教学会

 投稿者:原田信濃町撲滅月間  投稿日:2018年 6月30日(土)02時39分59秒
  遠藤文書②

長谷川本部長
御教示・御教導願い
2014/7/17

御多亡のところ、失礼いたします。
さまざま、ぜひとも御教えを賜りたい点があり、大慈悲をもって、御教示・御教導をお願い申し上げます。
私一身のことではなく、学会の将来に関して根本的な重大性をもった問題でありますから、必ずや御返答を頂けるものと信じております。

大きな誤解があったと懸念しております

7月10日の対面には、原田会長、長谷川本部長の御臨席を賜りましたが、その際に私が抱いたのは「これは、根本的な誤解があるではないか」という確信めいた思いです。要点は二つあります。

一つは、原田会長の失脚のようなものを目指した、謀略めいた動きに私が加担していると思われているのではないかという懸念です。これは、とうてい想像もしたことのないことであり、だからこそ、お二人が「分派活動」いう言葉で言われんとされている内容が、まったくピンと来ず、理解できなかったのです。

御本尊に誓って、そのような発想も、もちろん行動も、私にはありません。きちんと調べていただければわかることです。

私にあったのは、ただただ「性急にして無理な教義変更によって、池田先生と会員に、取り返しのつかない損失を与える」ことを「断じて阻止しなければならない」という一念だけでありました。

二つには、会長は「自分は池田先生のご意思を実行したのだ」と今なお信じておられるのではないかという発見です。つまり、「自分は先生の認可があったからこそ、教義変更を推進したのに、そんな認可はなかったと言われ、『嘘を付いている』かのごとく批判されるのは心外だ」と思っておられるのかもしれない、
ということです。

ここにも大きな誤解があるのではないでしょうか。先生の御指示に関する会長の誤解」であり、また「会長は先生の御指示を単に誤釈あるいは拡大解釈されただけであるのに、御指示を意図的にゆがめていると信じた」私どもの誤解です。

説明いたします。

昨年8月20日午後、会長の報告に対して、先生は「それでいい、そのとおりだ」と御指示されました。

これを私どもは「大誓堂に安置される学会常住御本尊を化儀の広宣流布の象徴と位置づける。それを行うに際し、あたかも弘安2年の大御本尊が一切の御本尊の根本・根源であるかのように過度にその存在を意義づける言い方については、会員の信仰が混乱しないよう、見直しを図る」と解釈しました。そして、
事実、その通りの先生の裁可でありました。

ところが、会長はこれを「学会常住御本尊を、弘安2年の大御本尊に替わる新たな根本の大御本尊と意義づける。弘安2年の大御本尊については、信仰上も教義上も、もはや学会には関係のないものとして完全に決別する」というところまで拡大解釈されたのではないでしょうか。まさに、先生の「そこまでやる必要があるのか」というご指摘どおりであり、先生はもともと「そこまで」認可してはおられなかったということだと思います。

もしこれが実相に近いとすれば、私どもは「会長は誤解しておられるのではないか」と言うべきであり、「会長は嘘をついている」と言うべきではありませんでした。これが当たっていれば、謹んでおわび申し上げます。

私どもの「誤解」の背景には,先生の御指示を最もよく知っておられるはずの長谷川本部長の「会長は嘘を付いている」という言葉、大山室長の「先生は全くそんなことを言われていない」「会長もそんな指導受けていない」という言葉などがあったわけですが、先日の対面の結果、「もしかすると、会長は主観的には
『自分は先生の御指示通りやったのだ』と思っておられるのではないか」と思うに至った次第です。
 

遠藤文書①  打倒 原田秋谷信濃町邪教学会

 投稿者:原田信濃町撲滅月間  投稿日:2018年 6月30日(土)02時38分1秒
  遠藤文書 ①

総合教学部長・SGI 教学部長の遠藤孝紀副会長が2014 年7 月10 日午後、会長・原田、副理事長・長谷川に査問を受けた。これは当日の午前中、副理事長宛てに提出した質問文書である。
2014/7/10 付と思われる
**――***――**
きょうの呼び出しは、昨年来の「大御本尊・会憲問題」に関連する事柄であると推測します。
昨年9月以来、教学部の行動は、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、日蓮大聖人の御書を根本とする創価学会会則に些かも悖るものでないと確信しております。

私の立場で、あれこれ申し上げるのは、はなはだ僣越であり、躊躇いたしましたが、こと御本尊と先生に関する最重大事であり、そこにわずかでも私情を差しはさめば仏法違背になりますので、申し述べさせていただきます。この根本事を絶対にあいまいにしたり、ごまかしてはならないという一点は、もちろんご賛同願えると信じます。

そこで、午後の話の大前提として以下の諸点について確認させていただきたく存じます。

■1.先月、長谷川本部長、谷川総長は、戒壇の大御本尊に関する教義変更について「池田先生は、大御本尊との決別を大前提とされていた」「大御本尊との決別は先生の意志であった」と明言されました。

しかし池田先生は昨年、会則における大御本尊の記述変更の報告書に対して「そこまでする必要があるのか。今は事件を起こしていくというのは小さい考え方だ。もう少し流れの様子を見ていきなさい」と明快に御指導されています。

この点について谷川総長は先月、大御本尊との決別は池田先生の御意志であったが、先生が途中で判断を変えられた等の説明をしていました。しかし、この御指導には、そうした曖昧な説明を許す余地は全くありません。

しかも昨年9月から2カ月近く、10回以上行われた会議では、秋谷議長、谷川総長はじめ、だれ一人として、「池田先生は大御本尊との決別を大前提とされていた」「大御本尊との決別は先生の意志であった」などとは述べてはいません。

そればかりか、谷川総長は、「大御本尊(問題)に執着しているのは、実は秋谷議長である」と再三に渡って明言しています。さらに谷川総長は「大御本尊と決別できないけれども、どう決別したかのような印象を与えるかだ」等と、「実質」は無理でも「印象」さえ作れればいいという発言を繰り返しています。こうした夥しい矛盾について、どのようにお考えでしょうか。

先月は、宮地の作成した文書のうち、昨年の9月19日、20日の出来事が焦点になりました、

「戒壇の大御本尊とは決別する」「学会常住の御本尊を大御本尊と位置付ける」と池田先生から御指導を受けたという原田会長の発言について、昨年の9月19日、大山第一庶務室長は、「池田先生は全くそんなことを言われていない」「会長もそうした指導は受けていない」「こんなやり方をしていたら学会の信心も
教学も崩れてしまう」と明言されました。

また翌20日、長谷川本部長は、「池田先生は大御本尊と決別するなどとは言っていない」「会長は嘘をついている」「御本尊では宗門と決別できない」「急いでやる必要など全くない」と確言されました。

さらに、その折、池田副理事長も「総本部ができて、お祝いする時にやる必要はない」「2年ぐらいして勤行会が一回りしてから考えれば十分である」等と述べています。

こうした経緯については、私自身も記録に残しております。

ところが先月、長谷川本部長は「原田会長が嘘を付いているなどということは私は絶対に言わない」と、立ち位置を180度変えられ、その後、更に「『池田先生が決着を付けると御指導された』と会長が言うなら、会長は嘘を付いているということだ」と、再び主張を変えられました。

(2013年)9月の発言は、根本尊敬の対象である御本尊に関する師匠の御指南についてです。
「戒壇の大御本尊とは決別する」「学会常住の御本尊を大御本尊と位置付ける」というのは、池田先生に決裁を頂いた方針だったのでしょうか。

もし、そうであるなら、教学部は昨年9月以来、全面的に師匠の御意向に背いていたということになります。教学部の教義的な主張が全面的に師敵対だったということになります。私も森中も、池田先生に腹を切ってお詫びすべきことになります。

教学部は全面的に師敵対であったいうことでしょうか。この点も是非とも明瞭にしていただきたいと存じます。

■2. 私どもは、再三にわたり「教義変更は先生のご指示ですか」と確認し、「そうではない」という諸氏の明言を信じて、「これを実現させては絶対にならない」と行動いたしました。日蓮大聖人と先生に背く不法を阻止するために智慧をしぼり、同憂の士と連携もとったことも私はあります。

その結果、先生の明々白々の御指導をいただき、「学会が、先生の御心に背く大罪を犯すことを防げて、本当によかった」と安堵いたしました。

私から申し上げるのは僣越ですが、教義変更を推進しようとした皆さんからも「たいへんな間違いをするところであった。おかげで助かりました」と感謝されるものと信じておりました。

かりに万歩ゆずって、教義変更について何らかの先生のご指示が、かつてあったのだとしても(それは「ない」というのが、かつての皆さんの明言でしたが)、先生が更に熟考されて「すべきでない」と判断されたのであれば、先判・後判の義からいっても、後の御指示が有効であり、正義であることは論をまちません。

私どもの努力の結果か、この「一歩深い御指導」をいただけたのですから、皆様にとっても大変にありがたいことではないでしょうか。いわんや、最重大事の御本尊についての判断ですから、どんなに慎重に慎重を期してもしすぎではないのですから。

いずれにしても、皆様にとって喜ばしい結果であったと思います。ところが、私どもに感謝されるどころか、正反対の対応をされております。これはなぜでしょうか。

皆様の基準が池田先生であるならば、まことに理解に苦しむ話であります。

こういうことをあいまいなままにしては、学会の支柱である師弟の精神は崩れてしまうのではないかと危惧いたしますので、あえて明確に教えていただきたく存じます。

■3.先月、宮地の方から、弓谷の言動に関してお伝えいたしました。弓谷は、前代未聞の女性問題を起こして男子部長を頚になった人間です。池田先生が、弓谷の不祥事で、大変に苦しまれたとうかがっています。先生御自身、「あいつは将来、絶対に叛逆する。絶対に使うな」と断じられたと聞き及んでおります。その弓谷が、大御本尊という学会にとって最重要の事項について、どういう資格、どういう立場で調査に当たったのでしょうか。

■4.漏洩騒ぎ【注*01】の際には、調査委員会から、私のコンピューターと携帯電話が一方的に取り上げられました。再三、不当性を訴えたにもかかわらず、今に至るまで返答がありません。職員の就業規則に背く越権行為であると考えますがいかがでしょうか。

【注*01:教学部レポート(「大御本尊問題と会憲の問題点」)の流失を指す】

■5.そもそも、昨年9月以来、会議、打ち合わせ、尋問など全てが強権的、強圧的な雰囲気で行われてきました。これは、明確なパワーハラスメントであると判断しております。

谷川総長自身も、昨年11 月、信原幸弘東大教授、菅野博史創大教授との酒席で、「宮地は軽い人格障害だ」と嘲笑する菅野氏に同調し、「あいつは生意気だから30分ばかし締め上げてやった」等と発言しています。谷川総長にはパワーハラスメントをしている自覚があったのです。必要とあらば、旧知の信原東大教授に証言していただくつもりです。

繰り返しになりますが、私たち教学部の行動は、大聖人の御指南にも、三代会長の御精神にも、些かも悖るものでないと確信しております。

誤りであると言われるなら、御書に照らして池田先生の御指導に照らして、どこが誤りであるか、指摘していただきたいと存じます。

「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」私は、どこまでも池田先生に殉ずる覚悟でおります。
**――***――**
 

文明・西と東  池田先生とクーデンホーフ・カレルギー伯との対談です。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 6月30日(土)01時59分15秒
  ミネルヴァの梟氏に、私が言いたかったことを全て言ってもらいました。

ありがとうございます。

文明・西と東  池田先生とクーデンホーフ・カレルギー伯との対談です。

今回は、第四章 現代の目標 生命の尊重です。

池田先生は・・・生命の尊重で次のように問題提起されました。

「今日、強大な国家権力は、国民の生命に対して、生殺与奪の権利をもっています。
それは戦争と死刑の二つです。」

カレルギー伯は・・・
「私も死刑には反対です。
(中略)
しかし、私は、非人道的な不法・不当な理由で殺人を犯した人を死刑に処すことには、何ら反
対しません。

池田先生は・・・
「私は、裁判が仮にどれほど厳正公平に行なわれたとしても、死刑というのは、根本的に誤り
であると思うのです。

どれほど科学主義.合理主義が強調されても、人間は所詮、不合理な存在で、日常生活におい
ても多かれ少なかれ、およそ過ちをおかさない人間などというものはありません。

つまり、人間を誤った裁判によって誤って死にいたらしめたならば、それは殺人罪と同じこと
になります。」

「一人一人が、生命の尊厳に目を開き、そこに因果律に基づいた"生命の法則"が厳然とあるこ
とを知ったとき、犯罪がいかに恐ろしいことであるかは、刑罰で脅かさなくとも生命の奥底か
ら判然とするはずだと思います。」

カレルギー伯は・・・
「私は、死刑よりもむしろ拷問に強く反対します。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

池田先生は仏法の生命の尊厳を説いていますが、カレルギー伯は仏法の生命論は深くはご存じ
有りません。

ゆえに、話はかみ合いませんが、池田先生は「生命の尊厳とは、他の何ものによっても代えら
れない、いかなる権力をもってしても侵すことができない。」と主張されています。

人間は、いかに科学的、合理主義を言っても、所詮間違いを犯さない人間は、ないと説かれて
います。

裁判で誤審をするならば、殺人罪の罪は裁判官も受けなければ成りません。

池田先生の生命の尊厳観に立って、我々SG会員はしっかり学び、その思想を全世界に知らしめる
活動・・・世界広宣流布をしなければ成りません。

その生命尊厳の思想が広まるならば、世界から戦争という悲惨な現実もなくなるはずです。

カレルギー伯の拷問の方が悪いと言われています、それも一理ありますが、生命は取り返しが
つきません。


 

文明・西と東 生命の尊重

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 6月30日(土)01時56分0秒
  文明・西と東

生命の尊重

池田
 今日、強大な国家権力は、国民の生命に対して、生殺与奪の権利をもっています。
それは戦争と死刑の二つです。
戦争については、これまでいろいろ論じてきましたので、さしおくとして、死刑という問題に
ついて考えてみたいと思います。
私は、生命の尊厳という理念を貫くからには、死刑も当然、廃止されなければならないと考え
ます。

カレルギー
 私も死刑には反対です。
しかし結局、人間は、みんな死刑を宣告されているようなものです。
所詮、人が人の命を奪うことはできません。
ただ、人の命を縮めるにすぎません。
しかし、私は、非人道的な不法・不当な理由で殺人を犯した人を死刑に処すことには、何ら反
対しません。

池田
 私は、裁判が仮にどれほど厳正公平に行なわれたとしても、死刑というのは、根本的に誤り
であると思うのです。

どれほど科学主義.合理主義が強調されても、人間は所詮、不合理な存在で、日常生活におい
ても多かれ少なかれ、およそ過ちをおかさない人間などというものはありません。
つまり、人間を誤った裁判によって誤って死にいたらしめたならば、それは殺人罪と同じこと
になります。

あなたがいわれるように、たしかに人間は、生まれながらにして死刑の宣告を受けているよう
なもので、いつかは死ななければなりません。
死刑は、ただそれを早めるだけかもしれませんが、そうした早めさせる権利は、だれも持って
いないはずです。
生命を縮めさせること、死を早めさせることが軽い意味しか持たないとしたら、殺人行為につ
いても同じことになり、もはや大した罪ではなくなってしまうでしょう。

自分の定まった人生を他人に妨げられないで生きる権利、つまり、生存の権利はこの上ない尊
いものです。
もし、一人一人の生存権が至上のものであるならば、これを侵すことは、どのような大義名分
があるにせよ、罪悪とならざるを得ません。

生命の尊厳とは、他の何ものによっても代えられない、いかなる権力をもってしても侵すこと
ができないということを意味すると思います。

人間社会は、生命の尊厳を、もはや動かすことのできない、根本原理として認めながらも、国
家に対しては、生命の尊厳を侵す権利を与えつづけているというのが現実ではないでしょうか。

これこそ現代における最大の誤りであり、ここに一切の矛盾と悪の根源があると私は考えます。

こうした観点からも、今日行なわれている死刑制度について、深い疑惑をいだかざるを得ない
のです。
この生命の尊厳観に立って、国家は、死刑のみならず、さらに戦争という重大殺人権を放棄す
べきだと、私は主張しております。
個人による凶悪犯罪を一掃する道も、あるいはそこから開けるのではないかと、私は思うので
す。
一般に、死刑を廃止すれば、犯罪が増えるのではないかといった議論もありますが、それは人
間の本性を"悪"と決めて、それを抑制するには権力以外にないという考え方、あるいは死刑と
いう恐怖の処置によって犯罪を防ぐ以外にないという考え方のあらわれだと思います。
しかし、人間の心は、"悪"のみでもなければ、脅しによってしか抑制できないような愚かな存
在でもありません。
人間は、本来、善悪の両面をそなえていますし、それを自制できる英知もそなえています。

一人一人が、生命の尊厳に目を開き、そこに因果律に基づいた"生命の法則"が厳然とあること
を知ったとき、犯罪がいかに恐ろしいことであるかは、刑罰で脅かさなくとも生命の奥底から
判然とするはずだと思います。

カレルギー
 私は、死刑よりもむしろ拷問に強く反対します。
第二次大戦中、私はあやうくナチの手を逃がれて、スイス、イギリス、アメリカへと亡命しま
したが、私自身は、ナチの手で殺されることは恐れませんでした。
しかし、ナチの拷問は恐れました。
この恐ろしい拷問はなくしたいものだと思います。
ナポレオンとビスマルクの時代、約百年にわたって、拷問が禁止になったことがあります。
しかし、二十世紀にはいってから、再び復活しました。
多くの人が死刑には反対しますが、拷問は仕方がないと受けとめているようです。
日本がそういう国にならないことを望みます。

池田
 話は変わりますが、生命の尊厳の問題に関連して、先進国における爆発的なモータリゼーシ
ョンは、たとえば、日本では"交通戦争"とか"走る凶器"という言葉まで生み出しています。

日本で、昨年の交通事故の死者が、一万六千七百人に達し、今や、物質文明に支配された人間
性喪失時代を象徴している感があります。
その解決策について、ご意見がありますか。

カレルギー
 年間交通事故死が一万六千人以上というのは恐るべき数字ですね。
一つの案として、日本は富める国になったわけですから、とくに、歩行者の人命を守るために
地下道や歩道橋などの安全施設をたくさんつくるべきだと思います。

現在、ヨーロッパでは、このような対策が大規模に行なわれていますが、歩行者よりも、まだ
車のほうが優先されている傾向があります。

パリのエトワール広場には地下道があって、ここはかつて、人身事故でひどいところでしたが、
ようやく歩行者の安全が保証されるようになりました。
中央・地方の政府、議会は歩行者を守るための安全施設を最優先でふやしていくべきだと思います。


 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2018年 6月29日(金)23時48分14秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
池田先生を裏切り続ける会長、副会長が真面になります様に
おやすみなさい
 

昭和52~昭和56年までの会内混乱首謀者は誰か?【1】

 投稿者:広布第二章の指針  投稿日:2018年 6月29日(金)23時07分26秒
  私は、一時間先に同盟題目終わりましたので、皆さん方は、唱題しながら読んでみてください。


昭和52年~昭和56年までの会内混乱首謀者は誰なのか?【1】


という事で、これまでの池田先生のスピーチと、第一次創宗事件、または第一次宗門事件といわれる昭和52年から昭和56年までの事件を照らし合わせてみたい。会員諸氏がよく知る野崎勲氏(故人)の著書が適当である。現今の執行部の皆さん方も推奨され、小説  新・人間革命のストーリー展開にも合致している。大意はかなり崩れて曖昧にしていますが。


【野崎勲】

「野崎 勲は、創価学会副会長だった宗教家。 大阪府出身。1965年京都大学経済学部卒、聖教新聞社に入る。創価学会男子部長、青年部長、総合青年部長、副会長、神奈川県長。日本共産党と創価学会との合意についての協定に関与、『月刊ペン』の池田大作攻撃に対して論陣を張った。
ウィキペディア
生年月日: 1942年9月10日
生まれ: 大阪府
死亡: 2004年3月14日」


野崎勲総合青年部長の本によれば
昭和52年夏頃から学会批判キャンペーン
昭和52年12月日逹上人に御寛恕願い
昭和53年1月2日   日逹上人訓諭
昭和53年1月19日  ある信者からの手紙
それらの宗門と学会の分離工作、そして池田大作スキャンダルの喧伝行為は、全て山崎正友(当時、創価学会顧問弁護士)・原島嵩(当時、創価学会教学部長)によるものであった。
これは、秋谷会長になってから、矢継ぎ早に小冊子が配られ、外部識者と言われる方々の著書も会館の出版センターに並べられて、異口同音のストーリーが展開されました。当時は、私も何ら疑問視せずにその通りだと認識していました。

ところが池田先生が2007年以降の本部幹部会席上で激昂しながら、「この中に裏切り者がいる!」「私を週刊誌に売った」「今は家族がいるから、処分しないが死んだら除名だ!」と盛んに発言されるようになり、???と再度調べることになりました。資料は全てあります。
今まで、投稿してきた「広布第二章の指針」と年月を重ね合わせて後追いしてください。

さて、学会批判キャンペーンの首謀者は、すべて山崎正友・原島嵩両名による創価学会破壊、僧俗分断の悪行だったと小説  新・人間革命でさらりと触れていますが、それは事実なのだろうか?



【山崎正友    著    盗聴教団   19801201】

の本人年表には、
----------------
昭和52年3月  総務就任
昭和53年2月  総務辞表
               3月18日参事会参事
昭和54年5月  本部参与
昭和54年5月13日  北条浩、森田一哉、和泉か覚、秋谷栄之助、佐藤悦三郎らとともに私(山崎正友)が日蓮正宗大講頭に任命
昭和55年3月5日  大講頭を辞表
昭和55年3月  本部参与辞任
                4月21日顧問弁護士返上
昭和55年9月6日除名処分
----------------
また、自分が関わった活動は、
----------------
昭和44年~53年   情報活動
昭和39年~55年   事件処理
昭和45年~50年   機構改革
昭和47年~54年   渉外
昭和38年~45年   組織活動
-----------------
であり、特に情報活動と事件処理が主な仕事であったと書いている。

特に、「昭和51年東洋物産、富士フーズ冷凍食品事業の失敗から北条理事長絡み(弟が代表者)の株式会社シーホースの問題が大変だった」と書かれていた。
さらには、「昭和52年から昭和54年まで、学会の事件処理で、大変忙しい状態であった。昭和54年などは5ヶ月も海外にいた。毎日毎日の銭勘定に追われる会社の経営など、とても見られるわけがない」と、野崎総合青年部長が本に書いていた内容とはかなり異なる詳細業務(学会大幹部がシーホース事業に関わって失敗)を縷々釈明している。

特筆するところは、
[昭和51年10月、月刊ペン事件の最中に「セントラル・ユアーズが行き詰まっている。産業サービスの折の取り込みで、債権者から告訴されているので、いま倒産させると、すっかり事件化し東洋物産や学会の名前まで出て迷惑をかけてしまう」云々]
また、
[シーホース事業失敗の役員の大半は、創価学会大幹部と北条一族(特に北条理事長の弟)が、深く関与している]ところ。法務局の閉鎖謄本を調べて残している方が居るので、これは動かしがたい事実である。
2007.10.13の本幹で池田先生は「山崎に80億円も取られた」の述べていたが、それは、この企業整理のための裏工作資金として充てられたものではないのか。だとすれば、元々の原因は、放漫経営をしていた学会幹部に問題があったのではないか。

また、野崎勲総合青年部長が共犯釈明として「原島が、学会本部から機密資料を持ち出して山崎正友に渡し、それを週刊誌に流していた」と書いているが、


【原島嵩   池田大作先生への手紙   19800824】

本人年表には
---------------
昭和52年
聖教新聞編集兼発行人
聖教新聞主幹
副会長待遇(総務代表)
昭和53年?
昭和54年4月24日中央会議員
昭和54年11月9日教学研究室長
昭和55年7月16日役職解任  除名処分
---------------
昭和53年が空白になっているところがミソであるが、これは後から追記したい。
---------------
特筆する箇所がかなり有るが、例えば、池田会長引き摺り下ろしの直前の場面を

『池田先生は、昭和54年の3月に、ある会議の席上「"6・30"も"11・7"も不満の中の大不満と、正友に言ってなったんだ」と言われました。
昭和54年4月24日、ついに先生は会長を勇退(というより敗退)されました。そして、5月3日は大功労者としての池田先生の花道だったのです。』
これは後年、有名な「時流」釈明のところである。

そして、原島が学会批判に関わり始めたのは、中央会議員になった昭和54年の9月だと書いている。
『昭和54年9月20日前後、聖教新聞社保管の極秘資料を持ち出しました。公開討論申し入れの為でした』
その通りに、著書の末尾に「公開討論申し入れ」文を掲載している。つまり、池田先生批判のためではなく、単に公開討論したいが為の資料持ち出しだった。

原島嵩が機密資料を持ち出したのは、昭和54年9月以降であり、その昭和52年夏頃から、週刊誌へ投稿されていた池田大作スキャンダルのマジックペン事件やらご本尊模刻事件の写真は、異なる人物が密かに持ち出していたことになり、原島嵩は無関係である。

よって、山崎正友・原島嵩両名の著書と、野崎勲総合青年部長の著書内容には、大きな隔たりがある。
現在、発行されている新・人間革命で描かれるストーリーとも全く噛み合わない。
結論として「山崎正友」と「原島嵩」両名は、昭和52年夏頃からの創価学会批判キャンペーンの首謀者ではないということだ。


以下参照

昭和53年6月30日   教学上の基本問題について
昭和53年11月7日お詫び登山

続いて投稿していきます。【1】終わり
 

同盟題目、23時に開始します。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2018年 6月29日(金)22時57分41秒
  池田先生と奥様のご健康、ご長寿を祈ります。
よろしくお願い致します。
 

ツイッターからです。池田先生のご指導を学びましょう。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2018年 6月29日(金)22時37分49秒
  いったん全滅の状態になったとしても、"根"が残っている限り、信仰は滅びない。そこからまた、しぶとく広がり、繁茂していく。迫害され、たとえ殺されようとも、絶対に信仰をたやさない。この不屈の魂こそ、宗教の真髄である。

88.8.7 第一回未来部総会 軽井沢にて
 

(無題)

 投稿者:一眼の亀  投稿日:2018年 6月29日(金)18時43分53秒
  同盟題目  投稿者:一眼の亀  投稿日:2018年 6月28日(木)23時23分53秒 さま
わたくしが「一眼の亀」でございます。ハンドルネーム変更お願いします。もしくは
同じハンドルネームの使用をご遠慮願います。
 

鏡像!?こちらが会議?すれば向こうも会議

 投稿者:斬り捨て御免!  投稿日:2018年 6月29日(金)17時53分39秒
  ならば向こうも準備!
するなら・・・

こちらも準備!
後は待つだけ☆

https://6027.teacup.com/situation/bbs/86211
 

(無題)

 投稿者:-Q-  投稿日:2018年 6月29日(金)17時24分48秒
  トップの号令一下、はむかう者には実力行使(除名排除)も辞さず、との態度を隠さない信濃町の職員幹部たち。

なのに何を今さら、彼らに対しては「接遇研修」が必要などとのたまう御仁がいるらしい。

気は確かか? 連中は末端会員ことなど、奴隷的労働力としか認識していないことになぜ気づかないのか。

まあ、能天気な善男善女は、せっせと寄生虫どもに貢ぎ続ければいいさ。
人生が終焉するまでね。


 

そもそもが八百長苦言?②

 投稿者:新感性  投稿日:2018年 6月29日(金)15時18分11秒
  >二階俊博氏発言は「言い過ぎ」 公明・石田祝稔政調会長が苦言
https://www.sankei.com/politics/news/180627/plt1806270043-n1.html

公明は恥を知ろうともしない鉄面皮の二階を自民党重鎮として従前から和歌山3区にて強力に
推薦しているのみならず、その蜜月ぶりは目に覆うものがあります。
口先だけの苦言は二階にとっては蛙の面になんとやらでしょう。


そもそもが八百長苦言?  投稿者:新感性  投稿日:2018年 5月27日(日)21時04分47秒
https://6027.teacup.com/situation/bbs/84961
日本のあからさまな恥  投稿者:新感性  投稿日:2018年 6月29日(金)14時49分46秒
https://6027.teacup.com/situation/bbs/86240
 

日本のあからさまな恥

 投稿者:新感性  投稿日:2018年 6月29日(金)14時49分46秒
編集済
  >「未婚で子ナシ」の46歳女性 二階俊博氏の発言に言いたい「またか」
http://news.livedoor.com/article/detail/14931786/
>「日本の秘められた恥」  伊藤詩織氏のドキュメンタリーをBBCが放送
http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-44638987


「逃げは口ほどに物を言う」  投稿者:新感性  投稿日:2017年12月 9日(土)00時57分39秒
https://6027.teacup.com/situation/bbs/77238

以下は後編集です。

そもそもが八百長苦言?②  投稿者:新感性  投稿日:2018年 6月29日(金)15時18分11秒
https://6027.teacup.com/situation/bbs/86241
 

職員は接遇研修を! ④

 投稿者:新感性  投稿日:2018年 6月29日(金)13時46分2秒
  学会の若手リーダー研修についてこんなのがありました。
https://twitter.com/tobitobihaze2/status/1011060516817494017

職員であれ非職員幹部であれ厳しい研修が必要なのはトップ以下年配者でしょうが。

それから歳をとればとるほど、地位が高くなればなるほど研修受けても、のれんに腕押し、糠に釘の場合はかなりの確率でありえるでしょうね。
私の一連の研修シリーズ投稿は行間を読んでいただきたいと願っております。

職員は接遇研修を! ③  投稿者:新感性  投稿日:2018年 6月24日(日)13時57分29秒
https://6027.teacup.com/situation/bbs/85994
 

先生の激励。

 投稿者:コンペー  投稿日:2018年 6月29日(金)13時30分3秒
  大きな会合に向けてまわりが騒がしい。
新入会本流、お守り、分世、入会、入決と。
壮年、婦人部の成果を、関わらせてもらい成果にするという。転入者の方の前の組織での成果も入れていいと。笑  自分自身で、勝ち取った成果を報告すればいい。こんな、嘘の報告ばかりするから、力がつかない。青年部時代、報告をまとめる側にいた時、あまりに虚偽の報告が多いことに驚いた。勇気を出して挑戦してダメなのは、恥ではない。それが、あたり前だ。
勇気を出した事が、最大限に賛嘆されるべきだ。そして、諦めなければ、必ずできる。
支援もそうだ。上からの一律のノルマ、もとい目標がおりてくる。いつまでに何%、世帯の何倍、等々。逆に言えば、そこまでしても大幅減なのだ。なぜ先生の時代は強かったのか?先生の長の一念と、真心の激励、そして何よりも会員の気持ちがわかっていた。
「大変だけど、やろうよ。やるからには勝とうよ。」と。
勝てば、先生から激励がある。
会員はさらに頑張った。

真似しようとしても誰もできない。
 

ナチスアベ政権を勝利させるのか?

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 6月29日(金)12時54分19秒
  赤胴鈴之助氏ご紹介の「文明・西と東」。

今日の箇所、非常に重要な事が書かれている。

私も3~40年前に読んだ。
その時の表面上の記憶は、もうほとんど完全に消えているが、不思議な事にその内容は、常に自分の心に残っていて、ずっと消える事はなかった様だ。
今日久しぶりに読み返しても、何の違和感もない。

「教育とは、学校で習った事を全て忘れ去った後に、なお残るもの」(趣意)と言われるが、まさにその通りだと思った。

クーデンホーフ・カレルギー伯爵。パン・ヨーロッパ主義を提唱し、現在のEU、欧州連合の礎を築いた大変なビッグネーム。母親は日本人だ。

そういう人に対しても先生は、意見の違う所では真っ向から反論されていて、非常に清々しい。

相手が誰であっても、池田先生はいつもそうだ。

ソ連のコスイギン首相との対話の時もそうだった。
机を拳でドンドン叩きながら、赤鬼のような形相で、恫喝?でもするかの様なコスイギン首相に対して、池田先生も机をドンドンと叩き返しながら反論されている姿を見た事があるが、「これが我々の師匠なのだ!」とすごく印象に残っている。

当時のソ連は非常に怖い国と見られていて、「訪問するのはいいが、生きて帰れるのか?」と与党政治家が言うほどの、「鉄のカーテン」の向こう側の国だった。(確か、安倍晋太郎氏がそのように言っていたと記憶している)

その怖い国の最高権力者たる首相の前で、机を叩いて反論するのだから、命がいくらあっても足りないほどの行為だが、そういう事をいつもされて来たのが我々の師匠だ。

鎌倉幕府の最高権力者、平左衛門尉に屈しなかった日蓮大聖人のお姿とも見事に合致している。
これが大聖人以来伝統の、「法華経の行者」が取るべき態度だ。
「殉教」の精神があるか無いかの違いだ。

安倍晋三ごときに平身低頭し、保身の為、言える力も義務もありながら、一言も反論しない公明党やダーハラ執行部などが、「直弟子」などであるわけがないのだ!!

コスイギン首相はその日家に帰り、「今日は、非常に面白い東洋人に会って来た」と、大変上機嫌であったらしい。さすがトルストイやドストエフスキーを生んだ国の首相だ。人間の器が違う。
彼もまた、一流の人間であったのだろう。
ダーハラや公明党幹部とは真逆の人間性だ。

それに引き換え、「安倍晋三だけは政治家にしてはいけない」という声が、彼のごく身近な人達からしばしば聞こえてくるのはどういう事だ?

あの、後藤田正晴氏や、アベの恩師たる成蹊大加藤節名誉教授、父親の安倍晋太郎氏までが、「安倍晋三だけは、首相にしてはいけない」と言っているのだ。

批判のポイントはふたつ。「人間としての情が無い」事と「恥を知らない」という事だ。

「内閣法制局」や「最高裁」のトップをクビにして、自分の考えに同意するものを引っ張って来て置き代える。そうする事によって、日本が73年間守り続けて来た価値観が180度逆転してしまうのだが、それでも一応民主主義のルールを守っている事にはなるのだ。

今の日本はそうなっている。形だけは民主主義だが、実質的にはもう既に、アベ自公の独裁体制だ。
「働き方法案」も、やはり、またいつも通りのゴリ押しではないか。

最後の砦となり得るはずの新潟も明け渡した今、改悪された東京都迷惑防止条例も7月から施行されるのだ。アベを支持する学会員は、金も権力も持っていないくせに、自分の身をどうやって守る気なのだ?無知と無責任の報いが、いよいよ自分の身に降りかかるかも知れない。

自分は「大聖人と師匠を裏切ってでも、権力に擦り寄るから平気だ」とでも抜かすのだろうか?!





 

φ(.. ) MEMO

 投稿者:フロム関西  投稿日:2018年 6月29日(金)11時31分47秒
編集済
  策で解決した場合、

また同じ問題で悩む-戸田先生。

題目の剣で突き破れ

2018年6月28日≫寸鉄≪
より
 

師の言葉の改ざんは『魔の伴侶なり』

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2018年 6月29日(金)10時25分53秒
編集済
  【守護国家論】
「我涅槃の後正法未だ滅せず余の八十年・爾時に是の経閻浮提に於て当に広く流布すべし是の時当に諸の悪比丘有るべし是の経を抄掠して分つて多分と作し能く正法の色香美味を滅す是の諸の悪人復是の如き経典を読誦すと雖も如来深密の要義を滅除して世間荘厳の文を安置し無義の語を飾り前を抄て後に著け後を抄て前に著け前後を中に著け中を前後に著けん当に知るべし是くの如き諸の悪比丘は是魔の伴侶なり」(42~43ページ)

【通解】
法華経の流通分である涅槃経の第九には、「私が涅槃ののち、正法時代にはいまだこの経は滅せず、その後八十年、そのときに、この経が閻浮提の中に広く流布するであろう。このときにもろもろの悪比丘があって、この経を抄掠して多くの部分に分け、よく正法の色香美味を滅するのである。このもろもろの悪人はまた、このような大乗経典を読誦するといいながら、如来の深密の要義(経の真意)を、滅除して、世間ありふれた荘厳の美辞麗句や無義の語を並べ、経文の前をとって後ろにつけ、後ろをとって前につけ、前後を中につけ、中を前後につけたりする。このようなもろもろの悪比丘は魔の伴侶であると知るべきである」と説かれている。

~~~~~~~

創価学会は御書根本です。

ゆえに、師の言葉の『削除・変更・入れ替え』は厳しく見てゆきたい。
職員の方々は『魔の伴侶』と言われないよう、如是我聞を心掛けた仕事をしてください。

そして、職員の仕事の責任は、全て原田会長にあると厳しく断じておきます。


 

カンピース様へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2018年 6月29日(金)10時07分48秒
  検証作業、大変にお疲れ様でした。

1文字、1文字、原文確認し照合する労苦は、よくわかります。
師の言葉を後継者に正しく伝える大切な作業です。
本当にありがとうございました。

自分も本部幹部会で流すスピーチや、幹部が引用するスピーチは、必ず原本確認しています。

スピーチの全体を読み、抜粋部分の指導性が変わっていないかどうか。
特に、文章の『削除・変更・入れ替え』については、意味合いが変わるなら『悪質な改ざん』と判断しています。

池田先生がご不在の未来において、如是我聞の信心は非常に重要になってくると思うのです。
故に、今後も厳しく検証し、確認作業をしてゆきたいです。

しかし、本来このような検証作業・校閲作業は、本部職員の仕事ですよね。
戸田先生の祥月命日を間違えるなど、職員の仕事の質が落ちているのは言うまでも御座いません。

この責任は、原田会長にあるのは当然であり、原田会長の管理能力・指導力の低さに原因があると思います。

会員の財務で給料が支払われいる以上、きちんと仕事をして頂きたいものです。










 

「珍・人間革命」大山の章、検証を終えて、

 投稿者:カンピース  投稿日:2018年 6月29日(金)09時42分3秒
編集済
  「珍・人間革命」大山の章の検証が終わったので報告したいと思います。

結果的に、全68話収録中、71ヶ所の省略・書き換え・書き足し・入れ替えがあった事を報告したい。

しかしながら、小説としての内容はともかくとして、文意を損なうものは無かった事も併せて報告しておきたい。

書き換え4ヶ所、書き足し6ヶ所、文章の入れ替えが4ヶ所確認できた。

あとは、「山本伸一」を「伸一」、「十条潔」を「十条」といった省略が主であった。

総合的に見ても、珍聞掲載と発刊された物にはあまり差異がないと評価できると思う。


もちろん、小説の内容が、事実と異なるというのは『嵐の4・24』を読んでも明らかであるが、ここでは論じない。

ただ一点、指摘したいのは、大山五十五において、戸田先生の言葉として、こうある。

>未来の経典には、「創価学会仏」という名がと厳然と記されるのだよ<
(珍・人間革命第30巻上P98より抜粋)

しかしながら、ここで、「創価学会仏」とされる表現が、誓願七十五においては、

>戸田先生も言われていたが、未来の経典に『創価学会』の名が厳然と記し残されることは間違いないと確信するものであります<
(珍・人間革命、誓願七十五より抜粋)

いかがでしょうか、「創価学会仏」が「創価学会」に変わっているのにお気づきだろうか。

変わった事で、何がどう違うのか、といった問題は割愛するが、意味合いがまるで違ったものになる事だけは指摘しておきたい。

今後も検証を続け、また折あるごとに報告したいと思ってます。

 

動画URL

 投稿者:ドン・キホーテ  投稿日:2018年 6月29日(金)09時38分57秒
  池田先生を師匠とする、本当の同志のみなさま、おはようございます。
またまた、動画のリンクをはります。

まだ、こりておりません。生涯こりません。
https://youtu.be/M4Qbne499YE
 

七月三日

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2018年 6月29日(金)08時30分58秒
編集済
  1996.7.3 アメリカSGIの「7・3」記念研修会

七月三日

<獅子は伴侶を求めず>

自分自身が強盛に「祈る」ことから出発

一九四五年の七月三日、午後七時――。恩師・戸田先生
は出獄された。

 権力によって、非道にも、侮辱され、獄死させられた師
・牧口先生の「正義」を、「真実」を、「偉大さ」を証明せんが
ために、ただ一人、奮然と戦いを開始されたのである。
 その十二年後の七月三日、午後七時――。私は、無実の
罪で入獄した。恩師・戸田先生を、一人、厳然と、お守りす
るために。また、けなげなる関西の同志を守りぬくために。

 「師弟の道」に徹する限り、何の迷いもない。何の惑いもな
い。何の恐れもない。(中略)
 「獅子は伴侶を求めず」――「七月三日」から、新たな広布
の闘争の火蓋を切られた戸田先生は、だれも頼らなかった。
 体は極度に衰弱。事業は完全に破綻。戦前の学会員の
消息は、ほとんど不明。最悪の状況のなかで、戸田先生は
、自分自身が強盛に「祈る」ことから出発されたのである。
 御書には仰せである。

 『何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へ
と湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛
に申すなり』(呵責謗法滅罪抄、1132頁)

 ――どのような世の乱れにも、あなた方お一人お一人のこと
を、法華経よ、十羅刹女よ、助けたまえと、湿った木からも火
を出し、乾いた土からも水を得ようとするごとく強盛に祈ってい
ます――。
 これが、流罪の地・佐渡にあって、門下を厳然と守りゆかれ
る大聖人の「祈り」であられた。
 人ではない。自分である。広布のリーダーは、まず自らが祈る
ことである。
 人を動かすのではない。自分自身がエンジンとなって、回転
していくのである。そこに、すべての勝利の原動力がある。
 とくに青年は、求めて自らを鍛えなければならない。若い時
からお金もある、何の苦労もない――では人物はできない。民
衆を守る偉大な指導者になれるわけがない。
 苦労に苦労に苦労を重ねて、何があろうとも微動だにしな
い王者の自分自身を築きあげていただきたい。
---------------------------------
仏法は勝負。勝負ならば勝たねばならない。
でも、その相手は誰でしょう。
それはきっと自分自身の心に住む元品の無明の闇。
その闇が作り出す偽りの世界。その世界に惑わされて
元気が失われていっては負けになります。

三島由紀夫さんの豊饒の海という長編小説の中で
法相宗のお坊さんの法話がでてきます。
真夜中、ある人が野原で急に水が飲みたくなり、
暗闇の中で水を探すと、器の中に入った水をみつけ
それを飲んでみると、とても美味いと思った。
ところが、朝になるとその器は死んだ人の髑髏で
その髑髏にたまった水を飲んでしまったと気づいた
とたんに気分が悪くなったという話がありました。
髑髏にたまった水というだけで、人は美味しい水
を飲めないのかも知れません。私も普通では
飲めないです。

自分の心に潜む元品の無明の闇に勝つ技は
南無妙法蓮華経の唱題行しかないと思います。
自分の心を磨き、何事にも負けない生命力を
もつことだと思います。

赤ちゃんの笑顔をみてると、何も知らないのに
幸せそうにみえます。人がこの世に生まれてきた
とき、その瞬間は絶対的幸福の境涯なのかも
知れません。その絶対的幸福の境地が大人に
なるにつれ忘れてしまうのかもしれません。
それをとりもどすには、南無妙法蓮華経の唱題行
だと思います。人は自分が幸せであることを忘れて
いるのかもしれません。

”天上天下唯我独尊”
世界にあるものはすべて自分の求道のためにある、
そして自分は世界にあるものすべての幸せのためにある。
世界と自分はひとつ。
宇宙と自分はひとつ。
すべては南無妙法蓮華経の中に。
---------------------------------





 

んが友に贈る 2018年6月29日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2018年 6月29日(金)07時33分43秒
  地区の勝利を支える
「福役職」の皆さまこそ
広布前進の要なり!
豊かな経験を生かす
励ましの達人に感謝!
 

文明・西と東  池田先生とクーデンホーフ・カレルギー伯との対談です。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 6月29日(金)02時48分15秒
  文明・西と東  池田先生とクーデンホーフ・カレルギー伯との対談です。

今回は、第四章 現代の目標 民主主義は守れるかです。

池田先生は・・・民主主義は守れるか、次のように問題提起されました。

「民主主義にも固有の欠点なり、内在的な危険というべきものがあります。」

カレルギー伯は・・・

「一つは大衆扇動(デマゴーグ)の危険です。
その、もっとも警告的な例は、前にも述べたとおり、ヒトラーの出現で、彼はまさに有史以来
の大衆扇動家でした。」

「もう一つの危険は、金権政治、富豪政治(ブルートクラシー)の脅威です。
民主主義は、国民に平等な基本的人権を保障しますが、権利の平等は、必ずしも権力の平等を
意味しません。」

池田先生は・・・最後に。

「国民の選挙による立法機関である議会と並んで、官僚が国の行政権をにぎっています。
そこには、すぐれた知性の人が多くいるはずです。
ところが、実際には、セクショナリズム、自己保身、金権との結びつきなど好ましくない風潮
におおわれているのが現実です。
結局、それは、組織の論理が優先していて、国民の大多数である民衆という基盤から遊離して
しまっているからではないでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日は、日本サッカーがついに、世界の頂に近づいた記念すべき日です。

ワールドカップ決勝T進出、西野ジャッパンありがとう!!!。

コメントを書き込みたいのですが、・・・・。あまり喜べない・・・。(-_-)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

池田先生の最後で提示された官僚化、セクショナリズム、自己保身、金権管理組織、全くSG
執行部の事をあげて警告されているようにも思われます。

民主主義の体裁をとった独裁になってはいけません、安倍政権も独裁化しつつあることを危惧
しています。


 

文明・西と東 民主主義は守れるか

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 6月29日(金)02時43分55秒
  文明・西と東

民主主義は守れるか

池田
 政治制度の現発達段階において、民主主義にまさる制度はないと思います。しかし、これは
あくまでも、相対的な意味においてであって、民主主義にも固有の欠点なり、内在的な危険と
いうべきものがあります。

この点についてこれまでも論じてきましたが、さらに、いかに民主主義をまもっていくかにつ
いて、ご意見がありますか。

カレルギー
 民主主義は、成立以来たえず固有の、内在的な危険性ともいうべき二つの重大な脅威にさら
されてきました。

一つは大衆扇動(デマゴーグ)の危険です。
その、もっとも警告的な例は、前にも述べたとおり、ヒトラーの出現で、彼はまさに有史以来
の大衆扇動家でした。
ヒトラーは、第一次大戦後、ドイッの若い未熟な民主主義の中で、つねに大衆を扇動によって
あやつり、危機感を植えつけ、少数派の知識人、文化人の反対をおさえつけ、強力な世論の支
持を形成しました。

しかし、その方法は、つねに表面的には民主的な手続きにより、巧妙な多数決の原則によった
のであって、暴力や革命的方法によったわけではなかったことを忘れてはなりません。
そして、このようにして政権を手中にしたのち、ヒトラーは、独裁体制に切り替えました。

現在、テレビの普及によって、デマゴーグの危険は、ますますふえています。
テレビのほうが、新聞などの活字よりも大衆に訴える力がはるかに大きいからです。
このように、民主主義は、衆愚政治になるか、あるいは独裁者の支配を許してしまうかの危険
をたえず内在しています。

もう一つの危険は、金権政治、富豪政治(ブルートクラシー)の脅威です。
民主主義は、国民に平等な基本的人権を保障しますが、権利の平等は、必ずしも権力の平等を
意味しません。
男女を問わず、富める者の方が貧しい者よりも、より大きな力、権力をもっています。
かれらは特定の政党のために資金を調達したり、またマスコミを操作することもできます。

このようにして、少数の金権政治社会が、弱者たる民衆を、自分たちの道具化し、民主主義を
変えていきます。
つまり、経済力を中心にした新しい貴族政治ともいうべき形態に変えてゆくのです。

しかも、ますます中央集権化している現在の民主主義体制においては、金権政治の危険は、増
大しているといえます。
アメリカをはじめ、これが民主主義、資本主義世界の実情です。
私たちは、これらの危険性をはっきりと見極めなければなりません。

池田
 私は、民主主義が陥りやすい落とし穴が衆愚政治や金権政治にあるというご措摘に同意しま
すが、しかし、民衆とは愚かなものだと決めて、少数の特別の教育を受けた賢明なエリートだ
けが未来の指導者になる資格があるというあなたのご意見には必ずしも賛成できません。

問題はどのようにして民衆の知的水準をひきあげ、民衆全体の質的な向上を実現できるか、こ
こにこれからの最大の課題があると思います。

カレルギー
 世界は、量よりも質を代表するような新しい指導原理を求めなければなりません。
民主主義は、その中で、統治者が特定階層だけの利益を代表するのではなく、広く民衆や人類

体の利益を代表できるように改められなければなりません。

そして豊かな人間性、すぐれた頭脳と精神による社会主義志向型のリーダーシップを発展させ
るべきだと思います。

民主主義・資本主義世界は、かつての武力支配から、今や、現実に金権支配、富豪支配へと変
わりつつあります。
しかも衆愚政治は独裁者の出現を招く危険があります。多数決の原理の下では、多くの国の場
合、感情が理性を圧倒してしまうということがしばしばあります。

そこで、多数決の原則を、知性・知能によって管理する必要が生じてきました。
つまり、多数決原理を知性による管理と融合させることです。
無制限の民主主義は管理民主主義によってとって替わらなければならないと考えます。
私は将来、必ずそうなると見ています。

前にも述べたとおり、今日、アメリカもソ連もフランスも頭脳による管理に向かいつつありま
す。
すなわち、高度の頭脳・知性・才能を持った助言者を、選挙でなく、登用によって"ブレーン.
トラスト"を構成する・・・そういう支配体制ができつつあります。
アメリカの大統領の下にあるブレーン・トラスト、フランス政府の閣僚が大部分知識人である
事実、ソ連で一群の知識人によって代表される共産党の専制などで、これらは事実上、知能に
よる管理体制です。

池田
 民主主義は、将来、多数決の原理と知性による管理制度とを融合した管理民主主義を志向す
べきであり、そしてそのすぐれた管理者として資格のある人材を、全国民階層から選抜して、
特別の教育を行なう必要があるとのご意見ですが、これに対する、私の意見を申し上げたいと
思います。
考えてみれば、今日の日本でも、また他の多くの国でも、ほとんど、事実上の管理民主主義で
あるといえないでしょうか。
具体的には、国民の選挙による立法機関である議会と並んで、官僚が国の行政権をにぎってい
ます。
そこには、すぐれた知性の人が多くいるはずです。
ところが、実際には、セクショナリズム、自己保身、金権との結びつきなど好ましくない風潮
におおわれているのが現実です。
結局、それは、組織の論理が優先していて、国民の大多数である民衆という基盤から遊離して
しまっているからではないでしょうか。

こうしたことから考えて、私は、民主主義の大前提として、まず民衆一人一人に自主管理とい
う考え方が確立されなければならないと思います。
その基盤がなければ、管理制度のみが優先し、民主主義は有名無実になってしまうでしょう。

この民衆における基盤の確立がなされたときに、はじめて管理民主主義も有効に機能すること
ができるのではないでしょうか。

要するに、国民一人人が全体との調和のうえにそれぞれの目標を主体的にかかげ、それを実現
していくことのできるような、ダイナミックな民主主義社会・・・これをいかにして築くかと
いうことが、これからの課題であると思うのです。

そして、民主主義の健全な発展のために、教育による民衆一人一人の質的向上こそ、最大のカ
ギであると思います。


 

愚人をほめるのも「はぢなり」でしょうw

 投稿者:素朴な疑問  投稿日:2018年 6月28日(木)23時57分32秒
  >>私が見かけたアカウントは、宿板ほぼbotに載っていた、6月26日と6月24日の分だ。

>>金正恩  公式となっていたが、本物の公式なのかどうか、確かに怪しいことは怪しい。日本語だったしな。しかし、日本向け翻訳スタッフぐらい、つけようと思えばつけられないことはないだろう。
>>トランプ氏の影響もあるかもしれないし。




少し調べれば金正恩の名前を騙ったネタ垢だと判断できるアカウントを、金正恩本人のアカウントと信じて発言したことについて、恥ずかしく思ってないのでしょうかw

凡夫は間違いを犯すこともあるがゆえ、間違った原因を自己分析・自己検証することで、未来の大間違い・大罰を避けることも可能であるだろうと私は考察するけど、この調子では、似たような間違いによる恥さらしを何度も繰り返すだろうな…

ちなみに、J-CASTニュースでは、「金正恩【公式】」のツイッターを"ジョークアカウント"として紹介しておりました(笑)↓


https://www.j-cast.com/2018/06/12331175.html?p=all

金正恩?「緊張で吐きそう」「(髪の毛)整えた」 笑い呼んだ「なりきりツイッター」の実況

2018/6/12 18:15

 日本時間2018年6月12日、シンガポールで行われた史上初の米朝首脳会談。ドナルド・トランプ大統領、金正恩朝鮮労働党委員長の歴史的な対面のウラで、密かな注目を集めたツイッターアカウントがあった。

 正恩氏になりきった日本語のジョークアカウント「金正恩【公式】」だ。今回の会談にあたっても、約1万5000人のフォロワーに向け、「緊張MAXで気を失いそう」「プレッシャーで飯が喉を通らない」などと、本人の心境を妄想する実況ツイートを繰り返していたのだ。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2018年 6月28日(木)23時35分33秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
サッカーを観てから寝ようと思います
おやすみなさい
 

同盟題目

 投稿者:一眼の亀  投稿日:2018年 6月28日(木)23時23分53秒
  23時に開始しています。
池田先生と奥様のご健康、ご長寿を祈りましょう。
また、病の同志、組織からいじめられている同志の皆様にお題目を送ります。
よろしくお願い致します。
 

「お元気な先生」という印籠。

 投稿者:コンペー  投稿日:2018年 6月28日(木)22時45分2秒
  随筆新人間革命「大東京の不滅の地盤」の中で先生は、最高幹部を叱責している。

なんと、ふがいない幹部たちよ。私を引退させておいて、自分の責任まで忘れ去っている臆病な姿に、私は怒りを覚えた。

会長辞任の真実。まだ、51歳とお若い先生を引退に追い込んだのだ。そして、実権のない名前だけの名誉会長に棚上げした。これで自由にできる。自分たちで、上手くやれると。
これが、見事に失敗する。笑
先生の陣頭指揮がなければダメなのだ。

今も同じ。
先生の指揮が無くても大丈夫だ。
自分たちで上手くやれると。
しかし、そうはいかない。
そこで「お元気な先生」をアピールして、先生のご威光を利用する。まるで、水戸黄門の印籠のように。笑

「お元気な先生」がなければ、何もできない。情け無い人たちだ。
 

心を解き放て!

 投稿者:平田真吾@南里Guyメール  投稿日:2018年 6月28日(木)20時32分43秒
編集済
 


動画は、ご存知の「虐待・家庭内暴力(+ネグレクト)を受けている9才の少年の唄」。


胸が締めつけられるこの曲。第三代の心をオブラートに力で押さえてくる信濃町大本営システムに甘んじる非職員会員の心情そのまま(実に禄をはむ会長含む全職員の心情だったりしてw)。



私は、民間会員と供養で生きている信濃町大本営の錯綜する「共依存」関係を断ち切りたい。



なぜなら、屹立した気持ちって、実に爽快で軽やかなんだもの!


Suzanne Vega / Luka  https://youtu.be/DXLcDOOCn3s


 

日蓮世界宗創価学会の独裁者は誰か?虚構新聞より

 投稿者:虚構新聞マニア  投稿日:2018年 6月28日(木)17時21分35秒
  2018.06.27
画像認証に「独裁者」選択 ビッグデータとして活用へ

画像から独裁者が写っているマスを選ぶ
 プログラムによる操作でないことを証明するために使われる画像認証「キャプチャ(CAPTCHA)」に、写真の中から独裁者を選ぶ認証が登場し、話題になっている。米プロンストン工科大学がビッグデータの収集用として新たに開発、追加した。

 キャプチャは、歪んだ文字や数字を読み取って入力したり、写真の中から道路標識や自動車が写るコマをクリックして選ばせたりする認証方式の一種。これらの画像は機械認識が難しいことから、不正ログインを防いで安全性を高める技術として使われている。また、人間にしか読み取れない特徴を応用して、機械が読み取れない文書を電子化するのにも一役買っており、これまで世界中で10億件以上のデータ入力が行われたという。

 新しく登場した「独裁者認証」も同じく、人間にしか読み取れない特徴を利用している。縦横4マスずつ、計16マスで表示される世界各国の政治家の写真から、独裁者や独裁者になりそうな人物が写っているマスをクリックして選ぶというものだ。

 過去に「独裁者」とされた人物は、「ヒゲ」や「奇抜な髪形」など一般人と異なる風貌を持つことが多かった。しかし、より発達した民主主義国家が多数を占める現代では、機械でも分かるような特徴を持つ人物だけが独裁者になるとは限らない。独裁者認証は、さまざまな写真を通じて、人が「独裁者っぽい」という印象を抱く政治家に共通する外見的特徴や傾向に関するデータを得るのが目的だ。

 開発したプロンストン工科大学のライ・フォルス教授は「核抑止力を背景にした政治的駆け引きが横行する現代で、独裁者が生まれるリスクは第二次大戦時の比ではない。ビッグデータを活用して、独裁者を未然に防ぐ仕組みが必要だ」と説明する。

 人が直感的に持つ「独裁者顔」のビッグデータを収集・分析することで、将来、各国で行われる大統領選や議会選挙で、候補者の顔写真からAI(人工知能)に「独裁者度」を判定させて、有権者の投票判断を助けるウェブサービスの開発などにつながりそうだ。
 

素朴な疑問?

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 6月28日(木)17時09分21秒
  私が見かけたアカウントは、宿板ほぼbotに載っていた、6月26日と6月24日の分だ。

金正恩  公式となっていたが、本物の公式なのかどうか、確かに怪しいことは怪しい。日本語だったしな。しかし、日本向け翻訳スタッフぐらい、つけようと思えばつけられないことはないだろう。
トランプ氏の影響もあるかもしれないし。

もうだいぶ下の方に下がっているが、偽物アカウントなら潰した方が良い。
日本の新幹線の写真が、探す目印になる。

しかし金正恩氏の名を騙るとはすごいな。ある意味命がけだな。(呆)

偽物の証拠が取れれば、有用で役に立つ情報だ。偽アカウントなら、消した方がいいに決まっている。

「素朴な疑問」?この人物もアレか。なるほど。



 

偽垢

 投稿者:見込みない人びと  投稿日:2018年 6月28日(木)15時57分4秒
  偽アカウント、なりすましでしょうね。本物らしいの見つからないです。  

ミネルヴァの梟氏の投稿。。。w

 投稿者:通行人  投稿日:2018年 6月28日(木)15時51分56秒
  >>金正恩氏の公式ツイッター。

>> 「北朝鮮に観光しに来た折には、私のツイッターのフォローを、店の人に見せてみなさい。おごってくれるかもしれない。」
>> 相手の人はそれに応えて「ピョンヤン冷麺が食べたい」とか言っていた。

>>フム。なかなかいいツイートではないか。なんかほのぼの感が漂う。将来的に本当にそういう>>事があるかも知れないと期待が持てる。

ピョンヤン冷麺おごってもらいなよww
 

ツイッターは「バカ発見器」とも呼ばれているらしい

 投稿者:素朴な疑問  投稿日:2018年 6月28日(木)14時21分13秒
  >>金正恩氏の公式ツイッター。

>>「北朝鮮に観光しに来た折には、私のツイッターのフォローを、店の人に見せてみなさい。おごってくれるかもしれない。」
>>相手の人はそれに応えて「ピョンヤン冷麺が食べたい」とか言っていた。

>>フム。なかなかいいツイートではないか。なんかほのぼの感が漂う。将来的に本当にそういう事があるかも知れないと期待が持てる。



・金正恩の「公式」を名乗っている「日本語の」ツイッターは複数あるみたいだけど、どこの「公式」アカウントを指してるのでしょうか?

・「公式」を名乗ってるアカウントは、本当に「朝鮮民主主義人民共和国最高指導者の金正恩」が発信してるのでしょうか?

・金正恩がツイッターのアカウントを作成し「朝鮮語で」発信している事実はあるのでしょうか?あるとするなら、そのアカウントはどこでしょうか?

・「公式」アカウントの発言で「北朝鮮に観光しに来た折には…」となってるが、「北朝鮮」は、朝鮮民主主義人民共和国を国家として承認していない日本国内における表現。韓国で「北韓」と呼ぶのと同じ。朝鮮公民を自認している人は、日本語表現でも自国を「北朝鮮」とは呼ばず「朝鮮」と呼称するのがほとんど。

・米国のトランプ大統領がツイッターをやってることや、トランプ大統領のアカウントから発信された発言は、大手マスコミでいろいろ記事になっておりますが、金正恩がツイッターやってることや、ツイッターの発言が大手マスコミで記事に取り上げられた話を私は見かけたことがありません。大手マスコミで、金正恩のツイッターネタを取り上げた記事があるならば、例示していただきたいところです。

・そもそも、北朝鮮の一般国民は、国内でインターネット通信やツイッターのアカウントを作成や閲覧及び言論による政権批判を自由に出来るのでしょうか?
 

人生の座標から~

 投稿者:うーこメール  投稿日:2018年 6月28日(木)13時44分36秒
  成長しようと努力する女性は、人生のどんなときをも、最高に輝かせていける。反対に、自己の成長を願わず、目先の楽しみだけを追い求める人生の、どこが幸福であろうか。
 

拉致問題の行方は…。

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 6月28日(木)13時27分52秒
  金正恩氏の公式ツイッター。

「北朝鮮に観光しに来た折には、私のツイッターのフォローを、店の人に見せてみなさい。おごってくれるかもしれない。」
相手の人はそれに応えて「ピョンヤン冷麺が食べたい」とか言っていた。

フム。なかなかいいツイートではないか。なんかほのぼの感が漂う。将来的に本当にそういう事があるかも知れないと期待が持てる。


しかし一方、こういう人物にアベが対等に渡り合えるのか?と、甚だ不安だ。と言うより負けるに決まっているだろう!金持ちのアホぼんが、太刀打ち出来るような相手ではなさそうだ。

北朝鮮はモリカケ問題についても非常に詳しく分析していて、日本の腰抜けメディアには絶対言えない様な厳しい批判も遠慮なく言っている。北朝鮮はアベ政権に対し、ゴマをする必要が全くないのだ。
それどころかアベ政権は、1兆円払うから日朝首脳会談を開催してくれと、懇願しているぐらいだ。

アベ政権が、日本の全階層から総スカンを食らっているという日本の政治状況も、極めて正確に分析している。
結果、日本の腐った政治状況を、最も正確に把握し伝えてくれるのは、日本の大手メディアではなく、北朝鮮メディアかも知れないと思うほどだ。(失笑)

しかし、これだけ自分達の悪業や弱みを知り尽くされていると、勝ち目はなさそうだ。

アメリカは、表面上は対北朝鮮強行策を貫いていたが、当然裏では、北朝鮮との対話ルートを模索し、獲得していたのだ。

一方アベ政権と言えば、ただ闇雲に圧力一辺倒を主張するだけで、驚くべき事に、本当に1本の対話ルートさえ持っていなかった様だ。(驚)

トランプ大統領の一本買いで、そこに全財産をブチ込むという、凄まじいバクチ政治だ。
頼りのトランプ親分が方向転換した場合の事を、まったく考えていなかったのだから、こうなってしまえば、もう負けるに決まっている。

6日付けの「労働新聞」は「日本はすでに朝鮮半島問題に、頭を突っ込む資格も体面も全て失った」と言っている。

従来の自民党政権ならいざ知らず、この政権では拉致問題の解決は非常に難しい。
こんな政権が3選されれば、日本はもう持たないかも知れない。
 

敵は静かに忍び寄る・・・。

 投稿者:斬り捨て御免!  投稿日:2018年 6月28日(木)13時13分37秒
  コレも見せたくない投稿だろうか…?

https://6027.teacup.com/situation/bbs/86153

緑のたぬきか黒いキツネか?

https://6027.teacup.com/situation/bbs/81196
 

公明党創立の理由?

 投稿者:鉄砲玉  投稿日:2018年 6月28日(木)12時34分14秒
  下記、ご参考まで、遠方の友(同志)への返信です。

公明党の設立についての意義、同意です。
現在192か国のうち、政党を設立したのはわが日本国のみ。何故、日本国にだけ政党を創立されたのか?これは、皆の衆、それぞれに考える価値あることではないでしょうか?

世界広宣流布をご構想される中に於ける、日本国の位置。一闡提の生み広げたる謗法邪知の国。そしてまた、ご本仏日蓮大聖人様ご生誕の国。そして誕生した創価三代の母国。
仰せのように、令法久住の為に、権力の防波堤を作る一助としての公明党、これは主な理由と感じています。
哲学無き国民性ゆえに、残念ながら付和雷同、長い物には巻かれろ、寄らば大樹の陰、権力に弱い・・
信教の自由を守る為、良識を持った、民衆の側に立つ政治勢力の結集は、必要な事だったと思います。

しかし、池田先生仰せの如く、学会がおんぶに抱っこで、徹底支援するのは、結党10年、若しくは20年までがあるべき姿だったのだろうと、振り返ります。
1964年が結党ですから、成人までは1984年。先生会長辞任後5年目の頃です。我らが社会人になって間もない頃でしたね・・。
実際、公明党の獲得議席や得票率はこの頃がピークだったのです。
余韻で、先生辞任の10年くらい、バブルの絶頂期1989年前後まで、からくも「立正安国」の精神は生きていたのではないでしょうか?

その後、1994年新進党への参加を経て、1999年自自公連立政権に参加。来年で早20年、権力側で存在することになります。
結党後54年目ともなるのに、創価学会を抜きにして、公明党独自に、政治の世界で評価を得ることは出来ていない。選挙戦もおんぶに抱っこのまま。
そして何よりも、自らの存在理由とも言うべき“平和”について、筋を曲げてしまった。特に小生が許せないのは“共謀罪”。初代牧口会長を獄死せしめた“治安維持法“に準ずる権力側の恣意性を許す、“悪法”成立に加担してしまった・・

また、悲しいことにその事実を、現場の投票権持つ人々は、気付きもしない。
原田執行部は、狡猾です。公明支援=学会活動=功徳という、方程式を引き続き信じ込ませ、政策を論じることはない。
多くのメンバーは、選挙には関心を持つが、政策には興味を示さない。外部の心ある人から見れば、「カルト」です。
そして、何より悔しいのは、それを先生の責任にされてしまう事です。彼らは都合の悪いことは「先生」に押し付けるのです。
残念なことですが、一旦滅ぶべき政党なのかも知れません。原点回帰に向かったとしても、自力で立ち上がる方向(学会の組織的支援は無し)を模索すべきでしょう。
 

「時代背景」を読むとは、現代人は「ストーリー」しか示せない

 投稿者:アルベア  投稿日:2018年 6月28日(木)11時57分0秒
  「時代背景」を読むとは、現代人は「ストーリー」しか示せない

SaySaySayさん、善い読み方しています。苦難を乗り越えた分、読みが深まるのです。

自分自身を「技化」していけば、見えてきます。

「教学は剣豪の修行の如く」とは戸田先生の言葉、「教育は術にならなくてはならない」とは牧

口先生の言葉、「文武両道の人に」とは池田先生の言葉、

明治・大正・昭和一桁世代の素養には「武道の素養」が文化的に浸透していた事は既にお伝えし

ています。しかし、現代文化では「武道の素養」が消失し「武道特性による身体感覚・身体知」

は、うかがい知る事はできない状況にあります。

歴史で習う「鎌倉時代」では「武士の台頭」「鎌倉仏教の興隆」という事で、その時代の民衆の

身体性は語られていません。抜けているのです。

例えば「鎌倉武士」の台頭では、様々な「それぞれの武術の流派」が生まれ「武道文化」の基盤

が定着化した事でもあったのです。

当然、僧侶等も武道・武術を学ぶと言う状況下にありました。日蓮大聖人も、そうした文化状況

下にあったのです。つまり「武道」「武術」が僧侶の素養として育まれていたという事です。

御書をお書きになった時代背景には、必ず大聖人の「武道による身体性・身体知が基盤にあっ

た」という事なのです。

「物語」「ストーリー」で見てしまう・読んでいても「あらすじ」の理解で(理)終わるので

す。身体知が欠落した読み方では「実」「事」の読み方にはならないのです。「理」ではなく

「事」と提唱した背景には大聖人の「身体知・体感知」があったからできた事なのです。

三代の指導下では「武道特性」「身体知」があった事を「思考・概念」の「思い込み」「信じ込

み」「上書き」の創価教団では気づかない、気づけない、のです。「わからないから」先生のス

ピーチや著作を軽視し粗末に扱う馬鹿となるのです。鎌倉時代の五老僧と同じです。ちなみに

「老僧」です。創価の執行部も老僧ごとき方々です。

戸田先生の全集・初期の池田大作全集を読むと「気迫」が響いてきます。どうしてか、わかりま

すか?その「響き」が文章にあるからなのです。それが身体知の現れなのです。

「思考・概念」の「思い込み」「信じ込み」「上書き」の文章には、身体知が反映・投影され

ず、希薄・浅薄な文章しか書けないのです。池田先生の語る「言論戦」とは「体感知」があって

の事なのです。⇒身読・色読

日々の聖教新聞の様々なコラムも同様です。民衆救済・広宣流布の気概・気迫が消失しているの

です。見る者が見れば、低俗な新聞と化しているのがわかるのです。大白蓮華の巻頭言には、代

筆者の軽さが前面に出ています。

気づかぬ会員は「広布のため」と言う動機付けにより、低俗な新聞啓蒙を毎日行っているので

す。三代会長により守られ、慈しみ、育てられた会員を、陥れ、馬鹿にし、裏切り続けているの

が創価貴族教団の面々なのです。

「物語」「ストーリー」になると、その時々の「身体性」「身体特性」「身体知」は欠落してし

まうのです。「智慧」の消失です。同じ「南無妙法蓮華経」を唱えていても異なっているので

す。それを「御信心により候べし」と言うのです。「現象法」で見ていくと見えてくる世界で

す。

目覚めるとは「身体知」⇒「体感知」による意識の覚醒を言うのです。残念ながら「目覚めなき

眠りのまま」、人生を終えていく選択がなされているのです。⇒創価内部で蔓延する「死後成仏

観」

「叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず」日厳尼御前御返事P1262

同じ御書でも「思考・概念」「思い込み」「信じ込み」「上書き」で読むのと「体感知」で読む

のと異なるのです。

大聖人の仏法は技であり、気づきの法なのです。

 

昭和法華ならびに平成法華、または反学会の脱会者であれば

 投稿者:広布第二章の指針  投稿日:2018年 6月28日(木)11時32分23秒
  過日、投稿した昭和52年12月4日の宮崎・日向本山定善寺での池田先生スピーチに過剰反応すると思います。

昭和、平成脱会の法華講は、「歴史と伝統あるお講には必ずご寺院へ参詣すべきです!」なんて言うんですから。でも、この池田先生のスピーチには何と言われていますか?ビックリするでしょ。更には、代々法華が寺に来ないから、敢えて学会員の寺院行事参詣へ協力しますと先生が言っているのです。

代々法華(根檀家)は、何やってんのよ!という話です。この時代は、講頭と総代を代々法華と学会幹部が交互に担っていました。良好な関係だったところと、真逆だったところは、指導教師(坊主)の人格によることが多かったと言われていました。
 

どこまでいくのか新人革。

 投稿者:コンペー  投稿日:2018年 6月28日(木)10時37分51秒
編集済
  新人間革命30巻下。
どこで終わるのか?大変に気になります。
2010年5月以降の先生は?
会憲までいくのか?
直弟子も登場するのか?
査問もあるのか?
世界青年大会は?

楽しみにしてます。

でも、将来、新人間革命の後半は「偽書だった。」となりそうな気がする。笑

昭和54年を先生は許されたんです。
新人間革命も私の名前で綴りなさいは無しです。言い訳されないように予防線を張っおきますね。
 

ウォーキング・オン・サンシャイン

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2018年 6月28日(木)10時31分14秒
  「NOT FOR SALE」とあるが、1000円なら画像会のTシャツを買いたい。サイレントアピールには間に合わないかな?
リクエストとして、三色をどこかに入れておいて欲しい。分かる人には分かるように。どこかの国旗みたいな。八葉蓮華はたぶん、権利上まずいでしょうからやめた方がいい。
「股軽会」は、「またがる:跨がる」とダブルミーニングですね。上手い。他に「374919」Tシャツとか、「教学部レポート」、「遠藤文書」、「会憲」、「査問」、「除名」とかの言葉を入れて有名にしたい。今からまだ間に合う流行語大賞。それを着てこの夏は街を歩こう。会館付近より街の方がいい。賢いのは民衆なのだ。

“私は日差しの中を歩いている。私は日差しの中を歩いている。私は日差しの中を歩いている。”
“いい感じじゃない? もう一度言うわよ。いい感じじゃない?”
『ウォーキング・オン・サンシャイン』カトリーナ&ザ・ウェイヴス
https://www.youtube.com/watch?v=iPUmE-tne5U
 

ビジョン無き投稿者に未来なし!!

 投稿者:広布第二章の指針  投稿日:2018年 6月28日(木)10時02分26秒
  ・さんも苦言?無言さんも、私は批判される資格のある本部職員(外郭下請け含む)方たちだと思ってました。

学会員の供養で、飯食って女子供養って役職もらって楽チンな仕事してる方たちでしょう。何も生産性の無い、だらしない消費行動しかしてない存在の方たちなんだから、当たり前ですよね。特に必至になって仕事やってる会員、一生懸命に努力して投稿する学会員に嫉妬して、出来ればダメになってほしい~、それは自らの生き様を他者に強制する悪行なんですよ。
今、創価流行の「同調意識」「同調圧力」ですよ。法戦選挙、新聞拡張、数字報告のための訪問激励などなど。
似たような精神構造で、同調強制の姿が垣間見られる。


みんな俺みたいにダメ人間になろうよ!仲間になってよ!同化しろよ!何も考えずに雰囲気の世界でのんびりやろうぜ~~というアホ会員ばかりを作る愚行です。
まさに新人革ストーリーも紙面も似てるでしょう。ただの雰囲気で毎日毎日流している。

私は、先生と約束した役目があるから、最期まで闘うのです。無為に、また情に流されたりせずに、題目唱えながら非情に対応していきます。何故なら時間がありませんからね。未来は今であり、過去もまた未来だからです。
 

/1593