最近「明晰夢」ばかり観ていて、物凄くいろんな考察をしている。
いろんなことを考える。
休みたい休みたいと思っているのに、脳はガンガン働きたいらしい。
で、今日も見事な考察ができあがった。
「庵野さんはずっと『エヴァ』を嫌々作ってたんじゃないの?」ということだ。
庵野さんが『(旧)エヴァ』の途中で病んでしまったのは有名な話だが、実は僕は、この理由が良く解らなかった。
スケジュールや現場管理の困窮ぶりとか、製作委員会との軋轢だとか、いろいろ言われていたが、しかし、そんなもので病むかね?
んなもんアニメ業界では日常茶飯事だからだ。
僕は庵野さんが病んだ原因は、「望まぬものを作ってしまった」からだと思う。
『エヴァ』という企画は、実はマーケティングの賜物だったという側面がある。
「受ける」要素をたっぷり散りばめたというのだ。
だから当時の庵野さんは、『セーラームーン』など、ヒットしている作品の研究に余念がなかった。
実際『セーラームーン』からメインキャスト二人を選んでいる。
例の「死海文書」の設定も、押井さんから「キリスト教やユダヤ教関係の設定には日本人弱いから」というアドバイスを受けてのものだったと記憶する。
どうして庵野さんがマーケティングにこだわったのかは解らない。
僕は当時、庵野さんがインタビューなどで「アニメはちゃんと文化でなければならない!」と叫んでいるのを読んで、期待していたものだ。
でも、出てきたのはマーケティングの塊。
僕には拍子抜けだった。
しかし誰よりも拍子抜けだったのは、他ならぬ庵野さんだったのかも知れない。
「え?これでいいの?」
恐らく(当時の)庵野さんには、これしかやりようがなかったのだと思う。
だから企画段階から、忸怩たるものがあったのではないだろうか?
「この程度のものしか出せないのか!」と落胆していたら、受けた。
それが更に庵野さんのプライドを傷つけた。
で、終盤ヤケになって、最後の二話に至る。
それもまた、なぜか受けた。
庵野さんにとっては「?」の連続だったのかも知れない。
こんなんでいいの?アニメオタクって、こんなもんなの?
某超先生がぶちまけた「売れれば勝ちです」。
それを一番苦々しく思っていたのは、実は庵野さんだったのではなかろうか?
で、これじゃあ死ぬに死ねないから、作り直した。
それが『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』。
でも、一緒だった。
ちっとも上手くできない。
また病んだ。
で、今に至る、と。
「望んでないもの」を作って天下を獲った人間の、悲しい姿をここに見る。
これは、やってられないよなぁ、と。
でも実は僕だって、マーケティングはする。
『WUG』も膨大なアイドル関係の資料を漁って、改めて研究した。
しかし、ここだけは譲れない、という、コアはある。
それを捨てたら、創作の意味はない。
「魂」のない作品になってしまう。
『エヴァ』は(『ヱヴァ』も)ひょっとして、「魂」のない作品だったのではないだろうか?
某『K-ドギアス』もそうだったらしいが、「こうすりゃ受けるんだろ!?あぁん!?」と半ばヤケで作ったものが本当に受けてしまった時の、作り手の落胆ぶりは想像するに余りある。
僕にはやっぱできないよ、そういうの。