またまた過激なタイトルだが、まぁ来てみてください。
過激なことに変わりはないが、「ヤマカンナイト2017」より更に示唆に富んだ会にしようと思っている。


それはさておき、ずっと使っている「革命」という名詞。

「革命」という言葉には最近敏感になっている。
「革命史」を、まぁそこまで史料にあたっている訳ではないが、時間があれば調べている。

先日の「ゴー宣道場」では「アベこそは革命派である!」と言い切られていて、胸がスッとした。
まぁ枝野氏もずっと言っているが。
と、同時に自分達が使っている「革命」という文字に、どれだけ責任が持てるのだろう?と、内心不安になった。


「革命」とは、現状をごっそりひっくり返すことだ。
つまり「保守」とは真逆の概念だ。
その多くは「計画主義」を根底に為される。

その代表格が、ご存知ロシア革命だ。
共産主義者達は、すべてを「計画的」に書き換えようとして、自分が完璧に書いた(と思い込んだ)「設計図」を押し付けた。
こういう時の人の心理と言うのは、何もかも、自分の青写真通りに行かないと気が済まない。
だから彼らは、ロシアの伝統や国体、宗教までも破壊した。
(アベも国体破壊したくてしょうがないんだろうけど)

しかし、青写真通りすべて上手く行くなんてあり得ない。
やがてあちこちが破綻し、「僕の設計図は完璧なんだ!」と大々的に言ってしまった手前、その帳尻合わせをすべく、いや、むしろそれを隠蔽する形で、「粛清」が始まる。
スターリン政権では数百万人が「粛清」されたと言われている。まぁもっとも、この数字はいろんな論者が必要以上に「盛る」ので、どこまで信用できるか解らないが・・・。

「革命」は、どうしてもその過激性ゆえに「粛清」が伴う場合が多い。
しかし、必ずそうなるとは限らない。

世界にとって優しい「革命」だってあったのだと思う。
「産業革命」だったり「IT革命」だったり、それが多くの犠牲者を出したとは、聞かない。
まぁ弊害こそいろいろあっただろうけれど・・・。

そして僕らは今、「通貨革命」あるいは「経済革命」を起こそうとしている。
いい革命、人を傷つけない革命もあるのだと、信じて、やる。

それが引いては、アニメ界における「革命」となるのだ。
これはもう、やるしかない。


少なくとも僕は、「革命」の危険さに自覚的だ。
それでも変えなければならない、しかも、劇的に変えなければならない現状は、あるのだ。

あとは皆さんの賢明さに期待したい。