アメリカ人の「大草原の小さな家」

                 〜第四章「小さな家」とナショナリズム〜



先住民論争

 まず初めに、ナショナリズムを意識するきっかけとなった先住民問題から見て行きたい。

 「小さな家」の先住民論争を巻き起こしたのは、「朝の少女」など先住民の世界を描いた作品で知られる作家のマイケル・ドリスだった。

  おこづかいで初めて買った本が「プラムクリークの土手で」だったという「小さな家」ファンだったドリスは、ダートマス大学の先住民研究の基礎を築いた教授で、彼自身も先住民の血を引いている。

 その彼が幼い娘たちに「小さな家」を読み聞かせようとしたところ、以前は気にならなかった箇所が目についてできなかったという。たとえば次のような描写である。
 

「とうさんは、子どものころ、ニューヨーク州でインディアンを見ているのですが、ローラは一度も見たことがないのです。でも、ローラは、インディアンというのは、赤黒い肌をした野生の人間で、その手斧はトマホークというのだということは知っていました。

とうさんは、野生の動物のことならなんでも知っているので、きっと野生の人間のことも知っているにちがいないのです。ローラは、とうさんは、子シカや子グマや子どものオオカミを見せてくれたように、いまにもきっとパプーズ(註 先住民の赤ん坊)も見せてくれるだろうと思っていました」
 

〈ローラ〉はインディアンの赤ん坊を、人間ではなく動物と同じように見ている。ドリスはこういった箇所を一つ一つ指摘して、

「『小さな家』はコレラや飢えに苦しむ居留地もウーンデッド・ニーの殺戮もない。ワイルダーはステレオタイプのインディアンのイメージを打ち破ろうとした。そのインディアン観はポリティカル・コレクトだが本物ではない。思いやりを持とうとしないとうさんもかあさんも、間違いを犯した多くの開拓者と変わりなかった」

と批判している。

 そして、子どもたちがもう少し大きくなってから読むようにと、「小さな家」を本棚のいちばん上に置いておくことにしたという。
 

 ドリスが批判的なエッセイを発表する以前にも、ルイジアナやアルバータ(カナダ西部の州)の先住民から「小さな家」にクレームがつけられていたが、社会的に地位のあるドリスの発言は大きかった。

 時はくしくもポリティカル・コレクトの時代。「ハックルベリー・フィンの冒険」「二十日鼠と人間」「ライ麦畑でつかまえて」といった名作が次々と槍玉に挙げられていく中で、「小さな家」の排斥の動きも高まっていった。その多くは学校図書館と授業から「小さな家」を締め出すよう訴えるもので、それをめぐってさまざまな論議が引き起こされるようになった。



白人と先住民の視点

 先住民論争は支持派と反支持派に分かれて真っ向から対立した。支持派は白人移住者の視点から作品をとらえていて、「小さな家」ファンや主流のワイルダー研究者に多く、ほとんどが白人である。

 反支持派は先住民の視点から作品を捉え、先住民や彼らを支持する人たちに多い。同じ作品でも立場によってこうも違うものかと唖然とするほど、両者の主張はかみ合わない。


 「大草原の小さな家」には、スカンクの生皮をつけた二人のインディアンがとうさんの留守にやって来て、かあさんに食べ物を要求するくだりがある。

「その顔は、見るからにおそろしく、あらっぽい、たけだけしい表情をしているのです。黒い目はギラギラ光っていました。(中略) もういちど、ローラが板のうしろからのぞいてみたときには、インディアンはふたりともまっすぐローラのほうを見ていました。ローラは心臓がのどもとまでとびあがって、そこでドキンドキン音をたてて息をとめてしまうような気がしました。黒い目が、ローラの目をギロッとにらみました。インディアンは顔の筋ひとつ動かさず、じっと立ったきりなのです。だだ、その目だけが光り、ローラを射すくめるのでした」


 これは先住民側を憤慨させているくだりの一つだが、フェミニズムの観点から「小さな家」をとらえるアン・ロミニス教授によれば、「インディアンを侮辱したものではなく、ヨーロッパ系アメリカ人とインディアンとの緊張が、どれほど凄まじいものだったかを白人女児の目を通して語ったもの」だという。

 そして、「とうさんはしばしばローラに青い目をチカッとさせているように、光る目はとうさんとローラの絆の強さを表すモチーフである。ローラはインディアンのギラギラ光る目を恐れながらも、魅力を感じているのだ」とまで言い切っている。
 

 ところが、先住民側の解釈はまったく異なる。

「彼らが食べものを要求したのは、インガルスのような移住者がオーセージの畑を焼き払い、食料を略奪して飢えていたからだ。チャールズ・インガルスが略奪を働いた証拠はないが、他人の土地を侵略するような男だから、したとしても不思議ではない。

 「小さな家」にはインディアンがとうさんの毛皮を盗むくだりもあるが、あれはオーセージの土地で獲れたものを取り返しただけだ。盗みを働いたのはインガルスなのに、オーセージが盗んだように描かれているのは納得できない」

 温かな家族というイメージの強い〈インガルス〉にしても、先住民側に言わせれば、「幌から薄汚い顔をのぞかせている子どもたち」と「疲れ切ったけわしい顔をしてぐったりと御者台に座っている女」と「悪魔の目をしたヒゲ面の男」の家族で、「TVドラマ『大草原の小さな家』のとうさん役のマイケル・ランドンは、優しくて清潔感にあふれていてミスキャストもはなはだしい」となる。
 

 〈とうさん〉はいつでもインディアンに友好的だった。

 「インディアンも、そっとしておいてもらえさえすれば、白人同様、平和に暮らしていたいにちがいない。ただ、そうはいっても、いままでになんども西へ西へと追われてきているので、白人をにくんでいるのもあたりまえかもしれない」

と弁護している。

 ところが、そう言っておきながら、

「白人が移住してきたら、インディアンは西へ行かなければならないんだ」

とも述べている。〈ローラ〉はそんな〈とうさん〉の二枚舌を鋭く見破って、いちばん聞かれたくない質問を浴びせている。


 「『ここはインディアンの国だと思ってたんだけど。インディアンはおこらないかしら、そんな・・・・』

『質問はもうおしまいだよ、ローラ』とうさんはびしっといいました」 


 白人側はこの〈ローラ〉の質問を、「勇気ある態度だ」と拍手喝采している。

 こういった先住民へ対する細かな配慮はシリーズの至るところに見られる。インディアンを見下していた〈スコットさん〉は、井戸底にたまったガスを確かめようとしなかったため、危うく命を落としそうになる愚か者として描かれている。

 〈かあさん〉はインディアンを毛嫌いしていたのに、彼らがインディアン・テリトリーを去ってしまうとがっくりしている。金鉱を発見した〈トムおじさん〉も「あそこはインディアンの土地だから、我々には何の権利もないんだ」と言っている。

 白人側はそういった点を指摘して、懸命な弁護にあたっている。
 

 ところが先住民側は、それは問題の基幹をなすものではないと主張する。

「多くの研究者はインディアンへの配慮を賞賛しているが、それはワイルダーの枠組みの中で論じているに過ぎず、インディアンの視点は含まれていない。作者や白人側の読者にとってインディアンの境遇は悲劇だが、ジェノサイドでも民族浄化でもなく、仕方がなかったと考えているのだ。

 ローラの質問を「明白なる天命」に対する勇気ある挑戦だとする研究者もいるが、土地の権利は白人にあるという見解への挑戦ではない。インディアンを思いやる友好的で寛容な発言は、白人の良心の痛みをやわらげてはくれるかもしれないが、むしろ『小さな家』はその品性ゆえに民族浄化を快いものに見せている。

 現代に暮らす私たちがワイルダーのインディアン観とは異なる視点を持たなければ、アメリカの過去のあやまちの上塗りをするだけだろう」


 西部を背景にした「小さな家」を語るとき、白人側と先住民側の落差はあまりにも大きい。白人側は開拓の視点から、先住民側は侵略の視点から作品を語る。開拓した者は国家建設と誇りを見出し、侵略された者は国家崩壊と屈辱を見出す。同じ時代をくぐり抜けながら、両者は同じ現実を共有していない。
 

 先住民論争で真っ先に槍玉にあげられるのが〈かあさん〉である。〈かあさん〉は先住民への猜疑心や不信感が強く、嫌悪感を剥き出しにしていた。一家を護衛してくれたビッグ・ジェリーに馬泥棒の嫌疑がかけられたときも、

「インディアンの血がまざっているものは信用できませんよ」

と言い放ち、大勢の白人の命を救ったオーセージ族の首長ソルダ・ドュ・シェーヌも、「吠えたてる野蛮人」の一人でしかなかった。白人側はそういった〈かあさん〉の態度は恐怖によるものだと主張する。


「『小さな家』は十九世紀の西部を背景に、ヨーロッパ系アメリカ人の女児の視点から描かれた作品で、その時代の先住民観を映しているに過ぎない。一八六二年のミネソタの虐殺以降、白人の間では先住民への恐怖が高まっていた。そういった時代背景を考慮せずに〈かあさん〉を批判するのはおかしいのではないか」

 
 「時代背景を考慮して読むべきだ」という声は先住民側からも上がった。「大草原の小さな家」を授業から排除すべきだと迫られたサウスダコタの小学校が、一時的に使用禁止に踏み切ったとき、先住民の父兄が異議を唱えたのだ。


「『大草原の小さな家』を学校で禁止する動きがあると聞いて、先住民の私も子どもたちと一緒に読んでみたが、九歳になる息子はインディアンが野蛮人と描かれていると憤慨していた。不思議でならないのは、禁書にすればインディアンの子どもたちが偏見から守られると思い込んでいることだ。でも、彼らはこの社会が偏見に満ちているとすでにわかっているのだから、ワイルダーの作品や十九世紀のレイシズムから守られる必要はない。むしろ白人の子どもたちが開拓史を理解すべきだろう。他の作品と同じように、ワイルダーの作品も時代背景をふまえて読むべきである」 


 白人側は授業や学校図書館からの排除にこぞって反対している。その理由は「『小さな家』は子どもたちにアメリカ史を教える格好の教材になる」「子どもたちからアメリカ史を学ぶ機会を奪うことになる」「現実から目をそらせるべきではない」といったもので、「時代背景を考慮して読むべきだ」という意見に集約される。このフレーズは先住民論争で繰り返される常套句となった。



教育現場の「小さな家」

 「小さな家」が出版以来、時代の洗礼を受けて生き残ってきたのは、教師と図書館員による支持があったからだと言われている。インターネットの掲示板やメーリングリストで「小さな家」のファンになったきっかけを訊ねると、「母が読んでくれた」「クリスマスにプレゼントされて」「テレビドラマに惹かれて」というほかに、「先生が読み聞かせてくれた」という声が驚くほどあがってくる。実際インターネットのディスカッションには教師が多数参加している。「小さな家」を推薦図書に推すローラ・ブッシュ大統領夫人も、かつては教員で図書館員だった経験もある。
 
 一九三二年の出版以来、教師の支持を取りつけた「小さな家」は、開拓史をはじめ、文法、スペリング、音楽、地理、歴史といった授業に使用され、「小さな家」専門の教師用マニュアルも数多く出版されて、お馴染みの教材になっている。インターネットでは現場の教師を交えて活発な先住民論争が行われたが、実際の教育現場ではどのように反映されているのだろう? 
 

 それを知る手がかりになる事件がメーリングリストに掲載された。ミネソタの小学校三年生のクラスで「大草原の小さな家」を使用したところ、「いいインディアンなんて死んだインディアンだけさ」という言葉に傷ついて、先住民の生徒が泣きながら帰宅する事件が起きたのだ。生徒の母親が、

「学校は子どもたちにとって楽しい場であるべきだ。『大草原の小さな家』を授業から外して欲しい」

と学校側に要請したところ、教材としての適正が問われることになったのだ。 

 その事件を投稿した女性は、ミネソタのワイルダー協会の幹部からその事件を知らされたという。


「どうやら、また『大草原の小さな家』を教室から締め出そうという醜悪な動きがあるみたいなの。原因は「いいインディアンなんて死んだインディアンだけさ」という表現にあるらしい。でも恐怖が先に立ったんだから、それを考慮して読むべきだってSさんは言ってるわ。ホントそうよねえ」


 同じような声は歴史学者からもあがった。その教授はソルダ・ドュ・シェーヌやビッグ・ジェリーなどインガルスの窮地を救ってくれたインディアンや、「小さな家」に描かれた先住民への配慮をリストアップして、ワイルダーは多角的な視野から捉えていると述べていた。
 また、ある女性は事件そのものを知ることを拒否していた。
「友人がその新聞記事を送ってくれたんだけど、『小さな家』を締め出すなんて我慢できないから読んでいないわ」
 

 ミネソタの事件とは直接関係ないが、別のメーリングリストである教師が、「『大草原の小さな家』は教材として適切ではない」と発言したところ、熾烈なバッシングを受けた。そのほとんどが、「子どもたちから先住民と白人の軋轢について知る絶好の機会を奪っている」「事実を知らせないで、どうやってアメリカの歴史を教えるのか」というもので、中には多分に感情的なものも含まれていた。

 

 ロムの立場に徹して先住民論争を追っていた私は、論争が白熱するに連れて、頭の中に疑問符が飛び交うようになった。

 ミネソタ事件の中心は傷ついた先住民の生徒のはずだ。なぜその子が傷ついたのか、先住民の誇りを傷つけずに指導するにはどうしたらいいかということが最優先されるべきなのに、どうして誰も取りあげないのだろう? 
 ディスカッションの参加者の多くは、「小さな家」は先住民学習の良い教材になると主張する。それならなぜ先住民の父兄は排除を望むのだろう? 出版以来、半世紀以上にもわたって「小さな家」は学校で使用されてきた。クレームがつけられたのは、先住民に視点をおいた指導がなされて来なかったからではないのか? それなのにどうして教師の指導方針に疑問を抱かないのだろう?  
  

 先住民学習の指導には、先住民の子どもの有無によってどう指導を変えたらいいか、白人と先住民の生徒の関係はどう考慮すべきかといった情報交換は貴重な資料になる。メーリングリストでは教材用のバター作りやクラフトの情報交換が盛んに行われている。それなのに、なぜ先住民学習は話題にならないのだろう? 

アイオワで行われたワイルダー学会でも教師による学習指導の発表があったが、先住民学習は取り上げられなかった。

 参考までにつけ加えると、多数の教師がディスカッションに参加しているにもかかわらず、先住民学習の結果報告をしたのは、バッシングを受けた教師と彼女に好意的な教師の二人だけだった。バッシングを受けた教師は、白人の子どもたちが先住民にどのようなイメージを抱いているかアンケート調査を行い、先住民の男性をクラスに招くなど、熱心に取り組んでいるようだった。 
 
 ミネソタの一件は波紋を広げ、「大草原の小さな家」を使用したカリキュラムの全面禁止と、学校図書館から「小さな家」シリーズを撤去する動きが次第に高まりを見せ始めた。すると、ある女性は「小さな家」の救済ために、教育委員会にメールするようメーリングリストで支援を呼びかけていた。
 

 彼らの関心は「小さな家」の弁護のみに集中している。そういう素顔を見てしまうと、真剣に負の遺産に取り組もうとしているのか疑問に思う。先住民による糾弾の背景には、学校側や教師に対する不信感があるのだろう。本当に問われなければならないのは、教材としての適正よりも学校の指導方針や教師の質ではないだろうか? 

 教師だけではない。先住民の怒りの矛先は、先住民側から声があがるまで無関心だった(あるいは今でも無関心な)読者や研究者にも向けられている。 先住民側からはワイルダーや作品よりも、彼らの姿勢にいらだちを覚えるという声も上がっている。
 二十一世紀に生きる私たちは、先住民の視点を踏まえてあの作品を読む責任がある。それを果たさずに「小さな家」の弁護に執着しているのは、ワイルダーとその時代に責任を転嫁させて、問題の本質をすり替えているに過ぎない。   
 
 泣きながら帰宅した先住民の生徒は、授業の中断を白人のクラスメートに責められて、クラスを変わることになった。これがミネソタ事件の結末だったが、ディスカッションではそれに触れることはなかった。その子の通う小学校では、先住民の生徒の教科書に落書きがされるなど、ふだんから白人と先住民との間で緊張が絶えなかったという。
 

 教材の一件は支援メールが効を奏したのか、学校側は「小さな家」の使用を容認する結論を出した。先住民の生徒の母親は、

「学校側が先住民の意見に真剣に耳を傾けることなどない」

と憤慨のコメントを寄せていた。

 残念なことに「小さな家」はアメリカ史を教える良い機会になるどころか、白人と先住民の溝を深める結果となってしまった。

 この事件は氷山の一角に過ぎない。「インディアンの目をとおして」の編集者ドリス・シールも、幼い頃、授業で先住民が取り上げられるたびに時間が過ぎるのを祈るような気持で過ごしていたという。


 先住民の両親が子どもたちに「小さな家」を読ませたくないのは、自尊心の問題だと思う。独自の生活も価値観も剥奪された彼らは、自分たちは何者なのか、何処へ行こうとしているのか、自ら問い直す時間を必要としている。アイデンティティの揺らいでいる子どもたちに必要なのは、鋭い言葉を突き刺す本ではなく、「誇りを持ちなさい」と語りかけてくれる本。「自信を持ちなさい」と勇気づけてくれる本。そういう本だろう。

 先住民の子どもたちが「小さな家」を笑い飛ばせるほど、アメリカは成熟していない。先住民による「小さな家」の糾弾は、アメリカ社会の未熟さと、社会にはびこる差別や偏見を率直に映し出しているともいえるだろう。
 

 「小さな家」は開拓生活を緻密に描いているからと教材に使用され、子どもたちは学校で〈インガルス〉の暮らしを学んでいる。けれども中国系のアメリカ人なら安息日に聖書を読むこともなく、ユダヤ系なら塩漬け豚を口にすることもなかったはずだ。彼らにしてみれば、〈インガルス〉の暮らしは異質のものである。

 広大な国土を持つ多民族国家のアメリカには、風土、民族、宗教などに基づいた独自の開拓生活があったはずだ。北部に暮らしたプロテスタントの〈インガルス〉のみを取り上げて、「これがアメリカの開拓生活だ」と言い切ることは出来ない。東洋系やアフリカ系の子どもたちの多いクラスでは、どのような指導を行なっているのだろう? 先住民以外の少数派がさらなる声を上げるのも時間の問題かもしれない。



白いアメリカ

 「小さな家」の先住民観が注目を集めるようになったのは、既述したようにマイケル・ドリスが批判的なエッセイを発表してからだった。「小さな家」の読者や研究者は、それまで大した関心を払っていなかったといっていい。 

 「小さな家」は何よりも自由を謳っている。自由はアメリカ人の誇りだが、開拓者の自由と先住民のそれとは相容れない。先住民問題を真ん中に据えると「小さな家」を否定することになる。だから、なるべく触れたくないのだろう。


 けれども、ヒステリックなまでに「小さな家」を弁護する意見を耳にするうちに、彼らが先住民問題を避けるのは「臭いものには蓋」だけではない、白人特有の心理があるのではと、うっすら感じるようになった。

 先住民がどのような扱いを受けてきたのかは周知の事実である。今さら隠すことでもない。ところが同じ恥ずべき歴史でありながら、ベトナム戦争やウォーターゲート事件のリアクションとは雲泥の差がある。

 なぜ、彼らには恥じる気持がないのだろう? どうしてそれが支持を得るのだろう? 「臭いものには蓋」の裏には何があるのだろう?
 

 そんなことを思いながら投稿や発言を読みこなしていくうちに、見えてきたのが白人プロテスタントを頂点とするナショナリズムだった。

 「小さな家」は西部の暮らしをつぶさに伝えているといわれるが、それはあくまでも白人プロテスタントを中心とした西部である。自由を求めて〈インガルス〉は 神の使命感を持って西部をめざした。懸命に働きさえすれば誰でも広大な土地を手入れるチャンスがある! アメリカは何とすばらしい国なのだろう! 

 そこには人種差別も奴隷制もない。自由に満ちあふれた輝かしいアメリカだけがある。自由を高らかに謳い、「明白なる天命」を遂行し、強いアメリカ人を描いた「小さな家」に彼らは理想のアメリカを見出しているのだ。
 
 さらにもう一つ気づいたことがある。「小さな家」ファンの言うアメリカやアメリカ人には、白人のプロテスタントしか含まれないのだ。彼らの発言に耳を傾けていると、まるでアメリカには、黒人も先住民も東洋人もユダヤ教徒もいないかのような印象を受ける。意識するとしないとに関わらず、彼らは白人プロテスタントによる西部開拓のみを正統化しているからだろう。だから、少数派を締め出すのだ。それは多民族国家アメリカの多様性を否定することでもある。 
 
 「小さな家」ファンのために断っておくが、彼らは決して人種差別主義者ではない。その多くは高い教育を受けた善良な人たちである。彼らに感じる優越意識というのは、白人キリスト教徒という多数派によって長い間培われてきた通念、発想、恐怖、階層意識、常識、習慣、伝統といったものに根づいているように思う。だから、彼ら自身、それに気づいていない。
 

 そんな白いアメリカを知ったとき、私はとんでもない思い違いをしているのに気がついた。

 「『小さな家』は私たちの歴史なのよ」ーーーこの言葉は私が渡米して以来、ありとあらゆる文献から、さまざまな「小さな家」ファンから、作品の舞台となった地元の人々から繰り返し聞かされてきた。 
彼らが「小さな家」をアメリカ史というとき、二つの意味を含んでいる。一つはシリーズを貫いている開拓魂が、アメリカ人の精神的な根源を表しているという意味、もう一つは開拓時代の生活や出来事をつぶさに伝えているという意味である。

 私は時間をかけて彼らの言葉をゆっくりとかみ砕き、こう結論づけた。


「歴史というのは過去のことだと思いがちですが、過ぎ去ってしまった過去ではなくて、現在とつながっている過去なのです。ですから、この物語は今でもアメリカ人の生活の一部でもあるのです。ローラのポリシーは祖先から受け継いだ大切な遺産だから、こんなに深くアメリカの土壌に根を張っているのです」


 私は「アメリカ史」という言葉を「精神的な遺産」と解釈したのだ。英語で言うならレガシー(legacy)という言葉がぴったりする。

 「小さな家」は白人プロテスタントの日常を描いた作品だが、シリーズを貫いている強靱な魂や楽観性は彼らだけのものではない。不本意な生き方を強いられた少数派こそ持ち続けた精神ともいえる。だからこそ「小さな家」はすべてのアメリカ人に通じる作品で、さらには人類の普遍性を描いた作品として、時代や空間を越えて世界中で愛されているーーそう思っていた。

 でも、そう思っていたのは私だけだったのだ。

 先住民も黒人も東洋人も含まれないのなら、誰をアメリカ人というのだろう? なぜフィクションをアメリカ史と言うのだろう? その裏には何があるのだろう? そういった疑問は、もう一度、「小さな家」は「アメリカ史」というワイルダー神話を見据える機会を与えてくれた。



アメリカ人とは誰か

 ローラ・インガルス・ワイルダーは、一八六七年、ウィスコンシン州ペピンで生まれた。幼年時代は一家の事情で、インディアン・テリトリー(現在のカンザス)、ミネソタ、アイオワ、ダコタ・テリトリー(現在のサウスダコタ)と各地を転々としながら過ごした。

 十八歳で結婚してダコタ・テリトリーに落ち着いてからも、経済的な事情からミネソタやフロリダへの移住を繰り返していた。
 

 「小さな家」シリーズはミネソタやダコタが舞台となっているため、ワイルダーは北中西部に居住していたと思われるかもしれないが、人生の大半を過ごしたのは、南中西部のミズーリ州マンスフィールドである。

 一八九四年、二十七歳でマンスフィールドへ移住して以来、一九五七年に九十歳で亡くなるまで、実に六十年余りをミズーリで暮らしていた。ワイルダーはその地で夫と共に大地を切り拓き、林檎の木を植え、鶏や乳牛を育てながらロッキー・リッジ農場を営んでいた。「小さな家」シリーズが執筆されたのもマンスフィールドである。

 その辺り一帯は小高い山々の美しいオザーク丘陵と呼ばれる地域で、孤立した地形のせいか、現在でも保守的なことで知られている。マンスフィールドを訪れたときも、「地元のほとんどは共和党よ」と宿のオーナーが話してくれたことがある。
 

 ミズーリ州は一八二◯年のミズーリ協定によって奴隷制を認める奴隷州だったこともあり、二十世紀半ばまで黒人と白人を分離する人種隔離政策をとっていた。ワイルダーが居住していた当時の地元新聞には、黒人の犯罪者や容疑者の報道、人種的皮肉に満ちた風刺画、ステレオタイプの偏見や先入観といった、彼らを揶揄嘲弄する記事であふれていた。


 一九三六年、ミズーリ州ジェファーソンの学生だったロイド・ゲインズは、黒人というだけでミズーリ大学の入学を拒否されたため、大学を相手取って裁判をおこした。ミズーリ州裁判所は大学側に有利な判決をくだしたが、連邦最高裁判所はミズーリ大学への入学を認めるか、あるいは教育レベルも施設も同等の大学への入学を認める判決をくだして、ゲインズはようやく勝利を勝ち取った。その彼は切手を買いに行くと出かけたまま行方不明になり、入学を果たせなかったという。
 十九世紀末から二十世紀の前半のアメリカでは、白人との境界線を越えて対等の権利を主張する黒人に対して、見せしめのような形でリンチが横行していた。ゲインズもその犠牲になったのではないかと言われている。日々の暮らしの中で、ワイルダーはそんな緊張感を身近に感じていたに違いない。
 

 ところが、そのような環境に長い間身を置きながら、彼女自身は差別や偏見に染まらなかった。一九一五年、サンフランシスコで万国博覧会が開催されると、ワイルダーは当地の新聞社に勤めるレインに会いに当地を訪れた。

 久々に娘に再会した彼女は、リトル・イタリーでイタリア料理を楽しみ、中華街の象牙細工に胸をおどらせ、博覧会で日本の揚げ餅を試食するなど、ミズーリの田舎では味わえない多様な文化を満喫していた。


 二人の白人女性が、

「チャイナマン(中国人の蔑称)やジャップ(日本人の蔑称)やニガー(黒人の蔑称)がウヨウヨしていて、サンフランシスコは嫌なところだわ」とこぼしているのを耳にしたワイルダーは、「彼女たちは大切なものを見失っているのです」

と了見の狭さを批判して、多彩な人々の暮らすサンフランシスコの美しさや素晴らしさを讃えている。
 また、中華街で中国語の賛美歌を聴いたときの感動をあげて、肌の色が異なっても家族のような親密さを持てると記している。
 

 現在ではどうということのない内容だが、このエッセイが執筆されたのは公民権運動のはるか数十年も前だった。そういった時代背景を考慮すると、ワイルダーは異質の文化や人々に対して寛容だったと言えるだろう。彼女のそういうしなやかさは、「小さな家」シリーズにも反映されている。


 ワイルダーが幼年時代を過ごしたウィスコンシン州ペピン一帯は、スウェーデンやドイツからの移民が入植した地域で、ペピンを舞台にした「大きな森の小さな家」にはスウェーデン人の隣人が登場する。

 〈ローラ〉と〈メアリー〉が〈ピーターソンさん〉の家に遊びに行くと、おばさんはスウェーデンから持ってきた美しいレースや刺繍を見せてくれたりクッキーを分けてくれた。ワイルダーはそれを、

「おばさんはスウェーデン語でしゃべり、ローラたちは英語でしゃべるのですが、それでちゃんと意味がつうじるのでした」

と親しみを込めてユーモラスに描いている。
 

 「大草原の小さな家」では、風と太陽を浴びながら小馬にまたがるインディアンの子どもたちを、〈ローラ〉はあこがれを持って見つめていて、「インディアンの女の子になりたい」とまで言っている。〈かあさん〉のインディアンに対する恐怖も偏見も〈ローラ〉には届いていない。


 「プラムクリークの土手で」は、ノルウェー移民の多いミネソタが舞台になっている。牛飼いの〈ジョニー・ジョンソン〉がうたた寝していたせいで、干し草のつかが牡牛にけちらされてしまい、〈ローラ〉と〈メアリー〉は〈ジョニー〉に文句を言った。ところがノルウェー語しかわからない〈ジョニー〉はキョトンとするばかり・・・。

 言葉の通じないもどかしさをユーモアを交えて描いていて、クスッとした笑いに誘う。そこには隣人への温かなまなざしがある。「アメリカに居るくせに英語も話せないのか」といった、異質の移民に対する冷たい視線は感じられない。
 

 ことあるごとに〈インガルス〉の力になってくれた〈ネルソンさん〉も、ノルウェーからの移民だった。〈ネルソンさん〉は東部へ出稼ぎに行った〈とうさん〉の手紙を届けてくれたり、危うく火事になるところを消し止めてくれるなど懇意にしてくれた。そのたびに〈かあさん〉は、

「世の中によい隣人ほどすばらしいものはありませんよ」

と子どもたちに言い聞かせている。


 その〈ネルソンさん〉の家の牝牛はノルウェー語の名前だった。そこで、その牝牛を譲り受けた〈とうさん〉がその意味を訊ねると、英語で「リート(reet)」だと教えてくれた。でも、さっぱり意味をなさず、「リート」というのはいったい何だろうと首をひねっているうちに、「リース(wreath 花輪の意)」だと気づいて、家族みんなで大笑いしたことがある。ノルウェー語訛りの発音に四苦八苦したというわけだ。そのとき〈とうさん〉はこんなことを言っている。


「なんたって、あれにはまいったよ。ウィスコンシンでは、スウェーデン人とドイツ人に囲まれて暮らし、インディアン・テリトリィでは、インディアンのなかで暮らしてきた。さて、こんど、このミネソタでは、まわりじゅうがノルウェー人ばかりだ。みんないい人間ばかりだがね。隣人としては。だが、われわれと同じ仲間は、ほとんどいないようだ」


 〈とうさん〉はノルウェーの移民を良き隣人だと認めていても、「われわれの仲間ではない」という意識も持っていた。〈ローラ〉もそういった〈とうさん〉の意識を受け継いでいたが、彼女の場合はさらに一歩踏み込んだ見方をしている。


 草原で汗びっしょりになりながら一人で干し草作りをしている〈とうさん〉を見て、〈ローラ〉は「自分にも手伝わせて欲しい」と申し出る。〈とうさん〉には手伝いを雇うお金もなく、仕事を手伝える人もいなかったからだ。身体の小さな〈ローラ〉には負担が大き過ぎると、〈とうさん〉は躊躇していたが、とうとう決心してやってもらうことにした。そこで〈ローラ〉が〈かあさん〉にそう報らせると、〈かあさん〉はちょっと不安そうだった。なぜなら、

「女が畑で働くのをあまり好まなかったのだ。外で働くのは、外国人だけだ。かあさんと娘たちは、れっきとしたアメリカ人だから、男の仕事をするのは好ましくない」


 〈ローラ〉の中には、「私たちはアメリカ人だ」という誇りと、「私たちは外国人とは違う」という意識が垣間見える。この「外国人」というのは移民を指しているのだろう。長い間、文化背景の異なる人々に囲まれていたのだから、そういう意識があっても不思議ではない。
 

 ただそうなると、いったいアメリカ人とは誰だろうという疑問にもつながってくる。移民の国なのだから誰でもアメリカ人になれるのではないのか? 移民が外国人だというなら、先住民以外はすべて外国人になる。それなら、いつ、誰がアメリカ人になるのだろう? 

 外国で生まれ育ち、英語の不自由な一世が外国人なら、アメリカで生まれ育った二世はアメリカ人なのか? だったら外国で生まれ、アメリカで育った移民はどうなのだろう? 市民権さえ取れば、誰でもアメリカ人と言えるのか・・・・?


 「アメリカ人とは誰か?」という疑問は、アメリカ人が建国以来持ち続けているもので、それは彼らが祖国を離れ、ルーツを根こそぎにされたことと無関係ではない。文化背景も社会風俗も異なる人間の入り混じる移民の国では、「アメリカ人」という確かなアイデンティティを持ちにくい。それは彼らに不安感を与えている。 

 「小さな家」がアメリカで多大な支持を得ているのは、アメリカ人なら誰もが持っているこの問いに、期待どおりの答えを見出せるからだろう。期待どおりの答えとは、「白人プロテスタント」である。

 〈ローラ〉は「自分たちはアメリカ人だ」という確固たるアイデンティティを持っていたが、何を持ってアメリカ人と定義づけているのかは述べていない。だから、その問いに具体的な答えをあげているわけではない。


 けれども、「小さな家」が白人プロテスタントの日常を扱った作品で、この作品に代表される西部開拓のみを正統化している人々が、あるいは〈インガルス〉に同化して喜びに浸っている人々が、何を持って〈インガルス〉をアメリカ人と見ているかは容易に察しがつく。

 「小さな家」は彼らにアメリカ人という帰属意識を与えてくれる。読者はそこに満足感と安心感を見出しているだろう。

 それに〈インガルス〉はイギリス系でもある。白人、イギリス系、プロテスタントとくれば、まさしく「れっきとしたアメリカ人」だ。(註:〈とうさん〉のモデルになったチャールズ・インガルスはイングランド系、〈かあさん〉のモデルになったキャロライン・インガルスはスコットランド系)。
 

 白人プロテスタントを正統のアメリカ人とする動きは、アメリカ社会に脈々と流れ続けて来た。アメリカはワスプ(白人、アングロ・サクソン、プロテスタント)によって建国されたが、時代の流れと共に多様な宗教や肌の色を持つ人々も受け入れるようになっていった。

 そういった異質分子の存在は、「外国人にこの国がおびやかされるのではないか」という恐怖をかき立て、ネイティビズムと呼ばれる反移民感情を引き起こした。

 それは建国以来、一貫して流れているもので、早くも一七九八年には外国人の政治活動を制限する外国人条例が制定されている。

 ネイティビズムが社会的、政治的に大きな影響力を持つようになったのは十九世紀半ばで、ターゲットになったのはカトリック教徒だった。

 一八五〇年代、アイルランドからの移民が大量に流れ込んでくると、以前からくすぶっていた反カトリック感情が一気に燃え上がり、ノー・ナッシングス(Know Nothings)と呼ばれる秘密結社をいくつも生み出した。ノー・ナッシングスというのは、訊ねられても「何も知らない」と答えていたことに由来している。    
 彼らの目的はアメリカ人の再興を計ろうとするもので、アメリカ人とは白人プロテスタントを意味した。一八五五年までにノー・ナシングス運動は、政治に影響力をおよぼすほどになったが、奴隷制をめぐって北部のメンバーと対立するようになり、南北戦争によって下火となった。
 

 十九世紀末から二十世紀初めにかけて、アメリカへ殺到する移民の数は頂点に達した。彼らの多くは、ロシア、ハンガリー、イタリアといった東欧や南欧からの移民で、カトリック教徒、ギリシャ正教徒、ユダヤ教徒といった従来のアメリカ人とは異なる非アメリカ的な人々だった。彼らは知性や意志に欠けるとみなされ、安い賃金で働くために労働者の不満をかい、ネイティビズムが再び頭をもたげるようになった。


 アングロ・サクソンを頂点に、アジア人や黒人を底辺とするヒエラルキー社会にあって、日本人もその波をもろに被っている。

 一八八二年の中国人移民制限法によって中国人の移民が制限されると、彼らの労働力を補う形で日本からの移民を受け入れるようになった。だが、それも一九〇七年の紳士協定(日本移民制限協定)によって制限されるようになった。

 さらに、一九二四年には移民割り当て法が成立している。これは移民数を国に応じて割り当てる移民法で、アジアからの移民は実質的にはゼロになった。 
 アメリカは移民の国だから異質の人々に対して寛容だと思われがちだが、決してそうとは限らない。肌の色や宗教が大きくものをいうことがある。第二次大戦中の日系人や、同時多発テロ以降のイスラム教徒への対応をみればわかるだろう。
 
 こういった白人プロテスタントを頂点とする動きは現在でも続いている。「小さな家」がアメリカで揺るぎない地位を築いているのは、白人プロテスタントという正統派アメリカ人の西部開拓を描いた作品だからだろう。もしも〈インガルス〉がユダヤ教徒や非白人だったら、これほどまでに大きな支持を得ることはなかったはずだ。ましてやワイルダー自身が西部開拓の偶像として崇められることも、ヒーローとしてホワイトハウスのお墨付きをもらうこともなかっただろう。
 

 ワイルダーはアメリカ人として強い誇りを持つ女性だったが、自分を「正統派アメリカ人」と意識して「小さな家」を執筆したわけではないだろう。けれども、アメリカの読者は、意識するとしないとに関わらず、それを〈インガルス〉に見出そうとしているようにみえる。

 アメリカ人は家系図作りが大好きだ。誰もが家系図を作り、「私の祖先は××系で・・・」と繰り返しルーツを語っている彼らを見ていると、産みの親を探しだそうとする養子に出された子どもたちを見る思いがする。「自分は何者なのか?」という答えを見つけ出さないと不安なのだろう。白人プロテスタントを正統派とする感情は、心の安定を保とうとする反動なのかもしれない。
 

 けれども、それは宗教の自由を謳い、人は生まれながらにして平等だとするこの国の精神に反するものだ。

 ワイルダーは「大草原の小さな町」の「七月四日」という章で、アメリカ憲法を引用して、「すべての人間は平等で、生命、自由、幸福を追求する権利がある」と記している。アメリカ独立記念日を描いたその章は、アメリカの自由を高らかに謳い、「小さな家」の中でもきわだってアメリカ人のアイデンティティを強く打ち出している。

 その「小さな家」を熱愛する人々が、白人プロテスタントに正統派アメリカ人を見出そうとしているのは、何という皮肉なのだろう。それは自由を謳う「小さな家」の精神にも反しているといえるのではないだろうか?


「小さな家」の非白人

 〈とうさん〉や〈ローラ〉は、スウェーデンやノルウェーからの移民を外国人と見ていたが、互いに協力し合い、同じ移住者として接していた。彼らは〈インガルス〉とは異質の文化背景を持つといっても、同じ肌の色をした、同じキリスト教文化を持つヨーロッパ人である。それに西部の土地を手に入れるという、〈インガルス〉と同じ目的を持っていた。

 けれども、黒人は奴隷としてアメリカに連行され、先住民は開拓によって独自の価値観を引き裂かれた人々だ。彼らは肌の色も文化背景も〈インガルス〉とはまったく異なる。「小さな家」には黒人や先住民も登場する。彼らはどのように描かれているだろう? 
 
 一九九〇年代にポリティカル・コレクトの動きが高まり、「小さな家」の先住民観が取り沙汰されるようになると、ワイルダー研究者や読者は、「小さな家」は少数派への配慮を示していると主張し始めた。

 先にあげたように、オーセージ族の首長ソルダ・ドュ・シェーヌへの敬意や、インディアンの子どもたちへの温かなまなざしを例に取ってみれば、それはあながち間違いではない。「小さな家」には異質の人々に対する柔軟性が充分にうかがえる。


 けれども、「小さな家」は非白人を対等に扱っていると言えるだろうか? 「小さな家」には白人と先住民の闘いを回避させたオーセージ族の首長や、〈インガルス〉を警護してくれた混血のインディアンが大事な役割を演じている。彼らは誇り高い魅力あふれる人々だ。
 
 だが、「小さな家」の先住民はワイルダーという白人移住者の観た先住民であって、ワイルダーがどのように彼らを観ているかを語っていても、先住民そのものを語っているわけではない。ワイルダーの先住民観を伝えているに過ぎない。

 ソルダ・ドュ・シェーヌが英雄として描かれているのも、オーセージ族の領土を譲り渡すという、白人にとって都合のよい決断を下したからだろう。もしも白人と闘う決断をくだしても、彼は英雄として描かれただろうか? 

 インターネットのディスカッションで、「ソルダ・ドュ・シェーヌは白人との平和を守った人物だ」という発言があったが、それは白人にとっての平和に過ぎない。
 

「移住者が移ってきたら、インディアンは西へ行かなければならないんだよ」

という〈とうさん〉に疑問を感じた〈ローラ〉は、

「そんなことをしたらインディアンはおこらないかしら・・?」

と鋭い質問を浴びせている。

 ところが、その〈ローラ〉はシリーズが進むに連れて、野生の動物たちが追われるのもインディアンが西へ行くのも、仕方がなかったという立場を取るようになる。
 

 ワイルダーはミズーリへの旅すがら書きとめていた日記の中で、

「もし、わたしがインディアンで、ここをたちのかねばならなくなったとしたら、きっと白人の頭の皮をもっとはいでいただろう」

と綴っている。先住民の状況を目の当たりに見てきたワイルダーは、実生活でも彼らに同情をよせていた。決して無関心だったわけではない。


 けれども、「小さな家」のインディアンは、白人移住者に都合のいいようにしか描かれていない。ワイルダーにとって、先住民の立場を思いやるよりも、白人の文明を押し進める方が大切だったのだ。それは〈アルマンゾ〉の父親が独立記念日に語る言葉に如実に表れている。


「ここから西は全部インディアンの国であり、スペイン、フランス、そしてイギリスの領地だった。その土地をみんな手にいれ、アメリカという国にしたのはすべて農夫たちの力なんだよ。(中略) われわれアメリカ人は農夫だったんだ。ほしいのは土地だったんだよ。(中略) 世界中で一番大きな国、それを全部手にいれてアメリカにしたのは農夫たちなんだよ、アルマンゾ。このことは絶対にわすれないようにな」


 ここはインディアンの国だと言いながら、 アメリカを築いた農夫の誇りだけが強調されている。

 だが、アメリカは本当に農夫だけによって築かれたのだろうか? 西部開拓は太平洋岸から内陸部へ向かっても押し進められ、土地を持たない苦役労働者だった中国人は、大陸横断鉄道の現場でもっとも危険な仕事に従事した。そうやって彼らもアメリカ建国を担ったのではなかったのか? 
 

 生前にワイルダーは、先住民を人間として扱っていないと読者から指摘されたことがある。問題になったのは「大草原の小さな家」の次の部分だ。

「そこでは野生の動物たちが果てしないほど広い牧場にいるかのように気ままに歩き回って好きなだけ食べられるのです。しかも人間は誰も住んでいません。インディアンだけがいるのです」


この下線の部分に対して、

「インディアンは人間ではないのですか?」

と読者からクレームがつけられたのだ。ワイルダーは、

「私の不覚のいたすところです。もちろんインディアンは人間です。それを否定するつもりなどありませんでした」

と非を認め、当時ハーパー社の編集者だったノードストームの提案を受け入れて、「人間(people)」を「移住者(settlers)」に変更することに同意している。

 ワイルダーに変更を提案したノードストームは、本人の了解を得ると高齢のワイルダーに代わって読者に返答を送った。その手紙の中で、ワイルダーもハーパー社も先住民を侮辱する意図などまったくなかったこと、刊行から二〇年近くも経ちながらそれまで指摘されなかった事実に驚き、次の版から改訂すると伝えている。この一件は無意識のうちにワイルダーにも優越意識があったことをうかがわせる。
 
 ワイルダーが生まれ育ったのは十九世紀後半で、「小さな家」は一九三〇年代から四〇年代前半にかけて執筆された。公民権運動以前だったことを考えれば、理解の欠如を指摘するよりも、異質の人々への寛容性や先見の明を讃えるべきかもしれない。
 それと同時に彼女の負の部分にも触れるべきだろう。それは「小さな家」シリーズの一部であり、現在の「小さな家」の読者にも通じるものがあるからだ。
 

 「大草原の小さな家」には黒人の医師も登場する。〈ドクター・タン〉はマラリアに苦しむ〈インガルス〉を診てくれた実在の人物で、〈インガルス〉の命を救ってくれたおだやかな医師として描かれている。けれども、いくら〈ドクター・タン〉を好意的に描いていても、「小さな家」はもっと重要な部分で黒人を消し去っている。


 「大草原の小さな町」には学習発表会で〈ローラ〉がアメリカ史を発表するくだりがある。聴衆を前に〈ローラ〉は自由・平等という新しい思想を述べ、ヨーロッパの圧制や独裁に対抗した戦争について次々と発表していく。ところが奴隷制にはひとことも触れていない。「触れないことで黒人を消し去ったのだ」。
 
 〈ローラ〉が歴代大統領に関する発表するくだりでは、ワシントンの北西部テリトリーの開発、ジェファーソンのルイジアナ買収、ジャクソンのフロリダ獲得など、領土拡大といった輝かしい功績に焦点をあてている。ワシントンが奴隷所有者だったことも、ルイジアナに先住民が暮らしていたことも、ジャクソンがフロリダを侵略したことにも触れていない。〈ローラ〉の発表したアメリカ史は、白人に都合の良いアメリカ史でしかない。発表が終わると会場からはわれるような拍手がどっとわき起こり、〈ローラ〉は拍手の波を押しのけないと、席に戻れない気がするほどだった。
 

 〈ローラ〉の発表したアメリカ史は「小さな家」シリーズの縮図でもある。発表会の成功は、なぜ「小さな家」がアメリカ史として支持されるのか解き明かしてくれる。


 「小さな家」をアメリカ史と言わしめているものは、いったい何なのだろう? なぜフィクションをアメリカ史というのだろう? そうすることで得をするのは誰なのか? その背景には何があるのだろう?

 そう突き詰めて考えていくと、白人優位のアメリカの支配・被支配の社会構造が見えてくる。

 アメリカのヒエラルキーの頂点に立っているのは白人プロテスタントである。それはアメリカという国が誕生したときから現在に至るまで連綿と続いて来た。だからこそ、支配層にとって都合の良い作品が支持され、アメリカ史説がまかりとおるのだろう。
 

 権力を持つ集団の、権威ある人々が作品を評価する。それをメディアが取り上げ、その評価が社会の定説となっていく。そこには被支配者の声が反映されることはない。その定説はときに国境を越えて外国の読者にも影響を及ぼしていく。

 歴史はいつも強者の側から語られる。「小さな家」をアメリカ史とするワイルダー神話は、白人プロテスタントを頂点とする社会によって生み出され、支持されてきたと言えるだろう。


 「アメリカ史」を疑問視する声が聞かれるようになったのは、少数派がものを言える時代になってからだ。それは白人プロテスタントによる、伝統的な価値観を見直す動きと重なっている。少数派がさらに大きな発言力を持つ時代になったとき、「小さな家」にはどのような評価がくだされるのだろうか?


「小さな家」とアメリカ神話

 アメリカは一六二〇年にメイフラワー号で、ピルグリムと呼ばれる人々が信仰の自由を求めてやってきたのが始まりだとされている。私も世界史の授業でそう習った。だが、これは事実ではない。

 イギリスはエリザベス一世の時代に、ヴァージニアの植民地計画を試みたが失敗に終わった。


 その後、ジェームス一世の時代に入り政治的に安定期を迎えると植民地獲得に乗り出して、一六〇七年、現在のヴァージニア州にジェームスタウンを建設した。

 新大陸に渡ったのは、植民会社から派遣された総勢一〇五名の男たちで、一攫千金を夢見る彼らは信仰の自由とはほど遠い、欲に目のくらんだ連中に過ぎなかった。
 メイフラワー号のピルグリム・ファーザーズ(巡礼の始祖)をアメリカの起源とする説は、十九世紀初期にうち立てられたものである。

 そのころのアメリカは、歴史的事実を越えた国家建設の神話を必要としていた。アメリカ植民地の第一号はジェームスタウンだが、それを築いたのは欲の皮のつっぱった男連中で、神話にはふさわしくない。そこで白羽の矢が立てられたのが、プリマス植民地のピルグリムだったというわけである。  


 彼らは上陸前にメイフラワー契約と呼ばれる契約書に署名して、公正な法の下に自由な市民として生きることを誓った。これがアメリカン・デモクラシーの始まりだとされている。

 けれども、メイフラワー号でやって来た百余名のうち、ピルグリムはたった四十一名に過ぎず、残りはピルグリムと対立する英国国教会のメンバーで、船上では両者の争いが絶えず暴動まがいのことまで起きたという。原因は不明だが、船中では自殺者まで出ている。
 

 プリマスに上陸した彼らは先住民の食糧を盗むなどして飢えをしのぎ、最初のひと冬で半数以上の人々が、寒さや壊血病で死んでいった。

 さらに歴史をさかのぼるならば、ピルグリムがプリマスに上陸する一年前には、一隻の帆船が黒人奴隷を積んでジェームスタウンに到着している。十年前には、先住民の集落に逃げ込んだ仲間をめぐって紛争が起こり、先住民の子どもたちは頭を撃ち抜かれ、集落は焼き討ちにあっていた。

 だが、そんな事実は抹消され、政治的圧力を逃れてやって来た敬虔な聖徒によって建国されたという高尚なイメージだけが残された。アメリカ神話の始まりである。
 

 ワイルダーはメイフラワー号をアメリカの起源とするこの神話を、事実だと信じていたようなふしがある。デトロイトで行われたブックフェアの講演で、「私の父の祖先はメイフラワー号でやってきました」と述べているからだ。(註 父チャールズ・インガルスの祖母マーガレット・デラノの家系を指していると思われる)。


 事実だろうとなかろうと、メイフラワー神話はアメリカ人にとって神聖なもので、ワイルダーの発言は心情に訴えるものがある。 現在のプリマスにはメイフラワー号が復元され、ピリグリムが最初の一歩を記したという岩が神殿を思わせる円柱に囲まれている。観光というよりも参拝に訪れる聖地のようで、この場所でアメリカ人はアメリカ人であることを確認するという。メイフラワー神話はアメリカ人の心の拠り所でもあるのだ。


 歴史家のウィリアム・アンダーソンは伝記「大草原のローラ」の中で、ワイルダーのメイフラワー発言を巧みに引用している。

「父さんは、ローラとメアリーに、六十一セントの新しい教科書を買ってくれた。アメリカ合衆国の歴史の本だ。ローラは歴史を勉強するのが楽しみで、父さんの祖先が、メイフラワー号でプリマス植民地にやってきた人たちだときいたときは、ほんとうに誇らしい気持がした」

この一節は日本人にはどうということのない記述でも、アメリカ人には精神的な重みを持つ箇所である。

 

 「小さな家」を「アメリカ史」とするワイルダー神話は、このアメリカ神話と密接な関係がある。                             そのアメリカ神話によれば、アメリカは聖書に記された楽園で神の国であるという。アダムとイヴがエデンの園を追放され、ノアの洪水によって世界が水没したときも、地上のどこかに楽園が残されたと広く信じられていた。


 アメリカをその楽園と考えたのがコロンブスである。新大陸の途方もなく豊かな自然は楽園神話と結びつき、文明のけがれのない無垢な大自然は「新たなエデン」と呼ばれた。

 旧約聖書の出エジプト記には、エジプトで奴隷の身となっていたイスラエルの民がモーゼに率いられ、紅海を渡って約束の地カナンにたどり着く歴史が記されている。


 イギリスの腐敗した政治や宗教から逃れ、新大陸に渡った人々は旧世界からの脱出をそれと重ね合わせた。彼らはアメリカを約束の地カナンとみなして、そこに神の意志によるユートピアを建設しようとしたのである。

 マサチューセッツ植民地の総督ジョン・ウィンスロップは、船上から大地を仰ぎ見ながら、

「あらゆる人々の目が、我々に注がれていることを忘れてはならない。我々は丘の上の町になるのだ」と述べたという。
 

 その広大な大地には先住民が暮らしていたが、そんなことは問題ではなかった。先住民は土地を開墾していない、したがって土地に対する自然権はあるが、市民としての権利は持っていないと正当化したからである。

 荒野を征服して乳と蜜の流れる地に変えるのは神の意志であり、そこには、アメリカ人は神に選ばれた人々で、アメリカは神聖な使命を持つ国家であるという選民思想がある。領土拡大は神から与えられた使命であり「明白なる天命」だというのだ。この選民思想によってアメリカは、先住民を虐殺し、西部開拓を推進させ、領土を拡大させていった。 
 

 「小さな家」シリーズは、このアメリカ神話にぴったりあてはまる。

 「大きな森の小さな家」では、〈インガルス〉は「大きな森」というエデンの園に暮らしている。がっしりした丸太小屋は心地よく、大木のそよぐ豊かな森は食料も燃料もたっぷりと与えてくれる。オオカミの遠吠えが聞こえようとも〈とうさん〉や〈かあさん〉がいれば、〈ローラ〉には怖いことなどない。そこは飢えも寒さもない、何もかも満ち足りた世界である。
 

 「大草原の小さな家」では、〈インガルス〉は「大きな森」というエデンの園を去ってカンザスへ向かう。そこで丸太小屋を建て、大草原という荒野にくわを入れ、神の国を実現するために新たな生活を始める。

 そこは移住者に開放されていないインディアンの土地だったため、先住民と移住者との間で緊張が高まるが、「インディアンはうろつき回っているだけで、何一つ土地にいいことをしていない。土地は耕す者たちのもので、それが正しい裁きというものだ」と、ある移住者は開拓を正当化している。〈とうさん〉もバツの悪さを感じながらも、自分たちを正当化しようとしている。
 

 「プラムクリークの土手で」では、〈インガルス〉はミネソタに移住して教会に通い、町の人々との親交を深めるようになった。「善いことをしようとして集まっている人たちといっしょにすごすのは、とても気分のいいもの」だからだ。「善いこと」とは、荒野を切り拓き、神の意志による国を造るという意味である。


 乳と蜜の流れる国を造るために〈インガルス〉は他の移住者と一丸となって懸命に働く。

 ところが、バッタの襲来で小麦畑が全滅してしまい、〈とうさん〉は東部へ出稼ぎに行かなければならなくなった。でも、それは約束の地カナンへ至るまでの試練である。

 留守をまもっていた〈かあさん〉は娘たちに、バッタがエジプト中を襲った聖書の話と、神が善良な人々に乳と蜜の流れる地へと至らせようと約束した話を読み聞かせ、「ミネソタも乳と蜜の流れる土地にきっとなりますよ」と話している。
 

 「シルバーレイクの岸辺で」以降では、ダコタが舞台になる。〈とうさん〉が鉄道会社の職を得たのを機会に〈インガルス〉はダコタに移り住む。

 〈メアリー〉の失明、猛吹雪、ブラックバードの襲来といった神の試練を乗り越えながら、〈インガルス〉は荒野を征服し、種をまき、神の国の実現に向けて懸命に働く。

 やがて、仔牛を生んだ雌牛のエレンは乳をたっぷりと出すようになり、〈かあさん〉自慢の畑では野菜が豊かに実り、荒野は乳と蜜の流れる豊穣の地へと変貌を遂げる。
 
 根底にアメリカ神話をいだく「小さな家」は、「神の使命」を受け入れ、「乳と蜜の流れる地」の遂行を掲げ、先住民の犠牲のもとに「神の国」を築くことを肯定している。そこには懸命に働きさえすれば報われる、という楽観性が貫かれている。アメリカの読者は「小さな家」にこのアメリカ神話をなぞらえているのだろう。 
 

 けれども、神話は神話であって現実ではいない。「小さな家」には鉄道会社の独占による弊害も、東部資本による土地投機も、農民の政治運動も存在しない。開拓農民の暮らしを大きく左右する、政治や経済問題がすっぽりと抜け落ちている。児童書だからではない。それらを避けて通るには、児童書として出版するほかなかったからである。


 シリーズの最終巻「この楽しき日々」で、〈アルマンゾ〉と結婚式をあげた〈ローラ〉は、「小さな灰色の家」に暮らすようになる。そして、若い二人に幸せな未来が訪れそうな気配を漂わせたところで、「小さな家」シリーズはハッピーエンドの幕を閉じる。


 大人の〈ローラ〉を登場させたら、農民が背負っていた借金や高利子について触れないわけにはいかない。それはアメリカ神話とはそぐわない。だから、大人の〈ローラ〉が語り始める前にシリーズをうち切る必要があったのだ(註:農民の苦悩を赤裸々に描いた「はじめの四年間」は、ワイルダーとレインの他界後、ロジャー・マックブライドによって刊行された)。
 生前のワイルダーはそれを認める発言をしている。親しくしていた地元の図書館員に、なぜ「この楽しき日々」の続編を書かなかったのか聞かれると、「悲しいことを書かなくてはならないから」
と答えたという。
 

 「小さな家」を「アメリカ史」とするワイルダー神話の裏には、選民思想というアメリカ神話がある。だが、神話は神話であって本当の話ではない。

 「本当の話」というワイルダー神話は拡大解釈されて、「本当の話」なのだから「アメリカ史」だという神話まで生み出した。ワイルダーやレインの言動が、それを煽ったのは否めないだろう。


 だが、「小さな家」に西部のロマンティシズムを見出し、そこに神話を創り上げ、それを巨大化させたのは読者ではないだろうか? 彼らがアメリカ神話を描いたフィクションを、アメリカ史とすることを望んだのだ。なぜなら「小さな家」は、理想のアメリカというかりそめの夢を見させてくれるからだ。
 彼らの夢見るアメリカとは、温かくて素朴なアメリカであり、誰もが強くて満ち足りているアメリカである。そこには涙の道を歩むインディアンも、強制連行された黒人も存在しない。飢えも貧困も人種差別もない。理想のアメリカだけがある。
 彼らが負の遺産から目をそむけるのは、誇りとプライドが絡んでいるからだろう。祖先を〈インガルス〉と重ね合わせ、彼らの行為を正当化し、アメリカを理想国家と仰ぐことは、自己の存在を肯定することでもある。
 そうすることによって、彼らはアメリカ人としてのプライドを回復し、アメリカ人としての誇りを見出し、アメリカ人としてのアイデンティティを確認しているのだ。だから、彼らと一体化できない先住民や黒人をはじき出すのだろう。その行為はナショナリズムとも言い換えられよう。
 「小さな家」を盲目的に肯定し、それを正統なアメリカ史とするワイルダー神話の背後には、白人プロテスタントを頂点とする強大なナショナリズムが存在する。
 

 それを裏づけるかのように、「小さな家」には愛国心を鼓舞するくだりがいくつも見られる。中でも「大草原の小さな町」の独立記念日はその最たるものだろう。

 七月四日の朝、〈インガルス〉はドーンという、空気がびりびり揺れるような音で目を覚ました。町の鍛冶屋がかなとこの下で火薬を爆発させて、アメリカ軍が独立を求めて戦ったときのような、ものすごい音をたてていたからだ。なぜなら「七月四日は、最初のアメリカ人が、人間は生まれながらにして自由であり、平等であると宣言した日」だからだ。


 目を覚ますやいなや〈とうさん〉はベッドの中でアメリカ国家を歌い出し、ベッドからはね起きると愛国心をくすぐるような言葉を口にしている。

「『ばんざい! わたしらはアメリカ人だ!』

そしてうたいだした。

ばんざい! ばんざい! 祝いの歌をうたおう!

ばんざい! ばんざい! 自由の旗のもとに!」 


 この章は〈とうさん〉と〈ローラ〉と〈キャリー〉が独立記念日の式典に参列し、独立宣言に触発された〈ローラ〉が自由に目覚めることでクライマックスを迎える。
 二〇〇六年七月四日、ユタ州イーグルマウンテンでは、この「大草原の小さな町」の独立記念祭を再現して、町をあげて独立記念日を祝ったという。
 

 そんなアメリカ人の「小さな家」を思うとき、ロナルド・レーガンのアメリカを思い出す。

 伝統的価値観の復活を狙ったレーガンは、政治にアメリカ神話を持ち出し、マサチューセッツ総督ウィンスロップの言葉を引用して、アメリカは神によって選ばれた国であり、「丘の上の町」を作ろうと説いた。

 偉大なアメリカを繰り返し強調し、最強の国を目指した彼は、ベトナム戦争やウォーターゲート事件に病むアメリカに自信を取り戻させ、アメリカ人の誇りとプライドを回復させた。
 
 さらに最高裁判所へ保守派の判事を送り込み、アファーマティブ・アクション(雇用などに際して、黒人やヒスパニック系といった少数派を優先させる優遇策)を拒否させ、白人中心のアメリカを目指して古き良きアメリカを取り戻そうと訴えた。古き良きアメリカとは、小ぎれいな白いペンキの家に住み、自家用車や電化製品に囲まれて素敵なパパとママと暮らすアメリカである。レーガンの好きだったTVドラマ「大草原の小さな家」のように、誰もがハッピーなアメリカだ。レーガンは神話のアメリカを語り、その楽観性で人々につかの間の夢を見させようとした。

 大統領選を闘ったモンデール大統領候補は、そんなレーガンの嘘を見抜き、レーガンのアメリカには「傷ついた人も孤独な人も飢えている人も失業者も高齢者もいない。誰もがハッピーだ」と訴えた。けれども、アメリカの人々は現実よりも神話のアメリカを選んだのである。
 

 八四年の再選挙にかけたレーガンのスローガンは「新しい愛国心」だった。愛国心というなら、ワイルダーも並々ならぬ愛国心の持ち主だった。「アメリカ」という十代のときに創った詩には、「高貴で自由な人々の国を愛す」と謳っている。その祖国を愛する気持は「小さな家」の隅々まで見出すことが出来る。


 ワイルダーとその家族は、大地を切り拓き、一粒の種を投げ、明日が今日よりも良い日であることを願いながら、懸命に働き続けた。負の遺産を産み出したとはいえ、彼らにはアメリカの国造りの一端を担ったという自負がある。手作りの国への愛情がある。「小さな家」に見られる自国への誇りと愛国心はそこから生まれたものだ。
 

 それは容易に与えられたものではない。大地にしたたり落ちる汗のように、彼らの身体からにじみ出されたものである。食べること、生きることが困難な時代にあって、どんなことがあっても生き抜いてみせるという、腹をくくった人間の意地がアメリカを造り上げたのだ。

 ワイルダーが伝えたかったのは、そういった人間の生きざまである。彼女が誇りに思うアメリカとは、そういう人々によって築き上げられたアメリカだ。その思いが、〈とうさん〉の「ばんざい! わたしらはアメリカ人だ」という言葉になったのだ。星条旗を背後に掲げ、フカフカの椅子に寝そべりながら、超大国のアメリカを誇りに思うレーガンとは雲泥の差がある。
 

 ワイルダーには強い信念があった。その信念と西部への愛情が、ネズミの這い回る丸太小屋を「心地よい家」と書かせたのだ。それは彼女がきびしい現実を見すえながらも、ものごとの明るい面をみることの出来る人だったからだろう。

 その楽観性は、ユーモア、明朗さ、勇気、家族愛といったものに支えられていた。だから、「小さな家」はそれらに満ちあふれているのだ。彼女は理想のアメリカを描いたのではない。ものごとの明るい面をみる彼女の生き方が、理想的なアメリカを書かせたのだ。


 「小さな家」のアメリカに酔いしれる人々は、その心地よさに身をゆだねていたいのだろう。

 だが、「小さな家」のアメリカは、ローラ・インガルス・ワイルダーのアメリカであって、アメリカのすべてではない。一面しかとらえていないのは否定できない。ワイルダーのアメリカの裏には、飢えや貧困や先住民の苦難といった負の遺産がある。
 

 ワイルダーは今の子どもたちに、「目の見えるものの裏に隠れているものを知ってもらいたい、今のアメリカを作ったのは何かを知ってもらいたい」と「小さな家」シリーズを執筆したという。

 「小さな家」が「目に見えるものの裏に隠れているもの」を描いているというのなら、二十一世紀に生きる私たちは、さらにその裏には何が隠れているのか、それが今のアメリカとどのようにつながっているのか、見据える目を持つべきだろう。


 六十年代、アメリカは公民権運動とベトナム反戦に揺れ動き、少数派の抑圧の下に成り立っていた社会の見直しを迫られることになった。人種差別撤廃を求める黒人たちに触発された人々は、人種や宗教の壁を乗り越えて、個人の権利を勝ち取るために一丸となって闘った。

 その結果、少数派にも社会参加の機会が与えられ、現在のアメリカでは黒人女性の国務長官が誕生するまでになった。白人プロテスタントを至上とする社会は着実に変わりつつある。
 

 白人プロテスタントの伝統的価値観にそって、「小さな家」を論じることが間違っているとは思わない。ただ、これほどまでに多様化されグローバル化の進んだ時代にあって、伝統的な価値観だけで「小さな家」を読み解こうとするのは時代錯誤だろう。そもそも多民族社会のアメリカを、一つの価値観だけで論じるのは無理がある。


 アメリカ神話によれば新世界は神に選ばれた楽園だが、黒人や先住民にとっては楽園ではありえなかった。伝統的な解釈は特定の集団にしかアピールしない。ヒスパニック系やイスラム教徒といった、そこに含まれないアメリカ人には受け入れにくい。それは「小さな家」にとっても悲しいことだ。先住民から糾弾の声があがったのも、伝統的な解釈だけに酔いしれる在り方に怒りを覚えたからだろう。
 

 その先住民の視点から「小さな家」を読み解くことは、「小さな家」を否定することでも、〈インガルス〉を糾弾することでもない。さまざまな西部があったことを受け入れることだ。歴史が時代の流れによって書き直されるように、「小さな家」も時代によって問い直されて行くべきだろう。

 「小さな家」は奥の深い多面的な作品だ。どんな批判もおそれるに足りないと思う。
 

 「小さな家」には先住民の視点が抜け落ちていると糾弾する人々もいる。それはこの作品が、楽観性や明朗さといった正の遺産を描いているからだ。ワイルダーが語らなかったのは、先住民の悲劇だけではなかったはずだ。彼女は負の遺産よりも正の遺産を伝えたかったのだと思う。

 先住民の苦悩に比べれば、〈インガルス〉の困難など取るに足りないものだろう。だが、そんな境遇を生き抜いてみせた先住民の強靱な魂は、どんなときにも勇気と明朗さを失わなかった〈インガルス〉のそれと、共通するものではないだろうか? 
 

 「小さな家」のメインテーマは自由だ。「小さな家」を生み出した二人のすばらしい女性たちは、アメリカの原則である自由を信じていた。幸福を追求する自由、意志決定の自由、言論の自由。そういった自由を心から信じていた。

 その自由とは多様な宗教や人種に対する寛容性であり、異質なものを受け入れる度量の大きさとも言い換えられよう。多様性を抱えたアメリカを誇りに思うこと、そしてその可能性を信じることーーーそれこそ自由を標榜する「小さな家」の精神に乗っ取ったものではないだろうか?  


 二〇〇一年九月十一日、テロリストにハイジャックされた航空機がワールド・トレード・センターに激突して、アメリカ経済を雄々しく象徴した二本のタワーは、数千人の犠牲者を呑み込んで崩壊した。

 テレビのスクリーンには、灰まみれになって逃げまどう人々や、愛する人を探し求める家族の姿が映し出され、世界中を恐怖に陥れた。


 それから一ヶ月後、「小さな家」のディスカッション・グループには、先住民問題に関連して人種や民族に関する投稿が載った。

「私たちは、皆、アメリカ人です」

という書き出しで始まるその投稿は、ユダヤ人というだけで辛い思いをした祖先の経験から、「実社会では肌の色や民族背景がものをいうのが現実です。得な人もそうでない人もいます」と前置きしてから、

「九月十一日の朝、白人も黒人も頭からすっぽり灰をかぶり、みな同じ色に染まっていたのは忘れられない光景でした」

と述べていた。


 アメリカ西部の真髄を描いたとされる「小さな家」シリーズ。そのシリーズが白人やプロテスタントといった枠から解き放たれ、すべてのアメリカ人が同じ色に染まり、

「私たちは、皆、アメリカ人です」

と心から誇りを持って読める日がいつ来るのだろうか?




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