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芙由子様のオカルト趣味には困ったものだ。おかげでせっかくのお寿司が台無しだった。人の皮膚で作られた本の話を食事中にするかね。その前の鏑木の虫の話も相当だけどさ。
芙由子様はスピリチュアルやオカルトの話になると見境がなくなってしまうから、人前では少し抑えるように一言注意しないと。世が世なら芙由子様は魔女裁判で真っ先に火あぶりにされていたと思う。…その時は私も芙由子様の仲間と見做されて、一緒に火あぶりの刑に処せられていたりして。世が世なら…。うん。芙由子様には後できっちり注意しておこう。
その後、ピヴォワーヌの栄光の象徴である鏑木や円城がいることで、私達の席に人が集まってきてしまい、すっかりサロンの中心になってしまった。
私も周りを囲まれ、ほほほと笑いながら夏休みの過ごし方などを話しつつも、芙由子様が変なことを言いださないか監視する。見たところ心配はなさそうだけど…。芙由子様はおっとりしているので、人が多い時には聞き役に徹してほとんど自分から話さない。これなら大丈夫かな。
「麗華様」
顔を向けると声を掛けてきたのは、血尿を出して悩んでいた後輩とその仲間だった。
「ごきげんよう。あれから経過はいかが?」
「そのことですけど、少しいいですか」
血尿の話はあまり他の人には聞かれたくないらしい。
「皆様、ちょっと失礼いたしますね」
私は中座の断りをして、後輩達と人気の少ない場所に移動した。
「どうだったの?」
「行ってきました…」
後輩は泌尿器科に行くのが怖いと受診を散々渋っていたけれど、鏑木に直々に紹介されては行かないわけにはいかなかったらしい。友達には付き添ってもらったそうだけど。
「それで?」
「病院の検査では特に異常が見つからなかったので、経過観察になりました」
「まぁ、良かったじゃない!」
「はい」
後輩も「一応、ホッとしました」と安堵の表情を浮かべた。
「やはり原因は、テストのプレッシャーによるストレスだったのかもしれないわね」
テストというより鏑木のプレッシャーだけど。
「俺もそう思います。テスト結果が発表されてからは、血尿は一度も出ていませんし」
「大変だったわねぇ…」
「はい…」
「僕も最近やっと安眠できるようになって、体調も良くなりました」
「俺も夜中に飛び起きることもなくなった」
「わかるわ。私も怖い夢を見ることがなくなったもの」
ですよね~と、私達はしみじみとあの頃のつらさを再確認し合った。
「でもテストも終わったし、これから夏休みだからな」
気持ちを切り替えるように、後輩の1人が明るい声で言った。
「そうだな!」
「もう勉強からは解放されたんだ。今年の夏はいつも以上に楽しんでやる」
「俺達、明日から早速ダイビングに出かけるんですよ。現地の天候も良さそうだから着いてすぐに潜りに行けそうだぞ」
「ダイビングの前に、まずはサーフィンだろう」
「お前は新しいボードのお披露目がしたいだけだろ」
「注文通りの仕上がりでさぁ。これがかっこいいんだよ」
「寝坊して明日遅れるなよ。遅刻したらお前だけ日本に置いて行くから」
後輩達は楽しそうにはしゃいでいるが、私はなんだか面白くない。受験生の私は、夏休みはずっと夏期講習で勉強漬けなのに…。
「そうね。鏑木様は今回のテスト結果をずっと維持するようにおっしゃっていたし、二学期の中間テストまでの束の間のバカンスを満喫するといいわね」
チクリと水を差す嫌味を言ってやると、忘れていた現実を思い出した後輩達が「あ…」と真顔に戻った。
「…参考書持っていくか?」
「やめろよ」
声のトーンが落ちている。そうだ、学生の本分を思い出すがよい。けけけ。
気を取り直すように「そういえば」と血尿後輩が言った。
「麗華様のピロリ菌はどうなりました?」
「元から私にピロリ菌はいないから、いらぬ心配よ」
「またまたぁ。ちゃんと病院に行ったほうがいいですよ」
「そうですよ。本当にピロリ院麗華様になっちゃいますよ」
「若しくは吉祥院ピロリ様」
「いやぁ、そこはやはりピロリ院だろう。麗華様の名前は残しておきたい」
こいつら…。
「…もう一度、血尿を出したいの?」
低い声で言った後、私が目に力を込めて「今度は全員仲良く血尿を出すといいわねぇ」と笑いかけてやると、後輩達は「申し訳ございませんでしたぁっ!」と直角に体を折り曲げて即座に謝罪した。
「わかればいいのよ」
私は鷹揚に微笑んだ。
しかしこいつらは私をすっかり甘くみているようなので、この場では反省した態度を取っていても、きっとすぐに同じことを繰り返すに違いない。ピロリ院が定着して万が一他の生徒達にまで広がったら、私の瑞鸞での華麗なるイメージがガタ落ちだ。ここは少し脅しつけておかないと。
「今度私をピロリ院なんてふざけた名前で呼んだら、貴方達の皮膚を剥いで教科書カバーを作るわよ」
おっと、さっきの人皮装丁本の衝撃が大きくて、思わず猟奇すぎる発言が口を出てしまった。
後輩達は真っ青になりズザザッと私から引いて行った。いかん。言葉選びを間違えた。
「いやだわ。冗だ…」
「お、恐ろしい!」
「生皮を剥がれる!」
「生き血を啜られる!」
「待って、ちょっと…」
私が冗談だと訂正する前に後輩達は、わーっ!と逃げて行ってしまった。
生皮、生き血と禍々し過ぎる単語を耳にした人達が、何事かという目で見てきたので、円城ばりの有無を言わせぬ笑みで
「あの子達の悪ふざけにも困ったものねぇ。ほほほほほ」
と誤魔化したけれど、果たして誤魔化し切れているだろうか。
芙由子様よりも先に、私が瑞鸞のエリザベートバートリーとして魔女裁判にかけられそうだ…。
すごすごと戻ると、地獄耳で聞こえていた鏑木に「お前、なにやってんだ」と呆れた顔で言われた。仰せごもっともでございます。
そんなこんなで時間も過ぎ、私もそろそろ帰ろうかと支度をしていると、
「吉祥院さん」
円城に手招きされた。
私は荷物を手に持ち円城の元に行った。
「なんでしょう」
「さっきの話だけどね」
と円城は人の輪から離れるように私を誘導すると、自分の携帯を私に差し出して見せた。
「僕も今ちょっと調べてみたんだけどね。朝顔市もほおずき市も規模は小さいけれど、これからやる地域もあるみたいだよ」
「調べてくださったのですか」
見せてもらったら確かに近遠交えて数ヵ所でこれからの所があるみたいだ。
「朝顔の盛りを逃さないためには、少し遠くても一番日程が早い場所に行ったほうがいいかもね」
「そうですねぇ」
朝顔の盛りは別にいいんだけど、今の気持ち的に屋台グルメは早く食べに行きたい。
「でも吉祥院さんも朝顔市にまで興味を持つなんて、渋いよね」
「そうですか…?」
朝顔の観賞と購入を本命にしているのは主に年配の人達だから、渋いと言われれば渋いけど、私みたいな若い子達だって縁日目当てにたくさん行くと思うけど。
円城には私の目的なんかすぐに気づかれると思ったんだけどな。あれ…、もしかして円城は縁日が出ることを知らないんじゃ?!
「円城様は朝顔市やほおずき市に行ったことはありますか?」
「ないよ」
やっぱりだ!朝顔市の縁日の存在を知らないんだ。これは朗報。
「吉祥院さんはあるの?」
「私ですか?」
吉祥院麗華としては無いけれど、前世の子供の頃に家族で行った覚えがあるんだよなぁ。肝心の朝顔のことはよく覚えていないけど、妹と金魚すくいをしたりわたあめを食べたりした記憶があるような。金魚すくいは赤い金魚の中で異彩を放つ黒い出目金の物珍しさの罠に引っかかって、何度ポイを一発でダメにしたか…。出目金は金魚すくい屋が忍ばせている刺客だ。いたいけな子供達よ、出目金を迂闊に狙うと泣きをみるぞ!
まぁ、そういうわけで。
「ありません」
嘘はついていない。吉祥院麗華は行ったことはないからね。
「そうなんだ」
「ええ」
そうして私が円城から朝顔市とほおずき市の情報を教えてもらっていると、同じくカバンを持った鏑木がやってきたので、私達はそのまま残っているメンバーに挨拶をして、サロンを出た。
「欲しい品種はあるの?」
「特にこれというのは。ただ赤や青の大輪の朝顔が咲いているものがいいかなと」
「なんの話だ?」
「朝顔市だよ。吉祥院さんが行きたいんだって」
「ふうん」
鏑木はあまり興味がなさそうだ。
「朝顔なんてこの時期になると家にいくつも贈られてこないか?」
くるけど、家に贈られてくる朝顔は展示会で賞を獲るような立派で少し奇抜なものばかりだからなぁ。私の思い描く朝顔とはちょっと様子が違うものが多いのだ。私が育てたいのは小学生が夏休みの宿題で育てるような行灯仕立ての定番の鉢植えだ。職人さんが育てた朝顔だから、小学生の朝顔とは段違いに立派には違いないけど。
「自分で選んだ朝顔が欲しいのです」
「ふうん」
鏑木に園芸の趣味はないらしい。
「でも朝顔市って夏のデートにいいかもね。風情があって」
円城、余計なことを!
「夏のデート…?」
ああっ!鏑木が興味を持ってしまった!
「なるほど。言われてみれば風情がある。講習の帰りに寄って行こうと誘ってみるかな」
円城~っ!屋台の前で私が焼きそばを頬張っている時にふたりに会ったらどうしてくれる!
そういえば、私が若葉ちゃんと親しくなったきっかけも、私が縁日でいか焼きにかじりついていたのを目撃されたことだったな。しかもワンピースにタレまでこぼした姿で。思い出すだけで叫びたくなるくらい恥ずかしいっ!若葉ちゃんがあの時のことを忘れていてくれることを、切に願う!
「夜までやっているみたいだよ」
「それだったら間に合うな」
鏑木達が夜に行くなら、私は昼間に行こう。いっそボックス電車に乗って鏑木達が絶対にこない遠いところまで行ってこようか。
私の密かな縁日計画を邪魔されてむしゃくしゃしていると、手芸部の副部長から一学期最後の部活で部員が全員集まっているので、部長も少し顔を出せませんかという趣旨の心温まる素敵なお誘いメールが入っていたので、私は鏑木と円城に別れを告げ一旦サロンに引き返した後で、喜び勇んで部室に向かった。
「麗華様、来てくださったのですね」
「お忙しいのに申し訳ありません」
「いいえ。声を掛けてくれて嬉しいわ」
名ばかり部長だけどちゃんと手芸部員として認められている証拠だもの。とっても嬉しい。手芸部も最初は押し掛けの居座り仮部員だったけど、今では部長にまで上り詰めたのだから私も出世したものだなぁ。
学園祭に出展するウェディングドレスは着々と制作が進んでいる。今回は刺繍の申し子である南君が中心となっているから今まで以上の出来栄えかも。
「出来上がりが楽しみですわね」
「はい。それと共に飾られる麗華様ご制作のウェディングドールも、きっと衆目を集めることでしょう」
「あ…」
まずい…。ウェディングドールに全く手を付けていないや。今年の夏は遊んでいる暇はないかも。
「素晴らしい学園祭にいたしましょうね、部長」
「うふふ」
帰りに手芸屋さんに寄って帰ろう。
それより、まずは。
「これ、ピヴォワーヌのサロンの余り物ですけれど、よろしかったらどうぞ」
実力不足の部長は、人心掌握のために今日も賄賂のばらまきに勤しんだ。