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謙虚、堅実をモットーに生きております! 作者:ひよこのケーキ
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 やっぱり…。

 高速で振り返った私の背後に立っていたのは、小首を傾げて微笑む円城だった。


「人の携帯を勝手に見ないでください!」


 私は携帯を両手で隠すように抱えると、円城を睨みつけた。


「ごめんね。立ち止まってなにをしているのかなと思ったら、見えちゃったんだ」


 円城は申し訳なさそうに謝った。

 まるで偶然見えたかのような言い草だけど、絶対に故意に見たでしょう。この腹黒が偶然のわけがない。しかし…。

 円城は「許してくれないかな」と悲しそうな、困ったような表情を浮かべている。うっ…。

 これでは端からみたら、あの円城様が反省して謝っているのに、許さない私の方が狭量で悪人に見えてしまう。なんという計算高さ!

 私は外聞に屈した。


「気を付けてくださいね…」

「ありがとう」


 円城はふわりと笑った。

 笑うと弟の天使の雪野君に少し似ているのがこれまた腹立たしい…。堕天使のくせに。

 気を取り直して携帯をポケットにしまうと、当初の目的である料理を選ぶため前を向こうとしたが、なぜか円城がその場から動かない。

 私は苦々しい顔でもう一度振り向いた。


「…私の後ろに立たないでくれますか。落ち着かないので」

「あれ吉祥院さん、スパイから殺し屋にジョブチェンジ?」

「違います」


 さっきまでの殊勝な態度はどこにいった。

 そして円城の中で私が完全にスパイだと認定されていることへの恐ろしさよ。


「苦手なんです、背後に人がいるの。髪にガムとか付けられたら怖いし」

「どういう発想なの、それ」


 なにか隙をみせているようでイヤなのよ。背中って自分で見えないから服のシワや髪の乱れとか粗があっても気づきにくいし。

 それでも素直に私の要望を聞き、円城は後ろから私の横に移動した。え、まだいるの?

 …もう円城のことは気にしない。私はおなかが空いているのだ。和か洋かで迷うけど、お米が食べたい気分だからここはお寿司かな。いくらは外せません。私がお寿司コーナーで食べたいお寿司をいくつか見繕っていると、


「それで吉祥院さんは、朝顔市に行くの?」


 覚えていたか。


「…そうですね。夏なので朝顔の鉢植えが欲しくなりまして」

「それは風流だね」


 円城が感心したように言う。これは素直に褒め言葉と受け取って良いのだろうか…。腹黒な円城が相手だと、どうしても身構えて裏を探ってしまうんだよなぁ。


「それで朝顔市はどこでやっているの?」

「それが調べてみたら時期的にすでに終わってしまっているところが多くて…」


 もう少し早く思い付いていれば間に合ったのに。不覚!


「そうなんだ。それは残念だね。でも朝顔が欲しければ取り寄せるなり花屋に行けばいいんじゃないかな」


 それじゃ意味がないんだよ。私が朝顔市に行きたいのは、屋台フードが目当てなんだから。街の花屋さんの前に屋台は出ていない。


「朝顔市がなければ、ほおずき市でもいいんですけど…」

「ほおずき市?朝顔が欲しいんじゃないの?」

「えっ…と」


 痛いところを突かれた。私は言い訳を探して必死に頭を巡らせた。


「夏を感じさせる鉢植えが欲しいんです。夏の鉢植えといえば朝顔かほおずきでしょう?」

「ふぅ~ん。夏を感じる鉢植えねぇ」


 ムリがあったか…?朝顔はともかく、ほおずきは夏というよりお盆のイメージか?!

 円城の探るような目から逃れるように、お寿司のお皿を持った私は早歩きで距離を取った。が、足の長さのハンデですぐに追いつかれる。

 そして私の前に顔を傾けると、目に面白そうな光を湛え、


「わかった。吉祥院さんは朝顔やほおずきの鉢植えが欲しいんじゃなくて、市に行きたいんでしょう」


 図星!!

 私は思わず目を見開いてしまい、その顔を自白と読んだ円城は「なるほどね~」と得心がいった顔で頷いた。


「どうして市に行きたいの?」


 屋台で買い食いしたいからとは絶対に言えない。どれだけ食い意地が張っているんだよと思われてしまう。


「…どうしてって、ただ行ってみたいだけです」

「ふぅん、なるほど…。吉祥院さんは好奇心旺盛だもんね」


 好奇心旺盛?


「そうですか?」

「だって色々な場所に詳しいじゃない?雅哉や僕が行ったことのない場所をたくさん知っているでしょ」

「そんなこともないですけど…」

「そんなことあるよ」


 イヤな話の流れだ…。

 円城や鏑木が行ったことのない私の知っている場所とは、そのほとんどがジャンクフードやB級グルメ。これは朝顔市から縁日を連想して真の目的に気づかれてしまうのも時間の問題か?!

 私は話を逸らすために、あ、いけないという表情を作り、讃良様とすでに料理を取って戻ってきていた芙由子様の元に「お待たせして申し訳ございません」と言いながら急ぎ足で戻った。


「いいえ。私もたった今戻ったところなのですよ。麗華様にお声掛けしようと思いましたが、円城様とお話中でしたので遠慮いたしましたの」


 そこは遠慮せず声を掛けて欲しかった。それはもう切実に。

 そして…。


「僕もここいいかな」


 当たり前のように同じテーブルに着く円城。その柔らかい表情で断る隙を与えない。

 え~っ、他の席に行きなよ。ここは女子三人の席だよ。気を利かせなよ。しかしそんな私の不満をよそに、


「今度、凌霄さんの好きな作家の舞台が日本でも上演されるね」

「ええ。今から楽しみにしていますのよ。円城様も観に行かれますの?」

「時間があれば行きたいと思っているよ。僕の好きな役者が出るからね。でも今回の舞台は原作とはずいぶん違う解釈をされているらしいけど、それはいいの?」

「そこはもう仕方がないと舞台を観る時はいつも思っていますの。小説とは違うものとして楽しんでいますわ」

「それがいいね。萩小路さんは観劇に行ったりはする?」

「私は最近ですと、真景累ヶ淵を観て参りました。怨霊となった累の鬼気迫る演技がとても素晴らしくて…」

「累ヶ淵か。累ヶ淵といえば」


 人当たりの良い笑顔で対人スキルを発揮させた円城は、相手の興味を引く話題を振り会話を弾ませた。芙由子様は円城から耳寄りな怪談情報を教えられて、目を輝かせている。

 円城は部外者から座の中心人物へとあっという間に取って代わってしまった。なんということだ!

 すると、


「秀介。こんなところでなにをやっているんだ」


 堂々とした足取りで、鏑木がやってきた。もっと面倒なのが来た!


「見ての通りだけど?」


 円城はそう言って優雅にティーカップを持ち上げてみせた。

 鏑木は円城になんだそれはというように目を眇めてみせた後、なぜか当然のような顔で同じテーブルに着こうとした。げっ!


「鏑木様。鏑木様は円城様にご用事があって迎えに来られたのでは…?」


 私が角を立てずにやんわりと追い出そうとしたのに、鏑木に「特に用はないが?」と否定されてしまった。だったらなんで来たよ…。

 …あ、そうだった。鏑木は円城以外に友達がいないんだった、と心の中で失礼なことを考える。


「ここは少し狭いな」


 鏑木が不平を言った。

 それはそうだ。元は私と讃良様と芙由子様の三人で座っていたテーブルなのだから。狭いのがわかったのなら、親友を連れて何処なりと行くがよい。


「よし。もっと広い席に移動するぞ」


 一番最後に交ざった鏑木が、偉そうに私達に席移動を命じた。


「どこがいいか」

「吉祥院さんがいつも座っている、あの席がいいんじゃない?」


 そうしている間にも鏑木と円城の間で話が勝手にまとまり、私達はなし崩し的に私の指定席に移動することになった。

 …なぜ私達も一緒に行かないといけない。でも、芙由子様は「お茶は新しいものを用意してもらえばよろしいかしらねぇ」と料理のお皿を持ち、讃良様も仕方ないと諦めたように微笑んで立ち上がったので、私も黙って付いて行くしかなかった。


「この席って程よく人目を避けられて、良い場所だよね」


 そう。ここは壁際で程々に目立たず、落ち着く空間なのだ。

 それなのに円城に続いて鏑木まで加わり、程々に目立たない席は本日のサロンで一番派手な席になってしまった。


「おじ様はこの夏も稀覯本を探す旅に?」


 讃良様が鏑木に尋ねた。鏑木のお父様の趣味は希少で滅多に手に入らない本、特に古書の蒐集だ。読書が大好きな讃良様はそんな鏑木のお父様に憧憬と尊敬の念を持ち、そのコレクションを拝見させてもらいに時折鏑木家に訪れていると前に聞いたことがある。


「どうだろうな。今は先日ロンドンで手に入れたばかりの本に夢中だから、少しは蒐集熱も治まっているんじゃないか」


 鏑木の口ぶりからは、どこかそうであって欲しいという願望が滲んでいた。

 どうしてだろう。稀覯本は確かに驚くほど高額な物もあると聞くから、お金は相当かかるけど趣味だけど、鏑木家だったら問題ないと思うのに…。


「鏑木様はお父様のご趣味をあまり歓迎なさっていないのですか?」

「反対はしていないが、本が増えすぎて書庫を増築したり、蒐集している本のほとんどが劣化を防ぐための保存が難しい本ばかりだから、その度に書庫を改築したりと一緒に暮らす家族は大変なんだよ」


 へぇ~、そうなんだ。


「紙は湿気でぼろぼろになったりしますものね」

「紙だけじゃない。革装丁の本も面倒だ。前にヨーロッパの片田舎にある古書店で掘り出してきたという本は杜撰な管理状態だったらしく、装丁の革から虫が大量発生して大騒ぎになったこともあった」


 ぎえーーっ!虫はイヤだ!しかも大量発生って!想像しただけで体がかゆくなるっ。

 お皿の上のいくらのお寿司が目に入った。ちょっと食欲が失せた…。


「稀覯本蒐集という高尚な趣味に、そのような弊害が…」

「虫の寄生は意外によくある」


 全身掻き毟りたいっ。


「あの時は業者に家中を消毒させる騒動になったからさすがに俺の母親が激怒して、それ以来問題のありそうな本は家に持ち込み厳禁になった。今は家とは別の場所にも書庫を作って疑わしい本はそちらに保管してある」


 それは怒るよね…。そしてそれよりも幻の虫に襲われて体がかゆいっ。


「吉祥院さん、そわそわしているけどどうしたの?」

「お話を聞いていたら、なんだか体中がかゆくなってきまして…」

「あぁ、わかるよ」


 円城が私に同情的な目を向けた。


「一般的な革製品に使われる動物ではない、珍しい革で作られた装丁本は俺の中で特に要注意だ」


 鏑木が重々しい口調で言った。相当ひどい目に遭ったようだ。


「もう、虫の話はやめません?食事中ですし…」


 楽しみにしていたいくらのお寿司だったのに、その粒粒が別のなにかに見えてきそうになるのを頭から振り払う。大量の虫…。


「…そうだな」

「そうですわね」


 鏑木と讃良様は口直しにお茶を飲み、私はいくらのお寿司を自棄気味に食べた。

 そこへマイペースな芙由子様が「稀覯本の世界とは奥深いものなのでしょうねぇ。大変興味深いお話ですわ」とおっとりと頬に手を当て、


「珍しい革の装丁本といいますと、人皮装丁本もあるのでしょうか?」


 芙由子様の発言に、鏑木と讃良様がぎょっとした顔になった。心なしかふたりの体が引いている。


「にんぴ?」


 聞いたことのない言葉に私が首を傾げると、円城が説明してくれた。


「人の皮膚のことだよ。人間の皮膚で装丁された本」


 人間の皮膚で作られた本?!それって人の皮膚を剥いで本にしたってこと?!ぎえーーっ!!

 話題が一気に虫からグロテスクに振り切った。

 やめてよ。怖いよ。今晩思い出したら眠れなくなるよ!私が転生したのは恋愛少女マンガであって、決しておどろおどろしいホラーマンガではないのに!


「いくらおじ様でも、それはないと思いますけど…。ねぇ、鏑木様」

「ああ…」


 いつになく鏑木の歯切れが悪いと思ってしまうのは、気のせいか…?眉間にシワを寄せて考え込み始めちゃったけど、大丈夫か…?私、鏑木家に行ったことがあるんだけど、あの家のどこかにもしかして…。

 いやーっ、怖いー!背中がぞわぞわするっ!なにか良からぬものに取り憑かれた気がする!


「吉祥院さん、またそわそわしているけど…」

「円城様、背中を叩いていただけません?こう、祓うように!」

「え、こう?」


 急がないと憑いちゃう!憑いちゃう!

 一通り円城に背中のぞわぞわを叩き落としてもらって、やっと少し落ち着く。

 しかし虫の次はグロテスクって…。さらに上をいく食事時にふさわしくない話題。

 お皿の上の脂の乗ったトロのお寿司が目に入った。さっきまであんなにおいしそうに私の食欲をそそっていたのに…。

 私は芙由子様を恨みがましい目で見た。芙由子様の思考は黒ミサ感が強すぎる。

 今では別のなにかに見えそうなそれを、私は自棄気味にほとんど噛まずに飲み込んだ。

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