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せっかく早く帰れる終業式の日には、どこの学校でも帰りに友達とどこかに寄って帰る学生が多いと思う。しかし生憎と私はピヴォワーヌのサロンで学期最後の集まりがあるので行くことができない。
「麗華様がいないのは残念ですけど…」
と言いつつも、芹香ちゃん達もしっかり帰りに遊びに出かけるらしい。楽しそうに計画を練っている。
「この前、雑誌に載っていたランチに行きましょうよ」
「最近できたあのおしゃれなランチプレートが評判のところ?」
「そうそう」
「具だくさんスープがおいしそうだったわよね」
「いいじゃない。だったらランチはそこで食べて、食後のお茶はどこにする?」
「そうねえ…」
「私、夏物の服が見たいのよねぇ」
「私も。食事の後で少し見に行かない?」
いいなぁ。楽しそう。私も一緒に行きたい。私立はそれぞれの家が遠いから休みに入ると頻繁に会えないんだもん。
でも吉祥院家の娘としてピヴォワーヌの付き合いはないがしろにはできない。そもそもピヴォワーヌは家柄や資産状況が同レベルの子達が友好を深めて社交を学ぶ目的もあるからね。だからあの鏑木ですらなんだかんだ言ってもサロンに顔を出すくらいだし。
それにサロンがどれだけ賑わっているかによって、その年の会長の求心力や力量がはかられたりもするから、同級生として鏑木の顔を立てるためにも出ておかないと。あの代は…なんて言われたら、同期の私達の沽券にも関わる。まぁ、私が出なくても皇帝の周りには常に崇拝者がたくさん集まってくるから無用の心配なのだけどね。
夕方まで遊んで行くのなら、私もランチは行けなくてもピヴォワーヌの集まりが終わった後で合流できると思うんだけど、誘ってくれないかな~。くれないかな~。
無言で念を送り続けたけれど、誰も気づいてくれる様子はなかった…。
「新調した浴衣に合わせる夏向きの簪が欲しいんだけど、寄ってくれる?」
「わぁ、流寧さんどんな柄行の浴衣にしたの?私も花火大会に着る浴衣を作ったのよ」
「えっ、花火大会?!」
私はあやめちゃんの花火大会という単語に反応した。
「あやめさん、花火大会に行かれるの?」
「え、はい」
いいなぁ、いいなぁ。私も浴衣を着て花火大会に行きたい!
「楽しそうねぇ。どこの花火大会を観に行くの?」
あやめちゃんは有名な花火大会の名前を出した。そっかぁ。そこは私も家族で花火の見えるホテルでディナーをいただきながら何度か観たことがある。毎年盛大だよね。
そうやって人混みとは無縁の涼しい場所から観るのもストレスフリーでいいけど、人波にもまれながら歩いて観る花火大会も楽しいと思うの。
友達と浴衣を着て歩きながらや、その辺に座って屋台の食べ物を食べながら観るのが花火大会の真髄じゃないかな。
実際に行ったら人でごった返して満足に歩けもせず、暑いし首は疲れるし足は痛いしで花火観賞どころじゃなかったりするんだけど。でもそれもまたいい思い出になるよね。
行きたいなぁ。皆を誘ってみようかな。浴衣を作るくらいだから、そういうイベントに行く気があるんだよね?
「流寧さん達も、花火大会を観に行く予定はあるのかしら?」
「私達ですか?」
聞いてみると案の定、あの花火大会に行く、この花火大会に行きたいと話が盛り上がった。そうだよね。せっかくの浴衣だもの。着る機会をたくさん作りたいよね。でもこの話しぶりだと、すでに誰かと行く約束をしているみたい。う~ん、遅かったか。
でも芹香ちゃん達とだとどっちにしろ、私が思い描く屋台の食べ歩きをしながらの庶民的な花火観賞は難しそうだよなぁ。食べ歩き?!と目を剥かれそうだ。
「あっ、鏑木様と円城様よ」
終業式のために講堂に行くと、天井から降り注ぐ光を浴びて一際輝く鏑木と円城がいた。
あのふたりは存在が派手なんだよなぁ。周りの生徒達と同じように立っているだけなのになぜか輝いて見えるのは、自家発光でもしているのかもしれない。
「休みは嬉しいけど、おふたりのお顔が見られないのがつらいわよね」
「そうよねぇ。1ヶ月以上鏑木様と円城様にお会いできないなんて」
芹香ちゃん達が頬に手を当ててため息をつく。
「その点、麗華様は夏休み中もお会いできる機会があるのでしょう?」
菊乃ちゃんが私に話を振った。
それに対し、「どうかしら…」と私は当たり障りのない笑顔を作り
「お忙しい方々ですから、特に予定がなければ会う機会もないと思いますわ」
と答えた。
むしろあまり会いたくない。だって会う時は厄介事も一緒にやってくると思うから。鏑木様はねー、今年は予備校の夏期講習で毎日忙しいんだよー。
それでも菊乃ちゃん達は納得しなかった。
「あら、だってピヴォワーヌにはサマーパーティーがあるじゃないですか!」
そうだった。
ピヴォワーヌには他にもお茶会等の大小様々なイベントがあるけれど、一番華やかで大きな催し物はやはりサマーパーティーだ。OBOGも参加するし、私を含めピヴォワーヌのメンバーが一番楽しみにしているパーティーだ。色々と面倒なこともあるけど、サマーパーティーに出るとやっぱりピヴォワーヌのメンバーで良かったなと思う。
「麗華様は今年着るドレスはもう決めたんですか?」
「ううん、まだなの。一応用意はしてあるのだけど、まだ決めきれなくて…。お兄様にエスコートをお願いするつもりなので、色を合わせようかどうかと」
「素敵ですねぇ!」
芹香ちゃん達がサマーパーティーにきゃいきゃいとはしゃぐ。私が首を傾げると、
「瑞鸞生にとっては、ピヴォワーヌのサマーパーティーは憧れですから」
なるほど。
瑞鸞といえばピヴォワーヌ。ピヴォワーヌといえばサマーパーティーだからね。マンガを読んでいた時に私も憧れていた。
「どんな世界なのかしらね。初等科時代から話には聞くけれど見たことがないんだもの」
「ダンスを踊るのですよね。素敵だわ」
「ダンスかぁ…。鏑木様や円城様とダンスを踊れたら夢のようでしょうね」
「想像するだけでときめくわ。あぁ、1度でいいから行ってみたい」
芹香ちゃん達のうっとり装置にスイッチが入った。そして各々もしも鏑木や円城にダンスを誘われたらという妄想を語りだしそうになったので、周囲の目を気にして止めた。妄想話はこっそりとね。
始まった終業式では学院長の話の後で、生徒会長の同志当て馬も壇上に上がった。同志当て馬も鏑木や円城ほどではなくとも人気があるので、下級生の辺りがさざめいた。夏休みが終われば新生徒会長選挙が控えている。同志当て馬もこの1ヶ月は最後の準備で忙しいんだろうな。私も夏休みは補講や手芸部で登校することもあるから、顔を合わせることもあるかもな。
講堂での式も終わり、教室で夏休みの注意事項や成績表を配られた後は解散となった。
成績ちょっと上がってた…。うふふ。
芹香ちゃん達は朝に話していた通り、このままランチに繰り出すらしいので、ここでお別れだ。
「では麗華様ごきげんよう」
「ごきげんよう」
「小旅行の前にご連絡いたしますね」
「ええ」
皆さんその前に遠慮せず連絡してきてくれて全然かまわなくってよ?
私は同じクラス委員の佐富君と瑞鸞の補講希望者に確認事項の書いたプリントを渡したり名簿をチェックする雑務をしてから、その足でピヴォワーヌのサロンに赴いた。
ほぼ全員が出席しているのでサロン内に人はたくさんいるけれど、私がいつも座るお気に入りのソファは皆さんが気を使って開けておいてくれるので、「ごきげんよう」と微笑みながらありがたく座る。このソファは適度に端っこで落ち着くのよねぇ。
一応学期末最後ということで、ピヴォワーヌの会長である鏑木から短い挨拶があった後で、各自いつものようにお茶やお菓子を楽しみながら談笑に入った。
サロンではお昼前ということもあって今日は有名店から運ばせたケータリングの軽食も用意されている。私もなにか食べようかなと立ち上がると、向こうに凌霄讃良様の姿を見つけた。讃良様の前のテーブルにはエクレアがあった。おおっ、エクレア!
ピヴォワーヌで出されるエクレアはいわゆるシュー生地の上にチョコレートがコーティングされているシンプルなものではなく、色とりどりに美しく飾り付けられた専門店のエクレールだ。
コンビニのエクレアも好きだけど、エクレール専門店のエクレールは全然別物でこっちも私は大好き。
「ごきげんよう、讃良様」
「ごきげんよう、麗華様」
エクレールに誘われて、讃良様の元にふらふらと近づいた。
讃良様が召し上がっているエクレールは緑色のコーティングと上にナッツがちりばめられている。フレーバーを聞くとピスタチオだった。私はどうしようかな。エクレアといったらチョコは外せないけど、どうせだったら目にも鮮やかな赤いベリーのエクレアにしようかな。
そのまま讃良様の隣に座らせてもらい、給仕に紅茶とエクレアと頼んだ。
「讃良様は夏休みのご予定は?」
「私は毎年家族で別荘に避暑に行っているので、今年も暑さを避けてのんびりと本を読んでいますわ」
さすが孤高の文学少女。サロンでもいつも静かに本を読んでいらっしゃるもんね。
ベリーの酸味が絶妙に効いた甘いエクレールを食べながら、讃良様と最近読んだ本の話などをする。讃良様の本のご趣味は高尚すぎてついていくのが難しい。読書は好きだけど、わざわざ原書で読みたいという情熱は私にはないからなぁ。
そこへ「私もご一緒してもよろしいですか」と芙由子様がいらした。
「まぁ芙由子様。どうぞお座りになって」
芙由子様はありがとうと言って私の隣に座った。
オカルト好きの芙由子様は幻想文学がお好きでその筋の本を読み漁っていたので、讃良様とも話が合った。
「これまではヨーロッパに重点を置いていたのですけど、麗華様と親しくさせていただくようになってから、最近では日本に目を向けるようになりましたの。知らない世界がたくさんありますわ」
「わかりますわ芙由子様。日本にも素晴らしい本はたくさんありますからね」
讃良様が同意するけど、たぶん芙由子様の言っているのは文学ではなくオカルト方面のことだと思う。
ふと見ると芙由子様はお茶しか飲んでいなかった。
「芙由子様はお茶だけでよろしいの?私達がいただいていたエクレールもおいしかったですよ」
「そうですね…。おなかは空いているのですけど、お菓子という気分ではないのです…」
それはお昼時だし、お菓子よりも先にきちんとした食事をしたいということかな。
「ケータリングもあることですし、なにか取りに行きましょうか」
私がそう言うと、芙由子様が頷いた。
ケータリングコーナーへ行くと、ちょっとした前菜から主菜となるものまで色々あった。どれにしようかな。こうやって色々選ぶのって目移りするけど楽しいよね。
私は先程の花火大会の話を思い出した。
正直に言えば私の目当ては屋台だ。
花火は確かにきれいだと思うけど、どうしても、なにがなんでも観たいかと言われたらそこまでではない。私にとって花火大会とは屋台。
たこ焼き、焼きそば、かき氷、じゃがバター、イカ焼き、りんご飴…。うわぁ、行きたーい!
…でも一緒に行ってくれる人がいない。まさか芙由子様を誘うわけにはいかないしね。
1人で出かけるのがわりと平気なほうではあるけれど、さすがに夜の花火大会に1人で行って1人で屋台に並んで買い食いをして帰ってくるっていうのはなぁ…。近所ならまだしもね。
ん…?屋台に行くためだったら、別に花火大会じゃなくてもいいのか。だったら夏祭りに行ってみようかな。縁日は昼間からやっているし色々な地区でやっているはず。でも屋台のために1人で夏祭りか…。
屋台の食べ物を食べたいがために、そこまでしようとする自分が心配になってきた。将来年を取ってボケた時に、私は必ず執着が食に出るに違いない。「麗華おばあさん、さっき食べたばかりなのに、また食べていないから食べ物おくれって言っているのよ」と裏で愚痴られる姿が容易に想像できて今から恐ろしい…。いや違う。私は屋台の食べ物が食べたいのではなく、屋台の雰囲気が好きなのだ。そうだ。そうなのだ。これはノスタルジーなのだ。
そうだ。朝顔市やほおずき市を狙ってみたらどうだろう。鉢植えを買い求めに行ったついでに、屋台に立ち寄ったという体裁が保てるのでは?お昼ご飯を食べていないせいか、もう頭の中は屋台でいっぱいだ。
我慢しきれず私は携帯を取り出すと、その場で朝顔市とほおずき市を検索してみた。
「朝顔市に行くの?」
真後ろから声を掛けられ、私は飛び上がって振り向いた。