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謙虚、堅実をモットーに生きております! 作者:ひよこのケーキ
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 まだ夏休みには入っていないのに、期末テストも終わった気楽さからか、すでに学院中に浮ついた空気が流れている。

 蔓花さん達などその典型例だ。近くを通り過ぎた時に「新しい水着が~」「クルージングが~」という世にもキリギリスな会話が聞こえてきた。蔓花さん達の頭の中には、受験勉強という言葉は存在していないらしい。


「遊びの誘いが多くて、スケジュール管理が大変~。この日なんて昼間は皆でホテルのプールで遊んで、夜はベイサイドにオープンしたお店でディナーだもん。夏“休み”なのに全然休めな~い」


 ライターの妄想記事だと思っていた、1ヶ月着回しコーデのリアルアヤがここにいた──!


「終業式が終わったら、そのまま美容院にカラーリングに行く予約もすでに取ってあるの」

「私も海で髪が濡れてもいいように、夏休みだけパーマをかけておこうかなぁ」


 夏休み中に堂々と校則違反のヘアスタイルにする計画を立てる蔓花さん達が、瑞鸞の特別補講を受けることは絶対にないことだけはわかった。

 …ふん。せいぜいキリギリスは夏に歌い踊り遊びほうけているがよい。夏が終わった時に笑うのはアリの私だ。


 放課後に佐富君とクラス委員の仕事をする。

 クラス委員なんて雑用係と同じだからはっきり言って面倒くさいけど、私のクラスの生徒達は提出物の出し忘れがほとんどなく、仮に忘れたとしたら謝罪してすぐに持ってきてくれる、クラス委員に協力的な人達なので仕事は比較的楽だ。今日は集めたプリントが全員分あるのを確認して、先生に提出するだけの簡単な仕事だ。帰りがけに職員室に寄ればいい。

 お気に入りのキラキラ指サックでプリントの枚数を数えながら、私は佐富君に夏休みの予定を聞いた。麗華のキリギリスチェックだ。


「う~ん。今年はさすがに遊んでいられないかなぁ」

「それは今年の夏休みは受験勉強に費やすということですか?」

「そんなとこかな」


 校則に引っかからない程度に髪をカラーリングしている佐富君は、意外にもキリギリス派だったようだ。


「塾の夏期講習には行くの?」

「一応ね」

「では夏休みは相当気合を入れて勉強をするつもりなのね?」

「そこまでではないけど、まぁ、それなりに。吉祥院さんは?」

「私も塾の夏期講習に参加する予定なの。それから時間があったら瑞鸞の補講も受けてみようかと思っているの」

「お~、吉祥院さんこそ気合入っているね」

「そんなことないわよ」


 それ以外に家庭教師も付いているけど、ガリ勉だと思われるのがイヤなので言わない。


「やっぱり内部生といえど、皆、夏休みは受験勉強をするのねぇ」

「そりゃそうじゃないの」


 そうだよね。キリギリスの大きな声に油断しちゃダメだ。アリ達は隠れてこっそり冬の準備をしているんだ。


 しかし、来たる夏休みに浮かれるキリギリスがここにもいる。

 そのキリギリスの名を、鏑木雅哉という──。

 私と円城の忠告通り鏑木はあの後で、若葉ちゃんに電話をしてきちんと同じ予備校の夏期講習に申し込んだことを話したらしい。それに対して若葉ちゃんからは、一緒に勉強を頑張ろう!という前向きな返事をもらったそうだ。えっ、それってストーカー?と引かない若葉ちゃんがすごい。

 しかもちゃっかり、せっかく同じ予備校に通うのだから受ける授業が一緒の時は隣同士の席で受講しようという約束まで取り付けてきた。

 その喜びをどうしてもその日の内に誰かに話したかったのか、結果報告と称してその夜に“!”がやたら入った長文メールが届いた。

 すぐに返信して暇人だと思われたくなかったので、しばらく放置して1時間後くらいに返信しようと、携帯を横に置いてベッドでゴロゴロしていたら、10分後に鏑木から電話がかかってきた。最悪だ。あの時にすぐにメールの返信をしていれば…!

 次の日の鏑木は朝から無表情を装いながらも、注意してよ~く見れば時折ピクピクと動く口角から浮かれっぷりが隠し切れていなかった。

 そして今日も、ピヴォワーヌのサロンに顔を出した後、呼び出された小会議室で最新号の夏のイベント特集の情報誌を熱心に見比べながら、


「予備校の講義が終わった後にお好み焼きに誘おうと思っている。丁度小腹が空く時間帯だからいいだろう。カフェでその日の講義内容を語り合うのもいいな。あの辺りに気の利いた雰囲気のあるカフェはあったかな。調べておこう。そうだ、たまには息抜きも必要だから、どこか遠出のデートに誘うのもいいな」


 などと、独り言なのか私達に聞かせているのかわからない花咲か発言をほくほく顔で語る鏑木に、あんたは一体何をしに予備校に行くんだ、遊びに行くんじゃないんだぞ!受験生の本分を忘れるな!と、私は説教をしてやりたい衝動に何度も駆られた。


「俺と高道の進展状況については、吉祥院にも教えてやるから楽しみに待っていろよな」


 楽しみでもないし、待ちたくもありません。

 どうやら夏休み中も頻繁に私相手に恋バナをする気でいるらしい。どこの乙女な女子高生だ。携帯電話水没させちゃおうかな…。


「くれぐれも、高道さんの勉強の邪魔はしないでくださいね」


 若葉ちゃんは私と同じアリさんなのだから。


「するかよ」


 ムッとして反論する鏑木だけど、説得力が全くない。今見ているその雑誌の数々はなんだ。


「どうだかね」


 私の心の声を代弁するかのように呆れた笑みをして円城が言った。その通り!


「円城様も予備校の夏期講習に行くのですか?」

「僕?僕は専属の家庭教師とカリキュラムをすでに組んでいるから行かないよ。本来、雅哉もそのはずなんだけどねぇ」


 円城は困ったものだという眼差しを鏑木に向けた後、私に苦笑いをしてみせた。

 今日の呼び出しの理由は、夏期講習でいかに若葉ちゃんと親睦を深めるか、だ。知らん。午前と午後の通しの授業の時は、ランチに誘ってみたら~?

 私も鏑木の持参した雑誌を1冊手に取ってパラパラとめくる。話題のお店の特集がさっきから気になっていたのよね。あ、このキッシュの専門店おいしそう。フルーツを使ったデザートキッシュもあるんだね。輪切りにされたオレンジが敷き詰められたキッシュが可愛いな。


「どこか気になるお店でもあった?」


 私が同じページをずっと読んでいるのに気づいた円城が、私に尋ねた。


「このキッシュのお店に行ってみたいなと思いまして」

「ふぅん」


 私は角を挟んで斜めの席に座っていた円城にも見えるように雑誌を机に広げた。


「ここ?」

「はい。このポテトとベーコンのキッシュやトマトのキッシュみたいに食事として食べられるキッシュ以外にも、デザートキッシュもあるみたいなんです。ほらこっちのオレンジのキッシュやチョコレートのキッシュとか」

「なるほど。これは女性が好きそうなお店だね」


 ほうれん草のキッシュも好きだけど、どうせなら珍しい種類が食べたいな。


「じゃあ今から行ってみる?」

「えっ」


 今から円城と?!

 私は目を見開き、そして警戒した。なぜ円城がこのタイミングでキッシュ専門店に誘ってくるのだ?なにか企んでいるんじゃないか?!


「それでできれば雪野も一緒に」

「えっ、雪野君も?!」


 脳裏に天使の笑顔が浮かんだ。


「試験や色々あってしばらく雪野の相手をしてやれなかったから、今日はこれからプティに雪野を迎えに行って一緒に帰る約束をしているんだ。それでせっかくだから、雪野が大好きな吉祥院さんを連れて行ったら、喜ぶかなと思ってね」


「吉祥院さんにはいつも弟の面倒を押し付けるようで申し訳ないんだけどね」と円城が続けたけれど、とんでもない。あの可愛い雪野君に会えるなら大歓迎だ。


「行きます」

「本当?ありがとう」


 そうと決まれば、こんな所でのんびりしている場合じゃない。

 期末テストが終わり短縮授業でいつもより早い時間とはいえ、初等科だってとっくに終わっているんだから、雪野君はプティでお兄様が迎えにきてくれるのを、まだかなまだかなとずっと待っているかもしれない。

 私は席を立つと、「早くプティに行きましょう」と円城を急かした。雪野君を待たせているのに、なにをのんびりしているんだ。

 すると雑誌に没頭していたはずの鏑木が、


「俺も行く」

「え」


 なぜか鏑木も席を立った。


「良さそうな店だったら、そこも高道とのデートの候補地にする」


 キリギリスがこう言っていますが。

 私がちらりと円城を見ると、円城は肩をすくめて笑ってみせた。






「麗華お姉さん!」


 私達がプティに迎えに行くと、雪野君が駆け寄ってきてくれた。

 そして円城がこれから皆でキッシュを食べに行くと説明すると、「わぁ!」とはじける笑顔を見せてくれた。幸せ。

 プティのサロンには麻央ちゃんや悠理君もいて会えたことを喜んでくれたので、二人も一緒に行かないかと誘ってみたんだけど、これから習い事が入っているそうだ。残念だけど二人とはまた今度一緒に出かける約束をした。

 そして4人で訪れたキッシュ専門店では、私の隣に雪野君が座りメニューを見ながら、どれがいいかなぁと相談し合った。


「このぶどうのキッシュかチョコレートのキッシュにしようかなぁ」

「それもおいしそうね」

「麗華お姉さんは?」

「私も迷ってしまうのだけど、やっぱりこのオレンジのキッシュにしようかな」

「そっちもいいなぁ。僕もオレンジのキッシュにしようかな」


 でも雪野君はチョコレートのキッシュも捨てがない様子だ。う~んと口を尖らせ悩んでいる。

 だから私は雪野君に「では半分こにしましょうか」と提案した。


「いいんですか?」

「もちろんよ」


 雪野君が「ありがとうございます」と笑ってくれた。うふふ。

 私達のやり取りを向かいの席で見ていた円城が、「ごめんね」と謝ってきたけれど、むしろチョコレートのキッシュも食べられて私の方こそありがとうだわ。さっき雑誌で見た時からそっちも気になっていたのよね。


「さくらんぼのキッシュか…」


 鏑木がメニューを見ながら呟いた。


「鏑木様はさくらんぼが好きなのですか?」

「好きだな」


 へえ。私もフルーツの中ではさくらんぼは上位に入るくらい好きだ。今年もすでにたくさん食べている。

 でも鏑木は少しおなかが空いていたみたいで、最終的にきのこのキッシュを選んだ。円城はポテトとベーコンのキッシュだ。王道だよね。

 話題は雪野君の夏休みの話で、雪野君は海外のサマーキャンプに参加するらしい。それを聞いて、小学生が1人で海外に行くのかと思ったら、家族旅行で行った先の海外で、雪野君だけ途中で抜けて子供向けのサマーキャンプに行くということらしい。

 雪野君はサマーキャンプをとても楽しみにしているみたいなので面と向かって水を差すようなことは言いにくいけど、喘息の発作は大丈夫なのだろうか。心配なので円城にコソッと聞いた。


「うん。僕達もどうかなと思ったんだけど見ての通り本人がどうしても行きたいと言うし、両親も近くにいてキャンプにはうちからも念のための専任ドクターを同行させるから、まず大丈夫だと思う」

「そうですか。それなら良かった」

「心配してくれてありがとう」


 いえいえ。私にとっても雪野君は大事な天使ちゃんなので。

 鏑木は雪野君にキャンプの心得を説いていた。鏑木と円城も小学生の頃はサマーキャンプに参加していたらしい。お兄様が経験したことだから、雪野君も行ってみたくなったのかな。

 やがて注文したキッシュが運ばれてきたので、約束通り私はナイフで半分に切って雪野君と分け合った。


「おいしい!」

「ね!」


 オレンジは当たりだった!甘酸っぱくておいしい!そしてチョコレートのキッシュは添えられたクリームと一緒に食べると甘くておいしい!甘酸っぱいオレンジと甘いチョコレート。交互に食べるとおいしさが更に引き立つ。半分こにして大正解。

 私と雪野君はおいしいねと笑い合った。

 鏑木も店内の様子とキッシュの味で、このお店をデートの候補地のひとつに選んだみたいだ。

 私達はキッシュを食べながら感想を言ったり、雪野君のサマーキャンプにちなんでどれくらい泳げるかといった話などをした。雪野君はスイミングスクールで現在は背泳ぎの練習をしているそうだ。すごいなぁ。私もスイミングスクールに通っていたけど、クロールと平泳ぎしかできない。背泳ぎはどうしても顔を水面に出すことができなくて、息継ぎができず溺れてしまうのだ。でも日常生活で背泳ぎが必要になる時などないから別にいいのだ。

 キッシュのお会計は円城が「今日は僕が誘ったから」と払ってくれた。固辞するのもなんなので、今回はありがたくごちそうになる。


「あぁ、楽しかった!」


 お店を出た雪野君は私と手を繋ぎながら、ニコニコと笑った。そして、「ねえ、麗華お姉さん」と言った。


「夏休みにも、遊んでくれますか?」

「えっ」


 夏休みかぁ…。私としても雪野君と会えるのは嬉しいけど…。


「雪野。吉祥院さんも忙しいんだから、我がままを言うのはやめなさい」


 円城に窘められた雪野君がしょんぼりした。あぁ…っ!


「えっと、雪野君…」

「なぁに?」


 うっ。そんなつぶらな瞳で見つめられたら…。


「そこまで忙しくない、かなぁ…」

「本当?!」


 雪野君がぱあっと笑顔になった。うん。忙しくない。全然忙しくない。


「なんだ、吉祥院。夏休みは暇なのか」


 すると鏑木がよしよしと何かを確認するように頷いた。

 しまったあああっ!これで遠慮なく鏑木から夏休み中も頻繁に連絡があるに違いない…。




 後日、なんだかんだでいつもごちそうになっているので、お礼の気持ちを込めて瑞鸞の皇帝にさくらんぼを贈った。


「佐藤錦か?」

「ナポレオンです」

「……」


 円城にも雪野君と食べてくださいと私の一番好きな果物の桃を渡すと、「こちらには嫌味は隠されていないよね」と言われた。なんのことでしょう?

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