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謙虚、堅実をモットーに生きております! 作者:ひよこのケーキ
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 ピヴォワーヌのサロンでは、鏑木が「目標を達成できた者もできなかった者もそれぞれよく頑張った」と、寛大なお言葉を宣った。これを受けた皆も誇らしげな顔をしている。

 今回の期末テストでは、ピヴォワーヌの生徒達の成績が全体的に上がっていたそうだ。そりゃあ会長である皇帝からの指令だものね。程度の差はあれ必死になる。下級生の中には元から成績の優秀な者もいて、その子達はかなり良い成績を取っていた。あの辺りの子達が、次代のピヴォワーヌの中心になるのかな~。


「やりましたよ、麗華様~」


 そして鏑木からペナルティーで必ず50位以内に入るよう厳命されていた1年生達もそれぞれギリギリ50位以内に滑り込んでいた。それはもう、48位、49位、50位と、首の皮一枚で繋がったギリギリのラインで。


「おめでとう」

「今日まで生きた心地がしませんでしたよ」

「つらかったです…」

「昨日は眠れませんでした」

「わかるわ」


 私達は身を寄せ合って互いの辛苦を労いあった。どれだけ勉強してきたか。一旦ベッドに入って寝ようとしたけれど、不安になって起きてまた問題集を広げたとか、朝起きて昨日暗記した内容を忘れている時の絶望感等々、身につまされる話ばかりだ。誰もが鏑木のように一度覚えたことをすべて記憶できる高性能な大容量メモリを搭載しているわけではないのだ。


「もしも50位以下だったらって考えると、吐き気がこみあげてきて…」

「俺も最近ずっと寝ても悪夢ばかり見ていました」


 吐き気や悪夢といった症状に、わかるわかると私達は頷き合う。私だって怖い夢を頻繁に見たもの。特にこの子達は鏑木のテスト反省会に出席して、自分がどれだけ解答を間違ったか知っているから、余計に怯える日々だっただろう。

 するとひとりが声を潜めて。


「俺なんて、とうとう血尿が出ちゃって…」

「ええええっっ!!」


 血尿が出たって、大ごとじゃないか?!


「それもストレスのせい?!」

「わからないですけど、タイミング的にそうじゃないかなって。他に心当たりがないし」

「病院には行ったの?」

「いいえ。病院には怖くてまだ行っていないんです。血尿が出たのはその1回だけだったので…」

「でも別の病気の可能性だってあるから、絶対に病院に行くべきよ!」


 私は病院の受診を強く勧めた。自己判断は良くない。


「そうですよね。この場合は、どこの科に行くべきでしょうか」

「それは泌尿器科じゃないかしら」

「ですよね~…。でも1回だけだし…」


 彼は悩むように黙り込んだ。あまり乗り気ではないらしい。いやいや、早めに行ったほうがいいって。


「麗華様だったら、すぐに病院に行きますか」

「そうね…」


 と言いつつ、実際に自分がその立場になったら、病院に行くのは怖くてまずは少し様子を見ちゃうかも…。現実逃避タイプの小心者だから、もしも検査結果で大変な病気が見つかったらどうしようって想像して二の足を踏んじゃうんだよね。

 でも他人事だったら客観的な判断ができる。病院で診察を受けるべきだ。まずはホームドクターに相談してみたらと提案しようとした時、後輩が顔を上げて


「麗華様、一緒に来てくれませんか?」

「えっ!なんで私が?!」

「だって、泌尿器科に1人で行くのは不安なんですよ」


 気持ちはわかるけど…。でも付き添いはちょっとなぁ。


「どなたかご家族に付き添ってもらったら?」

「高校生にもなって、親に付いてきてもらうのって恥ずかしくないですか?」


 高校生男子が女子の先輩に付き添ってもらって泌尿器科に行くのは平気なのか?

 お願いしますと頼まれても困る。う~ん…。あっ、そうだ!


「鏑木様に相談したらどうかしら」

「えっ、鏑木様にですか」


 後輩3人は目を見交わした後、いやいやいやと手を振った。


「尊敬する鏑木様に血尿の相談なんて出来ませんよ」

「だよな~」

「鏑木様には絶対に言えない」


 だから、どうして私には相談できるのよ。今の発言で、こいつらの中の私と鏑木の立ち位置がよくわかったな。泌尿器科に付き添いなんか絶対にしてやらないぞ。


「それに鏑木様だって、血尿の相談なんてされても困ると思いますし」

「あら大丈夫よ。私が鏑木様に胃が痛いと言ったら、ピロリ菌の専門医を紹介されそうになったわ」

「えっ、麗華様ピロリ菌持ちなんですか」

「違うわよ!」

「ピロリ院麗華様ですか」

「誰がピロリ院よ!」


 こいつら、完全に私を舐めくさってるな!

 私はひゃっひゃと笑う連中の横隔膜に、拳で鋭いダメージを与え黙らせた。ふんっ。


「でも麗華様しか頼れる…」

「お前達はさっきから、そんな端で何をコソコソ話している」


 噂をすれば影だ。後ろから声を掛けられ、後輩達は「ひっ!」と文字通り飛び上がった。


「えっと、その…」

「なんだ」


 鏑木の登場に後輩達はしどろもどろだ。連日の期末テストのスパルタ指導で、すっかり鏑木への恐怖心が植えつけられてしまったみたいだ。


「鏑木様、彼は最近血尿が出たと悩んでいるそうなのです」

「麗華様!」


 なぜ言うんですか!と縋られたけれど、知らない。このままじゃ私が泌尿器科に付き添いしないといけなくなるもの。


「血尿?」


 鏑木にじろりと見られた後輩は身を竦ませた。


「どういった症状だ」

「いえ、1回だけ血尿が出ただけなんですけど…」

「わかった。泌尿器科の名医を紹介しよう」

「ええっ!」


 よもや本当に鏑木が血尿の相談に乗ってくれるとは思わなかったのだろう。驚く後輩に鏑木は血尿が出る原因をいくつか挙げ、すぐに診察を受けられるよう手配までしてくれた。


「あ、ありがとうございます…」


 鏑木に紹介されてしまったら、怖かろうとイヤだろうと問答無用で行くしかない。後輩は悲痛な顔でお礼を言った。


「それと、彼はひとりで病院に行くのは怖いので、誰かに付き添って欲しいそうですよ」


 私は後輩のためを思い、親切心から後輩の不安を代わりに鏑木に話してあげた。断じてピロリ院と笑いの種にされた仕返しではない。


「麗華様~!」


 後輩は恨みがましい目を私に向け、身悶えた。鏑木のことだ。いい歳をした男が軟弱なと一喝しそうだもんね~。けけけ。

 しかし鏑木は顎に手を当て、しばし考え込んだ後、


「俺の時間が空いている時であればいいが…」


 えっ!鏑木、付き添ってあげる気なの?!


「いいです、いいです!自分で行けます!ありがとうございます!」


 鏑木からのまさかの付き添い受諾に、慌てふためいた後輩は全力で辞退した。そりゃあそうだろうな…。瑞鸞の皇帝を付き添わせて病院受診なんて、プレッシャーで別の病気を誘発しそうだ。観念した後輩は仲間達に「お前達が付いてきてくれよ」と頼んでいた。

 3人で固まり、受診日について話し合いをする後輩達を眺めていた鏑木が、「“麗華様”ね…」とぽつりと呟き、奇妙な目で私を見た。


「いつの間にか、ずいぶんと仲良くなったものだな」


 その原因はすべて貴方なんですけどね。


「鏑木様こそ、後輩の付き添いを引き受けようとするなんて、円城様もおっしゃっていましたけど、本当に面倒見が良いのですね」


 鏑木は、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。なんだ、照れているのか?

 そのまま話を逸らすように後輩達に近づくと、


「ところで、今回のテストの結果だが」


 途端に後輩達がシャキンとした。


「際どい順位ではあったが、一応50位圏内の成績を出せたことはよくやった」

「ありがとうございます!」


 皇帝からのお褒めの言葉を受けた後輩達は、感動で打ち震えた。


「次回のテストでもこの成績を維持し、更なる向上を図るように」


 終わらないテスト勉強地獄宣告に、後輩達の顔は絶望に染まった。お気の毒…。

「失礼します…」と頭を下げ、背を丸めふらふらと去っていく後輩達。あの子、今日あたりまた血尿が出るんじゃないかな。同情の眼差しを向け、心の中で合掌していると、


「他人事みたいな顔をしているけど、吉祥院。お前もだからな」


 げぇーーっっ!





 せっかく予想以上の好成績で浮かれていたのに、鏑木の最後の一言で胃痛再発だ。

 悔し紛れに「鏑木様こそ、先ほど円城様に言われたことを今日中に必ず実行なさいませよ!でないと貴方、夏休み初日には立派な不審者ですから!」と捨て台詞を吐いてやった。もちろん周りに聞いている人が誰もいないのを確認してからだけどね。鏑木がストーカーだというのが、私が発端でバレて鏑木の評判が著しく落ちたとなれば、私が鏑木家から破滅させられてしまう。王様の耳はロバの耳。王様の耳はロバの耳。

 そんなこんなでお兄様が帰宅したので、私は成績表を持って順位の報告をしに行った。


「お兄様、やりました。期末テストの結果は18位でした」


 お兄様の目の前でバーンと広げる。


「おめでとう。頑張った甲斐があったね」

「これも忙しい中、私の勉強を見てくれたお兄様のおかげです」

「麗華の努力の賜物だよ」


 えへへぇ。お兄様はカバンからリボンでラッピングされた黒い箱を取り出すと、「はい、これ」と私の手に乗せてくれた。あ、これ私の好きなお店のチョコレートだ!


「今日が成績発表だと言っていたからね。頑張った麗華にご褒美」

「ありがとう、お兄様!」


 私の成績発表日を覚えていて帰りにご褒美を買ってきてくれるなんて、さすがお兄様!

 さっそく二人分の紅茶を用意して、チョコレートの箱を開ける。同封の説明書を見ながら、どれから食べるか吟味する。ガナッシュにしようかなぁ。


「でも麗華もこれで一段落ついて、夏休みは楽しく過ごせそうだね」


 私はチョコレートをかじりながら、ううんと首を横に振る。


「夏休みは受験対策で夏期講習に通うから、そんなにのんびりはできないの」

「そうなの?」


 首を傾げるお兄様に私は頷く。受験勉強はこの夏休みが勝負だからね。


「麗華は瑞鸞の大学に進学する予定だったよね。進みたい学部があるの?」

「就職に有利な学部に入りたくて。お兄様の卒業された学部を第一志望にしようかと思っているのですけど」


 ここが競争率が高いんだよね~。


「就職に有利ねぇ。麗華がそんなにキャリア志向だとは思わなかったな」

「キャリア志向というわけではないのですけど…」


 バリバリ仕事して出世してやろうなんていう上昇志向は全くない。むしろ仕事のやりがいよりも、福利厚生と人間関係重視の就職先希望の超安定志向。


「就職する気があるのなら、うちのグループ企業でも」

「ダメです!お兄様、それだけは!」


 誘惑しないで!

 私は両手で耳を塞いだ。コネ入社は楽な道だけど、腫れ物扱いで陰で同期に悪口を言われるのはイヤだ!


「そうだ。ねえ、お兄様。吉祥院家の会社は大丈夫ですよね?業績悪化で乗っ取られたり、不正で司法の手が入ったりはしませんよね?」


 コネ入社はする気はないけど、君ドルだとお父様の不正が見つかりお家乗っ取りで吉祥院家が没落する予定だからどうしても心配になる。


「麗華はなぜか昔からよくその質問をしてくるけど、大丈夫だよ。遠い未来のことはわからないけど、今のところは順調で盤石」


 ホッ、良かった。そうだよね。有能なお兄様がいるんだもの。


「クーデターを起こしそうな社員とかもいませんか?」

「いないよ。仮にいても成功する確率は極めて低いから安心して」


 そして苦笑いしたお兄様に「もう少し、自分の父親を信用してあげて」と言われてしまった。確かに。ごめん、お父様。おわびに最近健康診断で引っかかったお父様に、今度ヘルシーメニューの手料理を作ってあげようっと。

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