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若葉ちゃんに試験休み中にお家に遊びに行っていいか聞いたら「ぜひ来て!待ってる!」と快諾してもらったので、今日はフルーツシャーベットを手土産に高道家に遊びに来た。
「吉祥院さん、いらっしゃい!」
「若葉ちゃん!」
最寄駅を出ると、いつものように若葉ちゃんが迎えにきてくれていた。
「暑いのに待たせてしまってごめんね」
「平気、平気」
若葉ちゃんは今日も元気いっぱいの笑顔だ。私と若葉ちゃんはてくてくと歩く。
「そうだ。今日はお店に生駒さんがいるんだよ」
「えっ!生駒さん、まだバイトを続けていたの?」
「私はもういいよって言ったんだけどね~」
と若葉ちゃんが眉を下げて笑った。
「でも生駒さんに、けじめですから夏休みが始まる前までは時間がある時だけ続けさせてくださいって言われちゃって」
「そうなの」
生駒さんは思った以上に責任感があったらしい。
「鏑木様とは最初にニアミスして以来、生駒さんが会うことはなかったのかしら」
「うん。テスト期間もあったし、ふたりが会ったのはあの1回だけだよ」
「それなら良かったわ」
滝行に行った時に生駒さんが、鏑木様が来店した!とかなり興奮していたから、何度も遭遇したらまずいなと心配していたんだよね。
「鏑木君が来たのは、生駒さんがテスト勉強でお休みしていた時だったから」
「えっ!あれからまた来たの?!」
若葉ちゃんがさらっと驚くことを言った。私に隠れてどれだけ通っているんだ、あいつは!
「うん。ほら、1年生が揉めた時があったでしょ。あの少し後に不愉快な思いをさせてごめんって、わざわざ謝りにきてくれたんだ」
鏑木式スパルタ勉強で私と1年生を扱いている間に、そんなことをしていたのか!
私もあの日のことはすぐに若葉ちゃんに電話をして止めに入れなくてごめんねと謝ったけど、知らない間に鏑木も動いていたとは。
1年生達の勉強を見て、私専用のプリントを作って、自分の試験勉強もしているのによく若葉ちゃんに会いに行く時間まで作れたな。超人か?!
「そうだったの」
「うん。私としてはあの場で後輩に代わって謝罪してくれただけで充分だと思っていたのに、直接謝りたかったって言ってくれたんだ」
…それって会うための口実だと勘繰ってしまうのは、私の心が荒んでいるせいでしょうか?
「でもあの時もだけど、鏑木様が謝罪するなんて、若葉ちゃんも驚いたでしょう」
あれは衝撃だったもんね。まさか瑞鸞の皇帝が頭を下げるなんてね。
「う~ん?そうだね。でも、前に私の乗っている自転車と接触事故を起こした時も、家まで来て謝罪してくれたし、鏑木君は自分が悪いと思ったらきちんと謝れる人だと思う」
へぇ、若葉ちゃんの中では鏑木はそういう評価なのか…。
「あの状況で潔く謝罪ができる鏑木君を、私は尊敬したよ」
「そうだね。謝るって簡単そうで難しいからね」
プライドの問題があるから。私があの日の鏑木の立場だったら、衆目の中、好きな人の前で毅然と謝罪できたかなぁ…。
でも若葉ちゃんはあれを見て鏑木を尊敬したのか。鏑木と若葉ちゃんの間にあったように見えた深い溝は、実はなかった?
「そうだわ。私も水崎君に、鏑木様にあの時のことでお礼を言っておいて欲しいと頼まれたのよね。まだ伝えていないのだけど」
今度の登校日の時にでもサロンで言えばいいかな。あっ、今度の登校日は期末テストの成績発表があるんじゃないか!…恐ろしい。成績次第では全速力で逃亡だ。
「あぁ、水崎君ね~。あの後少し、凹んでいたんだよね。私達だけでは抑えきれなかった騒動を、サッと来てサッと鎮められちゃったからさ。あいつはやっぱり凄い、とか言っちゃって」
へぇ…。同志当て馬は若葉ちゃんにそんなことを言っていたんだ。
「でも水崎君も生徒会長として頑張っていると思うけど」
「うん、水崎君は頑張ってる。私もかなり助けてもらっているもん。でも理想が高いのか、自己評価は低いんだよねぇ」
同志当て馬の目標は友柄先輩だからね…。
「私は水崎君はもっと自信を持っていいと思うんだけどね!」
と、同志当て馬の頑張りを身近で見ている若葉ちゃんは、握り拳を作って主張した。
「若葉ちゃんは水崎君と仲が良いのね」
「そうかな?私が一方的にお世話になっている感じだけどね」
「だから私も水崎君の力になりたいと思っているんだよね」と言って、若葉ちゃんはえへへと笑った。そのためにも生徒会が代替わりするまで同志当て馬を全力でサポートする心づもりでいるらしい。これは後輩の非礼を口実にしないと会えない鏑木は、同志当て馬に何十歩もリードされているぞ…。
「到着―!」
若葉ちゃんの家のケーキ屋さんに着くと、中から生駒さんが出てきた。
「おかえりなさい、高道さん。ごきげんよう、麗華様」
「ごきげんよう、生駒さん」
生駒さんは私達を見比べて、「本当にお友達だったんですねぇ…」と呟いた。そうなのよ。
「生駒さんは、今日もバイトをしているのですってね」
「はい。でも今日はこれで終わりなんです」
言われてみれば、エプロンも外して私服姿だ。
「あら、そうなの?でしたら…」
私が若葉ちゃんを見ると、若葉ちゃんも頷いて
「だったら生駒さんも家に寄って行きなよ」
「私、おいしいシャーベットを買ってきたのよ」
「わぁ!生駒さん、一緒に食べようよ!吉祥院さんの手土産は、毎回すっごくおいしいんだよ!」
「あ、でも…」
と生駒さんが躊躇う素振りをみせたので、「なにか予定があるの?」と聞いた。
「はい。あの、これからちょっと塾が…」
「あー…」
それじゃムリに引き止められないか。
「あれっ、生駒さんが通っている塾ってもう夏期講習が始まっているの?」
「ううん。夏期講習は夏休みが始まってからで今日は通常授業。授業は夕方からなんだけど、それまでに自習室で予習をしようと思って」
塾の前にちゃんと予習もしているんだ。偉いなぁ。私もやろうとは思うけどいつもできない。
「私も今年の夏は塾の夏期講習に行く予定なんだ。それと瑞鸞の特別補講も受けるつもり」
「あ、私もです」
「ふたりとも?私も夏期講習と学院の補講を受けるのよ」
私も同調すると、ふたりに驚かれた。塾はともかく学校の特別補講に私が出るとは思わなかったらしい。そうだよねぇ。私の友達は誰も出るつもりないみたいだもん。補講を受けるのはいいけど、親しい子が誰もいない教室でひとりぼっちは少しきついなぁ。特に私は“ピヴォワーヌの麗華様”なのに、周りがグループで固まっている中で誰からも話しかけられず、ポツンとしているのは厳しいよ~。よし、教室にはギリギリで行こう…。
でも…と私は考えた。元から頭が良い外部生のふたりと同じ勉強量では、まずいんじゃないの?
「ふたりは今年の夏の予定は?」
「今年は勉強で終わりそうだなぁ。私はお店の手伝いもあるけど」
「私もそんな感じです」
「…家族旅行とかは?」
「今年はムリだと思います」
「そうだね~」
家族旅行どころか、友達と小旅行まで計画している私は、受験生としての自覚がなさすぎだったか?!塾の夏期講習だけじゃなく学校の特別補講も受けるので、自分としてはかなりやる気を出しているつもりだったんだけど、これじゃ全然足りないのかも…。あぁっ!それに手芸部もあるじゃないか!ウェディングドール制作を引き受けちゃったよ!
若葉ちゃん達が受験生の平均勉強量だとしたら、夏休みが終わった時に他の生徒達に差をつけられまくっているんじゃない?!私ってばアリのつもりがキリギリスだったの?!
若葉ちゃん達は私の焦りをよそに「お互いが受ける夏期講習のテキストを見せ合おうよ」などと話していた。違う塾同士のテキストを交換して、さらにそれで勉強をするつもりらしい。わぁ…。帰ったら夏休みの受験勉強スケジュールを立て直そう…。
それから、生駒さんが帰るのを見送ってから家に入ると、若葉ちゃんが私の持ってきたシャーベットをさっそく食べようと、スプーンを用意してきた。
「吉祥院さんはどれがお薦め?」
「私はマスカットが好きよ」
「だったらそれにする。吉祥院さんは?」
「では私はグレープフルーツにするわ」
「コンビニのアイスとは味が全然違~う!」と喜びながら味わう若葉ちゃんに倣って、私も果汁たっぷりのシャーベットを食べながら、勉強の相談をした。
「ふたりの話を聞いていたら、焦ってきちゃって。旅行や出かける予定があるぶん、私の勉強量はふたりに比べて少ないと思うの。私が夏休みに遊んでいる間にも他の子達は勉強していると思ったら、このままじゃいけない気がして」
「そっかぁ」
スプーンで口をトントンと叩きながら、若葉ちゃんは「う~ん」と唸った。
「でも私も、旅行は行かないけどお盆にはお墓参りや親戚の家に行ったりもするよ」
「そうなの?」
「うん。それに生徒会の仕事もあるし」
私の手芸部の夏休みの活動が、若葉ちゃんにとっての生徒会かな。
「偉そうなことは言えないけど、勉強は時間より質だと思うよ」
質か…。そうなんだよね。私もきっと時間を作ろうと思えば作れるんだよね。でもひとりで勉強をしているとすぐに気が散っちゃうんだよ。だからいつもダラダラ勉強しているわりには結果がでないんだよ。
「ひとりだと、つい別のことに気を取られてしまって…」
「あはは、わかる」
本当?若葉ちゃんは鏑木と同じ集中型だと思うけど。
「だったら私と一緒に勉強する?」
「えっ!若葉ちゃんと一緒に?!」
「吉祥院さんも瑞鸞の特別補講を受けるんでしょ?その時の空いている時間に一緒にやろうか」
若葉ちゃんは「苦手な教科を教え合おうよ」と言ってくれた。ありがとう!でも私に苦手教科はあるけど、特待生の若葉ちゃんに私が教えられる分野が果たしてあるかな?
私と生徒会役員の若葉ちゃんが学院内で仲良く勉強するのは、注目を浴びすぎて難しいかもしれないけど、夏休みに若葉ちゃんとぜひ勉強会をしたいなぁ。
そこへ中学校から帰ってきた寛太君が「腹減ったー」と言ってリビングに入ってきた。
「あれ、コロネ来てたんだ」
「寛太!吉祥院さんって呼びなって言ってるでしょ!」
「いいわよ、若葉ちゃん。お邪魔しています、寛太君」
「うっす」
もうすっかり高道家ではコロちゃん呼びが定着しちゃっているんだから、いまさら気にしない。若葉ちゃんは「せめて敬語を使いなよ~」と注意しているけど、それもいまさらだよ。
しかし冷蔵庫を漁る寛太君は会う度に背が伸びている気がする。成長期だな~。
「お昼ごはん食べてきたんじゃないの」
「食べたよ」
それでも育ち盛りの男子中学生は、すぐにお腹が空くらしい。
冷凍庫を開けた寛太君は「うどんでいいか」と、冷凍うどんを取り出した。
「姉ちゃんとコロネも食べる?」
「私は夕飯が食べられなくなると困るからいいや」
「じゃあコロネだけだな。コロネ、暑いから冷やしでいい?」
え、私は食べることが決定しているの?
「私もいいわよ」
「遠慮すんなって」
若葉ちゃんは食べないみたいだし、私だけ図々しくごちそうになるのはどうなんだろう。でも寛太君はそんな私を無視して、キッチンに立つと手際良く準備していく。そしてしばらくすると、温泉玉子に細切りしたきゅうりと梅肉がトッピングされた冷やしうどんを持ってきてくれた。
「わぁ、おいしそう!」
「冷蔵庫のありあわせだけどな」
「充分よ!」
一口食べて私は「おいしい!」と絶賛した。
「大袈裟だよ」
「そんなことないわ」
簡単に作ったはずなのに、味もしっかりしている。冷蔵庫の中にある材料でササッと作れるって、これこそまさに料理上手って感じで理想だよね。
私も耀美さんに時々料理を教わっているけど、まだ全然レパートリーが増えていない。私もありあわせ料理にチャレンジしたい。何かないかな…。ひらめいた!
「あのね、寛太君。この前とってもおいしい林檎のコンポートジュレを食べたんだけど、ジュレなら簡単だから私も作ってみようと思うの。それで今思いついたんだけど、水の代わりにシードルを入れたら大人向けのちょっと高級感のある味になるんじゃないかな。あ、シードルってわかる?林檎の発泡酒なんだけどね」
ありあわせ料理とは少し違うけど、なかなか良いアイデアだと思う。シードルを使って作りましたっておしゃれな感じもするしね!
寛太君はお箸を置くと、私をビシッと指差した。
「コロネ、お前は破門だ!」
「ええっ!」
お菓子作りの師匠からの突然の破門宣言にのけぞった。
「俺は何度も言ったはずだ。お菓子作りに余計なアレンジを加えるなと。レシピ通りに作れと。それをシードル?!なんだそりゃ!」
「シードルはリンゴの発泡酒…」
「そういう意味じゃない!水代わりに発泡酒なんて入れたらゼラチンが溶けずにボソボソになるぞ」
しゅんとする私に、寛太師匠は「アレンジなんて10年早い!」と言って、冷やしうどんを掻きこんだ。ちぇ~っ。
寛太君特製冷やしうどんを食べ終わった後で、若葉ちゃんが「せっかくだからこれから少し勉強しようか」と言って参考書や問題集を持ってきた。
参考書をパラパラとめくると、そこにはシャーペンでびっしりと書き込みがされていた。
「ごめんねぇ。汚くて」
「ううん。そんなことはないけど」
私は教科書や参考書はできるだけきれいに使いたいので、色ペンでアンダーラインは引くけど書き込みとかはほとんどしない。でもこうやって自分の注意点や重要なことは直接書き込んでいった方がいいのかな。これを見ただけで、若葉ちゃんが参考書をしっかり読み解いているのがわかる。
若葉ちゃんが問題集を始めたので、私もルーズリーフと問題集を1冊借りて、わからないところは参考書で調べたら、この参考書に書かれた若葉ちゃんの書き込みが役に立ちすぎ!すごいな、若葉ちゃん。これが頭の良い人の勉強法か!
「若葉ちゃん、今度この参考書、写させてもらってもいい?」
「いいよ?」
自分の部屋でひとりで勉強するよりも断然捗った私は、若葉ちゃんのお母さんからの「コロちゃん、お夕飯食べていきなさいよ」というありがたいお誘いを断って、家路についた。