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地獄の期末テストがやっと終わった──。
長かった…っ!そして苦しかった!
最終日最後のテスト科目が終わった瞬間、無理やり詰め込みまくった公式や暗記が私の脳からしゅーっと音を立てて蒸発してお空に消えていくのを感じた。まさに燃え尽きた。燃え尽きて燃えカス状態の真っ白だ。
この数週間、本っ当につらかった。毎日鏑木から有言無言の圧をガンガンかけられ、半泣きで夜中まで鏑木式プリントを解く日々。寝る直前まで問題集を開いていたせいで、毎晩夢見も悪かった。テスト直前には何かに追いかけられて必死で逃げるけど、足元の階段が崩れ落ちる恐ろしい夢で目を覚ましたこともあった。走っても走っても前に進まない恐怖にうなされた。
もちろん禁断のドーピングにも手を出した。すでに耐性がつきまくって廉価品では効果がなくなってきている私は、今回も高価な栄養ドリンクをがぶ飲みだ。私の部屋に勉強を教えにやってきたお兄様が、ずらりと並ぶドリンクコレクションを見て絶句していた。
でも国立付属に通っている葵ちゃんは、毎日お風呂と食事の時間以外のほとんどを受験勉強に費やしていると言っていた。上を目指す受験生達は皆これくらい勉強しているんだと思ったら、私くらいのオツムでは本気で受験態勢に入った優秀な生徒達には勝てない。ドーピングは今回限りだと心配するお兄様を説得して、私は中毒街道をひた走った。
同じ境遇にあったピヴォワーヌの後輩達からは「気のせいか、周りの同級生達が自分より頭が良く見えるんです」等の弱音メールが届いた。残念だけど後輩よ。それは気のせいではない。
栄養ドリンクを飲みまくり、ストレスから神経性胃炎を発症して胃薬を服用し、私達は一体どんなブラック企業に勤めているんだと自問自答しながら、毎朝頭皮をチェックした。大丈夫。まだハゲはできてない…。
そんな聞くも涙語るも涙のつらく苦しい日々とも、今日でおさらばだー!
「麗華様、このあと皆でどこかに寄って行きませんか?」
心の中で万歳三唱し、行儀悪く机に突っ伏してだら~っとしたい気持ちをぐっと我慢しながらカバンに筆記用具をしまっていると、芹香ちゃん達がやってきた。
「まぁ!いいわね。ぜひ行きたいわ」
テストが終わった慰労会だね!行くよ!
菊乃ちゃんがタルトのおいしい素敵なお店を見つけたというので、そこに行くことになった。
皆でなにを食べようかなぁ、今が旬のフルーツってなんだったと盛り上がっていると携帯が震えた。胃に鋭い痛みが走る。
イヤだな~、見たくないな~と思いながらそっと着信メールを開くと案の定迷惑メールが届いていた。
“これからテストの反省会及び答え合わせをする”
げーーっ!やっとあの地獄の日々から解放されたと思ったのに、まだテストを引き摺る気か!絶対にイヤだ!もう泣いても笑っても終わったんだから、答え合わせなんて必要ない!
鏑木は暇人なのか。さては円城しか友達がいないな。ぷくくっ。
無視していると返信するまでメール攻撃がくるのは経験済みなので、速やかに“友人との先約がございますので欠席します”と嫌味も込めたお断り返信をした後、即電源を落とす。
そしてその後ですぐ小心者の私は、こんなに強気な態度に出て鏑木が怒ったらどうしようとちょっぴり不安になりながらも「さぁ、早く参りましょう」と皆を急かして瑞鸞を出た。どうか鏑木が怒っていませんように…。
「今回のテストはヤマが外れてしまったわ~」
「でも赤点さえ取らなければ大丈夫でしょ」
「そうよね」
菊乃ちゃんお薦めのおいしいタルトに舌鼓を打ちながら、終わったばかりのテストについて語り合う。
「麗華様は余裕ですよねぇ」
「そんなことないわよ」
ピヴォワーヌ内では、メンバーが50位以内を目標にガリガリ勉強をしまくっていることは、対外的に洩らさないことが暗黙の了解となっていた。ピヴォワーヌはあくまでも優雅な雲上人であって、外部生と同じ立場で目の下にクマを作って必死に勉強をしている姿など知られてはいけないのだ。どんなに暑く苦しくてもそれをおくびにも出さず、顔だけは汗をかかずに涼しげに笑ってこその大女優。
「ねぇ。今年の夏休みは、皆でどこかに遊びに行きたいですよね」
と芹香ちゃんが言った。
「いいわね!」
「私、海外に行きたいわ!」
「素敵!」
わぁ、楽しそう!
一気に全員のテンションが上がった。
「私は南の島に行って、水上コテージに泊まりたいわ」
「私は涼しいところがいいなぁ。北欧なんてどう?」
「お買い物もしたいなぁ」
水上コテージかぁ。いいなぁ。皆で夜通し海を眺めながらおしゃべりとか楽しそう。シュノーケリングもしたいなぁ。
フィジーだ、アンデルセンの国だ、アメリカだと話が盛り上がる。
「だったらスケジュールを合わせましょうよ。皆さんの夏の予定は?」
私は今年の夏は受験対策で、塾の夏期講習にも行くし、時間がある時には瑞鸞が主催する特別補習にも参加する予定だ。
瑞鸞の補習授業は一流の教師陣を集めているだけあって、かなり内容が濃い。家庭教師にマンツーマンで教えてもらっているピヴォワーヌメンバーや、とりあえず付属のエスカレーターで上まで行ければいいや~という生徒達以外の、勉強熱心で真面目な生徒達が毎年参加をしている。
う~ん。でもそうなるとあまり長い休みはないなぁ。
他の子達も家族旅行や色々予定が入っていて、全員の予定が合う連休は精々数日だった。
「この日数だと海外はムリね」
「そうですね」
あれだけ上がった全員の気分がしゅるしゅると盛り下がった。
「でも、国内旅行も楽しいと思うわよ」
海外もいいけど、私としてはお友達と夏休みに出かけること自体が楽しみなので、場所はそこまでこだわらない。それなので国内でもいいじゃないとフォローする。
そこでハッと気が付く。さきほどからニコニコと皆の話を聞いているだけだった芙由子様はどう思っているのだろう。おっとりした芙由子様はこういう時には話題に入って来ない(入れない?)のだ。
でもピヴォワーヌの芙由子様は国内小旅行なんてしょぼいと思って不満かもしれない。それどころか旅行も行きたいと思っていないかも…。
「芙由子様はどうですか?」
そんな思いで芙由子様に意見を聞くと、芙由子様はにっこりと微笑んだ。
「いいですわね。私、国内で行ってみたい場所がたくさんありますのよ」
…芙由子様が行きたい場所。恐山か物部村かしら…。
「たとえば…?」
怖いもの見たさで聞いてみる。せめて遺跡巡りとかで留まっていて欲しい。
「そうですねぇ。青森とか…」
やっぱり恐山だー!
オカルト芙由子様はこちらの予想を裏切らない。
芙由子様は私にズズッと顔を近づけた。
「麗華様はキリストのお墓がある戸来村という場所をご存じかしら」
恐山以上にマニアックなことを言いだしたー!
芙由子様は「へー…」と生返事を繰り返す私を物ともせず、怪しげなキリスト渡来伝説を目を爛々と輝かせながら語り続けた。
夏の小旅行はオカルトとは縁のない明るい避暑地に行くことが決定した。
瑞鸞でも期末テストから夏休みまでの間に少しだけ試験休みがある。この試験休み中に赤点を取った生徒には学校から補習と追試の連絡があるんだけど、さすがに私はあれだけ勉強をしたので今回は大丈夫だと思う。でも部活やなんだかんだで登校する予定だけどね。今日も手芸部のウェディングドレス制作のために、テストが終わった次の日だというのに、学校に来ている。戦力にはあまりならないけど、これでも一応部長なので。
「おっ」
「あら」
階段を上った先の廊下に、同志当て馬がいた。
私が目礼をすると、同志当て馬は片手を上げて応えた。
「ごきげんよう」
「おはよう。試験休み中にどうした」
「部活がありまして」
「あぁ、手芸部か…」
「よく知っていますね」
私が入部している部活名を同志当て馬が覚えていることに驚くと、
「去年の学園祭の予算会議の時に、俺の目の前で運動部の連中を脅して恐怖のどん底に突き落としておきながら、なにを言うか」
あ~、そんなこともありましたねぇ。でも恐怖のどん底なんて大袈裟な。首に扇子を当てて、ちょ~っとお願いしただけですよ?
「今年の予算会議では頼むからおとなしくしていてくれよ」
「それは運動部の出方次第でしょう」
同志当て馬は「頭が痛い」と額に手をやった。
「水崎君こそ、今日はどうしたんです?」
「俺は生徒会の用事」
「大変ですわねぇ」
「夏休みが明けたら代替わりだしな。やることが色々あるんだ」
そうか。二学期になったら生徒会長選挙があって、同志当て馬もその座を退くんだ。
なんだか卒業が刻一刻と迫ってきている感じがして、寂しいなぁ。
「ピヴォワーヌは年末まで代替わりしないんだっけ?」
「そうですね」
ピヴォワーヌの会長の仕事は生徒会長ほど無いので、年末いっぱいまで代替わりしない。
「そうなると年内はピヴォワーヌの会長が瑞鸞の皇帝のままか。それは二年の新生徒会長には荷が重すぎるだろ…」
私は今いる生徒会の顔触れを思い出した。あの中の二年生で鏑木に意見できそうな子はいないなぁ。そもそもあの鏑木に意見できる人間が全校生徒合わせても一握りなんだけど。
「生徒会長が代わっても水崎君が助けてあげれば大丈夫よ。きっと…」
「そうだな…」
私の完全な気休めの台詞に、「せめて次のピヴォワーヌ会長は穏健派であってくれ…」と同志当て馬が諦めのため息をついた。
「ああ、そうだ。会長と言えば、そっちの会長に俺が礼を言っていたと伝えておいてくれないか」
「お礼?」
同志当て馬が鏑木に?
首を傾げる私に、同志当て馬が説明してくれた。
「あの日、騒動を収めてくれたことだよ。ピヴォワーヌの会長が一喝してくれたおかげで、あれからピヴォワーヌの生徒達の目に余る傍若無人な行動の報告も上がってこなくなった。まだそれほど日数が経っていないから、ほとぼりが冷めたらわからないけど、今のところは皇帝の威光は相当効いているようだ」
「そうですか」
「正直に言うと、騒ぎの発端となった外部生にピヴォワーヌの生徒が報復するんじゃないかと警戒していたんだけどさ」
それは、鏑木式スパルタ勉強に心身ともに追い込まれていて、報復するどころじゃなかったからね…。
「俺の代では生徒会とピヴォワーヌの軋轢は解消できなかったけど、次代にはお互い仲良くやってもらいたいと思っているんだ」
えっ、そんなことを考えていたの?!
目を見開いた私に、同志当て馬は苦笑いすると、
「世話になった友柄先輩の意志を継いで、なんとか歩み寄れる道を探そうとしたんだけど、全然ダメだったなぁ…」
と心情を吐露した。
「どうしても感情が先に立って、友柄先輩みたいに上手いこと立ち回ることができなかった」
己のふがいなさを自嘲する同志当て馬に、私は泡を食った。ええっ?!こういう時には何と言ったらいいの?!
確かに友柄先輩が生徒会長の時はピヴォワーヌとの大きな衝突もなかったし、平和な代だった。でもその時はこちらの会長も好戦的な人ではなかったのもあると思う。そもそも誰にでも分け隔てなく気軽に声を掛けられる太陽のように明るい友柄先輩と同じことを、他の人は簡単に真似できないよ。
「友柄先輩は特別だから…」
しまった。言葉が足りなかった!同志当て馬が目に見えて落ち込んだ…。
「えっとでも、水崎君も頑張っていたと思うわよ!この前の騒動の時もピヴォワーヌから外部生を守ろうと戦っていたし、生駒さんの時だって穏便に済むように行動していたじゃない。立派な生徒会長だよ。ピヴォワーヌとの仲だって、ここだけの話、あの先代の瑤子様と生徒会が上手くやることはムリだったと思うもの。運が悪かったのよ」
そしてその次の会長が興味のないことには我関せずの鏑木だもん。同志当て馬は運が悪すぎた。
「ありがとう」
どうにか同志当て馬の顔に笑顔が戻った。良かった。言葉足らずな私のせいで傷つけたら申し訳ないからね。
「ピヴォワーヌが迷惑をかけているお詫びに、今度水崎君の大好きなお城の模型を差し入れしますね」
「いらない」
間髪をいれずに断られた。なんだよ。せっかくの私の厚意なのに。
不満が顔に出ていたのか、同志当て馬が小さく吹き出した。失敬な。
「吉祥院がピヴォワーヌの会長だったら、もっと上手くやっていけていたかな」
「それはない!」
私のきっぱりとした否定に、今度は同志当て馬が驚いた。
「なんで」
「私がピヴォワーヌの会長になっていたら、生徒会と仲良くなる前に神経性胃炎で病院送りなっていたはずだから」
今だって会長でもないのに、どれだけ苦労しているか。
鏑木が持ってくる厄介事や我がままに付き合わされ、そのフォローに回り、最近だって必ず50位以内に入るべしとのペナルティを課せられた後輩達から毎晩届く泣き言メールに励ましの返信をして睡眠時間が削られている。しかもテストが終わっても結果がでるまで気が気じゃないと今も泣き言メールが途切れない。返信をしたらまたその返信が届く。メールの終わりってどうすればいいの?
鏑木なんて会長になっていなかったら、今よりももっと自由勝手に突っ走っていたと思うし、あれを私が会長として止めるなんて絶対にムリ。はっ!私の苦労の大半は鏑木が原因じゃないか!
「あ~、吉祥院も頑張れよ…」
「ありがとう…」
同志当て馬の気の毒そうな目が心に痛い。