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鏑木家主催の七夕の会は、鏑木夫人が話していた通り、若い招待客も大勢きていて大いに賑わっていた。
会場は煌びやかなドレスと着物の色彩が溢れ、中央には七夕らしく大きく立派な笹が飾られていて、招待客達は短冊に願いを書いたりして楽しんでいるようだ。
ここしばらくは毎日テスト勉強のために学校と家の往復だけで、唯一出かけた場所は塾だけという生活だったから、このような華やかな場所は久しぶりだ。
今日は両親以外にお兄様も参加しているので、私はお兄様にエスコートをしてもらっていた。
「まぁ!吉祥院様、ようこそ!」
受付を済ませ会場入りすると、私達の元へすぐに鏑木夫人が来て両手を広げて歓迎の意を示してくれた。今夜の鏑木夫人は光沢のある黒地に細かな銀のストーンが流れるようにちりばめられた、それはもう艶やかなドレスを纏っていた。
「本日はお招きいただいてありがとうございます」
私も両親とお兄様に続いて挨拶をすると、お母様と一緒に夫人のドレスの素晴らしさを讃えた。
「今夜の私は織姫と彦星を橋渡しする天の川なの」
うふっと鏑木夫人は悪戯な眼差しで笑うと、「だから貴輝さんも麗華さんも、橋渡しして欲しい方がいたら、おっしゃってね」と言った。
そしてお母様と私の装いも褒めてくれたけど、実は今夜の私も織姫と彦星のために翼を広げて橋を作ったという鳥のカササギをイメージして、白や薄青のオーガンジーを重ねた繊細なデザインのドレスに黒いストールを羽織ってきてしまった。主催者とコンセプトと色被りは大失敗。でも私のドレスは白が基調だから大丈夫だよね?笑顔で両親と夫人の会話を聞きながら、そぉっと黒のストールを外した。証拠隠滅成功。
ひとしきり話し終えた鏑木夫人は「どうぞ皆様、今夜は楽しんでいらしてね」と言うと、次のお客様を出迎えに行った。
「麗華。僕らはあちらに行こうか」
広い会場では若者グループと大人グループとに分かれて集まっていたので、私とお兄様はお父様達と別れて、そちらに向かった。
ピヴォワーヌのメンバーや見知った人達もいたので、私はお兄様と一緒にその方々の輪に入って行った。
「麗華様、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
私に声をかけてくる女の子達も、私の隣で優しく微笑むお兄様に頬を染めている。ふっふっふっ。
眉目秀麗で将来有望なお兄様に憧れや好意を抱いている女性は多いので、隣にいる私は鼻高々だ。
しばらくするとお兄様は仕事関係の人を見つけたようで、
「ごめん、麗華。少しだけ席を外していい?それとも一緒に来る?」
と申し訳なさそうな顔で聞いてきた。
う~ん。私が行っても話の邪魔にしかならなそうだしなぁ。
「私はここでお友達とお話しています」
「そう?じゃあ何かあったらすぐに呼ぶんだよ」
「はい」
お兄様の背中を目で追いながら、出席者の顔触れもチェックする。
あ、あちらにいるのは優理絵様と愛羅様だ。おふたりはピヴォワーヌのOGOBと仲良く談笑している。おふたりとも、いつ見ても相変わらず綺麗だなぁ。あとでお話できるかな。
「こんばんは、麗華様」
挨拶をしてきたのは、例のピヴォワーヌの1年生男子達だった。彼らは皇帝からの絶対命令を遂行すべく、連日大量の問題集ノルマをこなしているおかげで、すっかり目の下のクマが定着し、外部生に横暴な振る舞いをする気力すらなくなっていた。
「ごきげんよう」
そして彼らは同じ過酷な境遇にある私に仲間意識を感じたらしく、親しみを込めて麗華様と呼ぶようになった。
私達が揃えば話題は期末テストと勉強だ。私達はコソコソと固まった。
「どうです?進捗状況は」
「…ギリギリといったところです。しかも今日はこのパーティーに出席しているので、鏑木様からの課題を終わらせることができるかどうか…」
「俺も…」
「うん。徹夜かもしれない…」
「わかりますわ。私は鏑木様にお願いして、今日だけは少し減らしてもらいましたの」
「えっ?!」
「そんなことを許してもらえたのですか?!」
それはもう、懇願したもの。名女優もかくやという演技で泣き落とした。惜しむらくは瞬きをしまくっても涙の1滴もこぼれなかったことだけど。でも勉強をする時間がないのは鏑木家のパーティーにお呼ばれしたためなんだから、少しは妥協してくれてもいいはずだもんね!
「いいなぁ。やはり鏑木様も麗華様には優しいんですね」
「僕達は交渉の余地すら与えてもらえませんでしたよ」
そのかわり「必ず30位以内に入る自信があるんだろうな」という脅しももらったけどね…。うっ、胃がキリキリする。今夜もお兄様に勉強を助けてもらわないと…。
「俺、実は今日も問題集を持ってきているんです。行き帰りの車の中で少しでもやろうと思って…」という聞くも涙語るも涙の話や、勉強の苦労を語り合っていると、手に持っていたグラスの中身が無くなった。
「私、ちょっと飲み物を取りに行ってきますね」
「あっ、俺が行きますよ」
「いいの。芙由子様や讃良様のお姿も探したいので」
胃に優しい飲み物はあるかな…。
そうして私が飲み物を配る給仕の元へ歩いていると、
「あらぁっ、麗華さんじゃありません?」
あっ!そういうあんたは舞浜恵麻!
鏑木を追いかけ回して私にライバル意識を燃やし、事あるごとに私にケンカを吹っかけてくる、百合宮に通う桜ちゃんの同級生だ。
「お久しぶりですこと」
「本当に。ごきげんいかが?舞浜さん」
笑顔と共に戦いのゴングが鳴った。
「やだぁ麗華さん、前にお会いした時よりも少し太ったんじゃなぁい?なんだか二の腕がたくましい~」
こいつ!オブラートにも包まず、いきなり直球できやがった!
腕立て伏せも出来ない私にとって、二の腕のぷよぷよは最大の弱点だ。
「…そうかしら?今日は肌の露出も多いのでそう見えてしまうのかもしれないわね。私は人よりも肌の色が白いからそう感じてしまうのかも」
私の色白よ。今こそ七難を全力で隠せ!
「そうよねぇ。白は膨張色だもの。そのせいよねぇ。ごめんなさぁい」
「気にしないで」
ホホホと余裕ぶって笑いながらも、二の腕を隠すように黒のストールを羽織り直す。
そっちがそうくるなら、こっちだって負けていられない。
舞浜さんの弱点はまつ毛だ。今日も短いまつ毛を少しでも長く見せようと、ごってりとマスカラを塗りたくっている。
「あらっ、大変!舞浜さん。まぶたにコオロギの足が付いていましてよ!」
「は?!」
「って、いやだ、短いまつ毛をビューラーで無理やり上げているから、虫の足に見えてしまったのね。それにマスカラを塗りすぎてダマになっているから余計にそう見えてしまったみたい。いやだわ、私ったら。ごめんなさい。私は普段マスカラなんて付けないのでわからなくて…」
(まつ毛が短いのにビューラーで必死に上げて大変ね~。少しでもまつ毛を際立たせようとマスカラを塗りたくっているけど、ダマを放置して人前に出るなんて女の子としてありえな~い。私はまつ毛がマスカラなんかに頼らなくても長いから、舞浜さんの苦労がわからないわぁ~)
「ごめんなさいね。悪気はないのよ。ほら、私って天然だから」
「…へ~え」
舞浜さんは顔を引き攣らせ、無理やり口角を上げる。
私と舞浜さんの間にバチバチと火花が飛び散った。
さらにここで、畳みかけるように連続攻撃!
「あらっ、瑞鸞では禁止されているんですけど、舞浜さんは髪をカラーリングなさっているのね。しかも毛先だけ茶色に染めるなんて、斬新ね~」
「は?していないけど」
「ではどうして毛先の色が違…、あらごめんなさい。毛先が傷んでいるから茶色く見えていたのね。ねぇ舞浜さん、世の中にはトリートメントという製品があるのってご存知かしら?」
「……」
私は自慢の巻き髪をこれみよがしにふわりとなびかせる。どうだ、このお金と時間をかけて作り上げたキューティクルは。
本当はそこまで傷んでいるようには見えないけど、女の子にとって髪が傷んでいると指摘されるのはかなり恥ずかしくて屈辱なのだ。そして私にはまだ、女の子が絶対に言われたくない最終凶器、「貴女、顔の毛穴開いてません?」攻撃も残してある!
舞浜さんも私の輝く髪の前では言い返す言葉が見つからないようで悔しそうな顔をしている。この勝負、勝ったわね!
しかし舞浜さんはとんでもない隠し玉を持っていた。
「ところで、麗華さんは今日はどなたにエスコートしていただいたの?」
「兄ですけど…?」
「あらぁ、お兄様!麗華さんはお兄様にエスコートしてもらったのぉ」
だから何よと訝しむ私に、満面の笑みを浮かべた舞浜さんが想像もしていなかったパンチを放った。
「私は、今日は彼と来ていますの」
彼氏だと?!
私はコーナー際まで吹っ飛ばされた!
「え…、だって舞浜さんは鏑木様をお慕いしていたのではなかったの」
「あら、ずいぶん昔の話を持ち出すのね」
舞浜さんは「いやだわ、麗華さん」と笑った。
「確かに雅哉様は今でも素敵な方だと思っていますけど、彼がね、どーしても私のことが好きだと熱心に言うものだから、ほだされてしまって。ほら、やはり女性は愛するより愛された方が幸せになれると思いません?」
舞浜さんは「どーしても」という部分を強調して言った。
「ねぇ、麗華さんもそう思うでしょう?」
「どうかしら…?価値観は人それぞれですから。でもお幸せそうでなりよりだわ…」
「ふふふ。ありがとうございます。でも高校生だったら、恋人くらい普通でしょう?」
「…そうね」
「そうよねぇ。特に麗華さんは私と違って共学だもの。さぞやおモテになるのでしょうねぇ」
「……」
「あ、でも麗華さんは今日のエスコート役はお兄様でしたっけ?」
「……」
「ご兄妹仲がよろしくて羨ましいわぁ」
ま、負けた…。
私をリングに沈めた舞浜さんは、「恵麻さん」と迎えに来た彼氏の腕を取り、勝利の高笑いしながら去って行った。
寒い…。心が寒い…。
私はすさんだ心を守るように、黒いストールを体にしっかりと羽織った。
私も恋愛ぼっち村から卒村できるようにと、七夕の短冊に願いを書きに行こうかな…。
「吉祥院」
聞き覚えのある声に振り向くと、主催者の息子が立っていた。
仕方ない。
「鏑木様、ごきげんよう。本日はお招きいただきありがとうございます」
私が挨拶をすると鏑木は偉そうに頷いた。
そして私の姿をしげしげと眺めると、
「お、今日はパンダか?」
はあああっっ?!パンダだと?!
黒と白イコールパンダって単純すぎるだろうが!あれか、笹だからパンダか!
「違います!もうっ、伊万里様から何も学んでいないではないですか!もう一度伊万里様の元で勉強し直してきてください!」
「いや。むしろあの人からは学んじゃいけないだろう」
鏑木は大真面目な顔で首を横に振った。いーや、あんたは少しは伊万里様を見習うべきだね!
「伊万里様も今日いらしているのかしら」
「桃園さんなら、さっき庭の方に行くのを見かけたぞ」
庭園か。ライトアップもされているし、せっかくだから伊万里様にご挨拶しようかな。そうだ。麗しの伊万里様と一緒に舞浜さんの目の前を歩いたら、一矢報いることができるんじゃないか?
「私、伊万里様にご挨拶して参ります」
「だったら俺も行こうかな」
「えっ、なぜ」
なんで鏑木までついてくるのよ。
「ずっと挨拶回りをしていたから、少し疲れたんだよ。外の空気が吸いたい」
え~っ。
「今日は円城様はどうしたんですか。ご一緒じゃないんですか」
外の空気を吸いたければ、円城とふたりで行ってきなよ。
「秀介ならあそこだ」
鏑木が指した方角を見ると、円城は数人の人に取り囲まれていた。
そして、その円城の隣には、妖精のように儚げな唯衣子さんの姿があった──。
周りの男性達はどうやら唯衣子さんの取り巻きらしく、唯衣子さんの気を引こうとあれこれと話しかけていた。唯衣子さんはそんな彼らにゆるりと微笑んだ。
隣の円城は、表情の読めない笑みを浮かべていた。
「ほら行くぞ」
と鏑木が私の背中を叩くと、私を従えるように前を歩きだした。
だからなんであんたが主導権を握るのよ!