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2018年4月7日

2018年4月 7日 (土)

【ガチのネタバレあり】"#秘密基地の桜"観てきた。今回はAKBのメンバーいなかったけど、今安琴奈さんを観に行った。

今安琴奈さんを目当てで観に行ったつもりだったけど、会場のサムザ阿佐谷ってラピュタ阿佐ヶ谷の中の劇場で、ラピュタ阿佐ヶ谷のリンクからは、ロシアの切り絵アニメ作家ユーリ・ノルシュテインさんのリンクが。

ユーリ・ノルシュテインさんは、一昨日亡くなった高畑勲さんが日本に紹介された作家さんだし、
"天空の城ラピュタ"と"風の谷のナウシカ"は、演出家である高畑勲さんが、宮崎駿を一人立ちさせるために、敢えてプロデューサーを引き受けた、珍しい作品である。

丁度高畑勲さんが亡くなられたこのタイミングで、出演者の人々は、舞台ができるというのは、不思議な縁であると思っていただきたい。


それで、この舞台、1時間20分くらい?ちょっと短めで、登場人物が減っていって、私も週1しか休んでない中で、疲れのピークでウトウトしかけたのはお許し願いたい。

名前から、大人だけれども大人になりきれない人々の冒険モノ、みたいなのを想像したけど、ゼンゼン違った。


家賃などもろもろが無料という触れ込みで、5人が入ったシェアハウス、そこは実は、管理人がすべてを監視しているモノで、それがわかった途端に、監視されるのがイヤだからと全員が散り散りになってしまう、というストーリーだった。

(そこで終わったよね?私のウトウト度からちょい勝手に補完しとるけど。)

まあしかし、住人全員が散り散りになれば、管理人(支配者)からすると、新しくそのシェアハウスを募集する、という繰り返しになればいいだけで、それは避けたい。


てかこの作品ってだから、たとえば日本政府とか、自分が勤める企業とか、のメタファーになっている。

だって、生まれて出生届を出して、マイナンバーを与えられて、自分は自由と思っていても、日本政府はその人の収入を全部チェックしている。

外国に行くときにはパスポートで全部管理人している。

街中の監視カメラでだってチェックされている。
駅のSuica入出場だってチェックされているはずと私は考えているし。

自分が自由にできるのなんて、本当に家の中しかない。


・・・・その家の中さえ監視されているならば!?

というのが、問いかけと思う。


私は、監視されたってハッキリいってどうでもいいと考えている。

一般的に人々は、みんなオチンチンを出すのが恥ずかしいと考えているけれども、どうせオトコにはほぼ同じモノがついていて、違いは顔の違いほどにはない。

わいせつ罪になる、のと、単純に寒いのと、まずないけどオシッコチビったときのために、やむなく隠しているだけで。

顔という最大の違いを露出して、それは受け入れているのに、その他が恥ずかしい、なんておかしい。

だから、私が住人ならば、

「監視したければどうぞ。
但し、確かにタダでいるのはおかしいから、お金は自分達で払います。」

と言い切るかな。


そんなふうに考えて欲しくて、敢えて短めにしてバッドエンドを描いた、というふうに受け取った。

だから、私はこの脚本はアリと思う。

それにしても、地下への扉って絶対にハリボテだと思っていたら、今安琴奈が手際良く取っ手を取り付けて開けたのはビックリした。

あの劇場そんな構造なのね。
この劇場だからこそできる演技設計、というのも面白いと思った。


あと、高畑勲さんの思い出というと、確か「眠る男」の試写会で、私の斜め前くらいに座られていて、この人はどんなことを考えながら鑑賞されているのだろう、と考えた。

それで、その後に何人かで高畑さんを囲んで感想を聞いたら、さすが演出家だから、観点が違う、とは思ったけど、すごい、とまでは思わなかった。

私が「自分ならばこうする」と書くのは、このときの経験とか、まあほかでもだけど、高畑さんはけっこう「自分ならばこうする」というのを求められていた印象があったから、というのは間違いなくある。


てか私、感想書こうとして、題名にハッシュタグ付けたけど、この作品は最初から題名にハッシュタグがついているのね。

私以前作品の作り方にハラ立てて、Twitterのアカウントをトップに書いて感想書いたことあるけど、ハッシュタグを公演名に付けるのは、感想知るためにアリと思うなあ。


・・・・てかチラシ読み返したら、最前列は値段違ったのね。

てっきり最前列も自由席と思って座ってゴメン!
だって空いてたんだもん!

スタッフさんも、直前に当日券で来てまさか最前列に座るとは思わなかったのかな?

ゴメンネ!

おわびにいっぱい感想書いたから許して!

演技まではあんま観れなかったけど、セリフトチるのも今安さんが1回噛んだのくらいしか気にならず、言えていたと思う。・・・たぶん。

高畑勲さん逝去に関して思うこと。辛口批評です。

私は、中学生の頃に「魔女の宅急便」がよく流行っていて、まず宮崎駿のことを知った。

その後に「おもひでぽろぽろ」の監督をする高畑勲さんのことを知って、「おもひでぽろぽろ」では宮崎駿の師匠、という扱いで大宣伝をしていた。

なんでもかんでも”動き”で描いてしまう宮崎駿に対して、高畑さんは、あたかも静物画をいくつか見せてその違いの面白さを解釈するような、そんな作風だと、私は感じた。

まあ私は「赤毛のアン」は原作も好きでよく例に挙げるけれども、その原点ともいえる「アルプスの少女ハイジ」の成功は、高畑勲の功績として大きいと考える。

というのも、私は高畑勲のこれらの作品から、別に空を飛べなくたって、フツーの人間だって、作品はいくらでも面白おかしくできると考えている。

「赤毛のアン」「じゃりン子チエ」「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」なんて、魔法もないし、ちょっと変わったペットも出てこないし(・・・いや小鉄とかは出てくるけどアレはペットちゃうしなあwww ・・・アレは魔法みたいなもんか? いやアレは猫の世界を想像しているだけで、猫と人間のやりとりってなかったと思う)、すごくリアルな作品の作りと思う。

私が映画や舞台を見るときも、全部これらの作品を観たのがベースになっている。


そう考えると、「アルプスの少女ハイジ」なんて、まだ保育所に通っている頃に再放送で観て、けど保育所の私にはハイジのフランクフルトでの生活が辛くて、2回目以降観ていられなかった。

まあ大学生になって観返したら面白かったけど。


映画とか舞台とか観ても、ついつい3DCGとかであり得ない設定をすぐに出してくるのが多くて、そんなに設定で凝らなくても、身の回りの表現で面白いことはたくさんあるだろう、とついつい思ってしまうのも、高畑勲の作品から学んだといっていい。


けどやっぱ、「火垂るの墓」だって、高畑さんは、一般の人々に対して、清太はもっと我慢すべきだったと思って欲しいと考えて描いたようなことを繰り返し言われていたけれども、そうであれば、どうしても他の戦争映画と似てステレオタイプになってしまう空襲の描写にも拘られて、けっきょくほとんどの人々がステレオタイプな戦争映画と考えてしまったのは反省点だった。

そしてその反省点を、釈明をされることはあっても、反省して改善されることはけっきょくなかったと私は考えている。


「おもひでぽろぽろ」も、高1のときに私は素直に感動したけれども、映画サークルの20代の女性には、田舎での結婚を強要している、として不評だった。

私も改めて考えると、原作から得た小学生のタエ子のエピソードは面白いけれども、大人のタエ子ってなんで旅に出たのかとか、”自分探し”とかちょっとバブル過ぎるし(いや私はバブルを実感しなかったけど)、タエ子が”農家の嫁になる”ことに悩むなんて、なんか全然リアルに思えないし、いまとなってはそこは違うと思っている。


じゃあ小学生のタエ子のエピソードを繋げるだけで作品を作るとするとどうなるか、というと、「赤毛のアン」にしかならないとも思うけど。


私もその後イロイロと経験して、高畑勲はまあ言っちゃ悪いけどずっと演出家としての生活しかしてこなかったし、私はシステム設計者から、ドイツに亡命して1年強ドイツにいたり(強制送還されても報道されず隠蔽されたし)、弁護士が見つからないので本人訴訟を起こして、法廷闘争で自己弁護したり、中核派に入ったり、その間いろんな職業を転々としたり、と、ホンモノのルパン三世顔負けの生活をしている自負はある。


高畑勲だって私のことを知らないはずはない。

だって、何度も書くけど、私は1995/10/29の高畑さんの60歳、還暦の誕生日に、高畑さんら山陽新聞の記者さん含む数人が、滋賀県大津市の石山寺に参られるというので、私もファンだから強引に参加させてもらったけど、高畑さんと2人きりになったときに高畑さんが

「私が個人的に喋ったことを他言しないでください」

みたいなことを言われて、それは、私がその前に、なんかの機会で高畑さんが言われたことを、高畑・宮崎作品研究所の叶精二に対してメールしたものを、叶精二が私にも返信することなく、そして許可を得ることなく、勝手に高畑・宮崎作品研究所の会報に掲載したから。

私も、叶精二に対して私的に会話するつもりだったのに、それがなくて公にされて、悪者になってしまった。


今回、叶精二が高畑さんからの年賀状を掲載しているけれども、どうも叶精二には「自分は高畑さんと懇意だ!」みたいなのを主張したいのを、22年半以上経ったいまも感じる。


いやしかし、私は高畑勲を尊敬してはいない。

「おもひでぽろぽろ」で高1のときに感動して、高2のときに、明石映画サークルの上映会で明石に来られると知って、明石まで行って、翌日の懇親会にも参加したけど、確かそのとき高畑さんが、どういう拍子か忘れたけれども

「つり合いってあると思います。結婚するのに高校卒と大学卒だと話が合わない」

みたいなニュアンスを言われていて、私はそんなのゼンゼンないと思って、それは違うだろ!と高校2年ながら思った。
さすがに言い出さなかったけど。

私はそれでもその当時は東海道新幹線を動かしたかったしJR東海に入りたかったし大学には行きたかったけれども、自分の嫁がどこ卒とか気にもしないぞ、と思った。


・・・・まあそれが42歳になったいまだ独身で、AKBの中高生を相手にしてアレコレ言っているんだから、ある意味有言実行やなあ。

高畑勲なんてジブリの大人に対して教えたことはあっても、子供に対して教えたことなんてそうそうないし。


もちろん、高畑勲がアニメーションで子供に対して教えたことはいっぱいあるとは思っているよ。

けど、作品にして教えられるモノって半分であって、やっぱ残り半分は、自分が地道に主張していくしかない。

私は、高畑勲も、いやそれだけでなく宮崎駿も、自分が地道に主張していくことからは逃げていると考えている。


いつだか、宮崎駿が、政治的に突っ込んだ質問をされたときに、

「自分は文化人だから」

とか抜かしたのは、もう心底腹が立った。



私は最底辺で文化人じゃない。

宮崎駿だって、「大西すごい!」って言えば私は言論土台に上がれるのに、宮崎駿だって忖度して、私を”文化人”にしていないくせに、「自分は文化人だ」なんてほざいているだなんて!!!

だいたい宮崎駿なんて、私がハタチくらいのときか、ヒトとツーショットの記念写真を撮るときだって、わざと横向いとるくらいひねくれたヤツやからな。

宮崎駿こそいますぐにでも死んじまえよ。

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