第8回4月21日SHINING☆「銀色の殺意」観てきた。亜衿もまずまずやったけど、特に大條瑞希(おおえだみずき)さんが良かったなあ。 #銀色の殺意
第8回4月21日SHINING☆「銀色の殺意」観てきた。
フォームがコレだけ
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSeX8SnxoQDgPbHP2rXkA9k-lbnrPPc6U5atXTdm7xxR2VEVBw/viewform
やから、内容も知らずに行った。
ならば、30分弱のミステリーを2回やるカンジで、ざっくり言うと最初にストーリーを見せておいて、2回目で最初やったところは端折って、ネタばらしみたいなカンジの構成やった。
みんな同じ作品を2回観て考察する、ということを、正直なかなかやらないから、この構成はアリと思う。
そうやって、ストーリーがわかったものをもう一度観て細かいところを考える、という視点をお客さんに持ってもらう、という構成はアリと思う。
それで、演技のほうは、まああえりはまだまだ役者になりきれてないかなあ、と思った。
セリフもまだまだ感情がこもってない。
アタマが真っ白になってセリフを忘れて、1回目堀川さんから催促されとったし。
まあだから、終わった後で、ドラムを始めたとか言うとったけど、感情を込めるためにドラムをする、というのはアリと思う。
けど、MCの方のツッコミにもあったけど、人前で披露することを考えずに自己満足をやっとったらアカン。
ドラムを人前で披露するレベルにならなければ、女優としての演技も、人前で披露するレベルにはならんやろ。
ちょっとそこは課題と思って欲しいかなあ。
てか今回、大條瑞希さんというのを見つけて、いい演技をすると思った。
ようは真犯人がウソの演技をする役なんやけど、そのウソの演技になりきって、2回ともガチでうるうる涙を流しとった。
それで、コレはけっこう経歴あるかなあと思って検索したら、まあコレとか見てもそれほど出てない。
けど私は、大條瑞希さんはもっといい役をやれるはずと考える。
けっこう独白が多かったのに、ほとんど噛まずに言えていたし、それでこの涙や。
そもそも今日1回しかない舞台に、まああえりくらいの分量ならばセリフを覚えられるかもと思うけど、大條さんの量を覚えるのはフツーは無理で、UBUGOEだって最初から覚えることを諦めて朗読劇にしとる。
それを全部覚えて泣けるだけの演技力があるって、すごいと思う。
それで、アフタートークで、大條さんが「人狼ゲームって知らない人?」って言って、私は手を挙げたら
「知らない人は一人ですね」
って言われて、私のほう向いてちょこっと説明された。
やっぱそんなのを知っている人々が来るのか、とは思った。
それと、大條さんって1995年8月24日生まれなんやな。
その丁度二十年前、1975年8月24日生まれで、竹内和成くんというのが、小中学生のときの友達やった。
私も人の誕生日よく覚えとるよなあ。
けど、その竹内くんはタバコとかなんとかグレてもて、私は真面目でグレんかったから、中学生以降全く会ってない。
だから竹内美宥を見るとたまに和成くんのことを思い出すんやけどな。
女性陣ではもう一人、今沙栄子さんも出られていて、まずまずの演技やったけど、アフタートークで撮影会の写真ばかり出されていて惜しいと思った。
あ、ひとつは映画の撮影風景だったか。
まあしかし、自分のボディとかよりも、演技力がモノをいう。
・・・だって40歳とかになったときに、撮影会をやってもヒトは来んやん。
けど、40歳になってもちゃんと観に来てくれる人々がいるモノってなにか、というと、演技力やと思う。
だから、”8月主演舞台『長く澄んだ夜』”のエピソードを入れてもらったほうが良かったかな。
あともう一方、小野匠さんがおられたのか。
まあそこそこ上手いとは思ったけど、私あんま男性俳優についてコメントせんしなあ。
もうそこまで言ったら手に負えんし。
料理得意なのはうらやましい。
堀川りょうさんってこの写真だとまるで小室哲哉っぽいけど
もっとジイサン臭く見えた。
だってそんだけ酒?とかなんとか持ってくるんやもん。
この人はそういうキャラなんだっけ?
てかそれでベジータ役とかでめっちゃ盛り上がっとったけど、私1996,7年だかのアニメーション神戸にたまたま呼ばれて行って、エレベーターに乗ったら目の前(ようは数十センチ隣)にいたのが野沢雅子・・・とかあったなあ。
てか私、自慢話になるけど、いま日テレプロデューサーの高橋望から、まだジブリの制作担当だった頃にめちゃくちゃ話したら、「大西ほどジブリのことを好きな人間はいない」と言われて、ジブリに誘われたり、「耳をすませば」の被災地試写会に呼ばれたりした。
宮崎駿に会ったこともあるし、先日亡くなった高畑勲からは、私が発言を高畑・宮崎作品研究所の叶精二に対して送ったら、叶からは返事が来ずに、そういうもんなんかなあ?と思うとったら、いきなり高畑・宮崎作品研究所の会報に掲載された。
それで、その後1995/10/29、忘れもしないよ、高畑勲の60歳の誕生日に、私は滋賀の石山寺に高畑勲らと一緒に数人で行くのに、ずうずうしくも同行させてもらったよ。
そこで高畑勲と二人きりになったときに、高畑勲から
「プライベートで言ったことを、他人に言わないでください」
と耳打ちされて、まあだから私は高畑勲からいまでいう名前&顔認知されとったということやな。
けど、プライベートにしたって、二十歳の若者に対してそんなこと言うとは、高畑勲はちょっと人間小さいんちゃう?と思った。
そういや、大條さんが「涙がぽろぽろこぼれてきました」と言ったのに反応して、MCの誰かが
「涙以外にぽろぽろこぼれるものってありますかね?」
といって
「『おもひでぽろぽろ』ってありましたよね」
なんて会話になっていたので、まあ私もこうして、今日の感想として高畑勲の思い出話を書いたっておかしくないわけやな。
あとコレ、来てみて伊藤幸久がいて、私は彼からGoogle+もTwitterも全部アクセスブロックされていて、人間的に好きではないけど、この試みは成功ちゃう?
ただ、プロデューサーとしてダメと思うのは、ゼンゼン宣伝できてない。
宣伝しないプロデューサーはプロデューサーちゃうぞ!
まあそんなことを思った。
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