飼育だったのか養育だったのか問わないが確かにそうだ。
私は二人の連れ子を持つ継母の元で育った。
実父かどうかは分からない男親は継母と婚姻したが数年後離婚届だけを残して蒸発した。記憶も無ければ興味も無く己の出自を調べた事もないしするつもりもない。
私の継母に関する最初の記憶は義姉の誕生日に義兄と継母がにこやかに食卓を囲んでいる光景だ。
私はそれを自室として与えられた布団部屋の戸を少しだけあけ、ぼんやりと眺めていた。
部屋には3組積み上げられた布団とほつれた絵本、ゼンマイで動くワニをたたく小さなおもちゃ。前回分の食事に使った食器。水の入ったお茶のペットボトル。日がな一日私が指でほじくり返していた畳が一面ささくれ立っている。
布団を敷く事はない、見つかるとすぐに畳めと継母に怒られるからだ。寒い時は布団の山に寄りそい、耐えられない時は畳んだままの布団の間にサンドイッチのしなびたレタスのように挟まって潰れた。
絵本はおやゆび姫、どこかでページが抜けていたような気がする。ワニのおもちゃは稼働音がうるさくて誰かが家に居る時に動かすと酷く怒られるので遊んだ記憶が無い。
食事は日に2度あった。回数が少ない日はあったが多い日はなかった。継母の食事が出来たという声が聞こえてから、しばらくして食器の音がなくなると継母が食事を持ってきた。その時前回の食事の食器を下げて行く。きっと同じ食事内容だと思う。私は時折運ばれてくるカレーが好きだった。ペットボトルの水は半分ぐらい飲むと都度足された。
トイレに行きたい時は戸を内側から三度ノックすると継母が扉を開ける。その時は必ずリビングに続く扉は閉められていた。トイレを済ませるとトイレットペーパーを使いすぎていないかチェックされた。腹ぐあいが悪く中々出てこないと度々扉を叩かれた。トイレットペーパーを使いすぎた時はトイレに行きたいというノックを無視された。我慢できず漏らして泣き叫ぶとこっぴどく叩かれ、全裸に剥かれ次の日洗濯された同じ服が戻ってくるまでそのままだった。
いつだったかふいに寂しくなって夜中こっそりと部屋を出て継母の寝室を探した事がある。継母に見咎められた後また部屋に押し込められた。その日からつっかえ棒で内側から戸が開かなくなった。
いずれ私も小学生になった。義兄は中学生、義姉は小学校高学年。サカキバラ事件の余波か集団登下校が推奨されている時期だ。まず義兄が中学へ向かう。次に義姉は登校班と共に通学して行く。私も同じ登校班だが、彼らが移動を始めたのを継母が確認した後に家を出る事を許され、一人で登校をした。その事で教師には良く怒られた、私が一人遅れるせいで何人もが迷惑をするそうだ。
継母から学校へ義姉と私の関係については口止めをされていたらしい。担任は本当に義姉と私の事を知らないような様子だった。
数日に1度しか風呂に入らず、毎日同じ服を着て、人との喋り方も知らない私がなじめる訳もなく、イジメられる以前に腫れ物として誰にも触れられない日々を延々と繰り返した。
私の記憶しているもっとも古い継母との会話の記憶は小学校を卒業する間際に明日から新聞配達をしろと言われた時の物だ。
中学の3年間毎朝新聞配達をして私にかけたお金を返済しろというものだ。お金を入れている間は部屋の出入りも入浴も排泄も食事も自由だという条件を受け、私はすぐに仕事を始めた。
朝3時から1時間程団地の朝刊配達をして月に6万円程を継母に収め、毎日500円か二日分として1000円を渡されそれで食事や文具類を用意していた。あっという間の3年間だった。
この家から高校に行くのであれば仕事を増やせ、自立するなら50万まで貸し付けるという事だった。私は家を出る事を選択し、それから間もなく11年になる。家を出てから毎月2万入金し続け、借入はすぐに返済したが特に連絡もなく、私は惰性で毎月2万ずつ入金を続けていた。今も続けている。
中卒で資格もなく専門的な勉強もした事はないが、何気なく16歳でインターネットに触れYahooゲームのオセロにハマり、そこでウェブサイトの作り方を知り、ホームページの作り方という本を何冊も立ち読みしている内にいつの間にかウェブデザイナーという仕事をしていた。1年間グラビアサイトの更新業務というのに携わり、なんとなく受けたWEBコンサルティングの会社になぜか採用され4年間働き、コミュニケーションの煩わしさに疲れて独立。
今は在宅で細々と仕事をし、月25万程度の儲けを出して生きている。
3年前にネットで知り合った人と交際を続け、結婚を考え始めた。相手の両親とも幾度となく会い、関係は良好ではあると思う。
そして先日、私の家族への対応はどうするのかという話になって表題である。
答えが出せないまままもなく1週間。今も答えは出ないままだ。
オチ無し。
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