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出来上がった情報システムを社会資本と呼べるか

 顧客の注文に応じて、いわゆるエンタープライズシステムを開発する世界は建築や土木の世界に近い。前述の「プロジェクトや情報システムに誰がどのように関わったかを明示し、ソフトウエアエンジニアリングとSEが社会に果たした役割を明らかにする(可視化する)」ことについて読者はどう考えるだろう。

 筆者はその必要があると思うし、ごく一部の事例については報道を通じて「可視化」してきた。可視化のやり方は色々考えられる。ITによるデジタル銘板なら簡単にできそうだ。

 もっとも、出来上がった情報システムが「社会資本」と呼べるかどうかという問題もある。大手コンピュータメーカーで営業をしていた知り合いは拙文に対し、次の感想を寄せた。

 「ご指摘のことは現役時代に痛感していました。ゼネコンや設計事務所が手がけた作品は後世に残るのに、情報システムはそうではない。まず、現行システムを批判し、次期システム提案の良さを強調し、2年かけて構築する。ところが3年目に入るとすぐ陳腐化し、4年目になると『誰がこんなシステムを提案し、構築したのか』と批判され、5年目に入ると社会悪のようになってしまう。そこで新しい提案を出して作り直す。この繰り返しでした」

 社会悪とは言い過ぎではないかと思うが、「誰がこんなシステムを提案し、構築したのか」という声が聞こえてくることはある。今でも記憶に残るのは社員がコンピュータを蹴り続けた話である。

 日本の代表企業と言える大手製造業はコンピュータ事業も手がけているが、コンピュータ事業以外の取引先に同社のコンピュータを売り込んできた。ある取引先の現場が外資系企業のSEの提案を評価し、採用しようとしたところ、大手製造業は取引先の経営者に対し、「うちのコンピュータを買ってほしい」と依頼した。

 取引先は最大顧客である大手製造業からコンピュータを買い、アプリケーションソフトウエアを開発してもらったが現場が望んでいたシステムにはならなかった。使いづらいシステムを押し付けられた現場の社員は大手製造業製コンピュータの側を通る際、きょう体を蹴飛ばしていたという。もっともその製造業の製造品質には定評があり、いくら蹴飛ばしてもコンピュータが壊れることはなかった。

 「技術者の無名性の問題」はなかなか繊細であり、できれば明示したほうがよいと思うものの、何が何でも明示すべきと力むつもりはない。これは前回、拙文の末尾にも書いたことである。

 大量に販売する製品の場合、個別受注するエンタープライズシステムの場合によって状況は異なるし、関わったエンジニアに達成感を持たせるためなのか、社会に対して責任をとる姿勢を示すためなのか、狙いもいくつかある。

 それでも、どのような仕事においても、「誰がこれを造ったのか」という問い、「苦労した全ての関係者が自分も一緒に苦労したと納得できるような人」の有無、はどちらも大事だと思う。