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 社会資本の整備、保全を担うSE(システムズエンジニア)に対する社会の評価が低く、ITに対する国民の理解が得られない一つの要因として、身近であるべき情報システムを造った人の顔が見えないことが考えられる。

 情報システムに対する一つの価値観として、IT業界の中においても、個人を目立たせないという伝統がある。しかし、情報化の今日、「誰が造ったか分からない」「造った人の顔が見えない」という状況は、IT業界に対してプラスに働いているだろうか。

 以上の記述について色々な意見が出るだろう。まず、SEに対して社会の評価が低いのかどうか。ITに対して国民が理解していないのかどうか。

 仮にSEへの評価が低く、ITへの理解が得られないとして、その要因がSEの顔が見えないことなのかどうか。そしてIT業界が個人を目立たせないようにしているのかどうか。

10年前の問題提起、「誰がこれを造ったのか」

 冒頭の二段落は筆者が書いた文章ではない。元々は土木学会が発表した文章であり、そこに出てきた「土木技術者」を「SE」に、「土木」を「IT」に、といったように書き換えたものである。

 10年前の2008年度に土木学会長を務めた栢原英郎氏は「建築家は名前が出るのになぜ土木技術者は名前が出ないのか、あるいは出さないのか」と問題を提起し、会長提言特別委員会を通じて議論を重ね、報告書を発表した。

 引用した文章は同委員会の活動報告がまとめられたWebページに記載された「概要」である。原文を以下に引用する。

引用文

 社会資本の整備、保全を担う土木技術者に対する社会の評価が低く、土木に対する国民の理解が得られない一つの要因として、身近であるべき土木構造物を造った人の顔が見えないことが考えられる。土木構造物に対する一つの価値観として、土木界の中においても、個人を目立たせないという伝統がある。曽野綾子氏の「無名碑」に語られている思想であり、土木技術者のロマンでもある。しかし、情報化の今日、「誰が造ったか分からない」「造った人の顔が見えない」という状況は、土木に対してプラスに働いているだろうか。

 本特別委員会は、プロジェクトや土木構造物に誰がどのように関わったかを明示し、土木技術と土木技術者が社会に果たした役割を明らかにする(可視化する)ことにより、社会資本が国の経済発展、国民生活の安全・安心の確保や豊かさの実現に如何に貢献しているかについて国民の理解を深め、土木界の社会的地位向上を図るとともに、土木技術者の誇りを高め、次世代を担う若者に「土木の夢と希望」を示すことを目的とする。

 概要の後半についても単語を入れ替えてみると興味深い。

  • プロジェクトや情報システムに誰がどのように関わったかを明示し、ソフトウエアエンジニアリングとSEが社会に果たした役割を明らかにする(可視化する)

  • 社会資本と呼べる情報システムが国の経済発展、国民生活の安全・安心の確保や豊かさの実現に如何に貢献しているかについて国民の理解を深め、IT業界の社会的地位向上を図る

  • SEの誇りを高め、次世代を担う若者に「ITの夢と希望」を示す

 概要だけではなく、報告書の本文についても情報システムとIT業界のことだと思って読み替えると色々な示唆が得られる。報告書には「技術者の無名性の問題は土木界だけにとどまらない。他の多くの技術分野においても同じような問題があるように思われる」と書かれていた。

実質的な責任技術者の名前を銘板に刻む

 「技術者が社会に果たした役割を明らかにする(可視化する)」方法として土木学会は事業主体(発注者)、設計会社、施工会社のそれぞれについて「実質的な責任技術者」の名前を「銘板」に刻むことを提案した。銘板は構造物そのものか、その近くに設置される金属板で、構造物の名称、完成時期、構造物を建てた事業主体名、構造物の目的などが記録される。

 土木の場合、設計や施工に従事する技術者や関係者の数は多く、全員の名前を記載することは難しい。そこで「実質的な責任技術者」を選ぼうという提案だが「実質的」とは何だろうか。

 実質的の定義について柏原氏は「現場で先頭に立った者といったイメージであり、その人が記されることにより、苦労した全ての関係者が自分も一緒に苦労したと納得できるような人を想定している」と述べていた。

 「想定」を読むとまた考えさせられる。全員の名前は刻めないから、関係者の誰もが納得できる技術者を選ぼうという提案である。疑い深く読むなら、公式な責任技術者が「実質的」ではなかった例があるということだろう。

 「プロジェクトマネジャーは任命されていたが複数案件を掛け持ちしていた。実質的にプロジェクトを仕切ったのはリーダーの何々さん」といった事例が読者の身の回りにあるのではないか。

 土木学会の提案を受け、国土交通省は2009年4月から、技術者名の明示を始めた。取り組みは続いており、直近では2018年5月31日、国土交通省関東地方整備局が銘板に記載する対象技術者を拡大すると発表した。

 設計の責任者と施工の元請会社の監理(主任)技術者の氏名に加え、元請の現場代理人、担当技術者、さらに下請会社の専任主任技術者の氏名も記載していく。追加される「現場代理人、担当技術者、専任主任技術者」が上述の「実質的な責任技術者」に該当するわけだ。

 発表資料の中で関東地方整備局は「技術者の軌跡を残すことで土木技術者の誇りとやりがいを伝え、建設業界の担い手確保に繋がることを期待」すると書いている。「銘板に要する費用は官負担」である。