迫るポーランド戦!サッカーワールドカップに便乗して調べてみた
開幕前は日本国内での史上空前の盛り上がらなさに心配されたサッカーワールドカップ2018ロシア大会ですが、日本戦の視聴率を聞くと試合時間が遅いにもかかわらず、30%とか40%という数字も聞こえてくるので、さすがワールドカップと言った感じでしょうか。
直前までまったくサッカー日本代表に興味のなかった僕の奥さんも、ここに来てにわかぶりを発揮し始めていますが、みなさんのまわりにもこういう方が一気に増加しており、静かに独りでワールドカップを楽しみたい派の人には、うんざりしている方も多いのではないのでしょうか(笑)。
さて、われらが日本代表ですが、戦前の悲観的予測を裏切り現在1勝1分けで現在グループHの首位に立っています。
本日(2018年6月28日)日本時間の23時から行われるポーランド戦に引き分け以上の結果を残すとグループリーグ突破が決まるわけですが、このポーランドという国についてみなさんはどれぐらいご存知でしょうか。
今回はワールドカップのついでといってはなんですが、この知りそうで知らないヨーロッパの国の一つポーランドについて調べてみることにしました。
ま、ハッキリ言うと便乗記事なんですが、こういう機会がないと調べることや知る機会もないので、お付き合いください。
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個人的なポーランドに対するイメージ
まず、ポーランドと聞いて思いつくのは東欧ということぐらいでしょうか。
今の若い子たちにはイメージしにくいかもしれませんが、2000年以前、それこそドイツのベルリンの壁がなくなり統一以後も、しばらくヨーロッパには民主主義の西とロシア(ソ連)の影響下にある共産主義の東という色がはっきりと残っていました。
その東の国の一つがポーランドであり、ドイツとソビエト連邦に翻弄された国というのが僕のもつポーランドのイメージですね。
その後民主化が進んだのは間違いないのでしょうが、”ポーランドと聞いて何をおもいうかべますか?”とテレビインタビューで聞かれても、それこそ今回ワールドカップで対戦するレヴァンドフスキ(ドルトムント時代に香川と前線でコンビを組んでたので知ってる)ぐらいしか思い浮かばないのが現実なんですよね。
本当に知りそうで知らない国なのがポーランドなんですよね。
地理
さてここからは具体的にポーランドという国がどういう国なのかをネットを使いながら調べていきたいたいと思いますが、首都はワルシャワです。
改めて調べなおしてみて、”そうそうワルシャワだよねぇ!”とは思いましたが、いきなり”
ポーランドの首都は?”
と聞かれても自信度70%の回答になるのが、やっぱりこの国の認知度といった感じですよね。
一般的な認知度も七割ぐらいなのが現実でしょう。
周辺国と位置関係
そして気になる位置関係ですが、西はドイツに接しているのは第二次世界大戦などの歴史を考えるとすぐお思い浮かびますが、こうしてみると思いの他首都ベルリンから近いことが分かりますね。
そして南側はチェコとスロバキアに接していますが、昔はチェコスロバキアと言っていたのでこのあたりはおっさん世代ならまぁギリギリ思い浮かびます。
そして気になるのが東側なんですが、高校時代はソ連(ソビエト連邦共和国)が存在したので、”
まぁソ連だろうな”
というのが現実的なところなんですが、現在は当然分裂してロシア+その他の国になってるので分かりません。
地図を見ると分かりにくいですが、北からリトアニア、ベラルーシ、ウクライナに接していますが、中学校や高校時代にソ連が存在した世代だとこのあたりは完全に怪しいですね。
これでも学生時代はお勉強ができたほうだったんですが、おそらく明日には忘れています(笑)。
カリーニングラード
そして今回勉強になったのがリトアニアとポーランドに挟まれて北東に位置する土地なんですが、国名の表記がありません。
調べてみるとカリーニングラードという土地なんだそうですが、この土地はロシアの飛び地のようであり、リトアニアの独立によりこういった位置関係になってしまったそうです。
ちなみにロシアのプーチン大統領の元奥さん(離婚している)がこのカリーニングラードの出身のようです。
こういうのはポーランドについて調べてみて初めて知りました。(メモメモ)
歴史
ポーランド歴史については最初”知らんがな”とか、”どうせ神聖ローマ帝国の一部だったんだろろうな”と思っていたんですが、予想に反して建国から約1000年以上の歴史がある国だそうです。
大きな視点で見れば、このポーランドという国はドイツとロシアという大国に挟まれた不幸な位置に存在していたのですが、その中で強く生き残ってきたのがこの国の歴史であるようです。
モンゴルからの侵攻に耐える
ポーランドの王国は紀元960年あたりから存在していたようですが、隣国ドイツ(神聖ローマ帝国)からの侵攻に耐えながらも最初に国が揺らいだのは、遥か果ての国モンゴル軍の侵攻だったそうです。
確かにモンゴル軍はヨーロッパまで勢力を伸ばしていますがポーランドまで足を伸ばしていたんですね。
ただ、ポーランドは王国を保っているのでなんとかはじき返したのが分かりますし、モンゴルの勢力の西端がこのあたりだったことが考えられます。
リトアニアと併合してヨーロッパの一大強国に
このポーランド王国ですが、モンゴル軍の侵攻後も逆サイドのドイツ側から度々侵攻を受けたようですがこれを撃退しています。
それこそ壊滅的打撃を与えて衰退したのがドイツ側だったことを考えるとかなりの規模だったことが分かりますが、残念ながらこのポーランド王国は後継ぎの問題なのか断絶しています。
しかしながらここからウルトラCの離れ業をやったのがポーランドと隣国リトアニアだったようで、元々連合軍として戦うことがあったせいか、領国を併合したうえで次期国王を選挙で選ぶ共和制への移行を遂げています。
この時まだ16世紀。
領土は現在のポーランドやリトアニアに加えて、ベラルーシやウクライナの部分も領土だったようなので、ヨーロッパの一大勢力になったことが分かります。
ちなみに僕は理系でありながら社会は世界史専攻だったんですが、こういった事実は覚えていません(うーむ今回の記事は勉強になるなぁw)。
衰退そして分割
合併により強国となったポーランド・リトアニア共和国ですが、その栄華は長くは続きません。
その原因となったのが南側のオスマントルコ帝国の侵攻だったようです。
一度はその侵攻を撃退したものの、その勢いは止められず国家は疲弊していきます。
これは歴史をひも解くとよくあることですが、急速に勢力を拡大しすぎたために、内政や国の基盤がしっかりする前に管理する土地が増え、また新たな外敵にぶつかるという図式にはまってしまい衰退していったのでしょう。
結局18世紀後半には、ドイツやオーストリア、ロシアなど東西からの侵攻も防ぎきれなくなり土地の4分の1とたくさんの国民を失っていくことになります。
特に圧力が強かったのがロシアであり、その後三回の領土割譲によりポーランドは領土のほとんどを失い、ロシアの半ば属国に落ちぶれてしまいます。
ナポレオンの登場と失脚
ロシアの圧力に屈したポーランドですが、19世紀に入り光が差し込みます。
それがナポレオン率いる飛ぶ鳥を落とす勢いのフランスだったようです。
ナポレオン戦争によりワルシャワ公国が誕生し、ポーランド国民はフランスの勢力下にありながらロシアからの解放の流れで、ナポレオンを支持しその手足となって戦いますが、結局ナポレオンはロシアに敗れて失脚します。
上手いこと言われてナポレオン軍の主力となって戦ってポーランド軍でしたが、そうなると何の見返りもなくナポレオンに味方したことになったことになり、ナポレオン憎しとなった結果、フランスの息のかかったワルシャワ公国は解体され、今度はロシア支配下のポーランド立憲王国が誕生します。
もうこの時点になるとポーランド転げ落ちまくっていますね。
ロシアからの蜂起の失敗とビスマルクの登場
ロシア支配下のポーランド立憲王国ですが1830年代と60年代に国民は蜂起して立ち上がりますが、失敗します。
結局貴族の大多数が処刑されて、関わったたくさんの人間がシベリアに抑留されたようですが、こうなるともうロシアへの恨みはたまりまくっているのが分かりますね。
しかしロシアへ反旗を翻した後は今度はドイツがしゃしゃり出てきたようで、1871年にビスマルクによるポーランド人抑圧政策が始まります。
もうこうなるとポーランドはやりたい放題されていますね。
1918年ポーランド久々の独立
ドイツやロシアにとっては使い勝手のいいポーランド国民でしたが、転機が訪れます。それが第一次世界大戦でした。
ロシア革命の影響によりロシアに侵攻を開始したドイツに対し、ポーランド国民は一時、ドイツ・オーストリア側について、もっとも憎いロシアと戦いますが結局利用されていることに気づて指導者ユゼウ・ピウスツキという人物は、反ドイツの立場をとって離脱・逮捕されてします。
結局ロシアはドイツとの争いでポーランドを放棄しますが、最終的にはなんとそのドイツが敗れてしまいます。
そういった混乱も手伝ってか、ポーランドはピウスツキを初代国家元首として迎え、ポーランド第二共和国が誕生します。
ピウスツキの死と国家の消滅
このピウスツキという人は当時のポーランド国民の間ではかなり人気のあった人物でカリスマだったようです。
独立後ロシアへの侵攻などを行い、これに成功したりもしていますが、逆にその存在と影響力が強すぎたために、その成功した独裁政治があだとなります。
彼の引退後はその部下たちが彼の志を継ぎますがことごとく失敗し、再びドイツやロシアの介入をゆるすことになります。
結局彼の死後、ポーランドは独ソ不可侵条約により両国に分割されることになり、ついに国家として消滅してしまうわけですが、国民は存在するものの国家そのものがなくなるというのは、日本人には中々イメージしにくい不思議な状態ですね。
この当時のポーランド人の気持ちを考えると、”ロシアもドイツも許さん!”というのがここまで書いてきた上での僕の感想です。
ポーランド人民共和国の誕生
第二次世界大戦のゴタゴタにより消滅してしまったポーランドですが、第二次世界大戦のドイツの再度の敗戦により復活します。
おそらくここまでの流れをみるとロシアは併合したかったのが正直なところでしょうし、もしかしたらポーランド人の気質を考え直接支配下に置くのを嫌った可能性もありますが、結局ロシアが支持するルブリン政権を中心としたポーランド人民共和国の誕生です。
このポーランドはロシアの影響を強く受けた共産主義国家だったようで、1945年の誕生から1989年の44年間続きますが、僕のようなおっさんのもつポーランドの元々のイメージはこのあたりの時代から来ているのかもしれませんね。
民主化とロシア・ドイツの影響下からの脱却
1989年までロシアの影響下にあり共産主義だったポーランドですが、東西冷戦の終了やドイツの併合、ソ連(ロシア)の解体により民主化を迎えます。
今考えると当時は大したことに感じなかったこれらのニュースですが、ここから一気にポーランドは一人前の国家として独り歩きしていきます。
ドイツやロシアが民主化を進めたことでポーランドも独立国家として歩き始めますが、その後ドイツとの領土問題も正式に解決し、2004年にはEU(欧州連合)入りを果たします。
この頃になると、おそらく現在とほとんど変わらない民主国家ポーランドなのでしょうが、現在の形になったのは少なくとも30年足らずということを考えると、まだまだ国家としては新しいく、隣国ドイツやロシアに対する複雑な思いというのも感じ取ることができます。
まとめ
今回の記事は当初、有名人や文化などをもっと突っ込んで調べようと思いましたが、歴史を調べていくとかなり複雑な事情があることが分かりかなり長くなってしまいました。
文化的な内容は今後記事のリライトなどにより追記していきたいと思いますが、国の成り立ちなどを考えると、ヨーロッパの中ではかなり特殊な部類に入ることが分かります。
国家に対してかなり思いの強そうなポーランドの方々ですが、今回のワールドカップですでに予選敗退が決定しているといっても、歴史を振り返るとこのまま国に帰るのをよしとしない感じもして油断はできませんね。