我が子を題材に0歳から、その年齢らしい特徴を切り取ったユニークな作品が話題の『息子シリーズ』。それを手掛ける佐藤ねじさんは、発想術についてノウハウをまとめた書籍を出版するなど、“アイデアの王様”としても名を馳せておられます。
子どもという“好奇心の塊”に、ねじさんは一体どんなインスパイアを受けてアウトプットを創り出しているのでしょうか?
“大人の好奇心”と “子どもの好奇心”が絶妙にかけ合わさった作品群から、ひも解いてみたいと思います。
――ねじさんと言えば、その類稀なる発想力で、これまでに世間を沸かすような面白い作品を次々と発表されていますが、その中で個人ワークとして取り組まれている「息子シリーズ」について、始めようと思われたきっかけを教えてください。
僕のモノづくりのスタンスの一つとして、オリジナリティを大事にしています。個人的な価値観ですが、家庭ってオリジナリティあるなと思っていて。
例えば家庭料理一つをとっても、冷蔵庫にあるものだけで、どういい感じに作るか、なんていうのは、それぞれの家庭で違うじゃないですか。
それと同じで、家の中にあるもの(人)を素材にして作品にする“家の中でできることシリーズ”という構想があったんですね。
そのうち子どもが生まれて、これは親の特権で利用しない手はないなと(笑)。
――お子さんが生まれる前と後で、ご自身のアウトプットに変化はありましたか?
うん、変わりましたね。子どもに対する“解像度”が上がりました。
想像の子どもに対して作るものとリアルに親になってからでは、作るものに違いが出ました。
子どもが生まれる前は割と手の込んだものをイメージして手掛けていましたけど、実際生まれると、実は子どもって意外と素朴なものにも反応するんだなということが分かったんです。
インタラクティブなデジタルコンテンツは面白いし、熱中するけど、公園に落ちている小枝を見つけても、ものすごく発狂して喜んでる(笑)。じゃあ、無理に大きくて派手なものを作らなくてもいいんじゃないかと思って。
――0歳から5歳まで1年ごとに発表された作品を見ると、確かに視点が素朴で、そこから醸し出される家族の温かさにホッとする癒しも感じます。
ものすごくお金をかけて作りこまれた広告的な面白さより、
最小単位である家族の中の小さな出来事のほうが、僕にとっては感覚的に面白くてリアルなんですよね。
小さいお子さんのいるご家庭は特に、我が子のホームビデオを撮って楽しんだり、SNSにアップされることもあるでしょう。そうした動画があふれている中で、それらとは違う切り取り方で作りたいという気持ちがあって「息子シリーズ」を展開しています。
――それで言うと、「2歳児が語る、日本の社会問題」(2014年)という作品があるんですが、わずか2歳の子どもに社会問題という重たいテーマを語ってもらうという、よくある子どものかわいらしい姿を収めたホームビデオとは一線を画した作品ですよね。
2歳になって、わけのわからないことをよくしゃべるようになったんですね。その姿を見て、別の表現が何かできないかなと考えたんです。
社会問題という重たい内容に、何も考えずにしゃべる子ども、それを見た大人がいろいろ考えさせられてしまうという構図。
作ってみて、一番最後の質問の答えが面白かった。これから大人は何をしたらいいのかという問いに、何も考えなくていいと(笑)。これで作品にぐっと深みが増しましたね。
この作品で意図したことは、文脈が変わると中身は変わらなくても見え方が全く変わってしまうということ。
例えば、子どもの映像を撮った翌日に、天災が起きたとするじゃないですか。
すると、映像を撮った日は単にかわいい我が子のホームビデオとして見れていたけど、天災後に見ると笑ってみられなくなる。そんな瞬間が来るかもしれないと。
そうしたポジとネガが表裏一体という関係性が共存しているものが好きなんですよね。
――「0歳カレンダー」(2011年)として0歳のお子さんの様子をカレンダーにまとめていますが、生まれたての赤ちゃんの動きのシンプルさにすごいインパクトを感じて、何か考えさせられる作品だなと思いました。ご自身でも、これを見て何かを感じてほしいとコメントしていますね。
0歳児の動きって、見てもらうとわかる通り、自分では何もできないんですよね。
でもこれが0歳であって、5歳児では成り立たない、その年齢ならではのオリジナリティがある作品だと思っています。
また、この作品は拡散性がない。Webコンテンツを作るうえで、バズるかどうかって話が出るじゃないですか。拡散されるものが良いもの、という概念。それとは一線を画した展開をしているんですね、この息子シリーズって。
作品を発表すると、反響が来るんですが、それにもなるべく影響を受けずに作っていきたいんですよね、理想は。
このシリーズはコツコツ創り上げていくというスタンスで、自分にとってはある意味、“ものづくりの聖域”。軸がブレないようにやっていこうと心掛けています、難しいですけどね。
――「5歳児が値段を決める美術館」(2017年)は大変バズりましたよね。かなり良い反響がたくさん寄せられたのでは?
おかげさまで良い反響だったんですけど、次の作品がやりにくくなったなと思って、ちょっと複雑な気分でもあります(笑)。
ただ、SNSでいいねをたくさん押されるものが良いという評価システムを真に受けないようにしていますね。あれって、単にブックマーク機能の側面もあるじゃないですか。本当にいいと思って押している人がどれだけいるのか定かではないですし。
自分にとって作る意義のあるものを積み上げていくことを大切にしていきたいです。
――個人的に好きな作品は「路上絵本」(2014年)なんですが、子どもとの散歩道が1冊の絵本になるというアイデアが素敵だなと思って。
これは、絵本を要素分解していくと、ビジュアルと文字さえあれば絵本になる、と定義したんです。なので、本というフォーマットではなく、普段散歩する道を絵本に見立ててみようと取り組んだ作品。
子どもと歩いていると、これは木だよ、とか話しながら歩くんですが、それをテクノロジーで見える化(文字)して、絵本という定義を拡張したものです。
また、この作品にはちょっとした未来予知的な要素も含んでいます。
ここでは映し出される言葉をあらかじめ用意しておいて、プロジェクターを持ち歩いて映しているんですが、今後さらにテクノロジーが進化して、スマホにプロジェクターが付いたら簡単に、誰もがこれをできるようになる。または、ドローンにプロジェクターを付けて散歩に一緒についてきて、映し出すみたいなこととか。
アート作品の中には未来を予知するような要素を含んだものってあるじゃないですか。それがうっすらとこの作品にもあるんです。新しい絵本のプロトタイプ1号のようなもので、これで完結ではなく、アップデートもできる点が、デジタルコンテンツならではの魅力ですね。
――ねじさんの個人ワークとして、家族にフォーカスを当てた作品をいくつかお伺いしましたけど、この創作活動を続けるモチベーションって何ですか?
子ども系のシリーズは、今子どもと接する時間が多いので、そこから生まれる小さなアウトプットが塊になってシリーズ化していった感じ。
普段から家でよく家族にちょっとしたサプライズをしてるんです。
この前は節分だったので、どう面白く過ごそうかな、と考えたりしていたんですが、
それがネタとしても蓄積されていく感じで、その中から、これは作品として出すと面白そうと思って作ったりしています。
あとは、その年齢でしかできないことがあって、何歳になったら何をやろうかなという漠然としたアイデアをもってやっています。
2歳で作った作品を5歳でやろうと思っても、もう出来ないですからね。
息子はそろそろ小学校に上がるので、小学生になったら漫画描く時期が来るだろうなと。
低学年の子どもの漫画ってすごい破壊力あるじゃないですか(笑)。それで絶対1本作品を作ろうという構想は今持っています。
ただ、この先何歳まで続けていこうかという迷いがあって。
学校でクラスメートに知られたら嫌がるかなとか、反抗期になったら反発されるかなとか。でも反抗期の作品は面白そうだから作ってみたいかな(笑)。
――息子シリーズなどの一連の作品を見ていると、ねじさんのお子さんへの愛情がにじみ出ているように感じるんですが。
うーん、そう言われてしまうと、“いいお父さん感”が出ちゃって、正直ちょっとやりずらい(笑)。そういう子ども向けの教育番組にでてくる歌のお兄さん的な感じじゃなくて、もう少し斜に構えていたいんですよね。
「ねじさんの作品に子どもへの愛情を感じる」とか「ねじさんの子どもになりたい」なんて言われたりして、下手すると、子育て術みたいなところに発展しちゃって、いやいやそれはちょっと困るなと。
子どもに関する作品は、あくまでもクリエイティブの一例であるというスタンスでやっているので。
だから、しょうもないものとか暗いものとか、そんなテーマのものもありです。
――広く子ども向けにプロダクトやアプリの開発も手掛けていますよね。家庭という最小単位から視野を広げたものづくりは、ねじさんにとってどんな意義があるのでしょうか?
「ダンボッコ・キッチン」(2015年)というカヤックに在籍していた頃に手掛けたものがあります。きっかけはクライアントが段ボールを利用して子ども向けに何か作りたいと話を持ち掛けられたこと。
ブレストしていくうちに、スマホと組み合わせようとなって。
おもちゃ作家の奥さんにプロトタイプ作りを手伝ってもらい、うちの子どもにも実際に遊ばせながらブラッシュアップしていきました。
段ボールでできた鍋を開けると光センサーが感知して湯気がでる演出を入れたりとか、まな板で素材を切るときに、ちゃんと包丁を使わないと切れてる感じをつかめないかなとか、細部にまでこだわって仕上げました。
出来上がってみたら、アートの要素も盛り込まれた感じで、満足のいく作品に仕上がったなと思っています。
他に「ハイブリッド黒板アプリKocri」(2015年)というアプリ開発にも参加しました。
こちらもダンボッコの時のように、黒板を使って何かをしたいとクライアントからお声かけいただいて、実際に学校に足を運んだりしてアイデアを膨らませていってサービス化したものです。実際に導入している学校もあるんですよ。
これらを手掛けてみて、個人ワークで試したものを、人や社会の役に立つものとしてカタチにしていきたいという思いが強くなりました。
そういう意味では、これらのプロジェクトは僕にとって重要な位置づけのものです。
実は今朝、ちょっとつながりのある小児病院に呼ばれて行ってきたんですが、院内にエンターテインメントの要素が欲しいんだよねと言われて。
他にも、保育園とか、子どものいる場所だけでなく商店街からも、お話をいただいているんです。
作品をつくるノリで、利用する人が満足できるような“場”づくりへとフィールドを広げて貢献していきたいなと思っているところです。
――子ども向けの作品だけでなく、すべてのアウトプットを含めて、ねじさんがこだわられている“価値のないものに価値を与える”というスタンスが貫かれているなとお見受けします。
漫画家のつげ義春さんの『無能の人』という作品が好きで。そのなかで川原にあるただの石に値段をつけて売るという話があるんですが、何かカッコいいんですよ。
以前、自分の作品で「PARK PEN」(2015年)というものを作ったんですが、それも考え方は同じで。子どもが公園でよく枝を拾って土に絵を描いているじゃないですか。そこら辺に落ちているただの小枝が、子どもにとってはちゃんとした道具なんですよね。そこに価値が生まれているので、文房具としてパッケージングしようと思い立ち、「パークペン」と名付けました。
そういう発見を続けながら年を取るのが僕の理想(笑)。
ニッチなところでいいから何かを見つけて、そこに意味付けをしていきたいと思うんですよね。
撮影:SYN.product 取材・編集:岩淵留美子(CREATIVE VILLAGE編集部)