「高校の校舎裏に新生児遺体 千葉・市原市」
「歌舞伎町のコインロッカーに乳児遺棄容疑 25歳女逮捕」
「トイレで出産後、押し入れに乳児遺棄容疑 19歳を逮捕 大阪・箕面市」
「トイレで出産した赤ちゃんを生き埋めに 会社員の35歳母親を逮捕 東京・東村山市」
ここ数ヵ月の間に起った乳児遺棄事件の一部である。
このような事件が起る度に責められるのはきまって母親だ。「鬼畜」「鬼母」……。
それぞれのケースの背景は違うが、共通するのは産み場所もなく、途方に暮れる女性たちの「孤独」だ。
彼女たちの選択肢は「産むか、産まないか」ではない。「産めない」だ。
それを十分に理解していても、迷う。
産みたい気持ちと逡巡しているうちに、中絶可能時期は過ぎ、また時には妊娠したことも気づかないまま産み月を迎えてしまうことすらある。
そして悲劇は起るのである。
小さな命と母親たちを守るために、親が育てられない子どもを匿名で受け入れる「こうのとりのゆりかご」が設置されたのは2007年のことだ。
以来、10年が経つが、国内唯一の施設として130名あまりの子どもたちを救って来たものの、乳児遺棄事件はやまない。
運営する熊本市の慈恵病院は母子のさらなる救済の道として、母親が匿名で出産し、子どもは後で出自を知ることができる「内密出産」の仕組みの素案を2018年5月に熊本市に示した。
「内密出産」とは、出産する母が自身の身元を開示することなく行なう出産のことである。
出産する当事者が身元は開示しないまま、もしくは出産にかかわる機関が当事者の情報を知っていても絶対に開示をしない上で出産、産まれた子は自らの母親等の情報は知る術もない「匿名出産」とは別で、子が出自を知る権利が保証されている点が特徴である。
世界に目を向けると、実はこうした「内密出産」や「匿名出産」の歴史は古く、望まぬ妊娠をし、遺棄するケースを回避するために、既に1778年にスウェーデンでは嬰児(えいじ)殺防止法が作られ母に匿名で出産できる権利を認めていた。
その後、1856年の法改正で匿名出産には制限が設けられ、助産師が母親の氏名を封筒に入れ、封印した上で保管するよう定められた。
また、フランスにおいて内密出産は1793年に法制化、匿名出産も含めて認められた。以降も各国で乳児の命を守る仕組みづくりが模索されながら現在に至っている。
「こうのとりのゆりかご」が提案する「内密出産」はドイツで2014年に制定された「内密出産法」をベースとしている。
この法律では、「内密出産」で産まれた子が満15歳を迎えるまで母親の身元を内密にでき、16歳になった時点で、子どもには出自証明書を閲覧できる権利が与えられるというものだ。
出自証明書に書かれているのは母の名前、住所、誕生日。子どもが閲覧することで産みの母親に何らかの不利益が生じると考えられるときは、母親は情報開示を差し止めることが可能である。その際は家庭裁判所に判断を委ねる。
この「内密出産法」以降、2017年までの3年間に350人の新生児が誕生している。
子どもが成長した段階で開示を要求することを可能とする「内密出産」の制度化の議論は250年程経って、ようやく日本でも具体化してきたとも言える。